翌日――。

 登校して、真っ黒な髪の長門由梨を見ると思う。
 物事の終わりは、こんなに静かなものなのだろうか? と。

「あんた、元気ないけどどうしたの?」
 俺が教室に着いてイスに座るより早くハルヒが言った。さて何と答えればいいのだろう。
「お前さ、長門が転校するってことになったら、どうする?」
 ハルヒは宇宙の広がりを思わせる大きな瞳を一度パシリと瞬きさせてから、
「有希が……転校?」
 二つ隣の列にいる長門の後ろ姿に目をやった。
「どうしてよ。妹が入ってきたばかりで今度は有希がいなくなるの? それっておかしくない?」
 だよな。状況をまるっと全て説明されなければそう思うだろうさ。
「やっぱりあの二人、仲が悪いとか?」
 ハルヒは不思議顔のまま訊いてくる。そうじゃないんだ。むしろそのほうが俺としてはよっぽど分かりやすくてよかったんだがな。

 もう遥かな昔にも思える入学したての五月、朝倉vs長門の構図になったことを思い出す。あの時みたいに、露骨に対立してくれればまだしも俺も立ち位置を見失わずに済んだだろう。今回の件が煮え切らないのは、それがどちらかというとドカンと騒動が起こるわけではなく、淡々と事実のみが告げられて収束へ向かおうとしているからなのだ。


「何なのよ、はっきりしないわね!」
 ハルヒは席を立つと長門の元へ歩み寄り、
「有希、キョンがあんたが転校しちゃうとか言ってるんだけど、冗談よね?」
 長門の席はクラスの中心に程近いところにあり、そんな場所でハルヒが大声でのたまうものだから、当然クラス中に聞こえるわけで、結果としてクラスメート全員が少なからずざわついた。
 直後に俺の元に猛進してきたのは谷口である。
「おいキョン! どういうことだよ! 詳しく聞かせろ」
 ハルヒばりの大音声。あぁ、面倒なことになってきたな。
「言葉通りだ。長門は近いうちにいなくなるかもしれん」
 どうせ遠からず分かることだ。
「何てこった! 俺のいるクラスはどうしてこうランク高いのがいなくなるんだ!」
 うるさいぞ。彼女持ちが余計な事をつべこべ抜かすな。
「言っただろうが、それとこれとは話が別だ」
 谷口はハルヒと何か話している長門の方へ視線をやった。俺もつられてそちらを見る。
 長門はやはり元気がないように見えた。ハルヒは机を挟んでしゃがみ込み、長門の顔をうかがうようにして話し続けている。
 クラスメートの半分ほどがハルヒと長門に目を向け、何やらささやきあっている。口数は少ないが、長門はクラスでも確かに特殊な存在感があったからな……。
 そこで俺は右に目を移し、黒い使者たる由梨を見た。一連の流れに委細構わず、教科書に無感動な視線を向けている。他に見るものがないから仕方なくそうしている風情だ。


 長門がいない部室の風景なんてものを想像できない。
 俺はやる気もなく授業の間中机に突っ伏したままだった。本当に打つ手はないのだろうか?
 去年の今頃もこうして悩んでいたことを思い出す。あの時は長門が変わってしまって、ハルヒの代わりに朝倉が後ろにいて、世界そのものが狂っちまってた。
 今度は特別変わったところもない。ただ奇妙な存在感を放つ長門二号がクラスに加わっただけだ。
 あらかたの出来事はもう終わっている。……もしかしたら、俺の役目ですらも。
 俺は一体何を望んでいるんだ? 長門に俺がしてやれることなんて何もないのに、どうして引き止めておきたいなどと考えるのだろう? 日常の風景を維持したいがためのワガママか? だとすれば俺はこの一年半で何にも成長していないことになる。ハルヒとの出会いに始まって、これまでずっと、俺はさんざんいろんな事に巻き込まれてきた。途中からそんな毎日が楽しくなって、いつまでも続けばいいと思っていた。しかし、長門はもうすぐいなくなってしまう。
「キョン、具合悪いの?」
 ハルヒが見当はずれなことを言っている。
「今日こそは撮影再開するからね。ねぇ、聞いてる?」
 撮影か。そんなことして何になるんだ。長門はどうせいなくなる。から騒ぎでムダに疲れるくらいなら――、
「ちょっと、あたしが話してるんだからちゃんと聞きなさいよっ!」
 首根っこを引っつかまれて起こされた。何すんだよ。人が沈んでる時に。
「あんたどうしちゃったのよ、熱でもあるの? ……違うわね。そんなに有希が心配?」
 あぁそうさ。お前、長門から何を聞いたんだよ。
「有希は自分で納得した上でご両親のところに行くって言ってたわよ。あんたもしっかりしなさいよ。
 有希よりよっぽど元気がないじゃないの」
 俺のことはほっとけ。ん……納得した上で?
「そうよ。だから心配いらないって言ってた。連絡するからって。ねぇ、聞いてるの? キョン」
 ハルヒから聞くより直接話したほうが早い。俺は席を立って長門の元に歩いた。
「長門。お前いいのかよ、本当にこのままで」
「いい」
 長門はいつも通りに見えた。さっきまで落ち込んでいたようだったのは気のせいか?
「いいってお前」
「いつかこうなることは分かっていた。それに、わたしはあなたたちといられて楽しかった。もう十分」
 とてもじゃないが、それが長門の気持ち全てだとは思えなかった。思えなかったが、俺にそれ以上踏み込む権利などないのではないか……そうも思った。


「キョン! 何ぼさっとしてるのよ、早くカメラ回して!」

 ハルヒの声に我に返り、慌てて録画ボタンを押した。
 場所は凍りつきそうな寒さの体育館で、朝比奈さんが薄着で肩を震わせている。
「さ、っさささぶいです、はっくしゅ! へっくしゅ!」
「みくるちゃん。女優たるもの、ちょっとの寒さや逆境に負けちゃダメなのよ!」
 来週の今頃には長門はいないというのに、なぜハルヒは通常営業していられるのだろうか。納得した上で行くと聞かされただけでこいつが引き下がるってのも、それこそ納得いかないな。
 当の長門は例の魔女っ娘衣装で朝比奈さんの傍らに立ち、反対には制服姿の古泉。どうもこのキャスト三人がこれから漫才をするという筋書きらしいのだが、そんなものの台本があるとは俺は聞いていない。
 映画第二作は宇宙的なパワーを増して帰ってきたユキが、今度はミクルと手を組もうとし、困惑したところをイツキが止めようとする、ラブコメ的展開を前面に押し出した幕開けをし、その後なぜか舞台が清水に飛び、天橋立を経て北高へ戻ってくる。ユキがどうなったのか結局分からずじまいだったのだが、「これで第三部に続くわけよ! 完璧な幕引きだわ」というハルヒの一言によりオチてるんだか何なんだか分からないままにエンドクレジットとなっていた。
 その第三部だって、トリプルキャストのうち二人がいなくなってしまってはもう続けようがないのではないだろうか。朝比奈さんは来年の秋にはとっくに卒業しているはずだから。
 長門の転校はまだしも、朝比奈さんについてはハルヒも分かっていたはずで、それならどうしてこんなとっちらかった展開のまま緞帳を下ろしたのかと、俺は完成試写会の場で思ったものだった。

 俺が黙考している間にイツキとユキとミクルによるトリオ漫才が始まっていた。
イツキ「いやいやいやー、始まりましたね、朝比奈ミクルの冒険、舞台裏漫才!」
ユキ「トリオ漫才は宇宙でも難度が高い。正直できるか心配」
ミクル「でっ、ででででもぉ、あれだけ練習したんでふぇ、ふぇっくしょん!」
イツキ「だいじょぶですか。上着なしではやはり寒いのでは」
ユキ「そこは気合いでカバー。心頭滅却すれば火もまた涼し」
ミクル「で、でもっ、ここここけっ、ここ体育館ですしっ、今暑いんじゃなくて寒……へっくしっ!」
イツキ「では僕の上着を着てください」
ユキ「監督がすさまじい目つきでこちらを見ている。おそらく気遣い無用のサイン。ああこわい」
イツキ「棒読みでは怖さが伝わりませんよ……実際すごい形相ですね涼宮さん」
ミクル「う、うぅ~、さぶいですぅ~」
イツキ「えっと、台本どこまで進みましたっけ」
ユキ「十二行目。へっくし」
ミクル「うぅ~、くしゃみのマネなんかしないでくだ……はぶしっ!」
 超斬新な全員ボケによるトリオ漫才である。長らくシリアスだった俺の心情もお構いなし。朝比奈さんのお茶目なくしゃみっぷりには不覚にも感涙しそうになる。

 ……。
 ふと長門と目が合った。昨日は一度も目を合わせなかったが、ぱちぱちと瞬きをして、何でもなかったかのように小首を傾げる。
ユキ「あなたがしっかりしないと何もはじまらない」
ミクル「ふぇっ? うぅ~。だって、さむいんですよぅ~」
イツキ「だから僕の上着を」
ユキ「また監督が凄まじい睨みを効かせている」
「そう! ダメよダメ! 朝比奈ミクルは何者にも負けない気丈なヒロインなんだからね!」
 監督がフレームインした。もうグダグダである。
「そんなわけで、映像特典を楽しんでくれてるあなた! 漫才はここで終了よ!」


 帰る頃には俺の冷凍ミカン状態だった心は常温くらいには温まっていた。ひとえにハルヒが強引に撮影敢行して俺を引っ張りこんでくれたおかげかもしれん。
「ハルヒ」
 機材を片付けているハルヒにさりげなく言った。
「何?」
「さっきはすまなかった」
「いいわよ別に。気にしてないから。元気のないあんたなんて気持ち悪くて見てらんないからね」
 偶然なのか、ハルヒはこちらに背を向けていて、どんな表情をしているのかは分からなかった。


 今日も終業の鐘がなり、俺たちSOS団は全員一緒に学校を後にする。

 それぞれの思惑はあっても、俺たちは今日も五人揃ってこの坂道を下りている。いつか四人になっちまうのかもしれないが、いつかそうなるなら、せめてその時まで笑ってるべきなのだろう。ハルヒにそう教えられた気がした。


 長門から携帯に電話があったのはその日の夜だ。通話ボタンを押した俺の耳に涼やかな声が届く。
「マンションに来て」

 俺はマンション下まで出向き、間もなく長門宅に上がりこんだ。二日連続。
 長門は今日もお茶を入れてくれた。しばしの沈黙の後、長門は俺の目を見て告げた。
「昨日はごめんなさい」
「……長門?」
「わたしは動揺していた」
 長門は一度顎を引いて、それからまたこちらを見る。
「まだ、ここにいたい」
 長門は言った。小さな声で、大きな意思を。
「わたしはあなたたちと一緒にいたい」
 その瞳には決意の色が浮かんでいる。俺はしばらく何も言わずに長門を見つめていた。

 本当に変わったよな、お前は。
 去年の長門だったらこうして電話でわざわざ俺を呼んで謝ったりしなかっただろうし、『動揺』じゃなく『エラー』と言っていたと思う。


「そうか」
 やがて俺は息を吐き出すと共に、安心して言った。長門の本心を再確認できたからだ。
「そうだよな、当たり前だよな」
 聞いたか、情報統合思念体。これが長門有希の意思だ。お前たちに感情の理解はできないんだったか? だったら長門は親玉のお前たちより進歩しちまったことになるかもな。
「何か方法はないのか? お前が連結解除されずに、ここに止まる方法は」
 長門由梨は言っていた。ハルヒの力を持ってこようとも対処できる、と。
 本当にどうにもならないのだろうか?
 これまでだって、八方ふさがりと思うような状況を俺たちは乗り越えてきた。俺に数少ない特性があるとすれば、往生際が悪いってことだ。おかげでここまで来れたんだからな。今回もやすやすと諦めたくはない。

「長門由梨」
 出し抜けに長門が言った。俺は思考から戻る。
「わたしの情報連結解除の役割を担っているのは、おそらく彼女」
 役割って何だ。親玉が直接お前を消しちまうわけじゃないのか?
「情報連結解除には、同じヒューマノイドインターフェースのコード申請が必要。朝倉涼子の時を思い出して。わたしがいなければ、彼女がいなくなることはなかった」
 古いテープを再生するように、ぼんやりと浮かんでくる映像。……そうだ。あの時、長門が来るまで、俺は本気で朝倉に殺されると思っていた。情報封鎖。それを突破した長門が朝倉を白い砂に変えてしまったのだ。呪文のような早口。
 長門は本分を思い出したかのように、滑らかな口調で続ける。
「インターフェースの創生と終焉のプロセスは異なる。統合思念体はヒューマノイドインターフェースに直接結合解除をすることはできない」
 朝倉を砂にするのは、お前なしじゃできなかったってことか?
 長門は頷き、
「インターフェースの不具合は別のインターフェースが解消するように作られている。同様に、わたしという固体の引継ぎを行うのは、彼女の役目」
 黒髪のお前か。
 俺はそれを聞いて考える。長門は自分の意思こそ持っているが、これまで親玉の決定に意を唱えたことはなかったはずだ。ならば統合思念体は、当然長門は命令に従うだろうと思っているかもしれない。
「どうすればお前は助かるんだ?
「わたしが逆に彼女の連結を解除できれば、あるいは」
 そんなことができるのか?
「可能性は限りなく低い。長門由梨はわたしの情報連結解除を仕事のひとつとして遣わされている。
わたしが命令に背くと分かれば、即座にわたしの行動を封殺すると思われる」
 そりゃマジか。……今のところあいつはこの上なく大人しいが。
「マジ。そうなった場合、情報統合思念体も彼女の背後に着く」
 長門は世間話のように言う。
 そのカードに勝ち目はあるのか? 大宇宙に時空間を超越して存在している意識体とそのインターフェース相手に、人間二人で挑むのは分が悪いなんてレベルじゃないだろう。
「確率はゼロではない」
 はっきりした口調に俺は顔を上げた。依然、長門の目には強い意思が表れている。
 長門が望んでいるのなら、俺は可能な限り力になってやりたかった。
「長門、俺にできることがあれば何でも言ってくれよな」
 俺の言葉に、長門は深く頷いた。


 とはいえ、そこそこにビビッていたのも事実である。
 ヒューマノイドインターフェースが本気を出すとどういうことになるのかは、この半年あまりで散々思い知らされている。ここだけの話、ガチンコでバトルするような展開はできれば避けたかった。
今回の長門対長門がどのように運ぶのかはまだ分からないが、なるべくなら平和的な解決を……。
 無理か。何にしろ、俺の長門が残るには黒長門が消えなきゃならんのだから。
 そう、どっちかが消えなきゃならない。朝倉と長門が戦った時のように。
 朝倉は最後に微笑んでいたが、そう言えばあの時のあいつは何を考えていたのだろう。長門以外のインターフェースには、特別な感情――エラーはないのだろうか? 朝倉は言っていた。「何も変化
しない観察対象に飽き飽きしている」と。
 それこそが感情なのではないか? 朝倉の本心なんてものは未来永劫俺には分からないだろうが、あの真っ黒な髪の長門にもそうした心の機微がないと、本当に言い切れるのだろうか。

 こちらが圧倒的に不利らしいのに余計な感傷に浸りつつ、俺は自宅に帰り着いた。二日連続で夜に帰ってきたからか、オフクロが俺にいわくありげな視線を送ってきた上に「彼女でもできたの?」と訊いてきたが、おあいにく様である。こら妹、同調するんじゃありまっせん。


 翌日、放課後の部室――。

「それじゃ、二人の合格を祝して、かんぱーい!」
 部室に響き渡るハルヒボイス。
「うーい! あんがとーっ!」
 それに続くは鶴屋さんの明朗な声。
「飲んで」
「あ、ありがとうございま~す」
 長門がお酌をして朝比奈さんが申し訳なさそうに受け取る。もちノンアルコールだ。
「しかし突然だったので用意が骨でしたね。また奥の手を使うことになってしまいました」
 どうでもいいことを言うのは古泉で、俺たちが何をしているのかというと、鶴屋さんと朝比奈さんの合格祝賀パーティである。今朝鶴屋さんが推薦合格したとの報を聞きつけたハルヒが、
「みくるちゃんとまとめてお祝いしましょ! 鶴屋さんにはお世話になりっぱなしだったしね!」
 と言って突如決定された催しである。
「僕だけ呼ばれちゃっていいのかなぁ」
 国木田がニンジンを食べつつ言った。何のことかと言うとここにいない谷口についてだ。

 谷口は俺の誘いを断固として固辞、挙句、
「お前、そうやって俺を悪魔の誘惑に陥れようとしてるんだろ。分かってるぜ」
 と勝手に納得しやがった。何を言ってやがる。俺にしてみれば谷口の頭の中の方がよっぽど大魔境だ。

「いいんじゃないか。毎回谷口の相槌打つのも疲れるだろ」
 俺は国木田に言った。
 本当ならコンピ研の部長氏あたりも誘ってあげたいところだったのだが、彼は一般受験組なので、まさに今受験勉強の真っただ中であり、そういうわけでここにはいない。ぜひとも頑張ってもらいたいところだが、来年の今頃はわが身に降りかかるとなると、のん気に両手を合わせてもいられないな。

「……」
 もう一人お客がいるのだ。その名は長門由梨。なぜか? あぁ、本当になぜだろうな、ハルヒよ。
その疑問を
「人数は多いほうが楽しいでしょうが!」
 の一言で片付けられては何も言えない。まさか由梨の正体を明かすわけにもいかない。俺は正直言って困っていた。何せ昨日の話の後である。有希と由梨は互いを意識するわけでもないようだったが、そこまで平然としていられると気にしている俺がバカみたいじゃないか。
「どうしましたか。鍋アレルギーか何かでしょうか? 食が進んでいませんよ」
 古泉がモノローグに横槍を入れてくる。鍋アレルギーだと、ふざけんな。
「それにしても彼女、なかなか興味深い存在ですね。本当に髪の色以外は長門さんそのものです」
 久々にその「興味深い」って口癖を聞いたな。
「おや。僕もあなたの口癖を長らく聞いていない気がしますが」
 そんなに言ってほしきゃお応えするぜ。やれやれ。
「しかし、由梨さんでしたか。彼女を見ていると最初の長門さんを思い出しますね。僕が涼宮さんに引っ張られて部室に入ってきた、あの時の長門さんの雰囲気にそっくりですよ」
 くしくも古泉は俺と同じ感想を抱いたらしい。しかしほんとに興味津々だな。お前も黒髪属性か。
「お前も、とはどういう意味でしょうか?」
 何でもない。……谷口のことを言ったつもりだったが、誤解されたかもしれん。
「ほら由梨、じゃんっじゃん食べてね! まだまだ具はたくさんあるから。足りなかったら男どもに買いに行かせるからさ」
「……」
 有希と同じく由梨も大食いらしかった。セリフの量に反比例して旺盛な食欲である。何も言わない
からその分食べてるのかも分からないが。
「いやー、しっかし有希っこに妹がいたなんてね! 驚き桃の木栗林だよっ」
 鶴屋さんのエキセントリックな言葉にも全く動じず、鶏肉を頬張る由梨。いちおう先輩なんだし、会釈くらいしておいたほうがいいと思うぞ。……かつての姉を思うと浅はかな願いかもしれんけど。

 ふいに、有希と由梨の箸がかち合った。
 二人とも同じ魚の切り身に手が伸びたらしい。偶然にもすべての会話が節目となるタイミングだったらしく、沈黙が訪れる。
「……」
「……」
 ふたつの無言が箸をたどって魚の上でぶつかった。有希と由梨の目が合う。他六名の視線が二人の間をただよう。時間が止まったかのように見つめ合う宇宙姉妹。

「な、長門?」
「どうぞ」
 俺がつぶやくとほぼ同時、有希が箸を離した。
「……」
 由梨は無を閉じこめたような瞳で二秒ほど有希を見つめて、
「どうも」
 と言って魚を取り皿に取った。

 ……。

「あれね! 姉妹愛ってやつ?」
 ハルヒが出し抜けに言って、ふたたび時が動き出した。一時的に聴覚マヒになってたんじゃないかってくらいに、突如として鍋のグツグツいう音が聞こえてきた。
「みくるー! ご飯お代わりちょうだいっ!」
「へ? あ、はい! ただいま」
 鶴屋さんが差し出した茶碗にびびくんとして、メイドスタイル朝比奈さんが我に返った。
「何だったんだろうね、今の」
 国木田が箸を止めつつ言った。
「さぁな」
 俺にもよく分からん。……そういやいつだったか、長門と喜緑さんの間でも似たようなことがあったな。何かアイコンタクトに特別な意味でもあるのだろうか。


「いやー、食ったくった! ハルにゃんありがとねっ!」
「お安い御用ってものよ。そうだ、最低でも卒業式のときにあと一回はパーティしましょ!」
「おう、そりゃ気前がいいねっ!」
 ハルヒと鶴屋さんが先頭を歩き、続くのは朝比奈さんと国木田という稀に見る組み合わせ、次に長門姉妹、最後尾はいい加減倦怠期に突入したくなる俺と古泉コンビだ。

 しかし何やらシュールな風景である。特に目の前の髪の色の違う二人。こんなのを見られるのは、後にも先にもこの時だけかもしれん。
「楽しいひと時でしたね」
 また古泉がいらぬ一言を投げかけてくる。吐息をかけるな。白く曇るから気色悪さ三割増しだ。
「しかし、ハルヒは何たって長門妹を呼んだんだろうな」
 無意味かもしれないが、小声になって俺は話す。
「おや、本当にお気づきでないと?」
 む。そう言われればどうだろう。これまで古泉がしてきたような説明を思い起こせば、訊かずとも自分で回答を出せるかもしれない。

「姉妹間の見えざる齟齬を感じ取った」
 俺の台詞を代わりに読むかのように古泉が言った。
「どうです。答え合わせできていたでしょうか?」
 クスリと笑う。だから俺にその手の笑みを向けるのはやめろっての。
 だがまぁ、確かに俺も同じことを思ったさ。ハルヒの勘の働き具合も行動パターンも、さすがにこれだけ長い付き合いだと大雑把な見当はつく。
「涼宮さんは有希さんのほうが転校するかもしれない、ということから、二人の関係があまりいいものではないのかもしれないと思った。そして、二人を鍋パーティに呼べば少しはしこりが取れるのではないか、と考えたのでしょう」
 団員全員を気にかけることに関しちゃハルヒの右に出るものはいないからな。俺は何かに注目するとその間他のことがおろそかになったりするが、さすが一年半も団長やっているだけのことはある。
 目の前のショートカットガールズは同じ歩調で歩いている。訓練された兵隊よりも息ピッタリである。プログラムによって同期していると聞かされたほうが頷けるかもしれない。

「わたしが統合思念体に報告を終えない限り、彼女がわたしの連結を解除することはない。期限は五日後」

 長門はそう言っていた。
 駅前で別れて、互いに何も会話することなく同じマンションへと歩いていく色違いの後ろ姿を見ながら、いっそこのまま二人とも残れればいいのに、などと俺は身勝手なことを考えていた。
 インターフェースであれ、自分で考えて動く力を与えられている以上、そこには少なからず理屈では片づかない事柄ってものがでてくるんじゃないか。あの黒髪長門だって、時間を経れば姉のように人の気持ちを汲み取れるようになるのではないだろうか。

 そんな考えは、浅はかだっただろうか。

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最終更新:2020年03月15日 22:44