「――おはようございます――おはようございます」
丁寧に挨拶を交わしながら教室に入ってくる爽やかな男子。その整った顔を見ながら、私は
脳内で10倍くらい美しくなった私と彼との逢瀬を妄想していた。放課後の誰もいない教室、
赤く燃える夕日、その夕日を背に私に近づいて来る彼、彼の顔が迫ってくる…
「おはようございます…どうしたんですか?」
「わ、おはよう、古泉くん」
妄想していて気づかなかったが、彼、古泉一樹は私の前に着席してこちらをのぞき込んで
いた。顔近すぎ/// 何かの拍子で間違って顔がぶつかっちゃったら、と考えるとそれだけで
濡れてしまいそうだ。
「ちょっとお顔が赤いようですよ。熱があるんじゃないですか?」
私のことを心配してくれるんだ――どうせなら額で熱でも測ってくれないかな?
「だ、大丈夫。」
これ以上その澄んだ瞳で見つめられると、妄想に耽る心の中が見透かされてしまうんじゃ
ないか。そう思わせる視線だ。
「そうですか、それならよいのですが」
優しいな、彼。私は広い背中を見ながらにやけてしまうのを止められなかった――

「…おい、聞いてるのか」
はっと気づくと、横には数学教師。もう授業が始まっていたらしい。
「問1は古泉、問2はお前だ」
すでに古泉くんは黒板に解答を書き始めている。私も教科書を手に急いで前へ出る。
――これは…教科書の中では一番難しい章末問題…どうしよう、解き方がわからない。
何度も問題を読み返す。でも内容が全然頭に入ってこない。いつもなら気にならない
クラスのざわつきがものすごく理解の妨げになっているような気がする。頭の中で
数式が舞い始めた…もうダメかも…
「まずはグラフを書くんですよ」
え? なぁに?
「それからグラフとx軸に囲まれた部分の中に、座標が整数となる点がいくつあるか
数えるんです」
もうほとんど解き終えていた古泉くんが、助け船を出してくれた。とりあえずうなずいて
深呼吸すると、グラフを書き始めた。…あ、そうか、こうすれば解ける!
「あ、ありが」
お礼を言おうと古泉くんを振り返ると、もうすでに彼は席に戻っていた。私も解き終えると
急いで席に戻る。
「おーし、二つとも正解。問1は他にも解き方がある…」
よかった、できてた。私はほっと胸をなで下ろした。高校の勉強は予習しないとダメだと、
改めて感じた。そして何よりも、古泉くんの助け船がありがたかった。
「古泉くん、ありがとう…」
「どういたしまして」
小声でお礼を言うと、古泉くんは半分だけ振り返って返事してくれた。白い歯が眩しい…

私は優しくて気遣い上手で丁寧で頭がいい古泉くんに惚れているんだと思う。この気持ちは
間違いない。となると次に問題なのは、古泉くんは私のことをどう思っているのか。
容姿並、勉強も運動も、特に目立つほどのことはない。料理がうまかったり、家事仕事が
できたりということもないし、ダンスや音楽も特にしていないし…つまらないと
思われてそう…はぁ。
でもそんな簡単にはあきらめたくない。もう高校生になったんだし、恋に恋して、見てる
だけなんて甘いのはイヤ。成功するかどうかは、問題じゃない。がんばれ私!
「こ、古泉くん、さっきはありがと」
私は数学が終わったあとの休憩時間、勇気を振り絞って声をかけた。
「いえいえ、困っているあなたを放っておくわけにはいきませんから」
「/// あの、お礼と言ってはなんだけど、お昼ごはん一緒にどう?」
古泉くんは一瞬驚いたような表情をしたけれど、すぐに笑って「ええ、ぜひ」と言った。
それから昼休みまでの授業は、なぁんにも覚えてない。――先生ごめんなさい。でも私、
恋をしてるんです。

昼休みの食堂はいつも混んでいる。特にテラス席は3年生がたまっていて1年生の私たちが
入るには相当勇気がいる。でも今日はせっかくの古泉くんとのランチだから、絶対に
いい席をとってやる! 私の思いが通じたのか、窓際の空いているテーブルが見つかった。
「ラッキー! じゃあ荷物をここに置いて、と。古泉くん、何にする?」
「そうですね…北高名物なんじゃもんじゃ丼にしましょうか」
「じゃあ私はAランチ。おばさん、彼の分もね」
二人分の食券を受け取る。ちょっと早めに来たのがよかったのか、あまり待たずに食事が
出てきた。私が席に向かうと、古泉くんが二人分のお茶をくんで席に戻ってきた。
「気づかなくてごめんなさい」
ああー何やってんだろ、私。気が利かないと思われちゃってるかな…
「いえいえ、ご馳走になるんですからこのくらいはさせてください」
本当によく気のつく人だな…私は古泉くんのことがもっと好きになった。
「では、いただきます」
「いただきまーす」

「では、いただきます」
「いただきまーす」
古泉くんは誰もが食べるのに苦労するなんじゃもんじゃ丼を器用に食べている。イカ、
ナマコ、納豆、オクラ…ぬるぬるして体には良さそうな食材を、お箸で器用につまむ。
「ん、どうしました?」
ま、まずい。じぃっと見つめてしまっていたみたい。慌ててAランチのサラダをこねくり
回す。何か話題話題。
「古泉くんて、普段はなにやってるの?」
あーもー、なんてつまんないこと聞いてるの私は。
「そうですね、最近はクラブ活動に精を出してます」
「何部?」
古泉くんは身長も高いしバスケかな? でもテニスも似合いそう…サッカーもかっこいい
だろうな。
「何といえばいいんでしょう…部室は文芸部なんですが、SOS団といって、うまく説明できない
ちょっと変わったクラブなんですけどね」
「へぇー、そこで何やってるの?」
「団長さんの気分次第で、何でも。平日は部室で過ごすだけですが、週末は市内を散策
したり、長期の休みには海へ行ったり。本当に何でもしてますね」
自分でも何をしてるのかわからないのか…それがおかしいみたいで、古泉くんはふふふと
笑った。
「…おもしろそう」
「そうですね、退屈はなかなかさせてもらえません」
私は古泉くんがいれば絶対楽しいだろうから、これは本心からの感想だった。
「その部長さんや部員さんははどんな人たちなの?」

どんな人と一緒にいるのかと思って質問した途端、大音声が食堂に響いた。
「やっほー、古泉くん、その席とっといて!」
「了解しました」
今のは誰? あたりを見渡すと、これまた北高名物の長坂ラーメン――長い坂を登るより
つらい辛さだ、というトウガラシで真っ赤に染まったラーメン――をお盆にのせた
女の子3人と男の子1人が近づいてきた。
「こんにちは、涼宮さん。みなさんもお揃いで」
古泉くんが立ち上がって出迎える。私もつられて立ち上がる。
「古泉くんが席をとっといてくれて助かったわ。今日はみんなでラーメンを食べようと
思ってね。さっき古泉くんのクラスにも行ったんだけど、食堂に行ったってことなんで
来てみたというわけよ」
「それは失礼しました。ちょうどクラスメートと来ていたものですから」
なんだかすごく積極的な感じのする女の子が、笑顔でこちらを向き手を挙げて挨拶する。
「はじめまして、よろしくぅ!」
「は、はじめまして」
それから後に続いていた男の子と女の子2人もそれぞれ自己紹介をしてくれた。この人
たちがその部長さんと部員さんたちということらしい。
「部長じゃなくて団長ね、一応」
トウガラシで口の周りを赤くした涼宮団長さんが笑う。2年生の朝比奈さんと団長さんと
同じクラスだというキョンさんは、あまりの辛さに無言だ。長門さんは辛いものが
好きなのか、まったく表情を変えずに黙々と食べ続けている。

「あの、クラブでは何をしているんですか?」
「不思議探しよ!」
…? ?? ??? まったくわけがわからなくて曖昧に笑った私を見かねて、キョン
さんが助け船を出してくれた。
「ハルヒ…お前それじゃ説明になってないだろ。笑わないでほしいんだが、俺たちは
宇宙人や未来人や超能力者、そしてそれに準ずる不思議なことを探して、それを楽しもうと
してるんだ。その関連事業としてスポーツ大会に出たり、映画を作ったりもしている」
「は、はあ…」
古泉くんが笑顔でうなずいているところを見ると、同意しているということなんだろうけど…
正直まだよく意味がわからない。古泉くんはこんな怪しい、おかしいことをしているの?
「まあ、傍目から見ると怪しく見えてしまうことも多々あるのですが、これで結構面白い
ものなんですよ」
「人の眼を気にしていたら不思議なんて逃げちゃうのよ! 自分は自分にしか評価させない
のがあたしたちSOS団なの!」
うーん、まだよくわからないけれど、古泉くんがおもしろいというからにはおもしろくて
怪しくない団体なんだろう。それにしても気になるのは、団長さんを初め女の子が
みんなかわいいこと。ラーメンの辛さに半泣きになっている朝比奈さんは、守ってあげたく
なるロリキャラだし、ずっと無口な長門さんも白い肌が印象的。そして団長の涼宮さんは、
豪放な言動に似合わない美少女だ。古泉くんが正常な男子なら、こんな中にいて何もない
わけがない…

涼宮さんからとんでもない話をずっと聞かされて昼ご飯は終わってしまった。古泉くんと
あまり話をできなかったのは残念だけど、二人きりじゃ時間が持たなかったもしれない。
それにキョンさんが涼宮さんの話に突っ込んだり、最後に口の周りを拭くティッシュを
あげてたりしたのを見ると、あの二人は付き合ってるようにも思えたので、収穫は
少なくなかったと思う。古泉くんが完璧な人間じゃなくて、変な物好きのちょっと変わった
高校生だってわかったのもよかったし。

その後、たまに古泉くんとは昼ご飯を一緒に食べるようになった。彼はお弁当を持って
くることがないので、思い切ってお弁当を作ったこともあった。彼は相当驚いたようだった
けれど、あの素敵な笑顔で「うれしいです、ありがとうございます」と言ってくれた。
その日は一日、もう幸せ気分で授業が耳に入ってこなかった。
でも、恋というのは相手をどんどん求めたくなるもの…一緒にごはんを食べるだけでは
満足できなくなった私は、ついに決心をした――告白しよう。
もしかしてクラブの女の子と付き合ってるんじゃないかという懸念もあったけれど、
古泉くんはそんな話をしないし、他の古泉くんに目を付けている女子からも彼女がいる
という話は聞かなかった。古泉くんはフリーだ。私はそう思いこむようにしていた。

告白の方法には色々迷った結果、手紙で放課後の教室に古泉くんを呼び出すことにした。
私はかわいいレターセットに『放課後、誰もいなくなった一年九組の教室に来て』とだけ
書き、古泉くんの靴箱の中に入れておいた。
どきどきして全然授業が頭に入ってこなかった一日だった。五時過ぎに教室に行くと
もう誰もいない。いつ古泉くんは来てくれるかな…窓の外を見ると、赤い夕日が燃える
ようだ。夕日に照らされて、教室はすべてがオレンジに染まっている。赤い色は私に勇気を
与えてくれた。この光の中でなら、きっとうまくいくはず。あの妄想もこんな夕日だった…
と、突然教室のドアが開いた。入ってきたのは古泉くん。
「おや、あなたでしたか」
にこやかに笑いながら近づいてくる。
「どうしたんです、一体」
「あ、あの…えーと、そ、そう。クラブはもう終わったの?」
「ええ、今日は早めに」
そんなことを聞きたいんじゃないのに、私のバカ。
「涼宮さんは帰っちゃったの」
「彼と一緒に帰りましたよ。おかげで僕もしばらくはゆっくりできそうです」
「あのキョンさんと涼宮さんは付き合ってるってこと?」
「本人たちにその自覚はないと思いますがね」
そうなんだ…じゃあライバルは一人減ったということなのかな。

「ご用はSOS団のことなんですか」
「い、いや…そうじゃなくて…」
古泉くんはちょっと首をかしげながらも、笑顔を崩さない。この顔、ずっと見ていたいな…
そういうわけにもいかないけれど。がんばれ私!
「あの、古泉くんて付き合ってる人いるんですか」
「…いえ、特にいません」
「じゃ、じゃあ好きな人は?」
「あいにく、いませんね」
私は、一瞬ここは喜ぶべきところなのか、それとも私を好きじゃないってことなのか、
どう判断したらいいのか迷ったが、思い切って次の言葉につないだ。
「私は、古泉くんが好きです――付き合ってください」
「…これは驚きました。あなたにそんな風に思われているとはね」
古泉くんはほほえみを崩さず、しかしちょっと眉を上げて反応した。
そして、長い沈黙のあと、ゆっくりと息を吸ってから言った。
「僕は、あなたのことを同じクラスの友人として見ています」
私は何も言わずに、古泉くんの次の言葉を待っていた。
「…今後も、あなたとは友人としてお付き合いしていきたいと思っています」
! ……… …… …やっぱりダメか…
「そう…それは残念。好きな子はいないっていうから…私はそんなに魅力ないか…」
あれ、なんか、涙が出そう。うぅ。告白して、失敗して、泣くなんてかっこ悪過ぎ。
もう、がんばって私!
「あなたはとても素敵な方ですよ。それは僕が保証します」
「じゃあ、なんで…」
もう涙は止まらない。涙でぐしゃぐしゃな顔になってるけど、どうしてもダメな理由を
聞きたい。
「…それは…」
言いよどむ古泉くん。しばらくの沈黙。

「あなたが男性だから、というのが理由です。僕は勘違いされることもありますが、
普通の感覚を持った男なんですよ。クラブの素敵な女性たちと付き合わないのも、
そういう趣味のためではなく、他に理由があってのことなのです。
ついでに一つ言わせていただくと、あなたの女装はまれに周囲の人に不快感を与えます。
それを止めていただけると、僕の中でのあなたの評価も上がります――まあお付き合いは
できませんけど。失礼します」
そういって古泉くんは去った。私の目には涙があふれ、スカートから覗く足のすね毛が
ぼやけて見えなくなった。



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  • 『私』は一度も完全な女言葉は使っていない。
  • ハルヒが普通の生徒と楽しくおしゃべりすることはあまりない。

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最終更新:2007年01月15日 21:19