あまりに突然の出来事だった。

「えー、本日づけでうちのクラスに転入してきた、長門由梨くんだ」

 第二学年、年末。
 その出来事は俺たちSOS団に静かな非日常をもたらし、短い間で記憶に残ることとなる。


 ――Black Lily――


 師走だった。それはもう師匠も弟子も魔法使いも戦士もバタバタに立て込んだ師走だった。
 夏を境にして、非日常と呼べる出来事は徐々に小康状態となり、代わりにハルヒがこれまでのどの学期より精力的にイベントや学外活動をおっぱじめたので、これまでよりずっと忙しかったと言っても間違いじゃないし、正直に言えば俺はそれらを楽しんでいた。
 『敵』の連中は夏の一件で懲りたのか何なのか、三ヶ月近くほとんど音沙汰がなく、古泉も長門も朝比奈さんも、俺の見る限り今までで一番普通の高校生生活を送っているようだった。

「みくるちゃん! はいポーズ! もっと笑って!」
 過剰に声を張り上げてカメラのシャッターをバシバシ切るハルヒの後ろに立つ男子高校生二名。
 つまり俺と古泉は、片方は微笑、片方は半目でその光景を見守っていた。
「す、涼宮さぁん、せめて休憩を取ってくれませんかぁ」
 先日見事推薦により大学進学が決定した麗しの朝比奈さんは、そんな誇りもどこへやら、バイブレーション機能の壊れた携帯より不規則な震えで肩を抱いていた。
 着ている衣装は婦人警官……こほん。この半年でありえないくらい衣装が増えた。レースクイーン、和服、シェフ、スチュワーデスetcetc……。
 いくら何でもこの増え方はおかしいだろと古泉に問い詰めると、案の定何らかの手回しをして衣装調達していることを暴露しやがった。
「いえ、僕の用意したシナリオも万策尽きてきた感がありますし、手を変え品を変え涼宮さんに楽しんでいただかないとね」
 だそうな。おーい、朝比奈さんの心情は無視ですかー。まぁ、止めなかった時点で俺も同罪なのは自分への戒めだけどさ。
「……いい」
 不意に右後方でつぶやきを漏らしたのは長門である。
 この半年で長門が一番変わったぞう。まず手始めに読書時間が減った。というかスピードが倍になった。読む量自体は変わっていないので、当然放課後の時間半分が空くことになるわけだが、そうしたブランクタイムをどう使うかというと、普通に俺や古泉に混じってゲームしたり、週二で予備校に行き始めた俺のはかどらん勉学をちょろっと見てもらったり、こうしてたまに口出したり……って、そうだ。俺たちが今何をしているのかというと、大盛況に終わった映画第二弾のジャケットおよび広告用写真撮影だ。第二作『長門ユキの逆襲 Episode00』は、コンピ研全面協力、機関協賛の元でやたらスケールアップしたロケハンと撮影が行われ、ハルヒも今回は脚本をちゃんと書いてきたおかげで、まだしもストーリーに一本筋の通った作品になった。噂は口コミを中心に学内全体に広まり、結果文化祭当日に古泉が糸を引く生徒会と場所を選ばぬ抗争を繰り広げることになり……。もちろんバンド
演奏もあった。まさかまたあのパンキッシュスタイルで全校衆目に恥をさらすことになるとは思わなかったが。
 ……記憶遡行しすぎたな。で、つまりそんな理由からまたも聖朝比奈様が憂き目にあっておられるのだ。確信犯である。そして長門がその光景に感想を述べた、とつまりそういうことだ。
「婦人警官の衣装がお気に入りなのか?」
 俺は長門に訊いた。長門は寝ぼけ眼に見えなくもない透き通った半目で俺を見て、
「そこそこ」
 と言った。着てみたいと思うのか? ひょっとして。
「……それは秘密」
 何だよ秘密かよっ! 一瞬婦人警官衣装に身を包んだ長門を幻視した俺である。あぁ、敬礼してくれましたね、今。
「……っとキョン! 聴こえてる!?」
 あぁ、何だカメラマン様?
「みくるちゃんが着替えるから出てって」

 ほいさっさと俺と古泉は廊下に舞い戻る。さてこれで五度目かな。いくらなんでもハイペースすぎる。入学からこっち、これまでハルヒのペースは衰えるどころか横ばいになったことすらなかったが。
「まったく、あいつの本当の力ってのはもっと別のところにあるんじゃないのかね」
 思わずつぶやいていた俺であり、それに長年コンビを務めた相方よろしく相槌を打つのは、
「僕も同感ですよ。彼女は確かに、今でも世界を変える力を持っている、そう思います」
 爽やかスマイルメン、古泉一樹くんだ! 文化祭でも大人気! 何せクラスでホストの真似事をやった古泉である。あの時の姿は簡単に忘れられるものではない。差し出される一輪のバラ、迫ってくる微笑み……うぇ。
「おや、どうしました? 顔が引きつってますよ?」
 何でもねぇよ。そう、ハルヒね。うん、確かに周囲はハルヒ色に染まりまくってるからな。それはこれまで俺たちが関わってきた全ての人に言えることだ。何というか、学校全体が活気づいた錯覚すらするぜ。
「それは思い込みや幻覚の類ではないと思いますよ。僕も北高全体が以前より活気づいたと感じていますからね」
 それじゃ二人して思い込んでる説は否定できないな。
「まぁ、それでもいいではないですか」
 寒い廊下でニヤケ笑いする十七歳二人組であった。人通りがないのが幸いであるが、以前一度あらぬウワサを谷口あたりに立てられたことがあり、それが広まりかけてプチトラウマになったことがある。言っとくが俺はヘテロだからな!
「入っていいわよー!」
 ハルヒの呼び声と共に暖かき部室へと戻る俺たちだった。


「あー! 思いっきり撮影したわね! 未練なしだわ!」
「ふぇぇぇぇ~」
 ようやく肩の荷が下りた朝比奈さんに俺が温度まで測って至極丁寧に入れたお茶を差し出しつつ、部室の面々は片付けと帰り支度をしていた。
 ちなみにあの後長門が婦人警官服を自分にあてがっているのを俺は見てしまい、目が合うと長門はコンマ一秒で服をテーブルに置いて後ろを向いた。……やっぱ着たいんだな。


「それじゃまた明日! 明日は特典映像を撮るからね! みくるちゃんだけじゃなくて、有希と古泉くんもよろしく!」
 近頃スリーセンテンスでカッコを閉じるのがハルヒのブームらしく、そう言って解散の号令が駅前にてかけられた。
「それでは、また明日」
 古泉が会釈をして離れ、
「さようなら」
 長門が続き、
「さようならぁ」
 朝比奈さんがややくたっとして言った。
「おう」
 俺が最後を引き受ける形になり、やがて駐輪場へ向かって歩き出す。
 角を曲がり、もう数秒で着こうかという頃――、

「ん?」

 背後に気配を感じた。振り返る。

 ……誰もいない。
「気のせいか」
 つぶやいてふたたび駐輪場に向かう。
 チャリを引き出して、ペダルに足をかけた直後、
「……長門?」
 曲がってきた角に一瞬長門の後ろ姿が見えた気がした。
 いや、北高の女子用制服だったことくらいしか確かでないが、何故かこの時俺はそうつぶやいていた。
 自宅と逆方向ではあったものの、何となく気になって俺はそっちへチャリを進める。

 ……が、誰も見つからなかった。
 一体何だったんだろう。誰かいたのは間違いないと思うんだがな。
 俺は現場を足で操作する刑事ばりに辺りをくまなく見渡したが、やはり誰もいなかった。


 帰って食事と風呂、課題の一部をほんのり消化して満足し、この日はそれで終わった。
 冒頭の件に戻るのは次の日の朝である。
 空気を一気に変えてしまうような、それは静かな始まりだった。

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最終更新:2020年03月12日 03:06