プロローグ

「あすありと 思う心の あだ桜」
とか申しまして、世の中、次の日何がどうなってしまうものか、さっぱり見当がつかない。
このごろのように、科学が進んだり、すごい武器ができたりすると、なおさらのこと。
朝になって目が覚めてみると、夜のうちにミサイルが命中し、自分は死んでいた、なんて…。
………なんか俺らしくないな。何言ってんだろうな俺。
まあ、それが現実に起きることも当然なく、いつものように平穏な朝を迎える。
俺は、またいつものように毎日を過ごしていくだけである。
でも、それでよかった。
いつものように古泉や朝比奈さん、長門にハルヒがいて、そいつらとバカやってる毎日が楽しいし、それでいいのだ。
そして今日も、そんな平穏な日々を迎える…はずだった。

ベランダに下り、とりあえず顔を洗おうとそのまま洗面所へと直行しようとした俺だが、
テレビの声に、思わず足を止め、耳を疑った。

<やい、その辺のおいぼれや、くたばり損ないの野郎ども。この薬を買いやがれ。
この一粒をてめえのバカみたいに開けた口に放りこみゃ、からだんなかに、馬鹿力や、くそ力がわいてくるてえもんだ………>

なんだこのCMは。おかげで目がいっぺんに覚めてしまったではないか。
俺は思わず、自分の頬をつねった。しかし、頬は見事に反応し、これは夢ではないことがはっきりした。
しかし、俺だって伊達にあの涼宮ハルヒと今日まで過ごしてきたわけじゃない。
ちょっと考えてみると、何とか俺の脳内を冷静に対処できた。

ははあ、ついにこんなCMも出るようになってきたか。競争が激しくなると、こんな奇想天外なものも出るわけだろう。
俺は、そういう結論を出した。

しかし、そう思ってきた矢先。俺の脳内に、セカンドインパクトなるものが走った。
どうやらテレビでは百科事典のCMをやっているらしいのだが……。

<うすのろのガキを持て余している、そのへんのおっかあどもよ。こいつのひとそろいを、買ってみやがれってんだ。
そうすりゃあ、手のつけようのないうすのろも、半馬鹿ぐらいにゃあ浮かびあらあ……>

なんてこった。どうなっているんだこれは。
チャンネルを変えても、口調に変化はない。となると、なんかのはやり言葉か。いずれにせよ、この異変について何かの報道があるはずだ。
俺はそれに期待した。しかし、その報道番組もこんな調子だった。

<ガ○ナ共和国の親玉が子分を引きつれ、飛行機で空港に着きやがった。
そして、そのいいぐさがいいや。こんないい国、見たことないってぬかしやがって……>

―――( ゚д゚ )
あまりの衝撃にうつつを抜かす俺に構うことなく、その番組は天気予報となる。

<高気圧なんて、なまいきな野郎が、張り出していやがる。みやがれ。温暖前線はこんなざまだ。ふん。
だがな、こんな高級なことは、てめえらとんちきには、分かるめえ。早くいやあ、おてんとさまカッカだが、どうかすると雲がのさばりやがる。
ところにより、にわか雨なんて、愚にもつかねえものが降りやがるかもしんねえ。てめえら、ぼろ傘でも持って出たほうが、気がきいてるってものさ……>

俺は、妹に注意されるまでは、テレビに見入ってしまっていた。
いけないいけない、遅刻しちまうな。とか思ったが、妹もこんな調子だった。

「よう、そこの、とうのたった、とんちき坊やのキョンめ。
なんだい、いつもは、せっせせっせぱっぱぱっぱと、ありんこみてえにくそせわしく支度しやがるのにさ。
寝ぼけ面で、きょろきょろなんて、見ちゃいられんよ、あほたれ。まあ、しっかりやんな…」

どうなっているんだ。
俺の知らないうちに、またハルヒのやつがなんかしでかしたか。
ということは、今俺の家は、軽い閉鎖空間になってしまっているのか。ちょっと古泉に聞いておくことにしよう。

しかし学校に出かける途中、俺の周りのやつは、みんなぞんざいな言葉遣いをしていた。
最初は「頭おかしいのか」とも思えたが、こう圧倒的に変人の数が多くなってくると、とても太刀打ちできない。

俺は、ビクビクしながらやっと学校へと着いた。断じてくやしいわけじゃないぞ。
そして、俺は真っ先に古泉のもとへ向かい、今日のことを話そうとした。決してくそみそするわけじゃないぞ。
しかし、それは無駄だった。なぜなら古泉も……

ああ、何でこう変人が多くなってしまったのか。
谷口や国木田たちまでおかしくなっている。
おかげで授業なんてまったく頭に入らなかった。
そんな昼休み、「あいつ」が話しかけてきた。

「キョン。なんか顔色悪いわね」
ほっといてくれ、ハルh………ってうおおおい!?
「なーにそんなに驚いてるのよ。
…まあ、あんたがそうなる理由も分からなくはないけど」
な、何で、お前はみんなと話し方が……。
「フフフ、謎は放課後、文芸部室で明かされるわ!!」
そう声高らかに言うと、ハルヒはどこかへ行ってしまった。
しかたねえ、いっちょ行ってみるとしますか。

放課後、文芸部室で俺を待ち受けたのは、ハルヒと長門と無数のカビっぽいものだった。

…な、何だ、これは?
「……わたしと彼女が今まで作った菌類の数々」
「あたしたちね、今まで皆には内緒で細菌の研究をしてたの。
有希と一緒に、いろんな細菌の組み合わせを試していたわけ」
で、それが今日の『あれ』と何の関係が?
「どうやら、その内の一種が、うっかりして外部に広まってしまったみたいなの」
「名をネチラタ菌といい、伝染性が強く、あっという間に広がる。
幸い、人畜無害ということは実証済み」
「でも、あたしたちも、その細菌の症状は分からずじまいだったの。
でも、今日ではっきりしたわ。あの菌は、言葉つきがぞんざいになるものだったのよ!
どう、キョン?面白いでしょ」

…それはいいんだが、どうするんだよ。元に戻す方法はあるのかよ。
「問題ない。この菌の症状を打ち消す作用を持った、タラチネ菌というのを広めれば、人々の言葉遣いは元通りになる」
なるほどね。でも、何でお前らは…
「前から菌をいじってるから、免疫になっているんじゃない?」
じゃあ、俺はなんで……
「うーん、なんでだろうね。有希はどう?」
「……分からない」
……まあいいか。言葉遣いが変にならずに済むだけましだしな。
じゃあ長門、早いとこそのタラなんとか菌というのを……
「そう焦ることはない。今のところ、それは明日でも問題ないだろう」
「こんなチャンス、二度とないわよ。今日はネチラタ症状の人を観察してみましょ」
だがなあ、俺はなんだか……
「団員は口出し無用!…有希。タラチネ菌をばらまくのは明日ね」

そうこうしてるうちに、朝比奈さんが来た。
言葉の調子こそおかしいが、それ以外はなんともない。
いつものようにとろける笑顔でお茶を淹れてくれる。
俺は、ハルヒや長門に話しかける朝比奈さんを、笑いをこらえながら見ていた。

そして、朝比奈さんが俺のところに来た。
「よおあんちゃん。相変わらずまぬけ面してやがんなあ。
おい、茶が入ったぞ。ざまあみろ。とっとと呑みやがれ」
ネチラタ症状による現象と分かっていても、今俺の前でその現象を見せているのは朝比奈さんなのだ。思わず恐縮してしまう。
そして俺は、震える唇を押さえつつ、「ありがとうございます」と、やっと相手に聞こえるほどの声で言った。

しかしその直後。
朝比奈さんは、お盆を落としてしまった。ショックで顔が青ざめている。

「わたし………わたし………………こんなこと………」
!?ど、どうしたんですか?
「こんなひどいこと言われたの………初めてです………」

まもなく朝比奈さんは、大粒の涙をぽろぽろと流してしまった。
ネチラタ症状にあるも関わらず、言葉遣いがきれいになっている。

「わたし………キョン君が……………エグッ…………このような………ひどい方だとは…………ヒック……思っても………みませんでした。
……ヒック………グスッ……………………さ、さよなら!」
そういうと朝比奈さんは、部室を出て行ってしまった。

俺はしばらく狐につままれたような気分だったが、長門やハルヒに教えられて気がつき、反省し、赤面する。
ネチラタ症状になっている人に向かって、丁寧な口を利くことは、この上なく失礼な、ひどいことなのだ。
すなわち、下品きわまる悪口雑言。そして、ネチラタ症状の人から、丁寧な口調で話しかけられるというのも、また……。


【涼宮ハルヒの憂鬱 meets 星新一 第三部 「ネチラタ事件」】
原作:星新一「ちぐはぐな部品」に収録 「ネチラタ事件」

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最終更新:2007年01月15日 17:19