「ふっふっふっふ。ユキ。今日こそこの町内はわが手中に落ちるのだ」
 ひゃっひゃっひゃと笑いながら、悪役の彼女は一歩、また一歩と歩みを進める。
「わたしは、負けない」
 ユキがキッと表情を引きしめて、にじり寄る長髪の魔女に対峙した。

「はいっ! カット!」
 ポンポンと、監督がメガホンを叩いて合図をする。
「有希! とってもいい演技だったわ! これは本当に、文化祭でのみくるちゃんの立場も危ういわねぇ」
 半目で流し目を送る監督に、去年はカメラを向けられる側だった朝比奈さんがわずかに震えた。
「えっ。えぇぇ~っ」
 朝比奈さんはしょんぼりしてうつむいた。……あれ。残念なのかな。あれだけやりづらそ
うに戦うウェイトレスをしていたのに。
「鶴屋さんも急に呼んじゃってごめんねっ! 去年に引き続き素晴らしい助演女優っぷりよ!」
 親指を立てる涼宮さんに、黒服魔女姿の先輩。鶴屋さんは、
「いやいやっ! 最っ高だよっ! たーのしーったらないねっ。有希っこカワイイしさっ!」
 魔法少女ルックの長門さんの髪をくしゃっと撫でて、頬を寄せた。……心なしか、長門さん
が少しだけ照れているように見える。
「しっかし。ハルヒの思いつきもついにここまで来たか」
 隣で彼が肩をすくめる。そう言う割には、口元が半分笑ってますよ。
「ここでCMにつながるわけよ! っくぅ~っ! われながら完璧な引きだわっ!」
 今日も絶好調の僕らが団長、涼宮さんは晴天の空の下で元気よく言った。

 結局。僕の願いもむなしく、文化祭に先駆けたプレ・スピンオフムービーという形で魔法
少女フェアリーユキの撮影敢行は決定されてしまった。……ふう。いつもの涼宮さんの決定は、僕も自分なりに楽しんできたけれど。映画の時に続いてスポットライトを当てられる番になってしまった。

「やれやれ」
 僕は不意に届いた声に顔を上げた。彼が不敵に笑っている……。
「そんな顔してたぜ。だから代わりに言ってやった」
「おや」
 ばれてました。つき合いが長いとこういうこともある。僕はそれを嫌だとは思わないし、む
しろこの団全体の関係も含めて、満足している。
「キョンー、荷物袋持ってきてちょうだい」
「ん。おう、今行く」
 肩越しに振り向いて涼宮さんに返事をし、彼は一度僕に笑いかけてから歩き出した。

「……」
 ふと気配を感じて僕も振り向いた。見ると、何時の間にか長門さんが僕の傍にいた。
「五分休憩」
 そういって公園の芝にすとっと腰を下ろす。僕は長門さんをあらためて眺める。

 フェアリーユキの衣装は、結局機関に協力してもらって破格とも言えるくらいの値段で用意
することができた。聞いた覚えも、伝えた覚えもないのに、なぜか長門さんの体形にぴったり
と合っている羽のような生地を組み合わせた衣装は、彼女の涼やかな横顔ともぴったりだった。
 あのアニメーションの主人公が、違和感なく画面から飛び出してここにいる。そう思えるく
らいに。長門さんのもともと持っている雰囲気も、幻想的な衣装と不思議にマッチしている。

「……?」
 ふと彼女がこちらを向き、もの問いたげな目を向けた。僕はあわてて首を振る。
「ごめんなさい。少しぼーっとしてたみたいです」
 そう言って頭をかいた。
「……ここ」
 長門さんは隣の芝を指差して言った。
「え?」

「すわって」

 ふわっ、と春風が吹きぬけた。長門さんの衣装と、短めの髪が、風になびく。



「……失礼します」
 少ししゃちほこばって、僕も隣に座った。

「……」
「……」
 何時ものことだけれど、長門さんのほうから何か話をすることは、ほとんどない。あわてて
僕は話のとっかかりを探す。

「……あ。今日は晴れてよかったですね」
 定型句にも程があった。何を今さら緊張しているんだろう。
「よかった」
 長門さんはこくんと肯いた。
「……」
「……」
 ふたたび無言が平行する。……あれ。普段はあまり苦労せずに話せるんだけど。今日に限ってうまくいかないのはどうしてだろう。

 前を向くと、暖かな山あいの公園を色んな人たちが歩いている。誰もが楽しそうにしている
風景は、どこか気持ちまで温かくなるようだった。

「衣装」
「は、はい?」
 突然、長門さんが僕を元の場所に引きもどす。横を見ると、長門さんは肩の淡い生地と髪を風に遊ばせながら、
「あってる?」

 あってる? ……どういう意味だろう。サイズはぴったりだけど。

「丁度いい大きさだったようで僕も一安心です」
 つい、当たり障りのない言葉で間をつないでしまう。
「……」
 長門さんは何も言わなかった。

「古泉くん! 有希! 出番よ!」
 涼宮さんの声がした。僕たちは立ち上がって、監督の指示に従うために歩き出した。


「それじゃみんな! 準備はいい?」
 このシーンは、鶴屋さん扮するライバル魔女にユキが追いつめられ、危機に陥ったところに僕が現れてユキを救う、という、ありがちすぎて恥ずかしくなるくらいの場面だ。せめて、彼
みたいにレフ板を持つ役だったら肩の荷もかなり軽くなるのに。
 場所は公園の丘のすそ。けっこうな落差になっていて、逃げ場がない雰囲気が一目で分かる。

「スリー、トゥー、ワン!」
 キュー。
 鶴屋さんはもうすっかり役になりきっていて、演技とは思えないくらいにいじましい笑みを
浮かべてユキを追いつめる。
「ひぃっひっひっひ。ユキ、もう逃がしゃしないよ。あんたともこれでお別れだ。せめてあの
世でいいユメ見るんだね」
 ユキはこの場面では魔法の力を封じ込められているという設定だった。だから、衣装を着ているだけであとは普通の子と変わりない。

 ユキは半歩ずつ後ずさる。もう少しで僕が登場することになっている。大魔法の杖を振って
ユキに新たな力を授ける、というのが筋書きだ。
 長門さんも、彼女なりに演技をしているようだった。心なしか、目の端がゆるやかになって
見える。
 鶴屋さんが杖を持った片手を挙げる。
 ふたたび涼宮さんの無言のキューサインが出て、僕は画面にフレームインする。

「そうはさせません」
 最初の台詞。僕はユキをかばうようにして、敵の魔女と向き合う。
 背中に、微かに長門さんの気配を感じる。
「おおぅ、美しい師弟愛だねぇ。だが、これでちょうどいい。お前もろとも永久に葬ってくれ
よう」
 ひっひっひっひと笑い、魔女はふたたび曲がりくねった枝の杖を掲げる。
 僕はユキをかばうべく、大魔法の杖を立てて身構えた。

「……いけない」

 僕の背中に、長門さんがつぶやいた。……何がいけないんだろう。何か間違えたっけ。
 直後、鶴屋さんの杖が振りかざされる。

 と、同時――、


「なっ!」
 白い姿が僕の視界に入ってきて、目の前まで飛び込んでくる。
 そこだけスローモーションのようで、けれどすぐに速度が増す。

 ふっと、重力から解き放たれる。


「……!!」

 どんっ、ごろごろごろごろごろごろっ!


 僕は長門さんを抱きかかえたまま、丘の下に転落した。



「…………いっ。痛っ」
「……」

 気がついた。身体中がじんじんしている。
「なが……とさ……痛!」
「……」

 僕は、魔法少女を抱きかかえていた。
 無垢な瞳が、ぱちりとこちらを向く。

「な、長門さん……? 大丈夫ですか?」
 そう言う僕の方はボロボロだった。手や足や頭をめためたにぶつけて転げ落ちたらしい。
 さいわい、伸びてきた芝がクッションになって、大ケガとまではいっていない……けど……。
「わたしはへいき」
 長門さんは一度だけ瞬きをする。
「そうですか。よかった……」
 長門さんはほんのわずか口を開けたまま、僕の顔を見つめている。
 何か言おうと思ったその時、

「……」
 手がすっと伸びて、僕の額に。

「痛っ!」
 触れられて初めて、そこが傷になっていることに気がついた。この分だと全身打ち身とす
り傷だらけかもしれない。
 長門さんはわずかにうつむいて、
「ごめんなさい」
 一度瞬き。
「油断していた」
「油断、ですか……?」
「そう」
 長門さんはそれから、涼宮さんがまたあの魔法が起こるような力を使ってしまったらしい
ことを言った。僕もすっかり忘れていた。……最近閉鎖空間ともごぶさただったし、不思議
な現象から遠ざかっていたから。
「いいえ。助けてくれてありがとうございます」
 僕は首だけで礼をした。それだけの動きだったのに、あちこちが痛んだ。

「わたしこそ」
「え……?」
 長門さんはゆっくりと僕に顔を近づけてくる。
 真っ白な肌が、すぐ近くにまで……、瞳が……

「あの! ……長門、さ」
 体勢的に逃げも隠れもできなかった。けれど、

 ぺろ。

 長門さんは僕の額を一度だけなめた。
「……出血がまだある」

 僕は思わず大きく息を吐く。
「どうしたの?」
 長門さんが首をちょんと傾げる。
「いえ。何でもありません。気遣い、ありがとうございます」
 笑うとまた傷がチクッとした。
「いい」
 長門さんは何でもなく答えた。
「……そうだ。衣装も無事ですか?」
 僕が言うと、長門さんはきょろきょろと自分の服を見て、
「……へいき」
 それはよかった。

「……」
「どうしました?」
 不意に長門さんの表情が変わった。さっき、役で鶴屋さんに追いつめられていた時のよう
な……眼差し。

「ありがとう」

 そう言うと、長門さんは再度僕に近付いて、そっと僕の身体を包んだ。

「あなたのおかげ」

 その間、不思議とどこも痛く感じなかった。


「おーい! 古泉、長門! 無事か!?」
 数分して、迂回して降りてきた彼らが到着した。
 僕と長門さんはそれぞれに立ち上がって、けれど僕はあちこち痛んだので時間がかかった。
 涼宮さんが僕の具合を念入りに確かめる。僕は必死で健康状態をアピール。

「……古泉くん。ほんとに大丈夫ですかぁ?」
 帰りの道すがら、隣を歩く朝比奈さんが僕に心配しすぎな眼差しを送る。
「ええ。何とか……」
 はは。ほんとは結構あちこちきてます。歩けてるのがちょっと不思議です。
「古泉、肩くらいなら貸すぞ」
 反対隣の彼がぶっきらぼうに言う。
「いえ、それには及びま……痛い!」
 彼に答えていると、誰かが僕をつっついた。
 見ると、長門さんが透き通った目で僕を見上げていた。

「素直にかりて」

 ……はい。ごめんなさい。と言うわけで、早速前言撤回します。すみません。
 彼は複雑な表情になって、それでもそっぽを向いて腕を回してくれた。……ありがとう。
「いやぁしかし最高の演技だったわ! おかげで今までで一番の画が撮れたし。古泉くん!
さすが副団長はやることが違うわね。身体張ってるわよ!」
 涼宮さんが太鼓判を押してくれた。今背中を押されるとそのまま倒れてしまいそうなんだけど。
「二人とも落っこちた時はどうなるかと思ったよー。無事で安心っ!」
 鶴屋さんが涼宮さんに呼応して言った。たぶん、自分が未知の光線を出したことにも気づいてないんだろうなぁ……。


 やがて僕たちはタクシーで病院まで行って、僕だけ一晩入院することになってしまった。

「ゆっくり休んでね! 撮影はもう少し続くから!」
 病室でみんなが取り囲む中、親指をびっと立てて監督が言った。……涼宮さん。それ、気休めになってないです。
「古泉、すまんが俺はリンゴ剥いたりしないからな」
 ポケットに片手を突っこんで彼が言った。ここまで見舞ってくれただけで十分ですよ。

 あっという間に時間は過ぎて、談笑もそこそこに今日は解散することになる。

「じゃぁね! 古泉くん」
 大きく手を振る涼宮さん鶴屋さんを筆頭に、ぞろぞろとみんなが退室する。

 ふと、魔法少女衣装のまま最後尾にいる彼女に気づく。

「……長門さん!」

 長門さんはぴたと動きを止めて、けれど振り向かない。
 僕は小柄な背中に、ようやく心残りだったことを言った。


「衣装、似合ってますよ」


 一瞬の間。


 病室は窓が閉まっていたのに、また春風が吹いたように感じた。


 長門さんは振り向いて、一度だけ瞬きをする。
 僕は黙ったままその表情を見ていた。

「……ありがと」

 そう言うと、彼女は仲間の後を追いかけた。


 ……ありがと。
 長門さんが言葉を正確に言わないのを初めて聞いた。

 けれど、それは、何だかとても大切なセリフに聞こえた。
 役を演じている時に言う、どんな言葉より。




「なぁハルヒ」
「何?」
「古泉の衣装。あれ正直どうなんだ? 露出多すぎんだろ」
「キョン、あんたに取っておきの故事を教えてあげる」
「何だよ」
「……知らぬが仏」


 風もないのに、何だかスースーする。


(おわり)

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最終更新:2020年03月11日 22:57