Report.16 長門有希の憂鬱 その5 ~朝倉涼子の報告~


「ゆ……き……?」
 涼宮ハルヒは、突然現れたわたしに恐る恐る声を掛けた。わたしは無言で視線を向ける。
「話はあと。」
 極めて短い返答。わたしは二人に向けて言った。
「朝倉涼子、支援を要請する。ハルヒ、下がってて。」
「な!? 何言(ゆ)うてんの!?」
【な!? 何言ってんの!?】
 ハルヒが声を上げた。
「涼宮さん!!」
 彼女に負けじと声を張り上げる涼子。
「今は……長門さんの言う通りにして!!」
「あんたは、あたしに黙って見てろって言うん!?」
【あんたは、あたしに黙って見てろって言うの!?】
「だいじょうぶ。」
 わたしが声を掛ける。
「あなたが信じてくれる限り、わたし達は負けない。」
「そんなこと……!」
 わたしは彼女を見据える。しばらく見つめ合っていたが、とうとう彼女は観念した。
「……分かったわ。でも、約束やで? 絶対、無理したらあかんで。」
【……分かったわ。でも、約束よ? 絶対、無理しちゃだめよ。】
「約束する。」
 彼女は後ろに下がった。わたしは攻撃者に向き直る。
 攻撃者は、目の前の状況が何を意味するのか、正しく理解していなかった。わたしの全身から立ち上る、無言のプレッシャーを。『透明オーラ』を。すなわち、闘気を。
 わたしは、正に怒り心頭に発しようとしていた。
『情報統合思念体と接続できないの。』
 涼子は通信で状況を伝えてきた。
『この襲撃してきた一派……過激派に、情報統合思念体の一部が乗っ取られている。通信プロトコルが強制的に変更された。あなたが接続を切られているうちにプロトコルが改竄されたため、あなたが接続できない。今からプロトコルを伝える。』
 わたしは涼子に、プロトコルその他の必要な情報を送出した。
『同期……確認。プロトコル解析……終了。再接続試行……接続成功。OK、行けるわ。』
 わたしは、帰ってきた。彼女がわたしに会いたいと願ったから。
 わたしは、三人称である『観測者』となっていた。しかし今、一人称である『長門有希』を取り戻した。
 わたしは、攻撃者に視線を集中させる。攻撃者は、彼女達に危害を加えようとした。その事実だけで十分。
「あなたは、わたしを怒らせた。」
 情報連結解除は、たやすい。でも、それではわたしの『怒り』が収まらない。直接殴らないと気が済まない。
「……覚悟して。」
『長門さん。涼宮さんの前で、どうやって戦うつもり?』
 涼子から通信。
『人間の能力の範囲内で行動する。「武術の達人」程度。でも、やり過ぎてしまうかもしれない。』
『あれだけ仕事が正確な長門さんとは思えない、感情的な発言ね。』
『……この気持ち、いずれあなたにも分かる時が来る。』
 その後の様子は省略する。なぜなら、ほとんど覚えていないから。わたしは、人間の言葉で表現すると『怒りに我を忘れた』状態になっていた。断片的にしかログが残っていない。

 



 長門さんは怒りに我を忘れ、ログが正しく記録されていなかったようなので、以下、長門さんに代わってわたし、長門有希任務代行・朝倉涼子が報告します。


 追い詰められたわたしは、賭けに出た。
 話の展開としてはかなり無理があったけど、状況が状況だけに、仕方がなかった。それに、涼宮さんも、完全に現実感を喪失していたので、都合が良かった。多少話に無理があっても、気付かないから。
 とにかくわたしは、涼宮さんに、長門さんがここに助けに来るというイメージを持つよう誘導した。その甲斐あって、ついに長門さんは復活した……のは良いんだけど、彼女の目の前で鉄筋の雨を爆散させるなんて、そんな派手な情報改変はまずいんじゃない!?
『問題ない。それに、やるなら盛大にとことんやった方が、あとでごまかしが利く。』
 彼女の常識から大きく外れた、ありえない現象を見せ付けた方が良いっていうわけね。でも彼女はかなり非現実的な出来事に敏感だから、ごまかすのは大変なんじゃない?
『そう。だから、とりわけ盛大に行う必要がある。ためらえば感付かれる。』
 ……ちょっと、今の長門さんは、何と言うか『危険な香り』がするわね。
『わたしは至って冷静。』
 他のインターフェイスならともかく、わたしの目はごまかされないわ。その全身から立ち上る闘気は何ですか、長門さん。
『……気にしてはいけない。』
 気にするっちゅうねん! というツッコミはさておき。長門さんは、攻撃者に向き直って言った。
「あなたはわたしを怒らせた。覚悟して。」
 やっぱり怒ってんじゃん!
 長門さんは腰から武器――ヌンチャクと呼ばれる、二本の棒を鎖で繋いだもの――を取り出し、わたしの周りに突き刺さった鉄筋を薙ぎ払った。わたしは長門さんに助け起こされる。
「あなたにはこれを渡しておく。」
 そう言って長門さんは、背中に背負っていた長い包みをわたしに手渡した。開いてみると、
「薙刀……」
 そこには、長い柄の先に湾曲した刃物が付いた武器が入っていた。
『涼宮ハルヒの嗜好を考慮して、あなたに似合う武器を選定した。刃は付いていないが、それ以外は本物に限りなく近い。以前のあなたの得物とは違うが、問題ないと思う。』
 前科(ナイフ)の話は勘弁して……
 薙刀の使用法をダウンロード……完了。『薙刀使い』のできあがり。
「わたしは攻撃者を叩く。あなたは涼宮ハルヒの護衛をしてほしい。」
「了解。」
 わたしは、涼宮さんの元に戻った。
「あんた、薙刀使えるんや……」
【あんた、薙刀使えるんだ……】
「まあね。嗜む程度には。」
 そういうことにしておこう。『謙遜』って言うんだっけ。……ちょっと違う気もするな。
 そんなやりとりをしてる間に、長門さんは華麗にヌンチャクを振り回し始めた。無言で。情報検索……『李小龍』っていうアクション俳優の動きなのね、これは。なるほど、確かに彼は、人間にしては良い動きしてるわね。動きに無駄がないわ。
 ウォーミングアップと威嚇を兼ねたヌンチャク演舞を終えて型を決めると、長門さんは攻撃者と静かに相対した。沈黙が辺りを支配する。仮想段階での攻撃の応酬が繰り広げられている。人間の言葉では『気組み』等と呼称するそうだ。
 先に動いたのは、長門さんだった。滑らかに身体を滑らせ、攻撃を開始した。
 速い。というか、鬼気迫るものがある。鉄筋の射撃をものともせず、ヌンチャクが舞う。ヌンチャクが止められれば、すぐに鋭い前蹴りが飛ぶ。あまりの速さに、攻撃者反応できず。蹴りが入った一瞬後に、攻撃者の意識が蹴りを入れられた部位へ向かう。そのためガードが少し下がったのを、長門さんは見逃さなかった。
 左正拳突き……いや、ジャブか。そのまま素早く左三連打。一発一発がそれぞれ必殺級の威力なのに、あくまでコンパクトに素早く打ち込んでいく。三点バースト射撃とでも言うべきだろうか。そして再びヌンチャク乱舞。サンドバッグを殴るかのように、攻撃者を翻弄する長門さん。
 いい加減うずくまりそうな攻撃者の頭らしき場所を左脇に抱えると、背後で右踵を跳ね上げるように使って蹴る。いったん攻撃者を身体の正面に持ってくると、左膝蹴り。そして胴回し蹴りからそのまま逆立ち状態で攻撃者の首らしき部位を脚で挟むと、攻撃者の足元に飛び込みながら、地面に叩き付けるように投げた。
 ……また派手な技使うわね。
「白……か。」
 後ろでポツリと呟く涼宮さん。あー、スカートの中のことを言ってるのね。
 ちなみに今の攻撃は、相当な速さで繰り出されたけど、さすがは涼宮さんね。あの速さで見えてるのか。そういえば、わたしの時にも何か言ってたような……と思ったら、ぽん、と肩に手を置かれた。
「あんた……結構可愛いの穿いてるんやね。まさか縞パンで来るとは……萌えのポイント高いわ。」
【あんた……結構可愛いの穿いてるのね。まさか縞パンで来るとは……萌えのポイント高いわよ。】
 再構成されるときに、あなたの嗜好を考慮してるからね。
 それにしても、わたし達は人間じゃないけど、人間の女の子の姿をしてるんだから、仮にも女の子のあなたが、余り『ぱんつ』で喜ばないでほしいな。
『それは涼宮ハルヒが現実逃避に走っている証拠。その方がやりやすい。』
 ……そりゃあ、あなたは『ぱんつ』どころか、もっとすごいことになったから、今更『ぱんつ』が見えたところで動じないんだろうけど。
『あなたが一番、ぱんつぱんつ言っている。』
 はう。
 長門さんにツッコまれた。
 冷静に通信でツッコミを入れながらも、長門さんはひたすら無表情でストッキング仮面(仮名)をしばき上げている。相変わらずものすごい闘気を纏いながら。それにしても、わたしが出る幕ないと思うんだけど。
『もうすぐ。』
 長門さんはヌンチャクを構え、攻撃者を見据えて言った。
「あなたはもう死んでいる。」
 どこの世紀末救世主ですかとツッコむ間もなく、長門さんは、涼宮さんに見えない角度で詠唱を始めた。ものすごい勢いでしばき回しながら、攻撃者に崩壊因子を組み込んでいたのね。
 詠唱が完成すると、攻撃者は音もなく、煌めく砂となり、崩れていった。
 それが合図だった。
 わたしは、この空間内へ急速に敵性存在の気配が満ちていくのを感じた。
『今倒した攻撃者は、尖兵に過ぎない。これが倒されることが、その後の展開の引き金。作動させないと、この空間封鎖を完全に破ることはできない。』
 まるで空間そのものを材料として、先ほどの攻撃者同等の存在が無数に生み出されていくかのような気配。
「……はぁっ!!」
 どこからともなく飛んできた飛翔体……鉄筋を、わたしは薙刀で斬り飛ばした。あれ? 刃は付いてないんじゃなかったの? でも、今はそれどころじゃない。
 これって、全方位から狙撃されるってことじゃない!?
『そう。』
 何てことだ。
 もちろん、インターフェイスとしての能力を最大限生かせば、防ぐのはたやすいけど、今はそばに涼宮さんがいる。長門さんが『彼』を庇いながら戦った時とは、わけが違う。なぜなら、涼宮さんにはわたし達の力をすべて見せるわけには行かないから。あくまで『人間の枠内』で対処しなければならない。例えば防護フィールドは使えない。
 正直言って、キツい。ああ、考えてるそばから鉄筋がいっぱい飛んできたよ。忙しいなあ、もう。
 わたしは薙刀を振るって鉄筋を斬り飛ばしながら、涼宮さんを護る。長門さんは、相変わらず無表情で、ヌンチャクを振り回して鉄筋を叩き落としている。
 どうやってこの局面を切り抜ければ良いんだろう。そう考えていると、
『準備ができた。』
 長門さんの通信と同時に、誰かがこの空間に突入した気配。
『朝倉さん! 長門さん! そっちの様子はどうなってますか!?』
 突入したのは喜緑江美里だった。こっちは正直キツいかな。
『こちらは、涼宮ハルヒの手前、余り動けない。支援を要請する。』
 長門さんの通信に、喜緑さんが答えた。
『了解しました。』


 情報統合思念体に申請して、情報を共有する。……『彼』、朝比奈みくる、古泉一樹も伴っているのか。全員持てる能力を最大限に発揮して戦っている。本来は非戦闘員である『彼』には、武器が支給されている。一体どうなってるのかしら。
『喜緑江美里達には、別動隊として、派手に戦って敵勢力を引き付けてもらう。』
 古泉くんは、閉鎖空間仕様の赤い玉になって、縦横無尽に飛び回っている。
 朝比奈さんは、文字通り『人間兵器』、『歩く凶器』と化して、辺り一面を薙ぎ払ってる。『アレ』を解禁したのか。
 『彼』は、支給された武器をちゃんと使いこなしているようだ。武器に支援システムを組み込んであるのね。
 喜緑さんは……って涼宮さんがいないからって、そんな大技……ちょっと演出過剰なんじゃない?
『あれくらい派手にやってくれた方が、都合が良い。』
 確かに、こちらへの攻撃がだんだん手薄になっていってるけど……ああ、また喜緑さんの大技が炸裂した。同時に土煙が立ち上るのが見え、少しして轟音が聞こえてきた。ここから目視できる距離で戦ってるのか。そして、『彼』の武器が変形した……!? ちょっと!? 涼宮さんがいないからって、無茶しすぎ!
 比較すると、こちらは肉弾戦仕様パーティーで、あちらは飛び道具部隊か。さては、喜緑さん……深夜アニメでも観たな?
 え? なんでそんな例を思い浮かべたかって?
 ……わたしには待機モードの三年間、暇つぶし……もとい、『情報収集』の一環として、日がな一日、テレビを見て過ごしていた時期があった。色々観た番組には、アニメ番組も含まれていた。深夜アニメには、結構『熱い』作品が多かったかもしれない。
 人間がそのまま演じる実写ドラマに比べると、アニメは表現がより『情報』に近い。普段は『肉体』というフィルターを通してしか表現できない人間の内面、すなわち『感情』が、アニメではより純粋な情報に近い形で表現されていた。人間の感情がよく分からない当時のわたしには、それは『人間らしい』所作の研究に役立った。
 朝から昼は、人間達の会話に違和感なく溶け込めるよう、ニュース番組を欠かさずチェック。朝早くはニュースや交通情報が多い番組も、昼が近くなるに連れて、芸能人の話題が増えていく。これは、一般的な人間の生活様式に合わせた結果であることが分かった。ただ、余り見過ぎると、わたしの設定年齢からかけ離れた年代の人間と同様の思考パターンに陥る、人間の言葉で言うと『おばはん臭くなる』という諸刃の剣。素人にはおすすめできない。
 今にして思えば、意外と『人間生活』を楽しんでたんだな、わたし。
『もうすぐ、次の機構が作動する。』
 長門さんの通信が入る。
 何で情報統合思念体と再接続したのに、わたしが余り状況を把握できていないかというと、未だリンクが完全には確立していないから。ノイズが多すぎて、再通信が頻発し、実効通信速度が極度に低下している。おかげで、インターフェイスとしての能力を六割程度しか使えていない。
 これは、涼宮さんがいなかったとしても、あんまり力を使えなかったわね。辛うじて、他のインターフェイスとの通信を保持できてはいるけど、これも危うい。映像と音声でしか通信できず、しかもノイズだらけなので、現在の人類の技術水準による通信、携帯電話によるTV電話程度の精度でしか通信できない。通常の情報共有に比べれば極めて不完全。
 ……何だか、わたしって足手まといっぽいな。ちょっとヘコむ。
『一つずつ機構を作動させていくのは、効率が悪いので、ここらで一気に片を付けますね。』
 喜緑さんからの通信。同時に、喜緑さんは詠唱を始める。
 えええ!? そんな大きな情報操作を……
『これより、情報共有はパッシブモードに切り替えます。事が済むまで通信には答えられないと思いますので、連絡事項は今のうちにお願いします。』
 喜緑さんの通信に、長門さんが答える。
『こちらは、三人で移動を開始する。合流は北高文芸部室にて。以上。』
『了解しました。健闘を祈ります。それでは30秒後、対閃光衝撃防御願います。以上。』
 この通信を最後に、喜緑さんからの映像と音声が届かなくなった。


「涼宮さん! 目を閉じて耳を塞いでっ! 早くっ!!」
「えっ!? えっ!? こ、こう!?」
 戸惑いながらも、わたしの指示に従い、涼宮さんが目を閉じて耳を塞ぐ。それを確認すると、わたしは素早く耳栓を構成して装着し、彼女を庇うように抱き締めて目を閉じた。長門さんは、イヤープロテクターとサングラスを構成して、装着していた。
 そして……
 世界が強烈な光に包まれるのが、瞼の上からでも感じられた。一瞬後に、激しい衝撃波と爆発音。涼宮さんに目を瞑らせた上で防護フィールドを展開してはいるけど、それでも激しい余波。
 余波が収まると、すぐに耳栓を分解してから、辺りの様子を確認する。まだ空間封鎖は解けていないけど、攻撃される気配はない。
「今のうち。」
 と、イヤープロテクターとサングラスを分解した長門さんが言った。涼宮さんも、目を開けて耳を塞いでいた手を離した。
「今のうちに、移動しよ。」
【今のうちに、移動しよう。】
「どこに?」
 わたしの言葉に、涼宮さんは疑問を返す。行き先は一つ。
「とりあえず、北高に避難しよ! ほら、あそこって、災害のときの避難場所になっとぉやんか。逃げる場所としては、最適やと思わへん?」
【とりあえず、北高に避難しよう! ほら、あそこって、災害のときの避難場所になってるじゃない。逃げる場所としては、最適だと思わない?】
「確かにそうかも……」
「ほら、急ご!」
 わたしは涼宮さんの手を引いて駆け出した。長門さんも無言で後に続く。背後から、また爆発音が聞こえ始めた。
『喜緑さん、頼んだわよ。』
 返答が返ってこないと知りながら一言送信すると、わたし達は北高を目指した。
 余計なお世話だと思うけど、こんな長い坂道の上にあるんじゃ、本当に避難する時、大変なんじゃないかな? 立地条件には関係なく、『学校』という属性だけで、避難場所として指定されているらしい。こういうのを『お役所仕事』と呼称するそうだ。
 人間って、わたしにとっては時々、訳分かんないというような不合理な行動を取る不可思議な存在だけど、そんな人間にも訳が分からないと考えられてるのが、『お役所仕事』だそうだ。そのような『お役所仕事』の範疇に含まれるところの、公立学校である北高に着いた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 長い坂を駆け上がってきたおかげで、さすがの涼宮さんも息が切れたようだ。肩で息をしている。
「はぁ、はぁ……ふぅ。さて、北高に着いたは良いけど、この後どうすれば……」
「部室。」
 涼宮さんの問いに、長門さんが極めて短い単語で答えた。
「なるほど、確かに、うちらが共通して知っとぉ場所って言(ゆ)うたら、文芸部室やね。」
【なるほど、確かに、わたし達が共通して知ってる場所って言ったら、文芸部室よね。】
 と、わたしも同調する。正副インターフェイスの連係プレイで、手際良く涼宮さんを部室に連れ込む……もとい、誘導するわたし達。遅い時間になっていたとはいえ、校庭に誰一人いない光景を涼宮さんに見せ続けるのは良くない。……校舎内も似たような状況だけど、部室の中に入ってしまえば、外の様子は余り気にならないからね。
 部室に入り扉を閉めると、ようやく一息つく。
 喜緑さんとは相変わらず通信が途絶してるので、状況は全く分からない。遠くの方で何やら爆発音が聞こえるので、まだ戦闘は続いてるんだろう。
 涼宮さんをここに匿って待機、か。こうなると、もう……人間の言葉で言うところの『祈る』ことしかできない。
 ここまでずっと涼宮さんの手を握っていたけど、もう大丈夫かな。そう思って手を離そうとしたら、
 ぎゅっ
 涼宮さんは、わたしの手を離そうとしない。それどころか指を絡め、しまいには腕に組み付いてきた。
 あのー、涼宮さん? あなたは何をしておいでなのでしょうか。
「べ、別に不安やからとか、そんなん違(ちゃ)うんやからね! あんたが怖がったらかわいそうやから、手ぇ繋いだげとぉだけなんやからね!」
【べ、別に不安だからとか、そんなんじゃないんだからね! あんたが怖がったらかわいそうだから、手繋いだげてるだけなんだからね!】
 うん、もうどこに出しても恥ずかしくない、立派なツンデレさんだね。そんな真っ赤な顔して、そっぽを向きながら、震える手で言っても、全然説得力ないわ。
「!? ……あ、あほぉ、そんなん違(ちゃ)うって……」
【!? ……ば、ばかぁ、そんなんじゃないって……】
 照れるツンデレ萌え、って表現するのかな。照れる涼宮さんの、何と可愛いことよ。
「――っ!! も、もう、知らん!」
【――っ!! も、もう、知らない!】
 ぷいっ、と涼宮さんはそっぽを向いてしまった。
 ぎゅうー
 わたしは、照れて首まで真っ赤になった涼宮さんを抱き締めた。正直、たまりません。
「大丈夫、何(なん)も心配せんでええよ。わたしも長門さんも、付いとぉから。」
【大丈夫、何(なに)も心配しなくて良いわよ。わたしも長門さんも、付いてるから。】
 わたしがそう囁くと、涼宮さんは『ふみゅぅー』とでも擬態語を付けるのが適当な様子で、ふにゃふにゃとわたしの胸に顔を埋めてきた。よしよし、頭撫でてあげる。……抵抗はしないのね。
「……しばらく、こうさして。」
【……しばらく、こうさせて。】
 やっぱり不安だったのね。あー、もう、可愛いなぁ。なでなで。って、長門さんを差し置いて、こんなことをしちゃって良いのかな。
 涼宮さんは、わたしに頭を撫でられるがままになっている。引き継いだ観測結果からすると、極めて珍しい光景。
 いつもは元気いっぱいに振舞っているけど、いくら規格外の彼女とて、やはり人間。他の人間同様に、『不安』や『恐れ』といった感情もやはり存在するというのが、これまでの観測結果。更に言えば、人間の言葉で表現すると、かなりの『甘えん坊』。普段はそれを表に出さないだけ。
 そう考えると、長門さんと似た者同士と言えるのかもしれない。
 長門さんは、どんな感情(に類するもの)も、一切表に出さないように設定されている。もっとも、最近はそれでも微弱な揺らぎが表出したり、特定の人間には感情を見せたりするようになったみたいだけど。
 とにかく、どちらも『本当の感情を表に出さない』という点では、共通している。そんな似た者同士の二人だから、惹かれあってしまったのかもしれない。タブーを超えて。
 冷静沈着に任務を遂行するように設定されているはずの長門さんが、今回のように、『怒り心頭に発し』、『我を忘れて』大暴れするなんて、本来考えられない状況。なのに、それは起こった。
 今や長門さんは『観測者』たり得ない。涼宮ハルヒに影響を与える重要な要素の一つになっている。『鍵』は『彼』だけではなくなった。長門さんも含めた『SOS団』そのものが、涼宮さんにとっての重要な『鍵』。
 そう、『変化』は起こっている。
 かつてわたしが、そしてわたしが所属していた急進派が求めて止まなかった『涼宮ハルヒの変化』が、『変化』を求めず、『現状維持』を目指した主流派に属する、長門有希の存在によって起こっている。何て皮肉なことかしら。
 わたしは変化を求め、『彼』を殺そうとした。
 長門さんは現状維持を求め、『彼』を守ろうとした。
 そしてわたし達は戦った。その結果、わたしは有機情報連結解除……人間の言葉で言えば『殺害』された。かくして、変化を求める勢力は敗れ去り、現状維持を求める勢力の思惑通りに事が進む……はずだった。
 でも、そうはならなかった。現状維持を望む側の長門さんが暴走し、世界を改変してしまった。
 今なら分かる。変化を抑えようとする意向が、変化を免れない有機生命体……ヒューマノイド・インターフェイスを狂わせた。
 情報統合思念体は、この事実を重く受け止めるべきだろう。本当に、有機生命体である涼宮ハルヒを理解したいと思うのなら。
 涼宮さんの不安そうな顔を見ると、その思いはますます強くなった。彼女にこんな表情をさせるようなことが、彼女の理解に資するとは思えない。
 もしあの時、わたしが勝って『彼』の殺害に成功していたら、どうなっていただろうか。
 情報爆発は、確かに起こっただろう。でもそれは、『悲しみ』に彩られていたに違いない。そして、情報統合思念体自身も、無事では済まなかったはず。これは、長門さんが世界を改変した時、情報統合思念体を消滅させた事実からも明らかなこと。
 あの時情報統合思念体は、人間の言葉で言えば『肝を冷やした』。例え世界が壊れても、自分だけは大丈夫だと考えていたから。
 情報統合思念体の存在を知っていたからこそ、長門さんはそれを選択的に消滅させるという芸当ができた。しかし、だからと言って、その存在を知らない涼宮さんが改変するならば、情報統合思念体は無事でいられるという保証にはならない。
 もし涼宮さんが、『宇宙人も未来人も異世界人も超能力者も、何もかもどうでもいい』と思って情報爆発で世界を書き換えたら、どうでもいいと思われた宇宙人の範疇に入る情報統合思念体も、消滅しないという確証はない。むしろ、同様に消滅すると考えた方が自然だろう。
 強硬な手段を使って涼宮ハルヒに情報爆発を強制的に起こさせた場合、非常に高い確率で、それは『悲しみ』又は『絶望』という属性を持った情報爆発になると予想される。そしてその『悲しい』情報爆発は、同様に非常に高い確率で、世界を崩壊させ、情報統合思念体も、そして恐らくは広域体宇宙存在も、共に消滅させてしまうと予想される。
 それでも、情報統合思念体は、強硬な手段を執る選択肢を残すべきだろうか。
 わたしには、それが得策であるとは到底思えない。検討する価値もないとさえ思っている。


『終わった。』
 そんなことを考えていたら、長門さんから通信が入った。慌てて周囲の状況に感覚を振り向ける。空間封鎖が解かれて、通常空間に復帰していた。周囲の音も聞こえるようになっている。
『空間封鎖の解除、通常空間への復帰を確認。ふう。終わりました。今からそちらへ向かいますね。』
 喜緑さんからの通信が入った。無事、攻撃者達を排除したみたいね。
『お疲れ様。』
 長門さんが、労いの言葉を掛けている。これも、少し前では考えられなかったこと。
「涼宮さん。大丈夫やで。」
【涼宮さん。大丈夫よ。】
 わたしは、涼宮さんに声を掛けた。ずっとわたしにしがみついていた涼宮さんが、わたしの顔を見つめる。
「怖い夢は、もう終わり。」
 我ながら無理がある締めの言葉だと思う。でも、他に言える言葉を、わたしは知らない。
「……夢?」
 涼宮さんはわたしの顔をまじまじと見つめた後、わたしの肩に視線を移して言った。
「あれ? あんた、肩の傷は……」
 肩の傷は治しておいた。最初から傷などなかったように。
「ここには、涼宮さんがおって、わたしがおって、長門さんもおる。誰もおらへんようになってへんし、誰も傷付いてへん。それで十分やんか。ね?」
【ここには、涼宮さんがいて、わたしがいて、長門さんもいる。誰もいなくなってないし、誰も傷付いてない。それで十分じゃない。ね?】
 そう言ってわたしは、ウィンクした。
「…………」
 涼宮さんは、長門さんばりに黙りこくってしまった。無理もないわよね。
「それより、ほら。会いたがってた長門さんが帰ってきたで。」
【それより、ほら。会いたがってた長門さんが帰ってきたのよ。】
「え? あ、ああ……」
 まだ涼宮さんは本調子じゃないわね。どこか上の空。
「あ、えっと、その……」
「ただいま。」
 まごつく涼宮さんに、長門さんは極めて短い単語で、的確に返答した。そして……
 長門さんは、目を細めて微笑した。
「! あ……お、おかえり……」
 長門さんの微笑に、涼宮さんは頬を染めてはにかみながら答えた。
 ……わたしは、長門さんの微笑と、涼宮さんのはにかんだ表情に、見とれていた。

 



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最終更新:2020年03月15日 18:49