放課後、俺はいつものように部室に向かった。今日はハルヒは掃除当番のため、しばらくはつつがなくゆっくりと過ごせそうだ。

文芸部部室の扉をノックすると、いつものように朝比奈さんの可愛い声が…聞こえない。今日はまだ来ていないらしい。部室に入ると、長門が部屋の片隅で椅子に座って本を読んでいた。

「よお。」

長門は入ってきた俺を一瞥すると、また本に目を落とした。俺は椅子を引っ張り出してきて、それに座りつつ、今日はなにをして暇をつぶそうかと思案していた。

と、いつの間にやら俺のそばに長門が立っていた。長門は、読んでいた本を片手に持って、俺の方を見ている。

「どうした?長門。」

 

「ご本読んで、お兄ちゃん。」

・・・・・・、
「はあ?」

 なにを言ってるんだ?長門。

「ご本読んで、お兄ちゃん。」

 長門は、もう一度同じことを言った。

「な、長門?」

 いきなりなにを言い出すんだろう。また以前のようにバグがたまっておかしくなったのか?

「今日は私の誕生日。」

 長門が、なんの脈絡もなく、言った。

「は?誕生日?」
「そう、誕生日。」
すまない長門、もっとわかるように言ってくれ。

 

「今日は私の誕生日。だから私はあなたに誕生日プレゼントをもらうことができる。」

 

 はあ。

「誕生日におけるプレゼントは、多くの場合、被贈与者の希望が叶えられる。私の希望はあなたの妹になること。」

 はあ?

「おいおい、っていうかお前に誕生日なんてあったのか?」

「私は私自身の存在を認識する以前から存在していた。ゆえに厳密には私がいつ誕生したのかを私は知らない。しかし現に私がここに存在している以上、私にも誕生した時が、無から有になった時があったはず。そこで私は誕生日を任意に設定することとした。それが、今日。」

 そうなのか・・・

「私は、あなたに私の兄になってもらいたい。」

「…よくはわからんが、まあいい。とりあえず、俺はお前の兄貴になればいいんだな?」

「そう…」

「で、俺はお前の兄貴になって、なにをすればいいんだ?」

「ご本読んで、お兄ちゃん。」

 

「ご本て……、本を読めばいいんだな?」

 俺は長門から本を受け取ると、その場で読もうとした。すると、長門がそれを制するように、

「待って。」

 そう言うと、座っている俺に近づいて、俺の膝の上に座ってきた。長門の身体が密着する。

「ご本読んで、お兄ちゃん。」

4回目のセリフを言う長門。要は幼児に絵本を読み聞かせるように読めということらしい。

「……わかったよ、長門。じゃあ読むぞ。」

「待って。」

 膝の上に座ったままこちらを振り向く長門。俺の顔のすぐそばに長門の顔がある。長門にじいっと見つめられることはよくあるが、こんな間近で見つめられるのは初めてだ。長門の吐くかすかな息が、俺に降りかかる。なんか新鮮、というかドキドキするな。

「兄は、通常妹のことを名字で呼ぶことはない。したがって、今あなたが私のことを“長門”と呼ぶのは誤り。」

「じゃあ、なんて呼べばいいんだ?」

「今 まで観察してきた結果、あなたは実の妹に対しては“お前”等の代名詞、あるいは名前、すなわち固有名詞を用いている。また、先日一日だけあなたの妹となっ た吉村美代子に対しては、固有名詞を用いていた。したがって、今あなたは私のことを、代名詞あるいは固有名詞により呼ぶべき。」

 って、よく見てるなあ…などと感想を述べている場合ではない。

「うーんと、つーことは長門のことを“有希”と呼べばいいのか?」

こくっとミリ単位でうなずく長門。

「わかった、じゃあ読むぞ、有希……」

こくっと再度ミリ単位でうなづく長門。

「えーっと……すまん、なが…じゃなくて有希、これは何語だ?」

 その本は、日本語でもない、英語でもない、よく分からない言語で記述されていた。

「これはアラビア語。」

 あっさりと事もなげに言う長門。

「えっとな、なが…有希、お兄ちゃんはな、有希にご本を読んであげたいのは山々なのだが…どう頑張ってもアラビア語は理解できない…というかどう読むのかもさっぱりわからないんだ。」

「……そう…」

 長門はするっと俺の膝から降り、壁際の本棚の所に行き、じいっとその上の方を見上げた後、

「お兄ちゃん、あのご本取って。」

 本棚の最上段の一冊を指差した。違う本を読め、ということらしい。俺は本棚の方まで歩いて行き、指示された本を取ろうと背伸びをすると、長門は俺の行動を制した。

「違う。」

 

「ん?」

 長門は、俺の前に、本棚の方向を向いて立って、

「持ち上げて。」

 そう、俺に言った。

「持ち上げて…?」

 俺は、意味が分からず呆けていると、

「ご本は私が取る。お兄ちゃんは私を持ち上げて。」

 あ、そういうことか。
 長門が言うのを聞き、その意図するところをやっと理解した。そんなもん、俺が取れば早いだろうに、と思ったのを察したかどうかは分からないが、長門は、自分の意図をこう根拠付けた。

「兄 の義務は、妹を保護するとともに社会に順応させるべく躾けること。妹の要望を聞き、ただそれに従うのみでは兄としては失格。妹に自分で行動させることを教 えるのも兄の責務。したがって本棚上方にある、妹が自力では入手することの困難な本を入手するために、兄としては最低限の補助以外するべきではなく、でき る限り妹に自助による行動を促すべき。よってこの場合、兄は妹を、本が容易に入手できる位置に移動させるのみで足り、本の入手自体は妹に任せるべき。」

 なんか根本のところでおかしいような気がしないでもないが、ここは大人しく長門に従っておこう。

「よし、わかった。じゃあ、持ち上げるぞ、有希。」

 俺は手を長門の脇の下に入れて持ち上げた。それなりの重さを覚悟したが、長門の身体は想像以上に軽かった。ちゃんと飯食ってるか?長門。

「そら、取れるか?有希。」

 目の前は長門の背中なので、今長門がなにをしているか分からないが、ごそごそ上の方で動いてる気配がした後、

「取れた。」

 という声が聞こえたので、長門を下した。

「今度はこのご本読んで、お兄ちゃん。」

 俺に本を差し出す長門。

「はいはい、読みますよー。」

 しかし、受け取った本は妙に、分厚かった。

 俺は椅子に戻って座り、本を開いたところ、長門も先ほどのように俺の膝に座ってきた。

「えーっと、これはなんつー本だ?あんちおいでぃぷす?なんかよくわからんな、まあいい。いくぞ、有希。」

 こく、と長門はミリ単位の動作でうなづいた。本の内容は、俺にはさっぱり理解できなかった。だから字面を追って音読しているだけだったのだが、長門はそんなでも満足しているらしい。
 

 

そんな状態がしばらく続いた後、不意に部室のドアが開いた。入ってきたのは朝比奈さんだ。朝比奈さんは俺と長門を視認して挨拶しようと口を開きかけたところで、その二人の異様な状態を認識してそのまま固まってしまった。

「ふぇ……」

 懸命に、目の前の状況を理解しようと努力している様子が手に取るように分かる。

 俺は、なぜ俺と長門がこのような状態にあるかを、微に入り細に入り、説明した。

 最初は眼を白黒させていた朝比奈さんであったが、状況を理解できたのか、

「今日は長門さんのお誕生日だったのですね、おめでとうございます。」

 いつものように笑顔で、長門を祝福した。

「それにしても、キョンくんの妹ですかぁ…いいなあ。」

って、朝比奈さん、あなたは俺よりも年上でしょうに。

「えっと、キョンくんってね、ぶっきらぼうだけどすごく面倒見がいいから、子供とかに好かれるんですよね。私には兄弟がいないから、お兄ちゃんとかがいる子にあこがれるんですよ。」

  いえ、まあ、俺も朝比奈さんのような妹がいたら、可愛がりまくるはずですが…そしてほのかに兄に恋心を抱くみくるは、家に兄と二人っきりの時に勇気を振り 絞って兄の前でその豊満なバストをさらし、『お兄ちゃん、そんなに私って魅力ない?』とか言って迫られた日にはもう!どうするよ、旦那!……とか、妄想に ひたっていたら、長門がこちらをじいっと見ているのに気づいた。

「ごめんごめん、本を読むんだったな。」

 俺は本読みを再開しようとすると、

「お兄ちゃん。」

と、ぼそっと言ったかと思うと、

「…えっち……」

 グサッ、心に刺さる一言。なぜ俺の妄想がわかるのだ、長門。

「ささささ、次を読むぞおー。」

 ごまかす俺。


長門はまた本の方に向き直る。が、なぜか長門は、今まで直立不動だった上半身を、俺の身体に預けるようにもたれてきた。そして、お尻をもぞもぞさせて、さらに密着度を増すような動作をとり始める。いくら長門が貧ny… もといスレンダーな身体つきだとはいっても、そこはやはり十代半ばの女の子なわけで、それなりの柔らかさがあり、それでもって俺は健康な男子高校生であっ て、他の同業他者と同じく日々情熱をもてあましているわけで、そんな俺がこういう状態になったらどうなるか、つーか、身体の一部に血液が集まって集まっ て、ああああああっ!!


頭の中がピンク色一色になりかけていたそのとき、バーンっと、大音響とともに部室のドアが開けられ、我らが団長様が入ってきた。

「やっほー。」

 団長様は、陽気な声を出しながら、部屋の中を見回し、俺と長門の状態を視界に入れると、その笑顔が一瞬で般若になった。

「このエロキョン!なにやってんのよっ!!」

 どすどすどすと、俺に迫ってくるハルヒ。俺は、長門が上に乗っているのと、情熱がもてあまされまくって血液が一部に集まっているのとで、その場を動けなかった。

「昨日のミヨキチちゃんだけじゃ足りなくて、今日は有希にも手を出そうっていうの!?」

 俺のネクタイをつかみ、ぐいっと締めあげるハルヒ。俺は息苦しくなって暴れるが、長門はこの緊急事態にまったく動じず、俺の身体が揺れるのにあわせてゆらゆらと揺れている。

「いくら有希が素直でいい娘だからって、あんたの変態的嗜好の犠牲にしていいわけないじゃないっ!!」

 変態的嗜好って……

「あ、あの、涼宮さん……」

 部屋の片隅で、朝比奈さんがなんとかハルヒを止めようとしているが、ハルヒの方はまったく聞いちゃいない。

「団員の不祥事は団長の責任、私が団長としてあんたを教育してやるわ!」

 叫ぶや否や、ハルヒは俺に殴りかかってきた。俺は、膝上に長門を抱えていて逃げられず、有効な防御もできない状態だ。

 ハルヒの拳が今にも俺の頬に届く…と思い、目をつぶったが、顔への衝撃は、いつまでたっても生じなかった。恐る恐る目を開けると、ハルヒの拳は、長門の手によって防がれていた。長門がハルヒの手首をつかんで、俺を殴らせなかったのだ。

「ゆ、有希……」

 ハルヒが、思いもよらない長門の行動に、驚きの表情を見せる。そんなハルヒに対して長門は、

「お兄ちゃんを叩いたらダメ。」

 

「お兄ちゃん?」

 当然、ハルヒは疑問の声を上げる。

「そう。」

 


「今日は私は妹。妹は、兄が危機に瀕した場合、助けるべき義務を負う。ゆえに私はあなたの兄に対する攻撃に対し、防御手段をとった。」

 長門の説明にかかわらず、ハルヒは今だ状況を理解していない様子だったので、俺が補足的な説明をしてやった。

「ふーん、要は昨日のミヨキチちゃんと同じことなわけね。そうならそうと、すぐに言いなさいよ。相変わらず行動が遅いわね。」

「お前が人の話を聞かないからだろうが。」

 ハルヒの一方的な非難に抗議の声を上げたが、それが届くわけもなく、

「それにしても一日兄弟ねえ…」

 などとにこにこしながら考え込んでいる。やばい、これはまた面倒なことを押し付けられる前兆…

「わたし、弟が欲しかったのよねえ…」

 そうつぶやき、ハルヒは俺の方を見て、ニヤッとした。

「よし、決めたわ。キョン、明日は私の弟になりなさい!」

 いきなり命令かよ…

「弟って、お前、誕生日は明日じゃないだろうが!」

「別に誕生日じゃなくてもいいじゃない、面白いんだから。」

「お、面白いって…」

「そうね、じゃあ私の次はみくるちゃん、やりなさい!」

「ふぇ?」

 突然のご指名に驚く朝比奈さん。

「だから、あさって、キョンを自分の家族にして、こき使ってもいいわよって言ってるの!」

 こき使うって、お前……

「え?え?」

 あたふたする朝比奈さん。しかし、ハルヒのいつまでも有効な返答が返ってこないのでいらいらしている様子を見てとって、朝比奈さんは、

「じ、じゃあ、キョンくん、私のお父さんになってもらえますか?」

 いきなりの突飛な提案に、俺も、ハルヒもしばらくぽかーんと口を空けていた。そんな俺達の反応を見て、朝比奈さんは、

「え?あ、あの、すみません…」

 わけも分からず、謝る朝比奈さん。それに対してハルヒが、

「いいわね、それ。キョンが親父?キョンって爺臭い所があるから似合うんじゃない?」

 おい、えらい言われようだな。だがしかし、朝比奈さんのお父さんっていうのも悪くないな。

ある日、仕事から帰ってそのまま寝ようとベッドに入ろうとすると、娘のみくるが部屋に入ってきて、

「パパ、一緒に寝ていい?」

 なんて言われちゃったりなんかして、俺はもちろん速攻でOKを出し、ベッドに招き入れ、

「パパ、大好き。」

とか言われて、その豊満の胸を押しつけつつ抱きつかれちゃったりなんかして、俺は表面上は、『みくる、ダメだよ、僕たちは親子なんだから』、なんて言って、

「パパはみくるのこと嫌いなの?」

とか、純粋な目で見つめられて迫られた日には、もうあんた!どうします??

 この、時間にすれば数秒間の俺の妄想に気づいたのか、ハルヒは不機嫌な顔をして、

「まあ、このエロキョンがみくるちゃんにいやらしいことをしないように見張ってなきゃならないけどね!」

 はいはい、そうですか。どうせ俺はエロですよ、なんたって、日々情熱をもてあましまくっている健康な男子高校生だからな。つーか朝比奈さんを目の前にしてエロい妄想をしない方がおかしい(断言)。

 

 そんなやり取りがあり、その日は下校時間まで、長門を膝の上に乗せて、ひたすら本を読んでいた。
 

  翌日、ハルヒは朝から俺のことを弟扱いし、ひたすら俺をパシリとしてこき使った。つーかこれって普段となんもかわらねーな。あと、ハルヒは、自分のことを “お姉ちゃん”と呼べと強要してきた。恥ずかしいったらなかったが、なぜか、俺がハルヒのことを“お姉ちゃん”というたびに、一部女子が嬌声を上げたり眼 を爛々と輝かせてこちらを観察していた。どうも彼女たちに恰好の噂話ネタを提供してしまったらしい。いや、この手のことは、ハルヒとかかわり始めて以来多 々あったことだから、慣れっこではあるが。ただ、ハルヒならともかく俺に妙な性癖があるとの噂がたったら嫌だなあと、少し思った。俺はノーマルな、一般的普遍的な男子高校生だからな。


そのまた翌日、前日と打って変わって俺はうきうきとして部室に行ったのだが、朝比奈さんのパパ役といっても、なぜかハルヒという姑の監視が常時ついてい たので、当然俺はなにをすることもできず、朝比奈さんもハルヒに遠慮していつものようにお茶を出すときに、“はい、パパ、お茶どうぞ”と付け加えるだけ だった。つーかこれもいつもと変わんねーよな。
 

 

 そういえば、今までまったく登場してきていない、古泉はどうしたのか、気になるやつはいるか?

 古泉はこの一連の“お兄ちゃんごっこ”のあった日には、部室にまったく姿を現さなかった。アルバイトで忙しかったらしい。つまり、閉鎖空間がそこかしこで出現しまくったそうなのだ。後日、憔悴しきった姿で俺の前に現われて、

「できる限り、涼宮さんに他の女性と一緒のところを見せないで頂けませんか。」
 いきなりこれか。

「なんで俺がそんなことしなければ…」

“いけないんだよ”と、言いかけて、古泉の表情が追い詰められた小動物のようになっているのに気づく。

「……わかったよ。」

「よろしくお願いします。」

 堵の表情で言ったあと、

「ところで、実は、明日、ボクの誕生日でして…」

 古泉は、妙に色っぽい流し目で俺のことを見つつ、

「よろしければ、ボクの弟になっていただければ、と。」

 突然の申し入れに、俺は、

「はあ?」

驚いたところ、古泉は、

「ボクとあなたとで、ともに美しい兄弟愛を育みましょう。」

とか、気持ち悪いことを言い出した。

「大丈夫です、わからないことは兄であるボクが、じっくりねっとりと、手取り足取り<禁則事項>とり、指導いたしますから。」

 おいおいおいおいおいおいおいおい!

「心配いりません。最初は戸惑いますが、すぐに良くなりますから。」

 って、なにがどう良くなるんだ、つーか一体なにをするつもりだ!?

「そういうわけで、明日、楽しみにしていますよ。」

 古泉は俺にウィンクをしながら去っていった。

「な…おい!古泉!!」

 俺は古泉を追いかけたが、古泉ははるか遠くにまで行ってしまったあとだった。

 勘弁してくれよ…つーか、俺、明日、学校休もうかな……

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最終更新:2020年06月29日 19:00