プロローグ

<さあ、お目覚めになる時間でございます。どうぞ…>
枕もとの目覚まし時計が発したその声で、あたしは目を覚ました。
はぁ、せっかく面白い夢を見ていたのに。確か、宇宙旅行をしている夢だったわね。
昔の人は、それは夢の出来事としか捉えていなかったようだけど、
こう科学が進歩した今では、宇宙旅行ができる日ももうすぐと言われている。

そう、この目覚まし時計も、科学の進歩によって生み出されたものだ。
昔は、ジリリリリという音しか出さなかったらしいが、それは今のあたしたちには考えられないことだ。
もし世界の目覚まし時計が昔のものだったら、寝坊する人が続出するでしょうね。

そして、昔では考えられなかったものが、あとひとつある。それは………。


           本編

顔を洗い終わったあたしは、食事に取りかかることにした。
テーブルの上には、いつもと同じようにパンが一切れと、水があった。
しかし、人々の生活が質素になったわけじゃない。このような朝食で十分なのだ。

あたしは、まず水を飲む。
口内では、果汁とハッカと香料の混ざった味がしている。わずかに残っていた眠気が去っていった。
続いてもう一口。今度は、コーヒーの味が口の中に広がった。

あたしが飲んだ水は、もちろんただの水に過ぎない。
しかし、このように、水の味はいろいろな味に変化するのだった。
もし昔の人がこんな現象を目の当たりにしたら、魔法に違いないと腰を抜かすだろう。
でも、これは魔法でもなんでもなく、科学の成果。
今はすっかり普及し、だれもがこれに慣れ、心ゆくまで楽しんでいる時代なのだ。
これはどういうことかと言うと………。


―――――<ここから解説モード>―――――
それは、ひとつの小さな装置のおかげだった。ごく小さく、口の中に入れてある。
一本の歯の内部に収まっていて、外見ではそうと分からない。
そして、この装置が放送局からの電波を受信している。
その放送局とは、味ラジオの放送局である。

電波を受信し、音を出して耳を楽しませれば、それはラジオと呼ばれる。
それに映像が加わって、耳と目を楽しませるのが、テレビである。
そして、味を再現して口を楽しませるものが、この味ラジオというものである。

装置が発生する微妙な震動と電波は、口の中の神経を刺激して、あらゆる味をもたらしてくれる。
例えば無味の水でも、果汁の放送を受信しているときに飲めばそれは、果汁そのもの味をもたらす。
コーヒーの味なら、コーヒーの味となるのだ。
―――――<解説\(^o^)/オワタ>―――――


………
次にあたしは、パンを食べる。
この味ラジオの時代になっても、栄養補給のために食事はとらなければならない。
いっそそれもラジオでやればどうか、という声も出ているけど、実際にそれを研究する科学者はいない。
なぜなら、栄養がラジオで補給されるということはすなわち口の退化を意味することだ、ってどっかの専門家が言ってたわね。

あたしが今食べているパンは、見たところは茶色のパンといっていいところだ。
しかしこの中には、人間に必要なすべてのカロリーと栄養をすべて含んでいるのだ。
もちろん、これの味は無味に近い。でも、味のほうはラジオが補ってくれるからそれでいいのだ。

あたしはパンを入れた口を動かした。
放送はちょうど卵料理の電波を送っており、その味つけでパンを食べた。
放送は途中からリンゴに変わり、ベーコンに変わったところでパンは無くなった。
これで朝食は終わり。でも、味の放送は休むことなく続く。

あたしは制服に着替え、チューインガムを口に入れて登校する。
味ラジオが普及した今となっては校則も変わり、ガムを授業中に噛んでもいいことになっている。
もちろん、クチャクチャという音を立てるのは禁止だけど。
そして、やっぱりこのガムも無味である。それでなくてはならないのだ。

味ラジオはクダモノ・アワーになっていた。世界中の果物の味を次々と送ってくる。
無味のチューインガムはパイナップルの味になり、イチゴになり、ブドウになり、メロンにもなった。
この味の並べ方を調整するのが放送局の仕事だ。
あまり突拍子もないものを並べたりしてはいけないし、あまり似たものを続けてもいけない。
最初のころは不手際もあったけど、味の心理学者が研究を重ねて、
お母さんが結婚する頃ぐらいには、まあ番組もスムーズに流れるようになってきたらしいわね。
………


―――――<再び解説モード>―――――
この味ラジオは、まさに人類の期待にこたえたものと言えた。

味を楽しみたいのは、人間の生まれながらの本能だ。
できるなら、音楽やゲームなどのように、心ゆくまで楽しみたいものだ。
だが、味に関しては限界があった。すなわち、満腹になればどうしようもないのだ。
この点が、音楽やゲームなどとは違うのだ。味には枠がはめられている。

この枠を外すべく、さまざまな研究がなされた。
そして、その研究の成果として味ラジオが生まれたのだ。
人々は無限に味を楽しめるようになったばかりか、数々の好ましい影響を手にすることができた。

第一に、食べ過ぎて体を悪くすることが無くなった、ということだ。
茶色のパンは栄養のバランスが取れ、衛生的であるから、食中毒の心配が無くなった。
また、食べ過ぎることもないので、太りすぎることもなくなった。
虫歯で悩むものも少なくなっていった。

それに台所も不要、食器も少なくて済み、空間や時間を大幅に他のことにふることができた。
さらに、味ラジオによる味は、放送が次のものに移れば、それまでの味が残らない。
すぐに次の味を楽しめるようになっているのだ。
―――――<解説\(^o^)/オワタ>―――――


………
あたしは、いつものように授業を受ける。その間も、味ラジオの放送は止まらない。
あたしだけではなく、キョンやほかのみんな、先生たちだってそうなのだ。
ラジオやテレビを流しながらの授業はできないけど、味ラジオなら問題はないわけ。

ちなみに、一応味ラジオで流れている食物を食べるレストランもあることにはある。
その店に入ると、放送局の電波が遮断されて、実物そのものの味に接することができるのだ。
味ラジオにあった、あの味の実物とはどんなものだろう。そんな好奇心を満たすための場所なのだ。

でも、そのレストランで、喜びを感じることは少ない。
なぜなら固すぎて歯ごたえがありすぎたり、後でお腹の具合が悪くなったりするからだ。
無味のチューインガムと、電波で送られてくる味。
この二つが織り成すもののほうに慣れてしまっているからだった。
それこそが人類の退化だ、と言う人もいるけど、あまり賛成はできないわね。
だってそんなことをしたら、味ラジオを否定することになるんだもの。

放課後になり、あたしは文芸部室にいた。
キョンと古泉君はボードゲームをやっていて、有希は読書。全くいつもの光景が広がっている。
みくるちゃんが水を淹れてきた。お茶を淹れるという習慣はもうほとんどないのだ。
あたしがみくるちゃんから手渡された水を飲もうとした、そのときだった。

不意に異変が起こった。口に何も味がしなくなったのだ。
あたりを見回すと、キョンや古泉君、みくるちゃんも何やら不思議そうな顔をしている。
どうやらこの異変はあたしだけに起こっているものじゃないようね。

で、どうなってるのよ、キョン!
「俺にだって分かんねえよ」
「ちょっと、放送局まで問い合わせてみましょう」
さすが古泉君、気が利くわねえ。あんたとは大違いね、キョン。
「いやいや、そこでなぜ俺と比べる」
あったり前でしょ!あんたはSOS団の雑用係なんだから、これくらい……
「ん?どうした、ハルヒ………んんっ」
「ふぁ……お口が………なんか変ですぅ………」
「…………苦しい」

そう、今まで味ラジオによっていつでも味が楽しめるというのが当たり前だったあたしたちにとって、
味が無くなってしまった今となっては、口の中がとても寂しく感じられてしまうのである。

「……どうやら、事故のために、味ラジオの放送電波が中断されたようです。
修理が終わり次第、放送は再開される予定のようです………」
お疲れ、古泉君。……キョン。なんとかしなさいよっ!
「だから、そこでなんで俺?」
「あ……わ、わたし、パン持ってきたんですけどぉ………皆さんで食べませんかぁ?」
……まあ、なにもしないよりはましね。

しかし、パンは無味だったので、いくら噛んでもあたしの口の寂しさは癒えなかった。
と、その時、有希が突然立ち上がり、文芸部室を出ようとしていた。

有希。何をしようとしてるの?
「……この近くにレストランがある。そこに行けば問題は解決するはず」
「なるほど、レストランですか!」
よし、じゃあみんな行きましょ!
「お、おい、ちょっと待てよ」
「あ………み、皆さん置いてかないで下さい」

レストランでは、大混乱が起こっていた。
日ごろの利用者はそんなにいなく、大勢の客を収容するように造られてはいないのだ。
しかし、そこをめがけて、いろいろな人が押し寄せている。
だれもがいらだち、その騒ぎをさらに高めた。悲鳴が上がり、叫び声が混じり、ガラスの壊れる音が……。

しかし、それは異変の始まりと同じく、不意に終わった。味ラジオの放送が再開されたのだ。
クリーム・ソーダの味が口にあふれ、トマトの味が続いた。
それまでそこにたかっていた人は、みなそれぞれの方角へ散っていった。
「………食べていく?」
有希が投げかけた質問に、あたしたちは迷わず首を横に振った。


【涼宮ハルヒの憂鬱 meets 星新一 第五部 「味ラジオ」】終
原作:星新一「妄想銀行」に収録 「味ラジオ」

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最終更新:2007年01月15日 17:20