「ああ、良い案かもしれませんね」
 こら、古泉、俺のリアクションをあっさり無視するな。
「でしょでしょ、あたし、こういうときのために何時も籤を持ち歩いているのよ!」
 人生における最低限必要なものを幾つも置き忘れているような癖して、何故こいつはこういうところだけはやたらと準備が良いのだろう。
 にこやか笑顔で同意の古泉、おろおろする朝比奈さん、無反応の長門。毎度の光景としか言いようが無いな。全員棄権か古泉のみ賛成(共犯の間違いという気もしないではない)で残りが棄権のどっちかでハルヒの思い付きが可決されるのは、最早何時ものこととしか言いようが無い。
「あのなハルヒ、」
「良いから籤を引きなさい」
 体格から考えてどうのと言い出しかけた俺に対して、ハルヒがさっと籤を突きつけた。
 こいつ、人の話なんて聞いてやがらねえ。まあ俺としても、勝手に組み合わせを決められるよりも、朝比奈さんと一緒になる可能性の有る籤引きの方が、良いと言えば良いんだが。
「……分かったよ」
 俺は溜息を吐きつつも、籤を引いた。
 しるし無し、もしかしなくても俺がこっちの方を引くのは初めてかもしれない。朝比奈さんと二人というありがたいシチュエーションにはならないようだが、ハルヒか古泉のどっちかと二人っきりになるよりは良い、と思う。
 ただ、組み合わせ次第によっては、
「あ、わたしもしるし無しです」
「わたしも……」
 嬉しいけれども微妙さ溢れる両手に花、決定。
「あたしと古泉くんか……、まあ、良いわ。ありがたく思いなさい」
 ハルヒは一瞬微妙な表情を見せたが、それをあっさりと振り払って古泉に向かって宣言すると、職員用の傘を俺の方を見ないで投げてよこした。こら、適当に投げるな。
「光栄ですよ」
 古泉は何時ものスマイルを崩すこと無いまま、ハルヒに向かってそう言ってから、小さい方の傘を広げた。
 こいつも、一体どこまでが本音なんだろうか。


 職員用の傘はそれなりに大きいが、それでも三人も入ると狭い。
 と言うより、朝比奈さんが長門と距離を取ろうとするせいなのか、間に居て傘を持つ俺が非常にやり辛くて仕方が無い。第一、この位置だと両脇の二人より俺の方が雨に濡れずに済むというのも何となく申し訳が無い。……いや、だからと言って、人間関係と身長差の両方から考えて、両脇の二人のどっちかに傘を持つ役割を譲るという選択肢を選ぶわけにも行かないんだが。
 それに、前を行く二人のことも気にならないわけじゃない。
 普段だったら、ちょっとくらい離れていても会話の断片くらい聞き取れるんだが、今日は雨のせいか殆ど何も聞こえてこない。
 ハルヒがオーバーアクションで何事か言いつつ、古泉がそれに応えているようでは有るが、分かるのはそれだけだな。ハルヒが濡れないよう古泉が気を遣っているのは、後ろから見るとよく分かる。だが、ハルヒが身振り手振りを交えて話すせいか、古泉のその気遣いもあんまり役に立っていなさそうだった。
 そう言えば、と俺は有る一つの光景を思い出す。
 今月始めの時間移動には巻き込まなかったし、例の世界改変の事件では全く持って中心とは言い難かったのですっかり忘れかけていたが、あの改変された世界で見た、ブレザー姿のハルヒと存在しないはずの学ランを着ていた古泉のことだ。
 あの世界の二人も、こうやって、雨の日に一緒に傘を差して帰るような仲だったんだろうか。……どうだろうな。そもそも、俺はあの世界の二人の関係以前に住所さえ知らないわけなので、確たることは何も言えないわけだが。
 そういや、あの世界の古泉は、ハルヒのことを好きだ、何て言いやがったんだよな……。果たして、あの言葉はどこまで本当だったんだろうか。
 あれはあの世界の古泉の言葉であって、こっちの古泉の言葉じゃない。
 基礎となる部分が同じであっても(何せ改変された世界のことだから、どこまで共通性が有るのかさえ不明確だが)、違う道を辿れば、違う感情を抱くことだって有る。……人間なんてそんなものだろう?
 さて……、どうしたものかな。
 いや、別にどうにもなって無いし、目の前ではまた我らが団長様が副団長と共に妙なことを企み始めているんじゃないかという、俺にとっての非日常的日常が有るに過ぎ無い。
 ただそれだけのことに、俺が口を挟む必要は無い。……古泉は先回りして迷走するハルヒを有る程度誘導する役、俺はそんなハルヒが無茶をしないようもしものときのブレーキ役だ。
 多少役割が違う以上、協力の必要はあっても、相手がやっていることに口を挟む必要は無い。……そういうものだと思うんだが。
「えっ……」
 俺がぐだぐだと考えていたら、何時の間にか長門が傘を持っている俺の手に自分の手を重ねていた。あまりにさり気ないというか、考える方に集中していたからか、全然気づかなかった。
「長門……」
 でも、気づいてみると、長門の掌は温かいものだった。まるで、よどみ始めた俺の思考をすっと落ち着けてくれるみたいだな。体温という名の鎮静剤、という感じだろうか。
「……人は変わるもの」
 長門は、俺にしか聞こえない音量で、そう呟いた。
 丸で本の中の一文をそのまま持ってきたかのような、感情のこもらない一言。人は変わるもの、か。
 確かに長門の言うとおり、人間は変わるものだろう。
 この数ヶ月のうちで、皆少しずつ変わってきた。長門は確実に変化しているし、ハルヒだってそうだ。俺もそうだし、朝比奈さんも多少はそうだろう。古泉は表面的には余り変わって無いように見えるが、なんと言うか、ちょっとは脆いところも見えるようになった。
 そうだな、人は変わるものだ。
 そして、これからも変わっていくんだろう。
「キョンくん?」
「ああ、何でもありませんよ」
 疑問符つきで見上げてきたもう片方に居る可愛らしい上級生さんに向かって、俺は笑顔でそう言った。
 時と共に人が変わっていくことは、きっとそんなに怖いことじゃないさ。俺は別に何も恐れていない。この数ヶ月の間に失いたくないものが幾つも出来てしまった気はするし、自分の腕で囲める範囲のものに優劣をつけることすら出来ず、ここにある全てを傍において置きたい、何てことも思ったりするが……、でも、それでも、そういうわけにはいかないのかも知れない。
 俺は何時か、何か一つを選ばなきゃいけないときが来るんだろうか。
 そのとき俺は、一体どうするんだろうか……。
 不意に、俺は重ねられた手に力がこもったような気がした。……多分それは、俺の気のせいだと思う。
 でも、俺はきっと……、もしものときに俺が選ぶ相手は、決まっているんだろうな、という気がした。
 元々はただの人間だったはずの神様モドキ娘でもパートタイム超能力者でもなく、何時か未来に帰ってしまう愛らしい少女でもなく……、孤独の淵で佇む、読書が似合うこの宇宙人娘を、俺は選ぶんだろう。
 こいつには俺しかいない、何てのは驕りかも知れないが……、重ねた掌の意味が俺の想像と同じなら、それはきっと俺の驕りじゃないさ。冷たい雨の中で感じるこのぬくもりは、嘘じゃない。例え『長門有希』が宇宙人製ヒューマノイドであっても、こいつは、ちゃんと、いまこのときを生きている。
 もし、俺が誰か一人を選ぶような時になったら、そのとき、俺の周りがどうなるのか……、意外と、どうにでもなるんじゃないだろうか。
 ハルヒだって、SOS団の全員が大事なはずだしな。
 なあ、そうだろう。
 我らが団長様は、いざというとき、団員全員を守ってくれるんだろう?


 終わり

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最終更新:2007年02月17日 00:53