ぼちぼち日が赤く変わりつつあるころ、俺たちは海上をボートで漂っていた。燃料を節約するため、
現在はエンジンを停止して敵が俺たちの前に現れるのを今かと待ちかまえていた。
 俺たちへを屈服させるためなら、無関係な人間への無差別攻撃もいとわないあの腐れ野郎どもは、
今のところ俺たちを追ってきてはいなかった。今頃、さらに無差別攻撃を悪化させているんじゃないかと不安になるが、
「機関の別働隊の情報によれば、こちらが海上に出て以降無差別攻撃などは一切発生していないもようですな。
戦闘自体はほぼ終息したと考えるべきでしょう」
 新川さんからの言葉に俺はほっと胸をなで下ろした。だが、安心もできない。陸からいなくなったと言うことは、
こっちに向かってきている可能性大という事になるんだからな。
「あと、武装集団の十数人が警察などに身柄を押さえられましたが、すべて自決したと言うことです。
そこまでする以上、我々をあきらめることはないと考えるべきでしょうな」
 続いた新川さんの言葉に俺はぎょっと目を見開く。古泉も珍しく驚きの表情を見せていた。
冷血丸出しな攻撃、そして潔い自決。まるで映画か何かに出てくる奴らみたいだ。
ああ、これが俺がスクリーンを眺めているだけの映画であればどれだけ救われることだろう。
そんな現実逃避もしたくなる心境だ。
 そんな俺が精神的疲労と募らせる中、森さんと新川さんは辺りを双眼鏡らしきもので見回し警戒していた。
すでに多丸圭一さんと裕さん――さっき機関の別働隊とやらから死亡の知らせが届いた――が亡くなっている。
しかし、森さんたちは全く気にしていないように、淡々と警戒を続けていた。
先ほど朝比奈(黒)にナイフを刺されて負傷している新川さんだったが、幸い深手にはなっておらず、
俺たちの護衛を続けられるようだった。ただ刺された肩の腕の方はやはり感覚が鈍くなっているようで、
それを動かすたびに少し表情を曇らせることが見て取れた。
 一方、俺たちSOS団の面々はクルーザーの上に何をする出もなく座ってぼーっとしていた。
ただ、古泉と長門は俺のそばにいるが、朝比奈さんだけは少し離れたところで膝を抱えて座り込んでいる。
北高をミサイル攻撃された後からずっとあの姿勢を保ったままだ。落ち込みようは相当なものなんだろう。
おまけにハルヒが目の前に撃たれたショックまで上乗せされているんだ。気絶していないだけマシと言える。
 ――その後、しばらく嫌な沈黙が続く。重苦しい空気が辺りを支配し、俺の喉が詰まりそうになったほどだ。
「おい、何か話せよ」
 耐えられなくなった俺は古泉に話を振る。少しでも気を紛らわせておかないとおかしくなりそうだからだ。
 古泉は意外そうな表情を一瞬浮かべたが、すぐに俺の心中を察知したのかいつものスマイル顔に戻り、
「そういえば、彼らは別の可能性の未来からやってきたということを言っていましたね。
過去が変えられて自分たちの世界が消失することを防ぐために再修正にやってきたと。
ですが、過去が変えられた時点で襲ってきたあの人たちも同時に消滅してしまうのではないでしょうか?」
「…………」
 俺から振った話だったが、俺の少ない脳みそでは答えが出せなかった。確かに過去が変わった時点で
あの連中も消えているんじゃないか? いや待て、ひょっとしてパラレルワールドって奴だろうか。
過去が変えられたところから歴史が分岐して片方はあの朝比奈(黒)の未来に――それならこんな無茶する必要はない。
いくら過去が変えられても、連中の世界がなくなったりしないんだからな。実際に朝比奈さん(大)が
規定事項とやらをこなそうとしている以上、それを変えられれば自分たちの世界もおかしくなるものだと解釈すべきだな。
それならええと……
「わかんねえ……すまん」
 俺は首だけ下げて古泉に謝罪する。だが、古泉はあわてたように手を振り、
「いえいえ謝られることではありませんよ。僕だってわからないんですから。しかし、気を紛らわせるには、
こういうわからない話をして議論をしたほうがいいのではと思っただけです」
「そうか……それなら」
 俺は古泉の気遣いに感謝しつつ、二人の思考能力をフルに発揮して、それを説明できるようにしようと試みた。
可能性や長門から借りたSF小説のネタ、妄想を含めてありとあらゆる議論を重ねる。
正直、古泉のおしゃべりがこれだけありがたいと思ったことはなかった。
 ――そして、ぼちぼち日が水平線に接触しようとし始めたころ、
「――ダメだっ!」
 俺はついに観念して床に手をつく。あーだこーだ考えても訳がわからなくなるだけだ。
おまけに話が拡大しすぎてもはや俺の脳内は大パニックだ。はては宇宙神の存在まで話し始める古泉は大したものだと
本気で思うよ。
「僕もギブアップです。軽い気持ちで考えられる話ではなさそうですね。やるならもっと本格的な研究をしなければ、
答えは見つけられそうにありません」
 古泉もさすがに複雑そうな苦笑いを浮かべている。と、そのまま長門の方に振り返ったと思うと、
「そろそろ、答えを教えて頂けないでしょうか? 長門さんならなぜなのか理解できると思いますが。
朝比奈さんはあの調子なので聞くわけにもいかないですしね」
 話を振られた長門はしばらく沈黙を続けた。俺も答えに興味があるので、黙ってそれを待った。
 そして、長門が告げた答えは、
「過去が変えられた時点でその未来は消失する。そこに存在するも全て。あの朝比奈みくるたちはそうならない方法を
知っているからそうならない」
 非常に簡潔かつシンプルな答え。だが、俺たちの疑問には全く答えていない。
「いや、長門。それはわかるんだがどうやったらそんなことが可能なのかが知りたいんだが……」
「言語では理解できない」
 とまあおきまりの台詞が返ってきてしまった。いつもならここで会話終了なのだが、長門は少し首をかしげるような動作を取り、
「そして、さきほどからのあなたたちの議論の前提には時間の流れが一方向にしかない認識がある。
まずそこから変化させる必要がある。議論よりも感覚が重要。時間的連続の配列の方向性を感じ取れるようにならなければ、
理解できることはまず不可能」
 時間の流れは一方向ではない? といわれても俺が『あ』『い』と発音すれば、時間的には『あ』が最初で『い』が
後になるんだから、間違っても『い』が先になるようなことは……ああ、訳がわからん。
 俺はふと長門の言葉を思い出し、
「さっきの話だとあの武装集団の連中が自分たちの未来を守るために戦っているって事は確実なんだよな?
そして、連中の未来に世界を向けるには、ハルヒと朝比奈さんを消す必要があるって思いこんでいると」
「そう。朝比奈みくるの異時間同位体は彼らの行動を常に妨害してきた。そのために最優先の抹消対象として認識している。
涼宮ハルヒに関しては、彼らの未来へ向かう適切な修正ポイントが3年よりも前になっているため、
それ以上以前に戻るために抹殺という結論を導き出したものと推測できる」
 短絡的な連中だ。邪魔するから即抹殺かよ。連中のいた未来ってのはそんなことが平然とまかり通る世界なのか?
考えるだけでもぞっとするぜ。朝比奈さん(大)が抹消したってのもよく理解できる。
 俺はクルーザーの床に寝っ転がると、
「しかし、いくら自分たちの世界を守りたいからといっても、奴らはやりすぎだ。無関係な人々を襲いまくって、
たくさんの人を傷つけている。そこまでして守りたいんだろうかね」
「それはそうでしょう。どんな人でも親や子供は守りたいものです。どんな犠牲を払ってでもね。
健全とは言えないでしょうが、人間である以上当然とも言えます」
「……俺は誰かを犠牲にしてまで助かりたいなんて思わないけどな」
 俺が何気なく口にした言葉。特に意図なんてなかったんだが……
 突然古泉は俺の肩をつかむ強引に上半身を起きあがらせた。全く予期しなかった展開に俺は呆然としてしまうが、
古泉は俺の前にかつて見たことないような真剣な表情を向け、
「あなたは理解していないのかもしれませんが、すでにこの事件に巻き込まれて以降、あなたはすでにその決断をしているんです。
涼宮さんが撃たれた後、あなたはどういう行動を取りましたか? 多丸裕さんをあの場に置き去りにして、
そのまま逃げ出したでしょう? あの時、あなたは涼宮さんを助けるために裕さんを盾にしたんです」
 古泉の指摘に俺は反射的に口が動く。
「い、いやまて! あの時はどうしようもなかっただろ!? ハルヒが撃たれて死にそうだったし、
敵はばんばん襲ってくるから走って逃げるしかなかったんだ!」
 頭に浮かんでもいないことが口から飛び出る。それはもう言い訳がましいと自分でもつっこみを入れたくほどにだ。
「あの時、裕さんのために立ち止まり敵と戦えば、裕さんは生き延びたかもしれません。ですが、その場合涼宮さんを
高い確率で亡くなっていたでしょう。あなたはあの時反射的に裕さんを犠牲にして涼宮さんを助けるという決断をしたんです」
「…………」
 もう俺の口から反論の言葉が飛び出すことはない。
 ……考えもしなかった。
 ……言われるまで全く気がつかなかった。
 ……俺はあの時確かにハルヒを助けることだけで頭がいっぱいだった。
 ……その時俺が取った行動の結果、裕さんは死――
「うっ……」
 強烈な嘔吐感。頭を駆けめぐる嫌悪感が俺の胃の中身をはき出させようとする。俺か? 俺が裕さんを殺したようなものなのか?
俺のせいなのか……
 古泉は俺の背後に回り背中をさすり始める。
「別にあなたの判断が悪いとか言っているわけではありません。機関の人間は皆プロフェッショナルです。
ああいう状況下でも任務を果たそうとします。あの場に残ったのは紛れもなく裕さんの意思でもありました。
あなたが彼の死を背負う必要はないんです。僕が言いたかったのは、僕らがこうやって無事でいられるのは、
裕さんがその身を犠牲にしてまで戦ってくれたこと。そして、僕たちはそれを求めて受け入れたんです。
裕さんよりも涼宮さんや朝比奈さんを優先してね。それを理解してほしい」
 猛烈な不愉快さで意識すら揺らぐ中、どういうわけか古泉の言葉だけははっきりと耳の中に入ってきた。
俺が自分に対しての言い訳を欲していたからかもしれない。
 しばらく嘔吐感が続いたが、それもやがて収まった。そして、はき出すように、
「す、すまねえ……俺、全然そんなことを考えていなかった……」
「いえ、僕の方こそ謝らなければならない。本来はこんな話をしている状況ではないんですが、つい感情的になってしまいました。
お詫びします」
 古泉は俺に向かって深々と頭を下げた。いや、謝らなければならないのは俺の方だ。無自覚。これほど恐ろしいことはない。
古泉に説教されなければ、俺は躊躇なく森さんや新川さんも盾にしてしまったかもしれない。それもさも当然そうに。
 俺は一回大きく深呼吸をする。理解しろ。今自分が置かれている立場をだ。そして――
「俺たちを襲って来ている連中も自分の世界を守るために、この世界を犠牲にするって言う決断ができているんだろうな。
そうでなければあそこまでめちゃくちゃなこともできないだろうから」
 理解しなければならない。敵がどういう気持ちで俺たちに戦いを挑んできているかを。
 ――そして、来た。奴らが。
 新川さんが双眼鏡から目を外し、クルーザーの操縦席に飛び乗る。森さんは双眼鏡をのぞいたまま言った。
「……敵が来ました」
 
◇◇◇◇
 
 あと30分。あの脳裏の声が予告した時間が迫っている。ちっ、船の調達にこれだけの時間を費やすことになるとは、
完全に計算外だ。いや、そもそもこんな状況になるまで奴らを仕留められなかったことが計算外だ。
あの奇妙な違和感。神経をまとわりつく鈍い感覚、それが手元を狂わせ、奴らをどうしても仕留めることができない。
これもあのTFEIの力なのか? だが、どうしてこんなわかりにくい方法を取っている?
「三佐、敵は本当にこちらの方向にいるんですか?」
「ああそうだ! あたしの指示通りに進めばいい!」
 周囲には強奪した漁船が3隻。計4隻で朝比奈みくるたちを追撃している。兵士全員を乗せられる数ではなく、
半数以上陸に残したままになってしまった。戦力低下は明らかだ。
 と、あたしの頭の中で目標の移動を感じ取った。まただ、どういうわけだかわからないが、今のあたしには奴らの位置がわかる。
以前にも多く感じていたことだ。あのハイスクールへの攻撃予告の電話番号を知らせてきたのもこれと同質のものだ。
あの時間指定をしてくる声と同じもの。この声はあたしたちの味方なのだろうか? それとも――
「三佐! 前方にクルーザータイプの船影!」
 部下の声。
 声の存在。そんなことはどうでも良い。手助けをしてくれるというなら、利用しない手はない。
 
◇◇◇◇
 
 俺たちのクルーザーは全速力で敵の追撃から逃げていた。相手は漁船タイプが4隻。
あれもどこかに合った奴を盗んできたのだろう。持ち主の無事を俺はひたすら祈った。
「新川! 左後方から一隻近づいてきています! 進路をやや南へ!」
「かしこまりました!」
 漁船から浴びせられる銃弾の中、森さんと新川さんは機敏な動きで敵に対処していた。
新川さんのクルーザーの操縦技術は自動車のドライビングテクニックと変わらずすばらしい動きで敵の攻撃をかわしていく。
肩を負傷しているとは思えない捌きだ。森さんはまた自動小銃を片手に敵へ反撃を試みていた。
ただ、車以上に激しく揺れるクルーザーの上からではなかなか敵に弾を当てることは難しそうだった。
しかし、それは敵も同じ事のはず。
「うひっ!」
「きゃあ!」
 俺は相変わらず膝を抱え込んだままの朝比奈さんをかばいながら悲鳴を上げる。今俺の頭上数メートルのところを
おなじみのロケット弾がすっ飛んでいったのだ。あれが当たればこんなクルーザーなんて一発でおだぶつだ。
「まずいですね! スピードは向こうと同等ですが、火力で圧倒的に不利です! 避けるためにこっちは蛇行を続ける以上、
その内ぴたりとつけられますよ!」
 古泉が船体にしがみつきながら叫ぶ。そんなことはわかっているが俺たちには何もできることがねえ!
せいぜいこうやって朝比奈さんをかばっていることぐらいだ。
 しかし、あたふたとしているのは俺と古泉ぐらいで、森さんは冷静だ。ついに敵の漁船が横に併走するぐらいまで
近づかれてしまったが、それを待ってましたとばかりに自動小銃の下につけられているグレネードランチャーを発射する。
見事に船体のど真ん中に直撃し、火を噴きながら速度を落としていった。これで一つ撃退か。だが、まだ3隻いる。
 俺は無表情を貫く長門を呼びつけると、
「すまん長門! 何かできることはないか!? 俺も一緒に考えるからできることを教えてくれ!」
 どんな些細なことでも良い。長門の力をまた強引な解釈で使えればこの状況を打開できるかもしれない。
だが、長門はふるふると首を振ると、
「さっきの涼宮ハルヒへの時間封鎖以降、情報統合思念体はわたしへの制限事項を圧倒的に増やした。
今の状況下でわたしにできることは何もない」
 ……そうか。仕方がない。さっきから長門には無理をさせすぎているのも事実だ。制限事項に対する詭弁のような解釈、
親玉も相当頭に来ている状態なのかもしれない。
 長門はすっと視線を落とすと、
「すまないと思っている。こんな状況下だというのにわたしは何もできない。何もすることができない。
これだけの無力感を感じたのは初めて。本当に――」
 長門の口からこぼれた声――
「ごめんなさい」
 長門がこれだけ感情的に謝罪の言葉なんて述べたことがあっただろうか。いつも淡々と必要最低限な言葉だけで、
決して余計な事を言わない。そんな長門が……
 俺は自然と長門の頭を抱きしめてやる。
「いいんだ。気にするな。お前のせいじゃない。悪いのはお前のパトロンなんだからな」
「…………」
 長門は何も言わなかったが、俺の腕の中で小さくうなずいたのは感じた――が、
 強烈な衝撃と水しぶきが俺たちに襲いかかった。船体が激しく揺れ動き不安定な走行に変わる。くそっ。
長門を慰める時間すら与えてくれないのかよ。こういうときは黙って見ているのがセオリーってもんだ。
 どうやらすぐ近くの水面に何か爆発物のようなものが衝突したらしい。直撃でなかったことは幸いだが、
クルーザーの速度が落ちているのはどういう事だ。
「長門! すまないが朝比奈さんを頼む!」
「わかった」
 そう俺は朝比奈さんを長門に託すと操縦席の方に移動した。そこで見たものは……
「新川さん! 大丈夫ですか!?」
「まだ……まだこれしきのことで……」
 新川さんの顔面は蒼白だった。まるで貧血みたいな――俺ははっと気がつく。新川さんの腕からだらだらと血が流れ出し、
操縦席の床日だまりができていることに。海水と混じり、見ただけで吐いてしまいそうなグロテスクな光景。
さっきの傷が開いたのか? この出血量ではこのままではまずいんじゃないのか?
「森さん! 新川さんが!」
 俺は必死に叫ぶ。情けない。俺にできることは森さんを呼ぶことだけか。
 森さんは揺れる船体にも全く動じることなく新川さんの元に駆け寄ると、
「新川。操縦を続けられる?」
「できなくはないですが……満足というわけにはいかないでしょうな……」
「わかりました。すぐにそこをどきなさい。運転を代わります」
「その方がよろしいみたいです……な」
 新川さんは身を引きずるように操縦席から身をどける。即座に森さんがそこに飛び乗り、
「理由はわかりませんが、敵は相当焦っています。まるで時間に限りがあるみたいに。とにかく今は逃げ切ることに専念します!
かなり荒っぽい運転になりますがしっかり捕まっていてください!」
 森さんの怒鳴り声。敵の焦り。ここにきて一体何を焦っているってんだ。だが、チャンスなんだろう。
向こうの時間制限とやらまで逃げ切れば良いんだから。そういや、途中から無差別攻撃よりも俺たちを集中的に狙ってきたのは、
その理由があるからなのか? そして、最初の無差別攻撃は俺たちに隠れさせないようにプレッシャーをかけ、
俺たちが自ら敵の前に立ち戦いを挑むように誘導した。なんてこった。最初から奴らの思惑に乗せられっぱなしじゃねえか。
敵に制限時間があるなら、無理せず――いやダメだ。制限時間があるとはいえその間に延々と無差別攻撃を続行されれば、
どれだけの犠牲者が出たか。結局俺たちは奴らの描いているシナリオ通りに行動するしかない。
 森さんの操縦は新川さん以上に荒々しかった。それこそ、敵の漁船の周りをグルグル回ったり、速度を上げて荒波の上から
ジャンプしたりと――段々船酔いしてきたぞ。
 新川さんは古泉が駆け寄り、怪我の具合と確かめていた。応急処置の経験があるのだろうか。
傷口に自分のワイシャツの切れ端を当てたりと、手当を試みている。
 ――その瞬間、またクルーザーのすぐそばに何かの爆発物が着弾し、船体が浮き上がるほどの衝撃が俺を揺るがす。
船体をつかみ損ねて、クルーザーの床を転がり回るほどにだ。
「ううっ……」
 俺は頭の上を銃弾の雨が飛んでいることを確認しつつ、床にぶつけた身体の箇所を手探りで探った。
頭も腕も尻も腰も足も無事だ。まだ――行ける。
 ……と、俺の目線に一つの拳銃が停まった。恐らく新川さんか森さんが持っていたのもがさっきの衝撃で
床を滑ってきたのだろう。それなら俺は特に気にしなかったが、俺ははっと気がつく。震える動作でその拳銃をつかみ、
自らののど元にそれを向ける人物に――止まれっ!
「――朝比奈さん!」
 俺がとっさに飛び出た言葉。座り込んだまま銃を持った人物はびくっと身体を震わせてその動作を止めた。
 拳銃を握ったのは朝比奈さんだった。学校以来ほとんど口も聞かずただふさぎ込んでいたままだった彼女。今頃銃を持って
何をするつもりなんだ?
「朝比奈さん! そんな物騒なものを持って敵と戦うつもり――」
 俺は自分自身言葉で気がついた。朝比奈さんは銃を敵に向けていない。自らに向けている。まさか――死ぬつもりか?
「いいんですっ!」
 朝比奈さんの絶叫。激しいクルーザーのエンジン音の中でもそれははっきりとその声は聞き取ることができた。
悲痛で今まで彼女が見せたことのないような絶望的な顔と声。ただごとではないことは確実だ。
「いいんです……あたしなんか死んじゃえば良いんです! もう嫌なんです! もうこんなことっ!」
 錯乱している。明らかに朝比奈さんは錯乱状態に陥っていた。この銃撃の嵐だ。おかしくなって当然かもしれない。
だからといって、朝比奈さんの自殺を見過ごすわけにはいかないだろうが。
「やめてください! こんな時に何を考えているんですか! と、とにかくすぐに銃を置いて……!」
「キョンくん!」
 俺の説得を無視して、朝比奈さんは俺とにらみつけるように見つめた。そして、絶叫を続ける。
「答えて! 長門さんの言っていた異時間同位体ってあたしの――未来のあたしのことですよね!」
「…………」
 俺は答えられなかった。だが、朝比奈さんは続けて、
「キョンくん答えてください! 答えてっ!」
 朝比奈さんの追求に俺は一瞬答えるべきかどうか迷ったが、ここで回答をごねると即座に引き金を引きかねないと思い、
「……そうです! その通りです!」
「あたしたちに指令を送ってきたのはその未来のあたしですよね!」
「そうです!」
「じゃあ、今あたしたちに鉄砲を撃ってきて、無関係な人たちを多数巻き込んでいるのも未来のあたしで良いんですよね!」
「その通りですっ!」
 俺は素直に答え続けた。答えるしかなかった。そうだろ? ここで答えを濁して何の意味がある?
 だが、それは間違いだった。
「なら、こんなひどい状況を作り出したのはあたし自身で、たくさんの人を傷つけたのもあたしなんです!
それが事実なんです! もういや!」
 朝比奈さんの銃を握る手が強まる。逆効果だったか? 朝比奈さんはあの朝比奈(黒)を呼び出した朝比奈さん(大)、
そして、無差別攻撃で多くの人を殺傷した朝比奈(黒)の行為を自分の責任であると認識しているみたいだった。
「あたしなんて死んじゃえば良いんです! こんなひどいことを平然とやる自分自身にも、無関係な人を巻き込んだあたし自身にも
みんなを守ることもできずただ状況に流されるだけの今のあたし自身にももううんざりなんです!
涼宮さんもあたしの盾になって傷つけてしまった。あたしが守らせて、未来のあたしが傷つけたんです!
このままだとキョンくんや古泉くんたちまで傷つけてしまう――けどあたしは何もできない! だけど――だけど!
あたしが死ねばあの人たちはもう襲ってこない! それならあたしの望みと一致しているんです!
みんなを守れて、あんな事をしてしまう自分にならなくてすむ。だから――死ぬんです!
これでもう終わりになるから安心して!」
 ……ああ、今までだって色々あったさ。朝比奈さんはいつまでも朝比奈さんらしかったし俺もそれに不満があったわけでもない。
たまに黒い感情に持っていることに気がつくこともあるが、それは明らかに八つ当たり的な責任転換にすぎなかったわけで。
だが……だけどな……今回ばかりは……さすがに限界だ……!
 俺は飛びかかるように朝比奈さんに飛びつく。そして、拳銃を無視して朝比奈さんの肩につかみ言った。
「ふざけんな!」
 よくもまあ朝比奈さんに向かってこんな事が言えるよな俺。きっと別の位置から今の俺を見ていたら即刻殴りかかったぞ。
 さすがに俺の暴言に驚いたのか、朝比奈さんは銃を床に落としてしまった。だが、俺はそれに目もくれずに続ける。
「死ぬなんて言わないでください! いいですか! それだけでは絶対にダメです!」
「で、でも、あたしがこのまま大きくなったらあんな事を平然とする人たちに――」
「なりません!」
 朝比奈さんの言葉へ俺は断言を返してやった。根拠? 根拠ならあるさ。
「今、襲ってきた奴らを見て朝比奈さんはあんな連中の仲間になりたいと思いましたか!?」
 俺の問いかけに朝比奈さんはぷるぷると栗色の髪を振り回すように首を振る。
「じゃあ、あいつらをここに呼び込むようなことをしたいと思いましたか!?」
 次の回答にも朝比奈さんは首を振って答える。ほらな、根拠はばっちりだろ?
「それなら、ここにいる朝比奈さんはあんな連中にはならないはずです! だってなりたくないんですから!」
「……あっ」
 朝比奈さんがはっと声を上げた。そうだ。ここにいる朝比奈さんはこの事件を仕組んだと思われる朝比奈さん(大)と
無茶苦茶な蛮行を続ける朝比奈(黒)をしっかりと見た。そして、本心から彼女らの行動を嫌悪している。
これでもなおあの二人のようになりたいっていうなら俺はとっくに見捨てているだろうが、朝比奈さんはそんな人じゃない。
「未来がなんだって言うんですか。未来のあなた達は自分にとって都合の良い未来を作り出そうとしているんですよ?
だったら朝比奈さんも同じようにすればいいじゃないですか。あんな自分にはならない。まだ第三の可能性が存在しているんです。
あなたは未来人という自分のステータスに拘りすぎなんです! 未来人だからなんだって言うんですか!
ここにいるのは北高2年でSOS団のマスコットキャラである朝比奈みくるです! それでいいじゃないか!」
 俺の必死の説得。というか段々感情に身を任せて口を開いているだけなので、めちゃくちゃなことを言っていないか
一瞬不安になるがすぐに頭の隅に追いやった。そんなことはどうでもいい。
 朝比奈さんはしばらくぽかんとした状態を続けていた。その間も激しい銃撃が加えられ、俺たちの周囲をかすめていく。
そして、やがて彼女は全身を振るわせぼろぼろと涙をこぼし始めた。
「あたし……あたし……」
「すみません。泣かせるつもりじゃなかったんです。ただ、自殺なんて絶対にダメだと思ったから……」
「ううん、違うの。うれしいの……」
 朝比奈さんから予想外の言葉が返ってきた。感謝されている? なぜ?
「だって……未来人なんて関係ないなんて言われるとは思わなかったから。みんなどこかであたしのことを未来人だって――
そう言う目で見られているとずっと思っていたから……」
 そんな彼女に俺はすっとハルヒが封印されている球体を差し出すと、
「少なくともハルヒは最初から最後まであなた自身を見ていましたよ。あいつはあなたが未来人だって知らないんだから」
「そう……でしたね」
 朝比奈さんはその球体にそっとふれる。そして、あっと声を上げ、
「今、涼宮さんの声が……」
「……なんて言っているんですか?」
 朝比奈さんはニコリとほほえむと、
「がんばれみくるちゃんって」
 あいつ……こんな状況でもまだ朝比奈さんを思いやっているってのか。本当に大した奴だよ。
 と、ここで朝比奈さんが涙をぬぐい、きっと長門の方に振り返ると、
「長門さん! 学校であたしにくれたあの力はまだ使えるんですか!?」
 ああ、そういやそんな設定すっかり忘れていたぜ。
 長門は滑るように朝比奈さんに近づくと、
「まだ可能。問題なく使えるはず。あとはあなた次第」
「そうですか……なら! やります! やり方を教えてください!」
 どうやら完全に吹っ切れたらしい。なんだかやたらとりりしくなっちゃったぞ。
 やる気を出した朝比奈さんの元に長門が駆け寄り、てきぱきと指示を出し始める。ほどなくして、北高の部室で見た
あの空中モニターが複数朝比奈さんの周りに浮かび上がった。
「この距離なら砲撃ができる。一撃で敵の船を沈めることも可能」
「沈める……」
 朝比奈さんの顔にとまどいが浮かぶ。いくら吹っ切れたからといってあっさりと人殺しができるようになるわけもないから、
当然の反応だろう。長門はそれを察したのか、即座に、
「でも、敵が焦っているのは事実。ならば、敵の目をできるだけそらさせるだけでも良い。
敵の周りの海面に命中させて相手の動きを止めるだけでも十分。それならできる?」
「は、はい! わかりました!」
 そう朝比奈さんは悲鳴に近い叫び声を上げて答える。何だかいつもの朝比奈さんっぽくなってきて不安になったりほっとしたり。
とにかく、敵の漁船撃沈とまでは行かなくても向こうの攻撃さえ押さえられればいいんだから、
長門の示した方法で十分だろう。
 だが、森さんのアグレッシブすぎる操縦は俺たちを揺さぶりまくるもんだからなかなか狙いがつけられないらしい。
敵への照準が定まらず攻撃を行うことができないようだ。とはいえ、撃ちやすいようにのんびり走ればあっという間に
蜂の巣にされるだろう。
「こっちから航行についての指示を出す。ここからでは声が届かないので、あなたが中継役になって」
 長門の無感情な声。連絡役か。今俺ができる唯一の仕事だな。
 そして、長門からの指示が始まる。
「しばらくまっすぐ走って」
「森さん! しばらくまっすぐ走ってください!」
「わかりました!」
 あっさりと長門の指示を受け入れてくれた森さんは、蛇行運転をやめて一直線に敵から離れるように移動を開始した。
敵の漁船2隻が俺たちへの追跡を開始する。当然、銃弾をこっちに浴びせつつだが。
 蛇行をやめたため、こっちに飛んでくる銃弾の数が飛躍的に増える。クルーザーのありとあらゆるところに着弾し、
船体が次第にぼろぼろになっていく。
 そんな銃弾の雨嵐の中、長門は仁王立ちのように敵の漁船の方を見つめている。それもまるで朝比奈さんをかばうかのように、
手を広げて。当たったところで大したことがないと認識しているのか、それとも自分は撃たれても良いから
朝比奈さんを守るという決意の行動なのか。
 そして、ついに長門の口が開く。
「目標、わたしたちの後方の漁船二隻。船首5メートル前の水面へ主砲発射。撃って」
「発射しますっ!」
 長門と朝比奈さんの声が交錯したと同時に――俺たちの背後で十メートル以上はあるんじゃないかという
水柱2本が上がった。同時に衝撃波がこっちのクルーザーにもぶつけられ、森さんが必死に態勢を保とうと操縦に躍起になる。
しかし、俺たち以上に至近距離で食らった漁船の方は相当なダメージを受けたようで、船体のバランスを完全に崩し、
迷走するように明後日の方向へ走り出した。これで2隻はしばらくおとなしくなるだろう。
 だが、2隻の背後にいたらしい最後の1隻が猛スピードで俺たちに接近してきた。船首にはあの朝比奈(黒)の姿も見える。
うっすらと見えるその顔には激しいいらだちの表情がある。まるで鬼のような気迫を発する面に俺は身震いを覚えた。
「左に90度曲がって」
 長門からの指示にビビリ気味の俺はワンテンポ遅れながらも、森さんに伝える。即座にクルーザーの向き先が変わったと思えば、
さっきまで走っていた方向へロケット弾らしきものが数発飛んでいった。あぶねえ。
「敵の船側面から3メートルの海面に主砲発射」
「撃ちますっ!」
 朝比奈さんの叫び。同時に光弾のようなものが発射されて、朝比奈(黒)の乗る漁船のすぐ近くに着弾した。
もの凄い轟音と水しぶきが起こり、俺の鼓膜を激しく振動させる。これを至近距離にぶつけられている連中は、
ただでは済まないだろう。何人かショック死してもおかしくなさそうだ。
 と、ここで長門が俺の方に手を伸ばした。まるで止まれというように。
 俺は即座に森さんに停船の指示を出す。一瞬森さんは躊躇したような表情を見せたが、敵の漁船の姿を見て納得したようだった。
俺もその姿を見て何が起こったんだと身を乗り出してしまう。
 俺たちを追いかけてきていた漁船――朝比奈(黒)が乗っていたヤツはまるで主を失った無人船のように、
ゆっくりとしたスピードで俺たちのいる位置とは明後日の方向に進んでいた。目をこらしてみると、
船上にあの武装集団の姿はなかった。どうなってやがるんだ? 朝比奈さんの砲撃でみんな海面に落ちちまったのか?
森さんも操縦席から離れて双眼鏡で漁船の様子をうかがっている。
「他の2隻も同じようですね。誰も乗っていないようです」
 そう森さん。いきなり神隠しにでも遭ったかのように消えちまったのか? 訳がわからんぞ。
 そんな中朝比奈さんはオロオロと――すっかり元に戻っているな。まあ、落ち込んでいる朝比奈さんよりはいいが。
「えっえっええ? ひょ、ひょっとしてあたしの撃った攻撃で……」
「違う。わたしの空間認識能力の限り、彼らはこの時間区域には存在していない。完全に消失している」
 あっさりと否定する長門。俺は森さんが言っていた奴らは焦っているという言葉を思い出し、
「ひょっとして……連中が焦っていた理由ってこれだったのか?」
「そう考えるが妥当でしょうね」
 森さんが俺の疑問に答えた。
 これで終わりか? 本当に終わったのか? 俺はどうも釈然としない気持ちになっていた。
 
◇◇◇◇
 
 朝比奈みくるのいるクルーザーはすでに眼前に捕らえていた。
「もっと寄せろ! 遠距離では奴らに攻撃は当たらない!」
 現在も自動車での追撃と同じ状況だった。銃弾をいくら撃ち込もうが奴らには決して当たらない。
まるで弾の方がいやがって避けているみたいだった。戦闘経験はかなり長いがこんな奇天烈な現象に出くわしたのは初めてだ。
「三佐! 距離を詰めすぎるとまたやられるのでは!?」
 伍長の叫び。先ほど距離を詰めた漁船が奴らの攻撃に直撃して撃破された。擲弾か何かを有しているらしい。
確かに近づけばそれの餌食になる確率は高いが、確認した限りではこちらへ反撃している人間は一人だけ。
さらについさっきからはこちらへの攻撃は皆無になった。仕留めたのか、向こうに反撃するすべがなくなったのか。
当然罠という可能性もあるが……
「先にあたし以外の2隻を併走させて敵めがけてつっこめ! あたしはその背後に付く。万が一、敵の反撃があっても、
あたしが確実に仕留めてやるから安心しろ!」
「了解! 周りの二隻! 敵めがけて前進しろ!」
 前進した2隻で奴らを仕留められればそれでよし。ダメならあたしが確実に仕留める。これでいい。
どのみち制限時間まであと5分しかないのだ。どんな犠牲を払ってでもやらなければならない。
 ――だが、またしても、だ!
 前進していた二隻の目前で突然海面が破裂を起こした。水面で強烈な爆発が起こり、空高く水柱が立ち上る。
すぐに水しぶきと衝撃波があたしを襲い、同時に激しく船を揺るがした。
 ここに来て、大火力による反撃だと? 今の今までどこにそんなものを隠し持っていた?
今のはただの爆発物による攻撃じゃない! 艦砲射撃かそれクラスのものだぞ。
「三佐! 前進した2隻から、エンジン部に異常あり、航行能力が著しく低下したと報告が!」
「つっこめ!」
「は!?」
「何でも良いからこの船を奴らめがけて突っ込ませろ!」
 伍長はあたしの気迫に押される形で部下に指示を飛ばす。もう時間がない――もう時間がないのだ。
今まで別のあたしである朝比奈みくるにことごとく作戦を潰されてきた。何もできずに一方的にやられて終わることも多々あった。
大勢の犠牲を払って地道に時間を飛び続け、ようやく――ようやくここまでたどり着いた。これ以上のチャンスは
もう2度とないかもしれないのだ。
 あたしの乗る船は全速力で目標のクルーザーに近づく。だが、奴らはそれから逃げるように右に90度進路を変更した。
すぐにこちらもそれに従うように指示を出そうとして――
 怒濤の衝撃にあたしは吹き飛ばされ床に身をたたきつけられる。鼓膜が吹っ飛んだんじゃないかと思うぐらいに、
耳の中で衝撃音が反響し続ける。
 そして、それから降り注ぐ水しぶきを浴びながら立ち上がろうとしたとき――
 
 ここで終了だ。
 
「ま、待てっ!」
 あたしの叫びも虚しく、世界が暗転し意識が闇の中に落ちていった……
 
◇◇◇◇
 
 ……また振り出しか。
 ようやくここまで来たというのに。
 あたしはいつになったら自分の世界を取り戻せるのだろう。
 お世辞にも良い世界だとは言えなかった。
 だが、今まで生きてきた全てを否定されることは我慢ならない。
 負けるわけにはいかないのだ。
 負ければ、今までやってきたこと全てが無意味になる。
 勝たなければならない。
 絶対に。
 あたしは自分の生きたあの世界を守りたい……
 だから、もう一度チャンスをくれ。
 もう一押しで達成できるんだから。
『その意思に偽りはないか?』
 あるわけがない。あってたまるか!
『そうか。わたしはもう一度チャンスを与えたいと思っている』
 ならば今すぐあの時間平面に戻せ! すぐに奴らを始末してやる!
『あの直後に再転移させることは可能。だが、それを行えばわたしたちがお前たちに荷担していることが発覚するだろう』
『そうなれば、もうお前たちへの支援は二度とできない』
『これが本当に最後の機会になる』
『それでも良いのか?』
 かまわんっ! ここでできなければいくらやっても同じだ。
『わかった……』
 
◇◇◇◇
 
「大丈夫ですか、新川さん」
「ええなんとか。お役に立てず申し訳ないですな」
 俺の問いかけに新川さんは頭を下げる。古泉の応急処置が聞いたのか、今では出血が止まっている。
これ以上犠牲者が増えるのはごめんだからな。今のところはほっと一息だ。
 敵の漁船は主を――いや、強盗を主と呼ぶのは失礼か、運転手を失い迷走していた。数度その周りに近づいてみたが、
森さんが撃っていた弾痕が残っているだけで一人の人間の姿もなかった。もう何が何やらさっぱりわからん。
いきなり出現し、暴れるだけ暴れ、ふとした拍子に忽然と消えてしまった朝比奈(黒)率いる武装集団。
突然やってきた台風のように思える。そう――多大な被害をもたらし、多くの人の命を奪った超大型台風のように。
 ――ともあれ、これで終わりみたいだな。後のことは後で考えることにして、今はのんびりしたい。
色々やらなければならないこと、考えなければならないことはあるが少しだけ息をつかせてくれ。
「ですが、少々問題が発生しています」
 俺の心中を知ってか知らずか、森さんが現状報告を始めた。何でも激しい銃撃を受けた結果、俺たちのクルーザーも
航行が厳しい状態状態に追い込まれているらしい。おまけに無線機まで弾丸が命中したらしく使用不能。
当然海のど真ん中なので携帯電話なんて論外だ。衛星携帯は誰も持っていないと来ている。やれやれ、実質漂流中かよ。
「機関にはある程度わたしたちからの連絡が途絶えた時点で捜索活動を始めるように指示をしています。
ですが、もうすぐ日も落ちるため、捜索は明日の朝からになるでしょう。そうなると、どの位置まで漂流するかわからないため、
発見してもらうことも難しくなると思います」
「それはまずいですね。最悪、このまま発見されずに餓死なんていう結果になりかねません」
 いつになく真剣な顔つきの古泉。おいおい、せっかく助かったってのにそんなオチは勘弁してくれよ。
「仕方ありませんな。しばらくはこのまま漂流をして近くに船が通ることを期待しましょう」
「そうですね。いざというときのためにクルーザーのエンジンは停止しておきます。余力は残しておいた方がいいので」
 森さんと新川さんの言葉。仕方がない。今はそれに期待するしかないか。
 
 ――結局俺たちは一晩中漂流する羽目になった。
 
◇◇◇◇
 
 夜明けが近くなってきたころ、ようやく俺たちは一隻の船の姿を捕らえた。しかも、超巨大タンカーだ。
コンテナ類を乗せていないところを見ると石油タンカーか何かか? まあ、種類なんてどうでも良い。
とにかくこっちを見つけてもらって助けてもらわないと腹が減って死にそうなんだよ。
 森さんがクルーザーに置かれていた遭難用の信号弾を空向けて発射する。しゅるしゅると煙とともに光弾が空に上り、
俺たちを照らした。
 ――だが、数分待ってもそのタンカーは全く気がつかないように俺たちの視界から消えようとしていく。
気がついてくれないのか? まずいなあれを逃すと次はいつになるのやら――
 と、俺はふと思いつき、
「朝比奈さん! 長門からもらったヤツで向こうに気がつかせられませんか?」
「ふえ? ええ――あ、そうですね。空に向かって一発撃てばわかるかも。えいっ!」
 朝比奈さんのかわいらしい声とは裏腹に俺たちの上空で大規模爆発が発生した。それこそ、宇宙人が衛星軌道上から
ビーム砲を発射して来たかのようにだ。
「ご、ごめんなさいぃぃぃぃ……やりすぎちゃいましたぁぁぁぁぁ」
 涙目でオロオロと。全くすっかりいつも通りになってくれてうれしいよ俺は。
もうちょっとりりしくなってほしい気もするけどな。
 さすがにこれに気がつかないわけもなく、タンカーは数回の汽笛を鳴らした後、方向転換して俺たちの方へ向かってきた。
やれやれ、今から古泉ともどもさっきの大爆発の言い訳でも考えておくか。
 
◇◇◇◇
 
 俺たちはおぼつかない足取りでタンカーに乗り込んだ。ちなみに朝比奈さんははしごを登る格好がとてもとても危なっかしいので
森さんに背負ってもらうことになった。俺が背負いましょうか?と申し出るかとてもとても迷ったが、顔に浮かぶニヤつきが下心を
暴露しまくるおそれがあったのでぐっと飲み込むことに。
「うわぁ~、このお船すごくでっかいですね」
「これならば先ほどまで襲ってきていた武装集団の攻撃も易々と防げそうですね」
 脳天気な朝比奈さんに物騒なことを言い出す古泉。だが、こんな事も言えるのも余裕ができてきた証拠だろう。
変わらないのは長門ぐらいか。甲板の上からぼーっと海上を眺めている。
 一方で森さんが乗員と何やら話をしていた。恐らく自分たちの置かれていた状況を説明しているのだろう。
嘘と本当を交えた形で。ちなみに恐らく、としているは、どうみても船員が日本人でなく、森さんと話している言葉も
明らかに日本語ではなかったからだ。
 やがて話がまとまったのか、森さんはにこやかな笑顔で船員たちにお辞儀をした。俺は何となく、
「森さん、一体何語で話していたんですか?」
「大したことはありません。エルトリア語で少々」
 エ、エルトリア語? なんだっけそれ?
 俺がはてなマークを頭から連続射出していると森さんは笑顔のまま、
「冗談ですよ。スペイン語で少々お話ししただけです」
 そう言って新川さんのところへ行き、何やら話し始めた。今のは――ひょっとして森さん流のジョーク?
いや、スペイン語でもすごいという感想しかないんですが。一体あの人はどれだけ万能なのやら。
 そんなこんなで時間が過ぎていく内に水平線から日が昇りつつあった。辺りはすっかり明るくなり、
360度の見事な水平線が見渡せた。
 ふと、海を眺めて続けている長門の様子がおかしいことに気がつく。外見はなんの変化もないように見えるが、
全身からにじみ出されているオーラっぽい雰囲気には明らかに負の感情がこもっている。
「おい、どうした長門?」
「…………」
 長門は黙ったまま答えない。ただじっと空の向こう側を見つめ続けている。
 ――そして、日が完全に上がり空が薄い青に変化したころ、長門はすっと水平線に向けて指を指した。
「……うかつだった。この船のわたしたちが乗ったことは敵の策謀。完全に術中にはめられた」
「どういうこと……うわっ!」
 俺のそばを通っていた一人の船員。それがなんの前触れもなく溶けるように消えてしまった。
しかも、そこら中の船員全員だ! なんだ、なんなんだ一体!?
「確信した。これほどのことができるのは情報統合思念体以外に考えられない。行動パターンから急進派に通じるものがある。
ただ、完全に彼らの意思と一致しているわけではない」
「あの朝比奈さんの別の可能性っていう奴の後ろにいたのは、朝倉を操っていたものと同じなのか?」
 朝倉涼子――ハルヒの行動を見たいがためだけに、俺を殺そうとした危険人物。あの朝比奈(黒)の背後に同じ奴がいるなら、
妙に納得できてしまうのも事実だ。
 だが、長門は表情は変えないものの、少しだけかみ殺すような声で、
「理解できない。背後に情報統合思念体の一部が関与しているというなら、これは未来人同士の抗争とは言えない。
本来ならば、観察のための現状維持を望む主流派はそれを排除すべく行動を起こす。にもかかわらず、
わたしの情報操作能力を制限している。矛盾している」
 異常に気がついたらしい森さんと新川さんが俺の元にやってきた。やはり全ての船員が消え去っているとのこと。
朝倉の黒幕が船員を消し去ってしまったのか、それとも元々俺たちを誘い込むためだけに作られた存在だったのか。
だが、なぜこんなことをする? 目的はなんだ?
 長門は水平線を指さした腕をそのままに言った。
「また彼女らが来る」
「キョンくん……」
 長門の言葉に続いて俺の背後に現れたのは朝比奈さんだった。だが、振り返って見た彼女の表情は――厳しいものだった。
周囲には長門から供与されたシステムの空中モニターが展開されている。
 そして、その口から続けられた言葉は――
「……敵です。空から30個ほど」
 

 
~~その5へ~~

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最終更新:2020年04月13日 08:33