…━━俺が朝比奈さんが消えた公園を後にしたのは、それから随分と後の事だ。
彼女を追い掛けようにも一体何処に消えてしまったのか見当が付かず、かといって自分からはどうする事も出来ないままに結局時間だけが過ぎた。
ただその間に俺は、俺なりに色々考えたんだ。
忘れてはいけない此れ迄の事やこれからの事、自分が今何をどうするべきかを。
そして日が沈み夜の訪れを告げた事で、ようやく俺はその場から離れる事を決めた。
暮れなずむ木立ちの中をゆっくりと歩き、車を停めてある公園の駐車場へと向かう。
やがて駐車場に近付いた俺は、広く舗装された敷地の中にポツリと1台だけとりのこされた自分の車を見付けた。そしてそれと同時にその側に立つ小さな人影も━━━…


【HOME…SWEET HOME】

最終話・もう一度、あの頃の様に


―1―

夕日を背にして佇むその人影は逆光の所為で陰にしか見えない。
しかし俺にはもう、それが誰なのか判っていた。
その理由は影のもつ雰囲気と姿形、そしてこの事態の展開……だ。
「長門、だな?」
呼び掛けると同時にその陰がコクリと頷く。

そして近付くと、陰の中に相変わらずの淡白な無表情が見えた。
「なんとなく、お前に会う気がしてた」
「何故?」
「さっき朝比奈さんに会ったんだ。でも、少し話しをした後に『私がなんとかする』と言い残して消えてしまったんだ」
「………」
「それで何かが始まった気がして、次は長門か古泉が俺に会いに来る様な……」
「違う」
長門の顔に夕日が差し込み、見開かれた瞳を鋭く光らせる。
「何が違うんだ?長門」
「私は朝比奈みくるから何も聞かされてはいない。おそらく、それは古泉一樹に関しても同じ」
「……? ちょっと待て、じゃあ朝比奈さんは自分一人で動き始めたと言うのか?」
コクリと頷く、そして「その為に私は今此処に居る」と続けた。
「どういう事だ?」
「ここでは説明出来ない」
「ああ、解った。とりあえず乗れよ」
俺は車のドアにキーを差し込むと軽く押し込みながら右に回した。
ガチャリと重たい音とともに全てのドアのロックが解除になる。
そしてドアを開け先に運転席に腰を降ろし助手席の周りを軽く片付けると、手元のスイッチで助手席の窓を開け「いいぞ?」と声を掛けた。

静かに助手席側のドアが開き長門がそっとシートに腰を降ろす。
いつぞやの店での雰囲気とは全く違う、チャコールグレーのワンピースに薄い灰色のカーディガンをはおった地味な装い。
何処となく高校の頃そのままの雰囲気に思わず俺は懐かしさを覚えた。
「何?」
視線に気付いた長門が首を傾げる。
「いや、別に…… そうだ、何処へ向かえばいい?」
「ここで構わない」
「えっ?」
「この車の中の情報を操作する」
「え……?」
答える間もなく長門は例の早口な「呪文」を唱える。
すると、それまでフロントやサイドウインドゥに映っていた景色が灰色に変わった。
車ごと地面から浮き上がった様な妙な感覚が体に伝わる。
「……長門?」
「これでいい」
「いいって、何がだ?」
「聞いて」
「えっ?ああ……」
「現在、涼宮ハルヒに関する全ての存在はある勢力により監視されている」
「勢力?監視?」
いきなりだ……
俺達は誰かに見張られているだと?
そして長門が起こしたコレはそれらを遮る為のものなのだと言うのか。

しかし、だとしたら何故監視される必要があるのだろう。
ハルヒは昨日、俺の目の前で確かに消えた。
そして古泉はこの事に対してハルヒの力が招いた事である事を説明した後、今回ばかりはどうにもならないと言い残して事態の収束を告げたんだ。
「なあ長門、誰が何の為に俺達を監視しているんだ?」
「……監視しているのは『鈴宮春日』をこの世界に融合させた存在。そして監視の対象は、それらに関わる私達の行動の全て」
「ちょっと待て!課長が現れたのは、そいつらの仕業だって言うのか?古泉はそんな事……」
「彼は貴方を巻き込みたくなかった。しかし実際には鈴宮春日がこの世界に融合した時点で、事態は深刻な状態を迎えていた」
表情はそのままに、しかし淡白な口調の中にも吐き捨てる様な力強さを感じる。
いつしか感じた古泉の言葉に対する違和感は、長門が今少しだけ述べた『真実』らしき内容よるものなのだろうか。
「何か俺の知らない事情がありそうだな?」
「………」

「なあ、長門。お前や朝比奈さんも俺に…… いや、俺やハルヒに何も言わなかったのは、やはり『巻き込みたくなかった』からなのか?」
「………」
黙ったまま頷く。
「何故だ!俺達は仲間だろ?」
「……でも貴方は、それを望まなかった筈」
「……!」
そうだ……
俺はハルヒと普通に暮らして行くうちに、ハルヒの力の事やその力に対しての様々な存在を疎ましく思う様になってしまったんだ。
もしハルヒが普通の女だったら、と事あるごとに考えてた。
長門や古泉、朝比奈さんだって自分にとって大切な存在だった筈なのに、いつしか俺は自分と自分のすぐ傍にあるものしか大切に出来なくなっていた……
「……教えてくれ長門、全てを!」
力強く見つめたその先で、長門が小さく頷く。
そして微かだ明瞭に伝わる声で、静かに全てを語り始めた。
「4年前、朝比奈みくるが所持する航時機が彼女の行動中に誤作動を起こした。彼女は通常の時間軸から完全にロストし、ある異空間へと到達する」
「……海で遭難して、無人島に辿り着いた感じか?」

「そう把握してもらってかまわない。ただ、辿り着いた場所はこの世界とは別の世界」
「別の?」
「涼宮ハルヒが過去に構築した異世界」
「なんだと?」
(以前、古泉が言っていたアレの事だ!しかし……)
困惑する俺を横目に長門が首を傾げる。
それに気が付いた俺は「すまん、続けてくれ」と静かに返した。
「その後、朝比奈みくるは救出されたものの、この事件により各勢力が把握していた涼宮ハルヒの力に対する概念は大きく変革した」
「世界は書き換えられていたのではなく、新たに構築されていた……と?」
「そう。そして、それぞれの勢力内で『世界の実態』に対する研究が進められた。尚『それぞれの勢力』の中には急進派的な要素を持つものも含まれる」
急進派……朝倉とか昔に古泉が戦ってたあれか?
情報爆発を起こしてどうのこうの……
「やがて研究の結果、涼宮ハルヒの構築した世界は680739存在する事が確認され、それと同時にその全てに涼宮ハルヒと同一の個体が存在する事が判明した。同時に異世界への移動手段も開発され実用化される。

そして、その存在に気が付いた或る勢力が複数の『涼宮ハルヒ』を接触させ情報爆発を起こす事を発案、計画する」
二人のハルヒ……か。
「計画の対象になったのは、オリジナルであるこの世界の涼宮ハルヒ。つまり……」
「俺の女房だな」
「そう。それと、680739存在する世界の中から、この世界に酷似し且つ貴方もしくは涼宮ハルヒと接点を得る可能性を持つ只1つの存在……」
「それが課長、鈴宮春日という訳か」
しかし、ハルヒの力は3年前に消えた筈だ。
消えた力に対して別の同じ力を接触させても効果があるものだろうか…
「だが長門、ハルヒの力は3年前に……」
「鈴宮春日が『こちら』に融合したのは3年前。それと同時にオリジナルである涼宮ハルヒの力は効力を失った。
おそらく鈴宮春日の存在が何らかの影響をもたらしたのだと思われる」
「じゃあ3年前から今までの間、お前達は……」
「幾度となく対処を試みたが、結果は得られなかった」
何て事だ……
俺とハルヒが結婚して普通に暮らしていた間にも、長門や古泉や朝比奈さん……

いや、俺の仲間達は何も言わずにこの事態をなんとかしようと奔走していたんだ。
そんな事も知らずに俺はこいつ等の事を……!
「なあ、長門!俺はどうしたらいい?」
「今は朝比奈みくるを追う。
おそらく彼女は、これまでの全てを自分の航時機が招いた結果と思い、自分自身で時間平面間の調整を行い事態の解決を試みる筈。
しかし彼女単体での行動は無謀且つ危険極まり無い」
「ああ、解るさ」
「私の得た不完全な航時能力には様々な面において限界がある。
それを補うには有機生命体である貴方の存在が必要」
「航時?長門も朝比奈さんの様に……」
「3年を要した、でもまだ不完全」
心なしか長門の目が得意気に光った気がした。
俺は「解った」と頷き長門を見つめる。
すると、灰色だった窓の外の景色が一瞬暗転し、その直後に鈍く光を放ち始めた。



―2―

今、俺の車は時間を飛び越えている。
まるで子供の頃に何かの漫画で見たタイムマシーンの様に、だ。
隣には長門、行き先は朝比奈さんが居ると思われる4年前の時間……

その4年前の世界の何処に朝比奈さんが居るのかは判らないが、そこらへんの事は長門に全て任せようと思う。
とにかく自分が出来る事を探しながら付いて行く、それによって此れ迄のみんなの思いに少しでも報いる事が出来たらと思うんだ。
ただ俺の中にはまだ、これまでの長門の説明に対して釈然としない部分があった。
他でも無い、古泉の事だ。
長門の話が真実だとすれば、古泉は何故最後の電話の時にあんな言い方をしたんだろうか。
まるで、全てを諦めて課長と人生を供にしろといった感じに聞こえたが……
でもまあ、いい。
とにかく何とかするんだ、これまでに起こった全ての事を。

窓の外に異変を感じ、移動が始まってから数分の時が流れた。
いや厳密に言えば、今居るこの空間に『時間』なんてものは存在しないのかもしれない。

「なあ長門、お前はこうなる事を知っていて時間を越える力を身に付けたのか?」
少し気になって訊いてみる。
しかし長門は「違う」と短く答えると、視線をフロントガラスからサイドウインドへと反らした。
その仕草に俺は何か訊いてはいけない事を口にしてしまった様な気分になり、思わず「すまん」と詫びる。
「別にいい」
「ああ…… そうか」
「……聞きたい?」
「えっ?」
長門の意外な反応に思わず驚きの声をあげたその刹那!
俺達をとり囲む車内の全ての窓が光を放ち、鈍い振動が車内全体を包んだ!
「な、長門っ? これは一体…… 」
「間もなく到達する」
光と振動は更に激しさを増し、車内がビリビリと音を立てて軋む。
「だ…… 大丈夫なのか?」
「大丈夫」
「……? すまん、長門! 音と振動で何て言ってるか判らない!」
「……じて」
「何っ?」

「「 信じて 」」

全ての音と光を突抜けて長門の言葉が俺の耳に届く。

そしてそれに導かれる様に車内には静寂が、窓の外には先程長門を車に乗せた駐車場の風景が広がっていった。
しかしそれは先程の夕暮れ時の風景ではなく、どちらかと言えば朝に近い。
「これは?」
「着いた」
「着いた…… のか?」
「そう」
「そうか……」
とりあえず外の空気が吸いたくなってドアノブに手をかける。
「待って」
「えっ?」
「まだ駄目」
「どういう事だ?」
「私達は実体として、まだ不完全な状態にある。実体が固定化するまで52秒を要する」
なるほど、それまでは身動きがとれないという事か。
仕方なく車の中から目を凝らして辺りを見回してみる。
4年前の公園……
4年前……
俺は何をしていたっけ。
22歳、大学を卒業して社会人になった年だ。
ハルヒはどうしてたろう。
過去に何か聞いた気がする、というより知っていた気がするが思い出せない。
そして思い出せない事に気付いた俺の脳裏に、先程の公園での朝比奈さんとの会話が浮かぶ。
(こうしてる間にも、おそらくハルヒの存在や記憶は俺の中から消えてってるんだ)
激しい焦燥感……
そしてそれに気付いたかの様に、長門が「もう大丈夫」と声を掛けた。
勢い良くドアノブを引き、車から飛び出す。

そして振り返りながら「長門、俺はどうしたらいいんだ?」と口早に尋ねた。
「………」
車から降りた長門は立ち尽くし瞳を閉じたまま黙っている。
「どうした、長門?」
「ここではない」
「何?」
「朝比奈みくるは此処に来ては居ない」
「解るのか?」
「解る。この平面上には時間移動を行った時に生じる『歪み』が一つしか…… 私達の分しか感じられない」
「じゃあ、朝比奈さんは一体何処に……?」
そう訊いた瞬間、長門はハッと目を見開いた!
そしてそれは普段絶対に見せる筈の無い、凄まじい程の驚愕の表情に変わっていく。
何かとんでもない事に気が付いたのだと容易に推測出来る表情……
「まさか…… そんな……」
「どうした!何がどうしたんだ?長門っ!」
「……もう一度車に乗って!」
「車に?」
「早く!」
「あ、ああ……」
急かされるままに車に乗る。そして運転席に腰を下ろしドアを閉めると、長門もそれに合わせてドアを閉めた。
「こんな筈じゃなかった」
長門が振り絞るような声で呟く。
「何がだ?」

「この時間移動のプロセスは私が私的な目的で構築したもの」
「私的?」
「十年前の世界を少しだけ覗いてみたくなって構築した」
「……何故だ?」
「理由は…… 判らない」
うつ向いたまま語る長門の表情はいつになく緊迫している。
俺はどうする事も出来ずに、ただ黙って話を聞き続けた。
「だから、もしかしたら失敗するかもしれない」
「何を失敗するんだ?」
「朝比奈みくるを追い『鈴宮春日』の居る世界に行く事」
「……! ちょっと待て、朝比奈さんは何故そこに居るんだ?解るのか?推測か?どちらだっ?」
「朝比奈みくるが今回の件を処置するには二通りの方法しかない。
一つは今私達が居るこの時間平面上で自らの航時機のトラブルを未然に防ぐ事。もう一つは……」
「もう一つは?」
「鈴宮春日の存在を抹消する事」

抹消……だと?

なんて事だ、ありえない!
あの朝比奈さんだぞ?
そんな事が出来るものか!
「長門、それは考え過ぎ……」
「移動を開始する」
俺の言葉を待たずに再び俺達をとり囲む車内の全ての窓が光を放ち、鈍い振動が車内全体を包んだ。



―3―

「起点の時間平面に戻り、貴方の存在をこのプロセスから排除する」
助手席で黙っていた長門が突然口を開く。
「起点ってのは、お前と会った公園の事だな?しかし排除って……」
「朝比奈みくるが行動を開始した地点に此方も行動を開始する地点を合わせる。そして朝比奈みくるの動きをトレースして彼女の到達した空間へと向かう。
しかし、これが成功する確率及び無事起点に帰還出来る確率は極めて低い」
「だから俺を連れていけない…… と?」
黙ったまま長門が頷く、と同時に窓の外に夕暮れ時の公園の風景が広がった。
「スタート地点、か」
戻ってきた、ハルヒが消えてしまった元の世界に。
「じゃあ……」
此方を見ずに長門が小さく別れを呟く。
「ちょっと待て! 俺も連れていってくれ!」
「……推奨しない」
「頼む!何の役にも立てない、だけど……」「……?」
「俺だけ何もしないのは嫌なんだ!だから……だからこのまま行こう、鈴宮春日の世界に!」
「………」
「頼む、長門っ!」
「わかった」

静かに頷く、そしてその相変わらずの無表情が心なしか少しだけ微笑んだ様に見えた。

「始める」
長門が呟いた瞬間、此れ迄以上に激しい光と振動が車を包む。
それだけではない、自分の体が痛みも無く小間切れにされていく様な妙な恐怖感を感じる。
覚悟していた以上に、こいつは辛い。
別世界への移動……
口で言うのは簡単だが本来交わる筈の無い世界と世界の間を行き来するんだ、ただ事で済む筈がない。
思わず不安になり長門の方に視線を向ける。
すると、そこには微動だにせずに前を向きフロントガラスの向こうを見据える藍色の瞳があった。
「……強いな、長門は」
思わず呟く、そして俺も同じ様に前を向き歯を食いしばってみた。
しかしそんな俺を嘲笑うかの様に光と振動は激しさを増して行く。
(やばい、意識が朦朧としてきた……)

思わず目を閉じそうになったその時、それまでの光や振動が一瞬で消え車全体が何かを突抜た様な衝撃を受けた。
「長門っ?」
「到達した」
車の中に静けさが戻る。

しかし窓の外に現れた風景は公園ではなく、何か倉庫街や工業地帯を思わせる様な人気の無い車道だった。
「ここは、一体?」
「朝比奈みくるはこの空間に到達した筈。痕跡を確認した」
「そうか…… とりあえず50秒待てば良いんだよな?」
「……52秒」
「ああ、そうだな」
どうする事も出来ないから、ハンドルにもたれて目の前に広がる車道の彼方を見据える。
すると、その傍らに此方に近付いてくる人影を見付けた。
若い女性の様だが……

……っ! あれは!

「長門、課長だ!鈴宮春日が居る!」
「………」
無言のままに力強く頷く長門。
しかし、どうして……
更に近付いて来るにつれ、課長はその姿を明瞭にして行く。
現在…… いや、元に居た世界より遥かに若い容姿。
俺の会社の女子用の制服の上に作業着の上着をはおっている。

ここは…… 鈴宮春日の世界の過去なのだろうか。
色々と考えている間に、課長は俺達の車の五メートル程先まで近付いていた。
と、その時!
俺達の視界を遮る様に、もう一つの人影が突然現れた!
「朝比奈みくる!」
長門が思わず声をあげる。
俺は驚きのあまり口を開いたままだ。
そこには朝比奈さんが、朝比奈さんが居る!
もしかして長門の言った通り鈴宮春日を『抹消』する為に現れたのだろうか。
しかし朝比奈さんに限って、そんな手荒な真似が出来るとは到底思えない。
「なあ、長門!もう車の外に出ても良いよな?」
「まだ」
「長門っ!」
「私達の実体化に要する時間に誤差が生じている。まだ無理」
「そんな!」
窓の外では朝比奈さんが課長を呼びとめた様だ。
こちらから見えるのは朝比奈さんの背中、そして怪訝な表情をする課長の顔。
「ち、ちょっと!なんなのよアンタ!」
驚きの声とともに、課長の表情が恐怖に満ちたものに変わる。
「……ごめんね、こうするしかないの。私の大切人が困ってしまうの」

フロントガラス越しに聞こえる微かな朝比奈さんの声。
その手には何か、拳銃の様な物が握られている。
「冗談はやめてよ!バカみたい、大体アタシはアンタなんか知らない……」
「動かないでくださいっ!」
振り払い逃げようとする課長と、それを制する朝比奈さん……
「長門っ、まだか!?」
「まだ……っ」
早く、早くなんとかしなければ!
目の前では朝比奈さんが課長を車道沿いの壁面へと追い詰めている。
「頼む…… 朝比奈さん!やめてくれ!」
思わず目を閉じて祈る様に呟く。
しかし次の瞬間、祈りは絶望へと変わった。
ズターン!
「きゃああああああっ!」

フロントガラスの向こうから響く銃声と悲鳴……
全てが……
全てが終わった気がした。



━4━

無情にも鳴り響いた銃声と悲鳴に、俺は言葉を失い目を固く閉じた。
しかしその悲鳴が朝比奈さんの悲鳴であった事に気が付き、再び目を開けその方向に躊躇いながら視線を向ける。
「何が…… どうしたんだ……?」
「古泉一樹!」
その名を呼んだ長門の視線の先には、朝比奈さんと課長の間に割って入る様にして佇む古泉の姿があった!
「……間に合いましたね」
見覚えのあるスーツを纏った古泉の腹には血が赤く滲んでいる。
「古泉君…… なんで?なんで、こんな……」
「朝比奈さん…… 彼女を抹消してしまえば貴女の存在が消えてしまうかもしれないんですよ……」
……? どういう事だ?
「それでもいい!キョン君と涼宮さんが…… いいえ、父さんと母さんが幸せなら……」

なんだと?

「涼宮さんが消えてしまっても、貴方の存在は消えなかった!
つまり、このままでいればキョン君は鈴宮春日と結ばれ貴女は無事にこの世に生を受けるという事になるんです!」

言い終えた古泉の口元からボタボタと血が滴り落ちる。

それを前にした朝比奈さんの背中がガクガクと震えている。
課長はそんな二人から逃げ出し、遠くへと走り去ってしまった様だ。
そして俺は……
衝撃と混乱のあまり微動だに出来ない。
「でもそれは……違う……」
「……朝比奈さん?」
「私の…… 私達の涼宮さんは…… 涼宮ハルヒだけ…… ね?そうでしょう?」
「朝比奈…… さん……」
古泉が崩れ落ちる、と同時に長門が助手席のドアを開け車から飛び出した。
そして俺も、それを追いながら二人の元へ向かう。

「古泉!しっかりしろ、古泉!」
呼び掛けるが返事は無い。
朝比奈さんは力が抜けた様に地面に座りこみ呆然としている。
「長門!古泉を……」
「なんとかする。二人を車へ!」
「分かった!」
朝比奈さんを抱き上げ車の助手席へ、それから古泉を長門と共に静かに持ち上げて運ぶと後部座席に寝かせた。
そしてその傍らに長門が座る。
「とにかく元の世界に戻ろう! ……長門?」
「私は無理」
長門は古泉の腹の傷に手をかざしていた。

同時に二種類の力を使うのは無理、という事か。
「朝比奈さん、なんとか出来ますか?」
「………」
「朝比奈さん!」
「……っ! は、はいっ!」
「しっかりしてください!後の事は元の世界に戻ってから考えればいい!今はとにかく帰りましょう!出来ますか?」
「……やってみます!」
朝比奈さんが胸元の首飾りに手を触れる。
すると、先程こちらに向かってきた時の様な眩い光が車の窓全体から溢れた。
しかし振動や恐怖感は全く無い、寧ろ心地良さすら感じる。
これなら傷を負った古泉でも大丈夫だろう……

静かに動き始めた車の中で、俺はボンヤリとこれまでの事を思い出していた。
特に先程の古泉の話、あれは本当なんだろうか。
朝比奈さんが俺とハルヒの子供?
まさか…… な。
だが本当だとしたら、この前の古泉の電話の内容にも頷ける。
俺とハルヒが結ばれなければ朝比奈さんはこの世に現れる事が出来ない。
例えそのハルヒが別の世界から来たものであったとしても、だ。
ということは、元の世界に戻ったら俺は課長と結婚する?
いや、馬鹿を言っちゃいけない!

今度は全員で、この四人でなんとかハルヒを呼び戻すんだ!
それ以外、幸せな結末なんてあるものか。


朝比奈さんの力で俺達は元の世界に戻って来た。
夕暮れ時の公園、この時間や世界を越える旅のスタート地点……
長門は古泉の手当てを終えた様だ。
しかし当の古泉は仰向けになったまま寝息を立てている。
「イリーガルな空間移動とその後の銃創による出血多量により体力の67%を消耗している、だが状態は概ね回復傾向にある」
長門の言葉に少しだけ安心する。
しかし、そんな俺とは反対に朝比奈さんは窓の外に憂鬱な面持ちを向けていた。
「朝比奈さん…… 」
「結局、何も変えられなかった……」
虚ろな瞳から涙が溢れる。
「え?」
「古泉君に怪我をさせて…… みんなに危険な思いをさせて…… 」
「……朝比奈さん!もう一度、なんとかしてみましょう!今度は四人で!」
「……え?」
「そしてハルヒが戻ってきたら、いつかの…… あの頃の様にくだらない事をやってバカ騒ぎをするんです!もちろん、計画を立てるのはハルヒですよ?」
「キョン君…… 」
「いいだろ?長門!」
「私は……」
「構わない、よな?」

力強く頷く。
「とりあえず俺の家に行きませんか?ここから近いし、古泉も休ませてやりたい。
とはいえ、殆んどの物はハルヒ一緒に消えてしまいましたけど。
まあ、コーヒーくらいなら出せますよ?」
俺はキーを回して車のエンジンをスタートさせた。
そして色々ありすぎた夕暮れ時の公園を後にする。
結局何も解決はしていない、だが気持ちは何故か晴れわたっていた。


僅かな時間で車は自宅へと到着した。
移動中に古泉も目を覚まし、俺達は俺の済むアパートの前に立つ。
「素敵な家ですね」
「ええ…本当に…」
「………」
借りている住まいとはいえ、誉められると悪い気はしないものだ。
「とりあえずアガれよ?それから、今後の事を話そう」
俺はポケットから家の鍵を取り出すと、玄関のドアに差しこんだ。
しかしそれは、俺が回す前に勝手にカチャリと回る。
「あれ?おかしいな……」
中に誰か居る?まさかな……
一抹の不安を覚えたその時、玄関のドアがガチャリと開いた。


「あら、キョン! おかえりなさいっ、早かったのねぇ! 
……って、あれ? 古泉君にユキにみくるちゃんじゃない!
どうしたの、久しぶりね!」

ハルヒだ……
ハルヒが居る……

「い、いやあ偶然そこで出くわしまして。涼宮さんも御変わりない様で、なによりです」
とりつくろう古泉の横で、俺は固まっている。
一体…… これは……?
「みんなあがって…… と言いたい所だけど、ちょっと散らかってるの! 今片付けるから、ちょっと待ってて?」
ハルヒはそう言うと玄関の奥に消えた。
すると、呆然とする俺の耳元に古泉が口を近付け囁く。
「つまり、こういう事です。
朝比奈さんと僕が『あちらの世界』で起こした騒ぎにより、鈴宮春日がコチラの世界に融合出来る要素を失ってしまったとしたら……」
「……?」

「たとえば、あれがキッカケで会社を辞めてしまったとか…… まあ、定かではありませんが鈴宮春日がコチラの世界に融合出来なくなった事は確かです。
故にオリジナルの涼宮さんがコチラの世界に健在である、と」

古泉が言い終わらないうちに玄関の奥から「あがって~」と声がする。
そして俺も、慌ててそれに合わせるように玄関の扉を広く開けみんなを招き入れる仕草をした。

「まあ、なんだ…… ゆっくりしていってくれ」




━エピローグ━

その後の事を少し話そう。
結局、鈴宮春日が消えた事でハルヒの力は元の通りになってしまった。
故に古泉と朝比奈さん、それに長門は必然的にハルヒの側に居なくてはならなくなり、各々の手段を用いてハルヒの側で生活を始めた。
古泉と朝比奈さんは、我が家の二つとなりの空き部屋を借りて住み始めた。
何故二人が一緒に暮らすのかは気になる所ではあるものの、同じ職場(と呼んで良いものか)でそういう関係になる事も珍しくはない訳で、敢えてその部分には突っ込まないでおこうと思う。
ただ一つ気掛かりなのは、古泉が言っていた『朝比奈さんが俺とハルヒの子供』だという事だ。
だとしたら古泉は俺の愛娘にちょっかいを出す憎き存在という事になるのだろうか。
うーん、複雑だ。
長門はハルヒと同じ職場で働き始めた。
高校の文化祭絡みで社長のミズキさんとも面識があったから、話がトントン拍子に進んだらしい。
もともとパソコンが嫌いではない長門にとって、ある意味天職なんじゃないかと思う。

そして俺は……
相も変わらず、毎日自転車を売り歩いている。
ただ1つだけ違うのは、営業所の右前の席に座っているのが例の鈴宮春日ではなく、その前に居た頼りない初老のオヤジだという事だ。
まあ、これはこれで構わないが……
少しだけ寂しい気もする。
そして、時々ふと思うんだ。


向こうの世界で、鈴宮春日は元気にやっているだろうか…… と。


おしまい
 

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最終更新:2020年03月12日 14:23