『Short Summer Vacation』
そいつは唐突にやってきた。『災害は忘れたことにやってくる』なんてのは所詮昔の人の妄言で、忘れなくたって災害は遠慮なしにやってくる。むしろ毎日のように『くるな』と祈っているのにそれでも来るんだからこの言葉の薄っぺらさが分かるってもんだ。
まあ、これから俺の身に降りかかったそれは、災害なんて甘っちょろいものじゃなかったんだが。
その日、俺はいつものようにSOS団の部室に向かっていた。2年生になってもこれはまったくいつもどおりで、部室に行けば宇宙人製なんとかかんとかインターフェースが本を読んでいて、未来からやってきた俺の癒しのエンジェルがお茶を入れてくれて、ことあるごとに俺にアプローチかけてくるウホが毎度勝ち目の無いゲームを挑んできて、そして進化の可能性を秘めていて時間の歪みの原因で神であるという笑うしかないステータスをもった美人が笑顔で災難を振りまいている。今日だってそんな日常が待っていると、このときの俺はそう思っていた。
コンコン
いつもの習慣で俺は部室のドアをノックした。ノックせずに入れば、それはそれでかなりおいしい光景が拝める可能性大なのだが、俺だって100%ケダモノで出来てるわけじゃない、ちゃんと常識をわきまえた極普通の高校生だ。
「はぁい、どうぞぉ」
舌足らずな幼い声が、俺の入室を許可した。俺はドアノブを回して部屋の中に入って、目の前の光景に癒される・・・はずだったのだが、今日ばかりは内心ため息をついた。
そこにいたのは、朝比奈さんは朝比奈さんでも、いつもの朝比奈さんではなく大人版の朝比奈さんだったのだ。今にも弾けてこぼれそうなダイナマイツバディと、それに似つかわしくない幼い顔立ちの彼女は、俺を見るなりにっこりと微笑み軽く手を挙げた。俺もそれに合わせて手を挙げたが、そのときの俺の表情はあまり晴れやかなものではなかっただろう。何せ、まさか未来人が『暇だから』とかいう理由で過去に遊びに来るわけ無いだろうから、この人がここにいるということはまた何かしらの厄介ごとを担ぎ込んできたということになる。
「久しぶりですね、どうしたんですか」
何度も似たような展開にあっているうちに、ありがたいことに徐々に俺の中には耐性が出来ていたようで、それほど驚きもせず俺は朝比奈さん(大)に挨拶した。・・・本当にありがたいんだろうか?再考の余地があるかもしれない。
「うん、ひさしぶりね、キョン君」
いつもどおりの笑顔で俺に挨拶を返してくれたものの、俺の『どうしたんですか』という問いには答えてくれない。俺は再び
「どうしたんですか?また何か困ったことでも?」
と尋ねた。困ったことが無かったらそれはそれで気味が悪いが。
朝比奈さんは笑顔を曇らせ少し困ったような顔をして、さらに表情は崩れていき、どんどん悲愴な顔つきになっていく。まるで2人の別人の顔をコンピュータグラフィックスでくっつけて変化させているように時々刻々と変わっていく。そんな朝日奈さんの表情を見て、俺は、これはただ事ではないと感じた。いつもの困り顔の朝比奈さんならハルヒにいじめられているときに良く見るし、俺が知る中で一番哀しそうだったあの去年の8月の表情ですら、今の朝日奈さんのそれには遠く及ばない。
「な、なにがあったんです?なにかとんでもない事態が?」
この人がやってきてとんでもない事態が起こらなかったためしがないが、それ以外に適当な言葉が思いつかなかったので俺はそう聞いた。文系の俺の語彙がこれじゃあ先が思いやられる。
「あの・・・」
朝比奈さんはそれだけつぶやいて言葉を詰まらせ、うつむいてしまった。そのとき、俺は初めてこの部屋に長門がいることに気がついた。おいおい、いくら俺が朝比奈さん(大)の出現に困惑気味だったとはいえ、まさか気づかないわけはないと思うのだが・・・完全に気配を消してやがったな。長門、今お前は探偵か忍者かスパイになる訓練でもつんでいる最中なのか?
長門は珍しく本を持たないままでいすに座り、俺の方をじっと見ている。いつもの絶対零度の視線を俺に投げかけている。凍っちまうだろ、やめてくれ。
などと俺が思っていると、朝比奈さんは意を決したように言葉をつむぎだした。
「あの・・・キョン君・・・落ち着いて聞いてくださいね」
朝比奈さんはいったん言葉を区切り、大きく息を吸い込んだ。目が潤んでいるのはなぜだろう。
「あなたは、1ヵ月後に死にます」
長門の目の温度が、絶対零度から液体窒素くらいにまで上がったように、見えた。
-
はい?何言っているのですか?未来から来てわざわざたちの悪いイタズラは結構ですよ。あ、さては最近その手のブラックジョークを覚えたんですね?で、ためしに俺を引っ掛けてみようと、そういう魂胆でしょう?しかし残念でしたね、俺をだますにはまだまだネタが作りこめていませんよ、もう少し場数踏んでから再チャレンジしてくださいね。
「いえ・・・これは冗談でもなんでもなくて・・・あなたは・・・あな・・・た・・・」
いままで目いっぱいに涙をためていた朝比奈さんは、ついに堤防が決壊したかのように泣き出した。手近に合ったいすにふらふらと腰掛け、両手で顔を覆ってひたすらに泣き続けている。
状況が飲み込めない俺はどうすることも出来ず、ただその場に立ち尽くすしかすべは無かった。まだ俺は、これは冗談か何かだろうと思っていたので、本当に泣き出してしまった朝比奈さんにどう接すればいいのか分からず、とりあえずドラマや何かでそうするように頭をかいてみた。我ながら、毎度気のきかない男だ。
長門は、相も変わらず俺を見つめ続けている。コイツの視線に温度があるのだったら、俺はとっくに凍り漬けのマンモスのようになっているだろう。そして未来永劫展示されるのだ、『西暦2000年代初頭の一般的男性』なんてな。名誉じゃないか。
俺は、この場の気まずい空気を何とかしようと、歩く宇宙百科事典こと長門に話を振ってみようと思い立った。そして俺が長門に話しかける直前、長門の方が口を開いた。
「あなたは現時刻、7月9日午後4時18分44秒からカウントして、30日と3時間6分後、有機生命体としての活動を停止する」
長門がいつもの冷静な口調で告げた。やたらと細かく指定されているせいか、それとも無駄に小難しい言葉が並んでいるせいか、はたまたこれを口にしているのが長門だからなのか、何に原因があるのか、もしくはこれら全部のせいなのかは分からないが、とにかく、俺はこの意味を理解するのにかなりの時間を要した。えーっと、つまり、俺は今から30日後・・・7月は31日までだから、30日後は8月8日か、その8月8日の午後7時くらいに死ぬ、と。そういうことでこの暗号は解読OKですか?
「いい。ただし各時間平面によって停止時刻には最大でプラスマイナス60秒の誤差が生じる」
長門はそっけなく答えた。それにしても長門よ、停止するって・・・人をASIMOみたいにいわないでくれよ。
「そう」
俺は、未だにこの話を信じてはいなかった。前の俺だったら長門が言った時点で完全に信じ込んでいただろうが、最近の長門は時折会話の端々に分かりづらいジョークを混ぜてくるからな。今回だって、何かの用事でやってきた朝比奈さん(大)と結託して俺をちょっとはめてやろう、と思いついたのかもしれない。その悪趣味な知識はどの本から得たんだ、長門?あんまり教育的にはいい本じゃなさそうだぞ、次からはちゃんとジャンルを選べよな。
「・・・キョン君っ!!」
突然の大声に俺は心底びっくりした。その大声があまりに突然だったことと、声の主が朝比奈さんだったことの相乗効果って奴だ。
いつの間にか立ち上がっていた朝比奈さんは、一瞬だけ眉を吊り上げ、すぐに哀しそうな顔に戻って話を続けた。
「信じられないだろうけれど・・・本当なの・・・」
いやいや、そんなこと言われたって・・・。
「そうよね・・・言葉だけでは信じれくれないというのは分かっていました・・・だからわたしが来たんです」
そういうと朝比奈さんは着ていたワイシャツの袖で涙をキッとぬぐって、毅然とした面持ちで俺に向き合った。
「あなたを、未来に連れて行きます。1ヵ月後の、あなたの葬儀に」
このあたりから、俺はなんだかこれはウソではなさそうだと思い始めていたように思う。ウソにしてはしつこくて、朝比奈さんらしくない。いつまでたっても演技をやめてくれないし、それどころか未来に連れて行くとまで言い出した。冗談だったら、『ここでネタばらし』と来てもいいころだろう。おい、そうなんだろ?ハルヒ、古泉、二人の朝比奈さん、長門?みんなで俺をはめて、慌てふためく姿が撮りたかったんだろう?もういいぞ、どうせ良い画は取れそうに無いんだから、ふてくされた顔でそろそろ姿を現せよ、ハルヒ。
朝比奈さん(大)がいる時点で、ハルヒがこのドッキリに絡んでいる可能性はゼロに決まっているわけだったが、このときの俺はなぜかそんなことも考えなかった。表面上はドライに取り繕っていただけで、すでに冷静な思考が失われていたのかもしれない。
「俺の・・・葬式?」
朝比奈さんはコクリ、とうなずいた。
「この星の知的生命体は、特に視覚から得た情報を重視する傾向にある。あなたを納得させるには、これから実際に起こる未来をあなた自身に認識させるのがもっとも確実」
長門は体は微動だにせず、口だけを動かしてまさしくロボットがしゃべっているように言葉をつむいだ。
ここで俺は、ひとつの疑問が浮かんだ。
「それって禁則事項じゃないんですか?」
そうだ、朝比奈さんは自分の年齢すらも『禁則事項』とやらで教えてくれなかったんだ。それなのに、俺を――朝比奈さんから見れば過去の人間を――たった1ヶ月とはいえ未来に送るのは、よく分からないが年齢を教えること以上に禁則な気がする。
「そのことについては・・・後ほどお話します。キョン君が全部信じてくれていないうちは話しても分かってくれないと思うから・・・」
朝比奈さんの話は終わったとみたのか、長門がいすから立ち上がった。
「お前も来るのか?」
「あなたが死亡した世界においてあなたの姿または音声が確認されるのは非常に不都合。わたしが周囲に対情報操作用遮蔽スクリーンを形成する。そのために同行する。それに」
「それに?」
「わたしも信じたくない」
な、なにっ!?
「情報統合思念体は、現在過去未来にとらわれない存在。あなたが死亡するという事実を朝比奈みくるから聞いた直後、情報統合思念体に事実確認を行った。結果、現時刻から30日と2時間57分後にあなたは有機生命体としての機能を停止するという回答が得られた」
長門はそこでいったん言葉を区切った。そして、一言、搾り出すように
「でも、信じたくない」
と言った。いつもの長門の表情だったが、いつもの長門の声ではなかった。俺はいささか驚いていた。今まで事実を事実のままに受け入れてきていた冷静沈着な長門が、『信じたくない』なんていう感情をはさんでくるとは思わなかったのだ。こいつは、自分の処分が検討されているとかいうときにだってまるで人事のようにけろっと言ってのけたのに、今回は様子が違う。
俺はこの期に及んでまだ実感がわかなかったが、この二人の様子から、ドッキリではないということだけは理解した。特に、長門の異常な様子から、これは何かある、と感じた。いくら俺でもそれくらいはわかるのさ。
長門に手首をカプリと咬まれ、あの吐き気のする時間移動を経て、俺は今学校の前にいる。長門よ、どうせ咬むんだったら手首じゃなくて首筋にお願いしたかったんだが。
「どこでも効果に変わりはない」
いや、そういう意味じゃなくてだな・・・まあいい。
今の時間は午後4時。8月9日、つまり、朝比奈予言を信じるなら俺が死んでから次の日ってことになる。この日付はさっきNTTの時報サービスで確認したから間違いない。今まで鳴いていなかったはずのセミが飛び交い、やたらやかましく騒ぎ立てている。いくら手の込んだドッキリでもさすがにセミは仕込めないだろうから、ここは本当に、1ヵ月後の世界のようだ。
「で、どこに行けばいいんです?家ですか?」
「いいえ、今、家には誰もいないはずです」
「どこいったんですか?」
俺は朝比奈さんに尋ねた。よく考えればあほな質問だ。まさか俺が死んだってのに温泉旅行としゃれ込んでいるわけはあるまい。自宅で式を挙げるには俺の家は手狭だから、どうせどこかの式場に・・・って、おい!まて、いかんいかん。いつの間にか俺は、自分が死んだという予言を信じたという前提で話を進めているではないか。俺はまだ完全に信じたわけじゃないんだ、自分をしっかり持たねば。
「通夜」
俺の問いに長門が短く答えた。通夜、ね。意味はそれでも通じるがな、長門、『お通夜』って言った方が柔らかく聴こえるぞ。女の子が口にするなら特に気をつけたほうがいいな。そういえばお前、ちゃんと対情報なんとやら、張ってくれているんだろうな?
「問題ない、スクリーンは現在正常に機能している」
「お通夜は近くのセレモニーホールで午後5時から行われるはずです」
ということは通夜はまだ始まってないってことか。俺は変なところに納得して一人でうなずいていた。
そこから俺たちは電車に乗り(長門の力のおかげで無賃乗車だ、ゆるせ、JR)俺の通夜をやっているとかいうセレモニーホールへ向かった。幸い電車は混んでいなかったが、もしこれが混みあった電車だったら大変だっただろう。
会場は、なかなか立派なセレモニーホールだった。こんなところで葬式挙げて、家計は大丈夫なんだろうか?俺だったら、別に葬式しないで燃やすだけ燃やしておしまいでも怒りはしないのにな。
なんて軽口を心の中でたたいておきながら、俺は内心ビクビクしていた。今まではなんとなく信じないできていたというか結論を先延ばしにしてきていたが、だんだんその猶予期間も少なくなってきた。もうすぐ、予言が本当かウソかの結論が出る。
俺は、1999年7月を迎えた気分をものすごく大げさにしたような気持ちで会場に足を踏み入れた。そういえば今――俺にとっての今だが――も7月だったな。恐怖の大魔王よ、遅刻は良くないな、遅れたら罰金って知ってたか?たぶんアイツは、魔王だからって許してはくれないぜ。
会場に入ってすぐ目の前にはロビーがあり、女の人が二人座っている。スピーカーから小さく、哀しげなBGMが流れ、しめやかな空気が漂っていた。
そして、俺は見つけてしまった。ロビーの隣にある、電光掲示板。そこには俺の名前が書いてあり、その下には
『通夜式 午後5時開式
会場 3階大ホール』
と書いてあった。
俺は目がくらみそうな気分になりながら、第1の朝比奈予言―『お通夜は近くのセレモニーホールで午5時から行われるはずです』―が的中したことに賞賛を送りたいと思っていた。
「キョン君・・・」
朝比奈さんが声をかけてきた。
「大丈夫ですか・・・?」
「あぁ、大丈夫です」
少し俺は放心していたようだ。内心、あんまり大丈夫じゃないかもな、と思いながらも、弱いところを見せるわけにもいかずにそう答えた。その答えを聞いた朝比奈さんは、なんだかモジモジというか、はっきりしない態度で
「あの、ここまで来ておいてなんなんですけど・・・今なら引き返せますよ・・・?」
と言った。おや、いつかの古泉のようなことを言うんですねぇあなたは。ここで帰ったら胸糞悪い時間移動を無駄に2回味わっただけになってしまいますよ。宇宙人からの甘咬みという特典はありましたけどね。
「キョン君が、『自分は死ぬ』ということを信じてくれれば、その・・・式自体は見る必要ありませんし、むしろ見ないほうが・・・」
たしかにそうだ。そもそもここに俺が来たのは、自分のお通夜に参列するなんていう貴重な不思議体験をするためじゃなくて自分が1ヵ月後に死ぬってことを朝比奈さんが俺に信じさせようとしたからだ。俺は今、なんとなくではあるが事態は飲み込めてきているし、これはドッキリだ、なんていうバカな考えはとうに捨てている。これ以上見ることに意味は無いのかもしれない。しかし、
「いえ、見ます」
半信半疑の浮ついた心のままで残り1ヶ月を無為に過ごしてお亡くなり、なんてごめんだ。どうせやるなら事実確認は徹底的にやるべきだろう。そっちの方が、今は辛くても後々のためになる気がした。
俺は、階段に向かって歩き出した。脚が少し、震える。
「怖い?」
長門が俺の顔を覗き込んできた。なんだか、長門の目線が、絶対零度からだんだん温度上昇しているように感じられる。それが何を意味しているのか、今の俺には考えられないし、考えてもたぶん分からないだろう。
「ああ、怖い」
俺は正直に答えた。当たり前だ、自分の葬儀を目の当たりにして平気でいられるやつがいるものか。
「大丈夫」
長門は言った。それは、今までの長門からは考えられないくらいに頼りなくて、でも、一番人間らしい言葉だった。今日のコイツは何かが変だ。
「わたしも怖い」
俺の通夜は満員御礼だった。いったい何席あるのか見当もつかないくらいにイスが大量に並べられている。俺ってこんな大勢に通夜に来てもらえるような人間だったのか、ありがたいね。これだったら香典いっぱいもらえて逆に儲かっちゃうんじゃないだろうか、なんていう下卑たことを考えて恐怖を紛らわそうとしていると、朝比奈さんが俺に(俺、というのは生きている俺の方だ)声をかけた。
「・・・キョン君、こっち・・・」
手招きされた俺は、恐る恐るついていく。目の前にあるのは、白木の器・・・棺おけだ。それを見たときに、俺は本気で足がすくんだ。今までも足がすくむような目にはあってきた。神人と出くわしたときなんかその際たるものだが、今回はそれ以上だ。なんてったってリアルの世界でしかも数メートル先に自分が横たわっているのだから、この状況で恐怖を感じなければ、そっちの方が恐怖だ。や、やばい、ここまで来ておきながら、恐怖で心臓が止まりそうだ・・・今ここで俺がショック死したらどうなっちゃうんだろう?ひとつの会場に二つのまったく同じ死体・・・考えたくも無いね。もしそうなったら朝比奈さんは死体になった俺を抱えて時間遡行するのだろうか。
そんなことを考えていたら、俺はだんだん吐き気がしてきた。次の瞬間、天と地の区別がなくなったような感覚・・・貧血か何かか?俺は今どんな体勢だ?立っているのか、それとも倒れているのか?やばい、コイツは・・・マジで戻す・・・。
そのとき、何かが俺の両肩をぐっとつかんだ。
「な・・・長門・・・」
「しっかりして」
俺はどうやら倒れてはいなかったらしい。ゆかも、俺の吐瀉物で汚れている、なんてことはなかった。しかし全身汗びっしょりでいつの間にか肩で息をしている。あごから汗がしずくとなってたれていく。全身に鳥肌が立って収まらない。
「い、今・・・」
「大丈夫?」
大丈夫なわけがない。コイツは、今の俺が大丈夫に見えるくらいに人間に対する知識が不足しているのだろうか?長門、お前だったら医学書の10冊や20冊は読破していると思っていたんだが。
「あんまり・・・大丈夫ではないな」
「そう」
長門はそうつぶやくと、俺の方を見ずに俺の指に自分の指を絡ませるようにして手を握ってきた。長門の突飛な行動に俺は驚いたが、長門のおかげで少しだけ気分が安らいだ。
「なが・・・と・・・?」
「他者との接触は、時に精神の平静の維持に効果的と前に読んだ本にあった。特に、抱きしめたり手をつないだりするのが有効」
そ、そうか長門、ありがとうな。確かに今は落ち着いてきたが、時と場合によっては逆にパニックになることもあるから覚えておいてくれ。
「助かる・・・ありがとうな・・・」
「いい」
俺は、長門と手をつないだまま軽く辺りを見回した。周りの参列者たちの声が、まるでエコーがかかったように聴こえてくる。
「お若いのに残念ねえ・・・」
「数時間前、ご両親と会ったときまで元気だったらしいですよ」
「かわいそうに・・・まだ人生これからっていうときに・・・」
俺は長門と手をつないだまま、ゆっくりゆっくり、まるでバージンロードを進むかのように歩を進めた。実際に俺たちが歩いているのはバージンロードなんていう夢がいっぱい詰まったものではなかったがね。似合うのは結婚行進曲ではなく葬送行進曲だ、残念だったな、メンデルスゾーン。
途中、俺は参列者の中にSOS団のメンバーを見つけた。国木田と谷口もいる。鶴屋さんもだ。皆さん、わざわざご足労いただきありがとうございます。そこに横たわっている俺に成り代わってお礼申し上げます。
おい、古泉、お前泣くなよ、色男が台無しだぞ。どうせだったらにやけ顔全開にしてみろ。朝比奈さんまで・・・いくらなんでも泣きすぎです、干からびますよ。長門、お前も泣いてくれているのか・・・お前、何ぶつぶつ言っているんだ、アレイズか?ザオリクか?ハルヒ、の顔はここからじゃ良く見えない。俺がどんな顔をしているのか見てやろうとした瞬間、
「あまり見ないで」
と長門が俺の顔を、握っていない方の手のひらで押しやって向きを無理やり変えた。
「なん・・・」
「・・・上手く言語化できない・・・はずかしい、という感覚に近い・・・」
そうか、コイツは自分の泣き顔を見られたと思ったのか。いや、実際はもう見ちゃったわけだが、まあ、自分の泣き顔見られて喜ぶ奴なんてそうはいないわな。ん?まてよ、参列している長門は1ヵ月後の長門なんだから、俺(まだ生きている俺)がこっそり見ていることは分かっていたんじゃないのか?俺に見られているって分かっていて、それでも涙してくれるなんて、なんだかすごく、嬉しい。よく分からない。まさに『上手く言語化できない』が、なんだか無性に嬉しかった。
さらに進むと、最前列に遺族が、つまり親父、お袋、妹が座っているのが見えた。親父は何かをかみ締めるような顔をして必死に悲しみをこらえていた。お袋はハンカチで顔を覆っている。妹は、何が起きたんだかは完全には理解できていないようで、でも、兄貴が死に、なにか起こってほしくないことが起こったということは分かっているらしく黙って悲しそうな顔をしていた。
そんな家族の姿を見て、俺は涙が出てきた。自分の葬儀で泣くなんて、意味が分からない。
しばらく家族と向き合うように立ち尽くしていた俺を、長門が心配そうな顔で覗き込んできた。もちろん、心配そう、というのは俺の勝手な主観だが、その表情は間違いなく無表情ではなかった。
「行こう」
俺は自分を鼓舞するように、長門に言った。
俺は確かめなければいけない。ここまで来ておいていまさら確かめる必要も無いだろうが、それでも確かめたかった。
朝比奈さんはすでに棺おけの横に立っていて。ハンカチで時々目頭を押さえている。この人にしてみれば、二度目の俺の葬式か。二度もこんな美人を悲しませるなんて最低だ、俺は。死んじまえ、俺。
「・・・キョン君・・・」
その呼びかけはどっちに対してのものですか。俺ですか、それともそっちのただの有機物になっちまった『元・俺』ですか。
俺は、棺おけに開けられた窓から中を覗き込んだ。長門が、強く手を握ってくれた。
窓にはめられた透明アクリル板1枚を隔てて、そこには、俺が寝ていた。
俺は俺に、声をかけた。
「よう、キョン」
そのとき、俺の頭の中には走馬灯のようにいろいろなばかな考えが思い浮かんだのさ。『返事が無い、ただの屍のようだ』とか、『あの三角形のやつ付けてないんだな』とか、『綺麗な顔してるだろ?これで死んでるんだぜ?』とか。そういえば、何で俺、あの三角形のつけてないんだろう?宗派によって違うのだろうか。いや、付けたかったわけじゃないけどな。
「死んでる・・・んですね・・・」
「・・・はい・・・」
朝比奈さんは短く答えた。
「・・・長門・・・?」
「すべての生命活動は停止し・・・死亡、している」
言葉を短く切りながら、長門が告げた。こいつが言うんだったら間違いないだろう。良かったぜ、間違って生きているのに焼かれるなんてことがなくて。
俺は、自分自身の死体という、これ以上にないくらい現実的な死に直面しながら、なぜか実感がわかないでいた。ショックがでかすぎるのかもしれない。さっきまで足が震えて、吐き気がして、思わず長門にすがっちまうくらいに参っていたっていうのに、今の落ち着きはいったいなんだ?古泉にしゃべらせればもっともらしい解釈を付けてくれるんだろうが、当の古泉はそれどころじゃなさそうだ。
「そうだ」
ここで俺は気がついた。せめて、言葉があいつらに聞こえない今のうちに、あいつらにお礼が言っておきたい。面と向かっていうのは照れくさいしな。そう思った俺は長門の手を無意識のうちに解き、SOS団その他がまとまって座っている席へとふらふらとおぼつかない足取りで近づいていった。
そこで、俺は気がついちまったのさ。やめておけばよかったと思う。どうせだったら学校で、面と向かって言えばよかったのかもしれない。でも、遅かった。
俺は見てしまった。
ハルヒが、泣いていないのを。
何でなのかは分からない、でも、俺はそれがすごくショックだった。俺が気を失って入院したときなんかは寝袋持参してまで俺に付き添ってくれていたっていうのに、そのハルヒが、涙一つ見せずに無表情で座っている。
俺は絶望した。別にコイツのことなんてただの迷惑を引き寄せる女だとしか思っていなかったし、ましてや付き合っているわけなんかなく、恋愛感情とかそんなもんが俺の中にあるとは素粒子ほども思っていなかった。嫌いではなかったのは認めてもいいが。なのに、ハルヒが泣いてないと分かったとたんに湧き上がってきたこの気持ちは、なんだ?切なくて、苦しい。ハルヒは俺の死が哀しくないのか?胸がつぶれそうだ。
そう思った次の瞬間、強烈に胃がよじれた感覚に襲われた。息が、出来ない。今度は本当に倒れる、地面が近づいてくるのが分かる。もう倒れたのか?それとも倒れる途中か?平衡感覚が麻痺する。視界が白けてきた。のどがふさがって、吐きっぽい。やばい、今度こそ、戻す・・・。口の中に強烈な酸味を覚えたところで、俺の意識は途絶えた。線香の匂いだけが、やけにはっきりと理解できた。
目が覚めたらそこは長門の家だった。
俺は布団に寝かされていて、首を横に向けてみるともう夜になっていた。これはいつの夜だ?
- 正しい時間の夜か?それとも1ヵ月後か?
俺がそんなことを考えていると、朝比奈さんがやってきた。
「あ、キョンくん、目が覚めましたか?」
いつもの朝比奈スマイル・・・でも、少し哀しそうだ。
「今は・・・いつですか・・・?」
「7月9日午後8時6分34秒。わたしたちは正しい時間に復帰している」
そうか。
「そう」
「キョンくん、もう大丈夫なの・・・?もう少し寝ていたほうが・・・」
「いえ、大丈夫です、たぶん」
俺は上半身を起こしながらぼんやりした頭で考えた。あの後いったいどうなったんだ?たしか、
- SOS団の連中に一言言おうとして、それで、ハルヒが・・・ハルヒが・・・。
また俺の胃液がこみ上げてきた。ま、まただ、やばい・・・。俺の体にあるありとあらゆる汗腺が
- ぱっくりと開き、ものすごい勢いで冷や汗を噴き出している。
「キ、キョンくん!!しっかりして、大丈夫だから、深呼吸して。そう、大きく息して・・・」
俺は朝日奈さんの言ったとおりに何度も深呼吸を繰り返した。
- おかげでしばらくしたら吐き気も遠のき、元気、とまでは言えないがそこそこに復活した。
俺は、つとめて冷静に、これからどうするべきなのかを考え、尋ねた。
「・・・で、朝比奈さん、俺はこれからどうすればいいんです?俺に未来を見せてまで信じさせたって
ことは、何か理由があるんでしょう?」
朝比奈さんは、ためらいがちに、滅びの呪文を口にするかのように、ゆっくりと告げた。
「はい・・・あの・・・涼宮さんのことで」
俺は、あのハルヒの姿を思い出してまた胃液があがって来るのを感じたが、深呼吸して、つばを
- 飲み込んで、こらえた。
「あなたが死んで・・・涼宮さんは悲しみます」
「・・・うそだ・・・」
俺はつぶやいた。俺の呟きを無視して、朝比奈さんは続ける。
「あなたの死によって涼宮さんは世界そのものを否定し、そして・・・世界は終わります」
「・・・そんなわけないだろ・・・」
アイツは、俺が死んでも涙一つ見せなかった女だぞ?俺が死んで悲しんで世界終わらせるなんてやるわけがない。
「そんなわけがない!!!」
俺は思わず大声を上げた。朝比奈さんがびくっと体を震わす。
「あいつは・・・さっき、俺は見たんだ・・・あいつが、あいつが泣いていないのを・・・哀しいもんか、
- どうせあいつは俺のことを、便利な雑用としか・・・」
「それは違うわ!」
朝比奈さんが言った。
「じゃあ、なんで!?どうしてあいつは泣いてくれなかったんだ!!?説明してくれよ!!!」
何を言っているんだ俺は?こんなこと朝比奈さんに怒鳴ったってどうしようもないことだし、そもそも
俺は、あいつに泣いて欲しいのか?
俺はたった今朝比奈さんに対して怒鳴ってしまったことに罪悪感を感じ、小声で『すみません』とつ
ぶやいた。しばらく沈黙が流れ、朝比奈さんがボソッと言った。
「それは・・・禁則、です・・・」
そういって、朝比奈さんは言葉を詰まらせた。またしても沈黙。どうしようもない空気が場を支配し始めたころ、
- 長門が静寂を破った。
「話を元に戻したい」
いいぞ、長門。ナイスアシストだ。
「あなたの死は規定事項。決して覆すことは出来ない」
なんだそりゃ?つまり俺は絶対来月死ななきゃいけないってことか。
「そう」
そうって・・・。
「そして涼宮ハルヒは世界を終わらせる。その力はこの惑星にとどまらず、全宇宙、全時間平面にまで
影響を及ぼす。宇宙全体が消滅する。つまり―」
長門はここでいったん言葉を切った。適当な言葉を捜しているのだろうか。
「文字通り、何もかもが無くなる」
イメージがわかないが、今はあえて触れまい。って、ちょっとまて、でも、朝比奈さん(大)が今ここにいるだろ?
- だったら世界は終わってないんじゃないのか?
「それは別の未来」
なんだと?
長門のまた電波な説明が始まりそうだと思ったら、ここで朝比奈さんが話を受け継いだ。
- ナイスタイミングです、朝比奈さん。なんだかんだでこの二人は、結構いいコンビなんじゃないだろうか。
「簡単に言えばね、1ヵ月後の世界には『消滅』と『継続』の二つの選択肢があるの。あたしは『継続』の未来から
- 来たから存在できているわ。昔・・・キョンくんにしてみれば1年くらい前ね、そのときに時間は断続的なものだと
- 言ったけれど、その解釈を展開させたのが・・・」
なんだ?話がこんがらがってきたぞ?そんな、ことを言われても、俺にはさっぱりわからない。
- 誰かアインシュタイン先生を呼んできてくれ。
「う~ん・・・この概念を口で説明するのは難しいわね」
「朝比奈さん、俺がどうすればいいかだけ言ってもらえませんか?」
そんな話聞いたところでどうせ理解できないし、理解できたところで何がどう変わるというものでもないだろう、
- 無駄に混乱するだけだ。それでなくても俺はたった今自分の葬式に参列するという頭がおかしくなりそうな
- 体験をしてきたんだ、これ以上わけの分からないことを言われたら本当に発狂しかねない。
「つまりね、あと1ヶ月の間に、涼宮さんが、あなたが死んでも世界を終わらせないようにして欲しいっていうか・・・」
何で俺が死ぬとハルヒが世界を終わらせるのか納得いかなかったが、とりあえず黙っておいた。
「現段階であなたが死亡すれば、涼宮ハルヒは間違いなく絶望し、世界を消滅させる。
- あなたには、1ヶ月かけてあなたが死んでも涼宮ハルヒが絶望しないよう、手を尽くして欲しい」
どういうことだ?俺が1ヶ月かけてだんだんハルヒから遠ざかっていけば良いわけか?
「それもひとつの手段。ただし、推奨は出来ない」
「どうして?」
「その選択をすれば、かなりの確率で世界の消滅は回避できる。しかし世界の消滅は防げても、双方に
深い傷を残す結果となる。特に・・・」
長門はここで言葉を切った。そして、俺をじっと見つめている。発言の許可を待っているのか?
「特に、なんだ?」
「あなたに悲しんで死んでいって欲しくないと、わたしは願っている」
そんなこと言われてもな・・・。俺が悲しむかどうかは、この1ヶ月でどれだけ悟りの境地に近づけるかに
- かかってるからなぁ。
「そういう意味ではない。わたしは、あなたたちの絆の消滅にともなう悲しみをさしている。」
絆って・・・いつかの24時間テレビじゃあるまいし・・・。
「いや、待てよ?だったら、1年前の俺に会って、ハルヒに会わないように仕向ければいいんじゃないのか?」
「それはダメなの・・・あなたと涼宮さんが出会い、SOS団を作ってからの今までの出来事はすべて
規定事項・・・変えることは出来ないわ・・・」
そうなのか・・・俺は死ぬ。これは変えられない事実なんだな。ハルヒと出会って、今の今まで過ごしてきたことも、
- 変えられない。変えられるのは、これからの1ヶ月だけ・・・。ここまで理解できていれば合格点だろう。
俺は、本当に頭がおかしくなりそうだった。いや、もうなっているのかもしれない。こんな話を聞いて、
- まともでいられるなんて、正気の沙汰じゃ無いだろう。
「そういえば、俺はどうやって死ぬんです?」
俺は肝心なことを聞くのを忘れていた。せめて自分がどういう逝き方をするのかそれくらいは知って
- 心積もりをしておきたい。
「・・・ごめんなさい、禁則事項です・・・」
でしょうね。やれやれ、こんなことだったら通夜のときに周りの人たちの声を聞いておけばよかったぜ。
- だれか一人くらいは俺の死因について触れてたかもしれないってのに。
そのとき、朝比奈さんがふと立ち上がった。
「ごめんなさい、キョンくん。そろそろこの時間平面状にいられる時間がなくなって来ました」
「・・・そうですか・・・お別れ、ですね」
「・・・そうね・・・」
朝比奈さんは玄関に向かって歩き出していた。さようなら、朝比奈さん(大)。お元気で・・・。
「朝比奈さん!!」
俺は思わず彼女を呼び止めた。しかし、彼女は振り向きもせず、ドアの向こうへと消えていった。
- 呼び止めたところで、俺はいったい何を言おうとしていたのだろうか。
「朝比奈みくるの異時間同位体の消滅を確認」
長門がつぶやいた。
「なあ長門・・・俺、どうすればいいんだ?」
俺は思わず、隣にいる頼れる宇宙人に質問した。長門は俺をじっと見つめて、しばらく考えてから、言った。
「好きに生きて」
そんな曖昧なこと言われてもな・・・。
「・・・とりあえず、今日は帰るよ、1ヶ月あれば身辺整理も出来そうだしな」
「・・・そう」
じゃ、お邪魔したな。また明日、学校でな。
「今日はいろいろありがとうな、その・・・あっちでのこととか」
長門はコクリ、とうなずいた。
「・・・朝比奈みくるは気づかなかった。しかし・・・」
帰ろうとした俺を、長門の言葉が呼び止めた。
「あなたは大まかな死因を先のお通夜の際に聞いたはず。記憶に残っていなくても、一度聞いた場合は
他人が教えても禁則事項には該当しない」
ああ、そういえばあの時、『お若いのに云々・・・』とか言ってた人がいたな。
「あの場で聞いた以上のことはわたしにも言えない。わたしが言えるのはこれだけ。あなたは死の直前
まで健康体でいる」
「そうか」
つまり、俺は8月8日の7時24分まで、何も気にせず遊んでいられるわけか。
「そう」
よかったぜ、入院とか闘病とかそういう面倒なことがなくって。教えてくれてありがとうな、長門。
「いい」
最後に俺は、玄関を出る際にふと疑問に思ったことを長門に聞いてみた。別に知ってどうなるわけでもない、
- 俺が居なくなった世界での話だ。
「長門、世界が消える場合だけどよ、俺が死んで・・・ハルヒが世界を消すのって、いつだ?」
「力の発動は8月8日7時24分前後。あなたの死亡時刻について最大プラスマイナス60秒ほどの誤差が生じ、
- さらにそこから消滅予定時刻まで各時間平面状で差がある。しかし大抵は1分以内に起こる」
俺は考えた。今が7月9日。俺が死ぬのが確か8月8日で・・・ん?おい、これって・・・。
- 俺の言わんとすることを察した長門が、言った。
「そう、あなたを看取るのは、涼宮ハルヒ」
その日、俺は家に帰ってから意外なことにもあっさりぐっすりすっきり眠ることが出来た。目が覚めたら
- 夢だったらいいなあなんていう甘っちょろい幻想を抱きながら、起こるはずの無い奇跡を期待して、
- 俺はとこについた。もちろん、そんな虫のいい話は無かった。
次の日、俺が教室に入って真っ先に目にしたのはハルヒだった。コイツは超新星爆発も真っ青のすんばらしい
- 笑顔で俺に話しかけてきた。このエネルギー、何か世界のために活かせないかね、発電とか。
- 俺は、昨日見たことを思い出さないように気をつけるという、おかしな心持でハルヒの話を聞いた。
「キョン!喜びなさい!!昨日のラグビー部でのことなんだけどね、練習中に頭を打った生徒が何でも臨死体験を
- したっていうのよ!!これって事件じゃない?ぜひ直接会って話を聞きたいわ!!ね、そう思うわよね!?」
正直、今の俺には笑えない冗談だった。いや、こいつは本気なんだろうが、ともかく、昨日自分の余命
宣告を分単位でされちまった俺は、そんな臨死体験だのなんだのということからは離れていたかった。
「そうか・・・よかったな・・・」
俺はそんな、覇気のないあいまいな返事を返して、自分の席に着いた。我ながら、抜け殻のようだ、だせえ。
「ちょっと!?どうしたのよ、キョン!?せっかくの・・・・」
ハルヒが何か言っているが、俺には聴こえない。聴こえてはいるが頭に入らない。結局授業が始まるまで、
- 俺はひたすらにあいまいな相槌を打ち続けていたように思う。
放課後、俺は部室に向かっていた。こんな状態でも部室に脚が向かってしまうとは、慣れとは恐ろしいものだ。
部屋にはすでに長門と朝比奈さんと古泉がいた。この朝比奈さんは、本来の俺が知っている朝比奈さんだ。
「ども」
俺は挨拶もそこそこにいすに腰掛けた。長門は何事も無かったかのようにいつもどおり本を読んでいるし、
- 朝比奈さんは当然何も知らないのだからいつもどおりにお茶を淹れてくれている。古泉もいつもどおり、
- 俺にゲームを挑んできやがった。
「キョンくん、お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
このお茶が飲めるのもあとちょっとか・・・味わって飲まなきゃな。
それにしても俺は落ち着いている。自分でも驚くくらいの落ち着きぶりだ。なんだ?完全に感情が麻痺
- しちまっているのか、1ヶ月の猶予があるからって余裕ぶっこいてるのか、無意識のレベルでいまだに
- 現実を否定しているのか、それともすでに俺の精神は仙人クラスに達していたというのだろうか?
- 個人的には最後のパターンを希望するね。そのうちどこからともなく目の下に隈を作った変人が現れて、
俺に『あなたの精神はすでに神の域に達している』とか言ってくれるかもしれないな。
- たしかにハルヒと1年間ともに過ごせばそれくらいのレベルアップは出来そうではある。
「どうしたんですか?今日のあなたは気もそぞろですね」
「ああ、俺も年頃の男子高校生だからな、悩みのひとつ二つはあるさ」
もはや悩んでもどうしようもないことではあるが。
「僕でよろしければいつでも相談に乗りますよ」
うるせえ、なんだかんだいってどうせお前は俺のけつの穴狙ってんだろ。俺のけつだけはなんとしても
あと1ヶ月、守って見せるぜ。
そのとき、部室にハルヒの馬鹿でかい声が響き渡った。
「おっまたせーーーーーーーー!!!!臨死体験したっていう生徒をつれてきたわよーーーーっ!!!」
俺は次の日から、ハルヒを避けるようになった。もともと望んで入った団じゃないんだし、いまさら
やめたって未練は無いと思うが、物事には順序ってもんがある。いきなり俺がやめたりしたら間違いなく
- ハルヒは俺に食って掛かる。それじゃあ面倒くさいし意味がない。なるべく自然に、雪が積もっていくように
- 少しずつ少しずつ、ハルヒから遠ざかっていこうと決めた。
死の宣告を受けてから、早くも1週間がたった。俺はハルヒとの会話を極力減らし、部室に顔を出す回数も
- 不自然にならない程度に少しずつ減らしている。その甲斐あってか、このごろハルヒが俺に話しかけてくる
- 頻度が減ってきた気がする。思った以上に上手くいっているようだ、このままなら世界を滅ぼさずにすみそうだな。
- 誰もたたえてくれないのが寂しいが。
それにしても授業に集中できない。いや、当たり前か。もう成績なんてどうだっていいんだからな。
なにやら教師が『これはセンターに絶対出るぞ』とか言って黒板バシバシたたいているが、今更どうしろというのだ。
- そもそもなんで俺は学校なんて来ているんだろうか。限られた時間を有意義に使うには
こんな無駄な時間の垂れ流しをしていないでこの広い大空のもとアイキャンフライと叫びながら飛び降りる
- くらいのチャレンジはあってもいいんじゃないだろうか。
ともかく俺はこうして抜け殻のように学校に行き、授業をBGMに眠り、まったく聞いていない友達の話に
- 適当に愛想笑いで相槌をいれ、抜け殻のようにぼんやりと帰るというパターンを正確に繰り返した。
- 期末テストがあったが俺にはもう関係のない話。俺は始まったとたんに名前も書かず眠った。0点上等、
- ドンと来い。テスト後にハルヒが何か言ってきた気がするが、内容は覚えていない。どうせ俺が
開始早々眠りについたことに関して言ってるんだろうが、もういいんだ。うらやましいだろう。
ちょうどそのころから、俺は遺品の整理を始めた。まだ俺が生きているのに遺品というのもなんだか
おかしいが、ともかく見られたくないものは今のうちに処分しておこうと思ってな。俺は、ベッドの下や
- たんすの奥にしまっておいたエロ本やAVを取り出すと、本は縛って夜のうちに捨て、AVはラベル
を剥がしてテープをぐしゃぐしゃにしてゴミ袋に入れた。誰かに形見分けすればよかったかもしれない。
- 誰かって・・・誰だろうな?
それがすんでしまえばほかにしなければならないことなんてほとんど無いのだが、俺が死んだ後で親
の負担を少しでも減らしてやりたいと思い、俺は要らない本やノート、教科書、服なんかを整理するこ
とにした。
片付けている途中で中学校の文集が出てきたりして、それを読んだり、卒業アルバムを見たりしながら
- 片付けた。まだ未来があると思っていたころの俺の姿がなんだか懐かしくて、切なくて、かわいそうだった。
- そんな無邪気に笑うなよ。お前、あと数年しか生きられないんだぜ?
俺がおかしくなってきたのはそのころからだっただろうか。いや、むしろ今までの落ち着き払った様子
- の方がおかしかったのかもしれない。
ともかく、俺はこのころから夜眠れなくなった。眠っているとふと目が覚め、いきなり心細くなる。
胸が締め付けられるような恐怖。叫びだしたくなるような絶望。そして悪夢。
それでも最初のころはまだ何とかなった。自分をだますようにして、平静を取り繕った。
しかし、絶妙なバランスで均衡を保っている天秤のような俺の精神状態を、根底から揺るがす馬鹿でかい
- 衝撃が襲ってきた。それは、死の宣告を受けてから2週間がたとうとしていたころ。遺品整理も終わり、
- 夏休みまであと数日と迫った日のことだった。
「ちょっとキョン、こっち来なさい」
俺はハルヒに呼ばれて屋上に引っ張り出された。懐かしいデジャヴ。
- いつぞやのような、かつ上げされている気分だぜ。
「あんた最近様子おかしいわよ!なんかあったわけ?失恋でもした?」
「なんでもないんだ、涼宮。心配してくれてありがとう」
俺は出来るだけ何もない風を装って、他人行儀にお礼を述べた。俺の発した『涼宮』という単語に、ハルヒの
- 瞳が一瞬揺らいだ気がした。
「絶対変よ!!大体何?その態度!?気持ち悪いったらないわ、団長を敬うのは結構だけどね、あいに
くあたしはそういうの気にしないのよ、だから今までどおりにしていなさい。で、どうしちゃったの!?」
ハルヒが俺のネクタイを引っつかみ、俺の上半身をガクガクゆすってくる。首が絞まるだろ、バカ。
「だったらさっさと白状しちゃいなさい!!」
「何も白状することなんかない」
「ウソよ!!!!」
ハルヒの怒声が響き渡った。
「あんた最近あたしのこと避けてるでしょ?気づいてないとでも思ったの!?ねえ、いったい何があったって言うの?
- 教えなさいよ、一人で抱え込んでちゃ出る答えも出てきやしないわ。それとも一人で悩むのが格好いいとでも
- 思ってんの?あー気持ち悪い、それ、病気よ?知ってる?中二病っていうらしいわ」
こいつの言葉なんて俺の頭に入ってはいなかった。そのときの俺は、脳裏を掠めるあのときのハルヒの姿を
- 振り払うのに必死だった。しかし、嫌でも思い出されてしまう。あの、通夜のときに泣いてくれなかったハルヒ。
「・・・お前に分かるかよ・・・」
思わずつぶやいた。あのハルヒの姿が頭の中でエンドレス再生される。何で泣いてくれなかったんだよ、
- 泣いてくれよ、頼むよ、だって俺は・・・――。
「やっぱり何かあったのね!!言ってみなきゃわからないわ!さあ、さっさとゲロっちゃいなさ・・・」
「お前に俺の気持ちが分かるか!!!!」
俺は叫んだ。びくっと体を震わせたハルヒは、俺のネクタイから手を離した。お前に葬式で泣いてもらえなかった
- 俺の気持ちが、お前なんかに分かるものか。誰が泣いていなくても、お前だけには泣いていて欲しかったのに、
- お前だけは泣いてくれると思っていたのに。
「もう、ほっといてくれ・・・」
俺は力なくそういうと、ハルヒに背を向けて教室へと戻っていった。そして俺は気づいていた。ハルヒの
- ことが好きだったんだと。馬鹿だ、俺は。今まで全然気づかないでいたくせに、ここまで時間が無くなって、
- しかもこんなどうしようもない状況になってようやく気がついたなんて、後の祭りもいいところだ。
- 『後の祭り』なんて、昔の人もなかなかいいこと言うじゃないか。
その晩、俺は悪夢どころか眠れもしなかった。今までなんとなくぎりぎりでつながっていたつもりだった
- ハルヒとのつながりが断たれ、俺はいよいよ独りになってしまった気がした。今までにないくらいの孤独、
- 絶望、恐怖が俺の心をつかんで放さない。これまで感じてきたものとは規模がまるで違う。
- 俺はベッドの上でひざを抱えていた。怖い。苦しい。辛い。切ない。このまま理性がどこかへ吹き飛んで
しまって、俺は抜け殻の廃人になってしまいそうだ。このまま眠ったら、明日の朝起きることはないん
じゃないだろうか。そう思うと、ますます眠れなくなった。
俺はだれかれかまわずメールを送った。真っ先に頭に浮かんだのはハルヒだったが、もう手遅れだ。
俺はハルヒにはメールを送らず、それ以外の奴らから返信が来るのを待った。誰でもいいから、俺の相手を
- して欲しかった。一人で居るのが、強烈に怖かった。
しかし、時刻は夜の2時過ぎ。草木も眠る丑三つ時だ。誰も返してくれやしない。俺は心細い気持ち
のまま、もう一度眠る努力をしてみようと布団にもぐりこんだ。
そのとき、携帯が鳴った。
『着信 長門有希』
「も、もしもし!?」
「・・・」
「あ、あの、俺・・・」
「・・・」
「夜遅くに、ごめんな・・・」
「・・・いい」
長門が、そうつぶやいた。なんだかすごく安心した。俺は一人じゃない、それが実感できたようで、
- すごく心が安らいだ。コイツには、助けてもらってばっかりで頭が下がる。
「ちょっと声が聞きたかったっていうか、寂しくなったっていうか・・・はは・・・」
「・・・」
「本当にごめんな、寝てるところに」
「・・・」
「じゃ、じゃあな」
「・・・まって」
電話を切ろうとした俺を、長門が呼び止めた。
「どうしたの?」
「どうって?」
「今のあなたはおかしい」
「いや、そんなこと・・・」
そういえば長門は、俺の死を知っている唯一の人間だ。そいつにこんな非常識な時間にメールを送ったら、
- どんな鈍感野郎だっておかしいとおもうだろうな。俺は、素直に白状することにした。
「俺・・・怖いかもしれない・・・」
「・・・」
「今までこんなこと感じなかったのに・・・俺・・・なんか、すごく怖い・・・」
「・・・」
「ひ・・・一人でいたくないんだ・・・寂しくて、怖くて・・・」
「・・・」
「なぁ、長門・・・」
「なに」
「今から会いに行っていいか・・・?」
俺は恐る恐る尋ねた。ここで拒否されたら、俺は本当に死んでしまうかもしれなかったが、答えはすぐに返ってきた。
- それにしても、通夜のときといい、今といい、どうしちまったんだろうな、俺は?
「いい・・・待ってる」
そういうと、電話は切れた。
長門は、マンションの外で俺を待っていてくれた。俺は長門と一緒にマンションの中へと入った。
「飲んで」
俺は、初めてこの部屋に来たときと同じように出されたお茶をすすった。温まるのは体だけではない気がした。
「俺、この前から荷物の整理始めたんだ」
「そう」
「昔のアルバムとか出てきちゃうと、片付けってなかなかはかどらないんだよな」
「そう」
「最初のうちは部屋散らかすだけで終わったようなものだったけれど、最近はだいぶ綺麗になったんだ」
「そう」
気まずい沈黙が流れた。
「・・・なんで・・・俺なんだろうな・・・」
おもわず本音が漏れた。言ったところでどうすることも出来ないからと、今まで決して口にせず、自分
自身からも必死で隠してきた感情だ。それがどうして今もれたのか、よく分からない。
「俺、今まで極普通に生きてきたはずなんだ、そりゃSOS団に入ってからは多少はおかしな経験はし
たけれど、それでも普通の部類に入る人間だと思ってる」
声が震える。格好悪いったらありゃしない。
「なのに・・・どうして俺が・・・最後の最後でこんな残酷な目に・・・」
「それが必然だから」
この長門の声は、あまりにも冷たく、俺の鼓膜に響いた。
「なんでだよ!?おい!!」
突然、俺は激昂した。
「長門、お前なら何とかできるんじゃないのか!?情報何とかの力で、俺を生かしてくれよ!!」
「それは不可能。許可が下りない」
「・・・っなんでだよおおおっ!!!」
俺は手元にあった湯飲みを思いっきり窓ガラスにたたきつけた。大きな窓ガラスは湯飲みで叩き割られ
てものすごい音を立ててあたりに散らばった。
「気が済むまで、そうしていい」
その長門の言葉が無性に頭に来て、俺は意味の分からない言葉を絶叫しながら身近にあるものを手当た
り次第に破壊しまくった。
「・・・っ・・・!」
しばらくして、むなしさと、暴れることに疲れたせいとで、俺はその場に崩れ落ちた。
「・・・いっそのことさ・・・このまま俺と一緒に世界を道連れにしてやろうかな・・・?そうだ、俺一人が
- こんなに苦悩して馬鹿みたいじゃないか、今までどおりに何も知らなかったように過ごして、そして
- 俺の死と同時に世界が終わるべきじゃないのか・・・?」
「選択権はあなたにある。わたしは、何もいえない」
そういうと長門は俺の前に座った。
俺が世界を道連れにして終わらせるなんて、そんなこと、出来るわけがない。確かに俺一人がこんなに
- 苦しんでるのは納得できない。でも、だからって、親や、妹や、友達や、ハルヒや、今目の前にいる長門や、
- 古泉や、朝比奈さんたちを一緒に死なせるなんて、とても俺には、出来ない。いや、それどころじゃない、
- 今地球上にいる人間全員、生き物すべて、これから未来に生まれてくるであろう今はまだ形のない命、
- 宇宙全体に広がる宇宙人たち、そいつら全員を俺のわがままで道連れにするなんて出来るわけないだろ。
- 俺は死んでもみんなには生きて欲しいと思う。きれいごととかじゃなくて、俺は本気でそう思っている。
- でも、だからこそ、俺はおかしくなりそうだ。怖くてどうすることも出来ず、だからといって思いっきり
- 悪になりきることすらも出来ない。信じられない数の生き物の命が自分の双肩にかかっていると思うと、
- その重さで足元が崩れだしそうだ。俺はとんだ半端者だ。半魚人みたいだ。
だいぶ長いこと続いた静寂。俺の荒い息遣いだけが部屋に響いては、消えていった。その静寂を、唐
突に長門が打ち破った。
「近頃のあなたは、とても辛そう」
俺は荒い息をしながら、それに答えた。
「・・・辛そう?・・・俺、が?」
俺は一瞬ぎくりとしながら、それを悟られまいと虚勢を張った。
「確かに今の俺はだいぶ参っちゃってるかもしれないが、それはついさっきからだ。別に自分の通夜を
みてからそれほど心理的な変化があったとは思えないんだが」
ウソだ。俺はここまで来て、強がりのウソをついた。これ以上長門に、宇宙人とは言え女の子に弱いと
ころは見せたくなかったのかもしれない。
「表面的にはそう。死を恐れていないようにも見て取れた。しかし」
「?」
「あなたは逃げているだけ」
「それは・・・」
思い当たる節は多々あった。俺が遺品の整理を始めたあたりから、俺の心には波が立つようになったが、
- 俺はそれを自覚しておきながらも意識しないようにしてきていたんだ。それは知っている。痛いくらいに、
- 自覚している。
「自分の荷物を整理したことで、あなたは『それ』を少しずつ自覚し始めていたが、あなたは認めよう
とせず、無意識下に押しやっていた。しかし今日、涼宮ハルヒと会話したことがトリガーとなり今まで
否定していたことすべてを一度に認識せざるを得なくなった。それはあなたが耐えられる情報量の限界
を超えていた。否定することも出来ず、あなたは死に向き合った。現実を見た。だから怖い」
「うるせえ・・・」
俺は、自分の心理状態を的確に言い当てられてなんともいえない惨めな気持ちになっていた。
「怖いのは当然。むしろ今までのあなたの方が心理学的にありえない行動をとっていた」
「知ったような口を、きくなっ!!!!」
「怖い?」
「怖くねえ!!怖くなんかねえ!!!」
「恐怖している」
「うるさい!!黙れ!!黙れ黙れ黙れ!!!」
俺はいつの間にか長門を押し倒し、首に手をかけていた。長門は顔色一つ変えずに俺を見つめている。
「こうすることであなたの苦しみが消えるなら、いい。殺して。わたしを好きにして」
「・・・っ!!」
俺はそれ以上どうすることも出来ず、長門に馬乗りになった格好でしばらくこう着状態が続いた。
- そして、長門が、言った。
「わたしは、人間に生まれたかった」
俺はその言葉に心底驚いた。
「わたしは有機生命体の死の概念についてよく理解できない、よって、あなたの悲しみもよく理解できない」
「・・・」
「・・・悔しい」
信じられない。長門が悔しいなんていう言葉を発するなんて、夢にも思わなかった事態だ。俺は呆然として、
- 長門を見下ろした。
「あなたの悲しみをともに感じることが出来ず、とても、哀しい」
いつの間にか、長門の首にかけられた俺の手は外れ、長門は上体を起こしていた。俺は長門にしがみつく。
- 俺の口から言葉が自然に、ぽろぽろとこぼれ始めた。
「・・・怖い・・・すごく怖い・・・この気分、ほ、本当は今日が初めてじゃないんだ、前々から、怖いとは思ってて、
- でも、なんとかそれを無視してて、でも、俺には時間が・・・あと、2週間しか・・・」
言葉は無尽蔵にあふれ出してくる。今までずっと溜め込んできた不安を、俺はここぞとばかりにぶちまけた。
「い、今まで考えないようにしてきたけれど、本当はハルヒだって無視したくなかった・・・残りの時間、出来ること
- なら全部笑ってすごしたかった、でも、世界がかかってるとか言われちゃ、俺、どうすりゃいいのかわからないし・・・」
長門が俺を抱きしめる。細い体に見合ったか弱い力で、それでも一生懸命に俺を抱きしめる。
「うわあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
俺は泣いた。こんなに大泣きしたのはいつ以来だろうか、堰を切ったよう涙があふれ出た。
「なあ、俺はどうすればいいんだ?」
「・・・」
長門が綺麗に直した部屋で、俺は長門に尋ねた。
「今までは、ハルヒを無視してすごしてきたけど、もう、そういうのは嫌なんだ。哀しいし、怖い」
「そう。それでいいと思う」
「でも、世界が消えるのは、お前だって困るだろ?」
「好きに生きて。あなたが辛い思いをした結果に続く世界だったら、いらない。世界が終わっても、あなた
- には最期まで笑っていて欲しい」
その晩は長門の家に泊まった。俺は長門を抱きしめたまま眠った。宇宙人製抱き枕だ。とくに何が
- あったというわけではないのが俺らしいといえば俺らしいのかもしれない。俺が悪夢で目が覚めるたびに、
- 長門が『大丈夫、わたしがここにいる』といってくれたおかげでなんとか眠れた。
朝、俺は一旦家に荷物を取りに行かなくてはならなかったので、早めに長門の家を出て自宅に向かう
ことにした。
「長門、いろいろごめんな」
「いい」
「その・・・また、寂しくなったら、来ていいか・・・?」
ここで意外な答えが返ってきた。
「ダメ」
「次からは、涼宮ハルヒの元へ行くことを推奨する」
「なんっ・・・」
俺が口ごもったのは、長門がキスしようとしたからで、俺はそれを反射的に顔を背けてよけてしまった。
- 長門は哀しそうな表情をして(少なくとも俺にはそう見えた)俺を見つめ、そして、言った。
「今ので証明された。あなたが好きなのは涼宮ハルヒであってわたしではない」
「いや、これは・・・その・・・」
いくら好きな女でもいきなりキスされそうになったらそりゃよけるだろ?
「いい、無理しないで。それに、彼女とともにいたほうがわたしといるよりも安息が得られる。それがあなたのため」
「いや、でもな・・・」
「本来ならあなたたちだけで解決するのが望ましいが、時間がないのでわたしが代弁する」
「・・・な、何を・・・」
「涼宮ハルヒはあなたに好意を持っている。そしてあなたも。ここに他者の介入する余地はない」
俺は世界がひっくり返るんじゃないかというくらいに驚いた。あのハルヒが、俺を好きだと?
「あのな・・・」
正直それは嬉しいんだがな、にわかには信じられないんだ、長門。だってそうだろ?
- あの通夜でのアイツを、俺は忘れたわけじゃないんだ。好きな男が死んで、泣かないやつがいるか?
「何か理由があるはず」
理由って・・・。
「信じて。わたしも二人には付き合って欲しいと思っている。あなたの笑顔が見れるのが、一番嬉しい」
「・・・そうか・・・」
「そう」
俺は、今まで的確なアドバイスをしてきてくれていたこの小柄な宇宙人端末を信じることにした。
- 今までさんざん当てにしておいて、今回だけ信じないなんておかしいよな。
「なんか・・・ごめんな、長門。いろいろ世話ばっかりかけて」
「いい」
「おれ、ハルヒに言ってみるよ、世界がどうなるかは分からないけれど、お前が言ったとおりに俺もし
たいと思ってたんだ、きっと、心の奥底ではな。でも、一人だと怖くて・・・思い切れなくてな・・・」
「自信を持って。一刻も早い関係修復を強く推奨する」
「ああ、そうか、まず謝るところからだな。分かった。じゃ、また学校でな」
そして、俺は長門の元を去っていった。
その後で、長門が俺の後姿を見送って、涙を流したことなど、俺には知る由も無かった。
「・・・それでもわたしは、あなたが好きだった・・・」
俺がこれからどうすればいいのか、もう分かっていた。前に古泉が『自分に突然超能力が身についたとき、
- なぜかその使い方も分かっていた』と言ったが、まさにそんな感じだ。理屈ではなく、どうすればいいのかが分かる。
俺は放課後にハルヒを呼び出した。場所は、昨日ハルヒと話した階段だ。今までずっと逃げていたが、
- 俺の死へのカウントダウンは半分を切りそうだったが、なぜか心は晴れやかで、すべてがここから始まる気がする。
「どうしたのよ、キョン?あたしだって忙しいんだからね!つまんない用だったらぶっ飛ばすわよ」
「ハルヒ、まず昨日のことなんだが・・・悪かった、謝る」
俺は単刀直入に謝罪の言葉を述べた。ハルヒは俺が謝ったということに心底驚いた様子だった。
「な、なによ、そんなこと気にしてたの・・・あたしはアレくらいぜんぜん気にしてないわよ!?
- なんてったって心の広い団長様だものね」
「そうか・・・ありがとうな」
「い、いいのよ、もう」
ここで少し沈黙をはさんだ。俺はなかなか話しが切り出せないでいた。
「話ってそれだけ?」
「いや・・・」
俺はまた口ごもった。ハルヒは黙って俺を見ている。何で顔赤いんだ?こいつ。
「なあ、ハルヒ、真剣に聞いてくれ」
「な、なによいきなり改まって!勿体つけないでさっさと言いなさいよ、どうせあんたのことだから・・・」
- 「ハルヒ!!」
俺は少しだけ声を荒げた。ハルヒは驚いてしゃべるのをやめ、俺を見つめる。
「すまん。俺の話を、真剣に、最後まで聞いてくれ」
「わ、分かったわよ・・・」
「俺はな、ハルヒ」
俺はハルヒの両肩をつかんで、
「お前のことが、ずっと好きだった。自分でもいつからかなんて分からないくらいに、ずっと前から、
お前のことが好きだったんだ」
自分で自分の顔が赤くなっているのが分かる。さっきから赤かったハルヒの顔が、人間の顔はこんな色
になるのかというくらいに真っ赤になっていく。ハルヒはコクリ、とうなずくと
「キョン・・・あ・・・あたしも・・・あんたのこと・・・好き、よ・・・」
これを聞いて、俺は心底安堵した。普通の高校生の告白だったらこれでおしまい、ハッピーエンドなはずだ。
- だが、俺の場合はそうは行かない。まだ、続きがある。できることならここで話をやめてしまいたい。
- 普通の高校生カップルとしてあと2週間過ごすのもいいんじゃないか?俺だって一高校生なんだから、
- それくらい許されるんじゃないのか?
俺は、そんな頭の中の甘ったれた考えを必死で振り払った。友達や家族の顔が頭の中に浮かんでは、消える。
- 俺の大好きな人たちを生かすために、俺の知らない、俺を知らない数多の命のために、俺は声にならない
- 声を絞り出して、続けた。
「ありがとう・・・でも、な・・・」
がんばれ、俺。
「続きがあるんだ」
きょとんとするハルヒに向かって、俺は、ゆっくりと言葉をつむいだ。
「俺は・・・あと2週間で・・・死ぬ」
俺の必死で搾り出した告白を、ハルヒは一笑に付しやがった。まあ、当然のリアクションと言える。
「はぁ?あんたバカでしょ?なに浸ってんの!?昨日変な映画でも観たんでしょ?セカチューとか冬ソナとか。
- あんたのやりそうなことだわ、あのね、やるんだったらもっとネタ仕込んで・・・」
俺は何も言わずにハルヒの目を見つめ続けていた。真剣に、ずっと。ハルヒはしばらくあきれたように
笑っていたが、あまりに長い間俺が真剣なまなざしで見つめていたせいか、徐徐に表情から余裕が消えていった。
「・・・ウソでしょ・・・?ねえ、今なら許してあげるわ、本当のこと言いなさいよ・・・」
「ああ。俺は、2週間後に、死ぬ」
「・・・ウソ・・・」
「俺だってウソだったらどれだけいいかと思ってる。でも、本当だ」
そこから俺は、前もって考えておいたウソを並べ始めた。
俺は世界でもほんの数例しかない超レアな病気にかかってしまった。それが分かったのは1ヶ月前で、
- 今まで俺はそれを一人で抱えてたが、ようやく人に打ち明ける気になった。のこり時間はあと2週間で、
- 2週間後、俺はぽっくり逝っちまう。ただ、それまでは普通の人と同じように過ごせて、ある時間
になるといきなり死んじまう世にも奇妙な病気だ、という、まぁ俺にしては良く考えたウソだ。
- ・・・よく出来てるよな?
「だから、ハルヒ。残りの時間は、お前と一緒にいたいんだ」
パアン!!
突然、ハルヒが俺の頬をひっぱたいた。いってえ・・・。
「・・・んで・・・なんでそんなこと言うのよ!!そんな話聞いてあたしがなんとも思わないとでも思った!?
- せっかく、せっかくキョンと付き合えて、これから楽しいこといっぱいあるのかとか思ったのに、
- こんなのって・・・ひどい・・・」
目に涙をいっぱいにためたハルヒは怒っていた。それはそれは哀しそうに、辛そうに、怒っていた。
「だったら告白なんてしないで欲しかった!!あんたの気持ちをしらないで、あんたが勝手に死んだ方が、
- よっぽど傷つかなかったわ!!バカ、バカキョン!!」
ハルヒはそういうともう一発俺をはたいて、走り去っていってしまった。
「・・・辛い・・・」
はたかれたことなんてどうでもいい、ただ、『あんたが勝手に死んだ方が、よっぽど傷つかなかった』
なんて、それがすごいクリティカルヒットだ。やっぱり俺は、余計なことをしてしまったのだろうか。
前みたいに少しずつハルヒから遠ざかっていた方が良かったんだろうか。
そのとき、俺の携帯に着信が入った。古泉だ。
「・・・はい」
「どうも。ちょっと困ったことになりましてね、ええ、閉鎖空間なんですがね、ちょっと規模も数も僕
らだけでは対処しかねていまして・・・またあなたと涼宮さんがらみのものだと推察しますが?」
何をのんきな、少しは俺の気持ちも・・・ああ、そうだった、コイツにはまだ話していなかったな。俺のことを。
- あれ?そういえば昨日は閉鎖空間は出現しなかったのだろうか。それとも俺に報告することのないほどの
- 規模だったのかもしれない。
「出来れば涼宮さんと仲直りしていただけませんかねえ・・・っと、僕は次の神人を刈らねばなりませ
んので、失礼します。くれぐれも、頼みましたよ」
そういうと、一方的に電話は切れた。
どうすればいいんだ?一度は覚悟したはずなのに、たったこれだけのことで戸惑ってしまうなんて、
俺は、なんてもろい・・・。
そのとき、俺は背後に人の気配を感じた。俺はふりかえり、その人物を確認する。
「来ちゃった」
朝比奈さん(大)はペロッと舌を出してそう言った。
「大丈夫?」
「・・・わからないんです・・・」
俺は正直にそう言った。そして、今起こったことを朝比奈さんにすべて話した。
「俺、どうすればいいんだか・・・」
「・・・ごめんなさいね、キョンくん」
そういうと朝比奈さんは、俺の頬をひっぱたいた。本日3回目だ。
「今のキョンくんは、あたしが見た中で一番かっこ悪いわ」
「・・・」
「どうするか、決めたんじゃなかったの?決めたんでしょ?」
俺は黙ってうなずくしかなかった。
「なのに、こんな中途半端なままでいいの!?勝手に死んだ方がいいなんて、あの涼宮さんが本気で言
うとでも思ってるの?」
正直あいつなら言いかねないな、と思ったが、今そんなことを言ったら4度目のビンタをもらってしまう。
「このままあと2週間すぎても、何も変わらないわ。確かにキョンくんが涼宮さんから徐々に離れてい
けば世界は滅びなかったかもしれないわね。でも、あなたは違う方法を選んだの、もうやり直せないのよ?
- だったら、今出来るうちで最善を尽くすしかないでしょう?」
朝比奈さんはにっこりと笑って、続けた。
「たたいちゃってごめんなさいね、でもね、涼宮さんをもっと信じて・・・それから・・・未来人のあたしが
- こんなこと言ってもいいのか分からないけれどね」
コホン、と咳払いした。
「あたしのいる未来が、あなたが苦しみながら守った未来なのだとしたら、あたしはそんな未来要らないわ」
これと似たような言葉を、俺は何時間か前に聞いた気がする。
「だから、涼宮さんにすべてを打ち明けたあなたを、あたしは支持するわ。この時代にいるあたしも、
長門さんも、古泉君も、きっとそういうと思うわ」
胸がぎゅっと締め付けられたような気がした。嬉しくて、本当に嬉しくて、そして俺はまた泣いた。
泣き止むころにはすっかり夕日が沈み、下校時刻もとっくにすぎていた。
「本当に大丈夫?」
朝比奈さんが心配そうに俺に尋ねた。
「はい」
大丈夫だ、もう、大丈夫。俺は一人じゃない。
「今更って思うかもしれないけれど、涼宮さんに『さっきのは全部ウソなんだ』って言って、幸せに、
普通の高校生カップルとして最後の2週間を送ったっていいのよ?」
「それ、本当に今更ですね」
俺がそういうと、朝比奈さんはくすっと笑い、ほんとね、とつぶやいた。
「涼宮さんなら、まだ部室にいるはずよ。あたしに出来るのはここまでね・・・頑張って・・・」
そう言って朝比奈さんは俺に背を向けた。
「朝比奈さん!!」
俺は思わず叫んだ。
「・・・その・・・俺、きっとあなたが生きれるように、頑張ってみます。だから・・・」
安心して未来で待っててくださいね。
ハルヒはいすに腰掛け、窓枠に頬杖ついて外を見ていた。俺が部屋に入ったことにも気がついていた
はずだが、まったく反応しなかった。
「もう、夜だな」
無反応。
「帰ろうぜ・・・」
無視。
「遅くなるぞ・・・?」
反応は、なし。蝋人形とかいうおちじゃないよな?俺は無視を決め込むハルヒを無視して話し出した。
無視を無視するってのも、新しいな。
「俺・・・夜が怖いんだ・・・」
今度は少し動いた気がした。
「一人でいるのが、すごく怖い・・・お前に見栄張ってもしょうがないから言うけど、最近もう、ろくに寝れていないんだ」
特に昨日はひどかったぞ、お前のせいでな。いや、お前のせいにするのはお門違いか。
「夜が怖いんだ。一人になるのが、静かなのが、真っ暗なのが。死んだらこんな感じなのかって思ったら
- ・・・それこそ死にそうだ・・・」
いつの間にかハルヒは俺の方を向いて俺の話を聞いていた。
「だから、誰かに聞いて欲しかったけれど、それを口にするのも怖くて・・・でも、今日やっとの思い
でお前に言えたんだ、夜一人のとき、一番に聞きたいのがお前の声だと思ったし・・・後悔して死ぬの
は嫌だったんだ・・・俺、勝手で、ごめんな」
「・・・な・・・い・・・」
ハルヒが何かつぶやいた。
「ご・・・さい・・・ごめんなさい・・・」
涙がこぼれる臨界点まで、ハルヒは目に涙をためていた。
「勝手に死んだ方がよかったなんて・・・本当に、ごめんなさい・・・あたし、キョンがそんなに苦しい思い
- してるなんて思わなくて・・・キョンのこと何にも考えてあげられなくて・・・ただ、自分のことばっかり・・・」
そういうと、今までぎりぎりでこぼれずにいた涙を泣きながらハルヒは俺に歩み寄ってきた。
「あたしにはキョンの気持ち分からないの・・・ごめんね・・・でも、今のキョンの話聞いただけで
- ・・・あたしまで、怖いわ・・・。そうよね・・・怖い、よね・・・誰かに頼りたいよね・・・」
ハルヒは泣きながら俺にしがみついてくる。
「キョン・・・あたしでいいの・・・?」
「ああ・・・俺は、お前に、いて欲しいんだ・・・お前と一緒だと、どんな恐怖でもあっちから逃げていっちまいそうだしな」
「・・・バカキョン・・・」
「お前こそ、いいのか・・・?俺、これからどんどん取り乱したりとか、お前に八つ当たりしたりとか、
- そういうの、すごくあると思うんだ・・・」
「あんたって、ほんとバカね」
ハルヒは俺の鼻にでこピン食らわして、そういった。
「それであんたの気が収まるんなら・・・あたしはかまわないわよ。あたしを好きにしなさい!」
そういうとハルヒは俺に抱きついた。そして、ふいに俺に顔を近づけてきた。俺は、逃げずに受け止めた。
- ハルヒと、何度もキスをし、何度もお互いの名を呼び、何度の愛の言葉をささやいた。
どれくらいそうしていただろうか。俺たちは、どちらが言い出したわけでもなく、手をつないで下校した。
- 部室を出てからハルヒは一度も俺から手を離さず、俺の家まで送ってきてくれた。
「いい?夜中に不安になったら、夜の2時だろうが3時だろうがバンバン電話してきなさい、このあたし
が何時間でも話し相手になってあげるわ!!」
ハルヒはいつもの威勢のいい表情でそういうと、急にしおらしい顔になって俺に寄りかかってきた。
「キョン・・・・・・頑張って、じゃなくて・・・無理しないで、っていうか・・・その・・・」
言葉が見つからないんだろう。俺だってこういうときなんていえばいいのかわからない。
- なんて言われたいんだろう?俺は。
次の瞬間、ハルヒの口から出た言葉は、俺にとってとてもすばらしい言葉だった。
- そうだ、俺は、こういうことを言って欲しかったのかもしれない。
「甘えなさい、あたしに」
その日の夜、古泉と朝比奈さんに出てきてもらって、いつもの喫茶店で長門と一緒に俺のことを全部
話しておいた。俺があと2週間で死ぬことはもちろん、ハルヒには病気だとウソをついたことも含めて。
- そこを話しておかないとあとあとややこしいことになるからな。もっとも、俺が俺自身の通夜を見に
行ったことや、この件に朝比奈さん(大)がかかわっていたことなどは秘密にしておいた。別にしゃべる
- 必要があったとも思えないし、しゃべらなくても二人とも信じてくれたしな。
二人とも、俺が思っていた以上にあっさりと信じてくれた。もともと未来人と超能力者という、むしろ
- こっちが信じられないようなキャラ設定の二人なだけに、信じられない話には慣れているようだ。
「そうですか・・・それは・・・お気の毒としか、言いようがありませんね・・・」
そう言ったのは古泉だ。さすがにいつものにやけ面はなく、いつになく真剣な面持ちで俺の話に耳を傾
けていた。この状況でにやけ続けていたら、それはそれで尊敬に値する。
「僕に出来ることであれば、何でもおっしゃってください。世界のためなら『機関』も援助は惜しみません。
- あなたが求めるようなたいていのことであれば、『機関』の力で実現できるはずですから。もちろん、
- 僕は機関云々抜きに、一個人としてあなたをサポートするつもりです」
朝比奈さん(小)は、冷静な古泉とは対照的にひたすらに涙を流し続けていた。
「そ・・・そんなっ・・・うぐっ・・・き、キョンくんがあぁ・・・ぐすっ・・・」
俺のために泣いてくれるのは嬉しいんですがね、朝比奈さん、まだ死んでませんよ?
- いまからそれじゃあ葬儀のときが思いやられます。
「とにかく今一番考えるべきことは、あなたが残りの時間をどうすごすかということです」
「ああ、そうだな・・・」
そう、考えるべきは、そこなんだよな。
「おそらく明日あたりに涼宮さんからあなたのことについてわれわれにも告知があるでしょうから、僕
と長門さん、朝比奈さんはそのとき初めて知った、ということにしておきましょう。涼宮さんのことです、
- あなたが勝手に話したと知ればへそを曲げかねません」
「ああ。そうしよう。それから俺が死んだ後のことなんだが・・・」
「それはあなたが心配することではない」
長門が口を挟んだ。
「事後処理はわたしたちが責任を持って行う。あなたの両親と涼宮ハルヒ、その他友人たちとの間に話
の食い違いが発生しないよう的確な処置を施す」
そうか、大丈夫なのか?それ。
「大丈夫、上手くやる」
「なんか・・・悪いな、俺が死んだ後まで迷惑かけるなんて・・・」
「何を言っているんですか?普通死後のことには関与できないんですからここは遠慮なく僕たちに任せるべきですよ」
「ぐすっ・・・そ、そぉですよぉ~、キョンくんが・・・まも、守った世界を、あたしたちも守りますからぁ、ね?」
「死人に口無し」
長門、それは・・・。
帰り際に、古泉が俺に話しかけてきた。
「今日は助かりましたよ、あ、閉鎖空間の話です。まさかあんなにさっぱりと収まるとは思いませんでしたよ。
- 今のところ再発の兆候はなさそうですが・・・」
少し困ったような顔で古泉は言った。
「正直、あなたがそのようなことになってしまったとなると、薄氷の上を歩いているような状態ですね、
- その・・・2週間後が迫れば、それだけ涼宮さんの精神も不安定になるでしょう」
「・・・なあ古泉、頼みがあるんだが」
「珍しいですね、あなたから僕に頼みがあるなんて」
「二つほど、聞いてくれるか?」
「あなたの頼みとあれば、無理にでも」
古泉は、いつもの笑顔で、そう言った。
その日一番困ったのは、実は夜中に1時間おきにかかってくるハルヒからの電話だ。だがおかげで、
俺は何とか眠ることが出来た。困りはしたが迷惑ではなく、むしろ嬉しすぎて寝付けなかったくらいだ。
次の日、SOS団緊急集会が行われた。実際は全員がすでに知っていたわけなんだが、ハルヒはそれを
- 知らないのでみんなが上手くあわせてくれた。実際古泉は見事な演技をしてみせたし、朝比奈さんはまるで
- 初めて聞いたみたいにして泣きじゃくっている。これは演技ではないのだろう、いや、せひともそう思いたいね。
- 自分のために美人が泣いてくれるのは、不謹慎かもしれないが悪い気はしない。事態を一番良く知っている
- 長門は、いつもの無表情。ただ、少しだけ哀しそうな顔をしてくれたような気がしなくもない。
「ほら、みくるちゃん、泣かないの!まだあと2週間もあるじゃないの!!カゲロウなんて2,3日で死んじゃうのよ?
- それと比べれば長い長い!!天と地の差よ」
ハルヒはそう勢いよく言ってのけた。あえて死ぬことをぼかさず、ストレートに向き合ってくれていることが、
- 俺は嬉しかった。
「とはいえそれほど長い期間ってわけでもないわね。そこで、SOS団団員には明日から全員夏休みに
入ってもらうわ!!」
なんだ?夏休みって・・・?夏休みが始まるのはあと2日後だぞ?
「キョン、セミは地上にいる2週間、ひたすら鳴き続けて子孫を残すの、無駄なことはしていられないわ!!
- いい?明日からここにいる全員、夏休みよ!!そして、遊んで遊んで遊びまくってひと夏の思い出を作るのよ!!」
完全に破綻してやがる・・・。俺は、自分のためにやってくれていることだとは分かっていながらも、
それでもハルヒの奇行に頭を痛めていた。
「早めの夏休みですか、それは面白いですね」
団員一のイエスマン、古泉が言った。
「ちょうど僕も早めの思い出が作りたいと思っていたところでして、ちょうどいい機会ですよ」
どういう思い出だ?早めの思い出ってのは?え?分かりやすく30文字以内に収めて説明してみろ。
「ほかのお二方はいかがです?」
「・・・いい」
そう言ったのは長門だ。
「ちょうど2ヶ月遅れの五月病にかかっていたところ。学校には辟易していた」
おい長門、2ヶ月遅れの五月病ってなんだ?ハルヒのギャグがうつったか?あと2日くらい耐えろよ。
「あ、あたしもぉ、今、クラスが受験ムードでピリピリして居辛いな~なんて思ってて~ぇ・・・」
朝比奈さん、まだ7月ですよ。もうピリピリしてたら神経持ちませんって。
「じゃあ、全員参加でけって~い!!さーて、次はスケジュールだけれども・・・」
「ま、まってくれよ!」
思わず俺は意見した。
「みんな俺のことを思ってくれるのは嬉しい。でも、俺にとって学校はあと2日しかないんだ。みんな
の気持ちは本当に嬉しいんだが、あと2日、俺に高校生をさせてくれないか?」
俺の提案に、部室は沈黙した。
「そ、そぉですね・・・たしかに、キョンくんの気持ちが一番大事ですよねぇ~・・・」
「たしかに、あなたの気持ちを一番尊重するべきでした。そこまで考えがいたらず、すみませんでした」
「あなたに従う」
「ちょっ、みんな、団長に断り無しでの判断は許せないわ!!でも・・・でも、それもそうね・・・キョンがそんなに
- 勉強熱心だったとは知らなかったけれど、まあいいわ。あなたの時間なんだから、好きに使いなさい!」
「・・・ごめんな・・・ありがとう」
「べ、別にいいわ、困るのはあんたよ、2日分、楽しい思い出が出来ないんだからその分後悔したって
知らないわよ!!それにしても、平凡な奴だと思ってたけど、遊びより勉強を取るなんてあんた意外と
変人だったのねー」
いや、俺はいたって平凡だ。むしろ平凡であることを誇りに思っているくらいだ。まるで、変人と呼ば
れることが何かの称号であるかのように言わないでくれ。
「それはそうと、計画を立てなきゃね、何か意見のある人は!?」
古泉がさっと手を挙げた。こういうときには便利な奴である。
「ちょうど僕の知人がUSJとTDLとTDSのチケットをそれぞれ5枚ほど余らせていましてね」
どういう知り合いだそれは!!さすがに設定に無茶があるぞ!!
「なんてすばらしいタイミングなの!!これは泊りがけで行くしかないわね!早速宿を取らなくちゃ」
「それなら僕が手配しましょう。ホテル関係は父の仕事上コネがありますし」
お前の親父の仕事はホテル関係だったのか、それは初耳だ。
「じゃあそれを予定に組み込みましょう。ほかに行きたい所はある!?」
「・・・これ・・・」
長門が何かのチケットを5枚差し出した。それはなんと、超有名アーティストのライブチケットだった。
- チケット販売5分で売り切れたというプレミアものだ。宇宙人の情報操作ってのは、こういうのでも有効なのか。
- もっと早く知っておけばよかったな。
「拾った」
待て長門!!そのウソはまずい!!いくらなんでもそれはおかしいぞ、お前は無口キャラに天然ボケキャラ
- を追加するつもりなのか?
「有希、あんたいい運してるわね~。落とした人には悪いけど、落とす奴が悪いのよ!それも追加
- しときましょ!!」
ハルヒは本気で長門の運のよさに驚いているようだ。信じられん・・・。
「あの~・・・あたしぃ・・・」
朝比奈さんがおずおずと手を上げた。
「ログハウスみたいなところに泊まってみたいんですけどぉ~・・・」
「そうでした!去年の夏、冬とお世話になった裕さんが、ついこの前ログハウスを建てたそうなんですよ。
- われわれのことをかなり気に入ってくれているようでして、そのログハウスをただでSOS団に貸して
- あげたいと言われていたのをすっかり忘れていました」
古泉よ、もう、俺は突っ込まんぞ。
そうこうしている間に2週間の予定はあっという間に埋まっていく。
- それを見た俺は、いつの間にか涙を流していた。
「き・・・キョンく~ん・・・?」
「おや、どうかされましたか?」
「・・・」
「ちょっと・・・キョン、何泣いてんのよ、バッカね~!!次に泣いたら罰金だからね!!」
その日は予定を立てて終了し、明日明後日と高校生をしたあと、俺たちは怒涛の夏休みへと突入する
ことになった。
高校生活最後の日、俺は今まで世話になった人たちに挨拶して行こうと決めていた。
「やあキョンくんっ!!どうしたんだいっ!?」
最初に行ったのは鶴屋さんのところだ。何かとこの人には世話になったからな、通夜にも来てくれてい
たし、挨拶しておくべきだろう。
「あの・・・鶴屋さん、今までお世話になりました」
「おやおや?何があったんだい?様子がおかしいにょろ?」
「いや、えーっと、これから1ヶ月会えないんで、挨拶にと思って・・・」
「あっはっはっはっは、なーんだそんなことかいっ!たったそれだけで挨拶しに来るなんて、キョンくん律儀だねっ!!」
「はあ・・・」
「いつでも遊びにおいで~、って言いたいんだけど、あたしも3年でこの夏はいろいろ忙しいんさ、ごーめんねーっ!!」
そういうと鶴屋さんは手を合わせて謝った。
「んじゃ、また9月にねっ!夏休み、めがっさ楽しむにょろよっ!!」
「さようなら、鶴屋さん」
「ん、じゃあまたねっ!!」
さようならに込められた本当の意味を知らない鶴屋さんは、明るく挨拶して走り去っていった。
- ごめんなさい鶴屋さん、9月の前に、あなたに会うことになります。
次に俺は教室にいるあいつらに挨拶した。
「おい、谷口、国木田」
「あ~?どうした、キョン」
「・・・元気でな」
そういう俺を、谷口は怪訝な顔で見つめている。
「なんだ?キョン、ただの夏休みだろ、今生の別れみたいに言うなよ」
いや、今生の別れなんだがな。
「国木田も、元気でな」
「キョン、なんだかおかしいんじゃない?いきなり何言ってるの?」
「いや・・・夏休み長いし、お前らバカな真似して怪我とかしないように、一応な」
その言葉に、谷口が答えた。
「俺たちよりも自分を心配しろよ、キョン。チュパカブラ探しに出かけて帰らぬ人に、なんてならないようにな」
「インプラントされないようにね、キョン」
ああ、気をつけるよ、今までありがとうな、谷口、国木田。楽しかったぜ。
「じゃあな」
俺はそういうと、教室を後にした。9月から、あの席は空席だ。
その日、部室で明日からの段取りを決めた俺たちは、7月の長い日が傾くまでいつもどおりに部室で
時間を過ごし、家路に着いた。
とりあえず明日は海を見に行き、そこでバーベキューと花火という予定だ。
帰り道の途中で、俺は古泉に呼び止められた。
「この前あなたに頼まれた件ですがね、ちょうど手ごろな位置に確保できました。今日からでも使えますよ」
「ありがとう、古泉」
- このとき、俺は古泉に素直に感謝した。今なら俺のけつの穴使っていいぞ。
「良いんですか?」
本気にするな。何だその顔の輝きは、テカテカしてんじゃねえよ。
「おい、ハルヒ」
俺は古泉のその報告を聞いて、ハルヒを呼び止めた。
「なによ、キョン?」
「実はな・・・その・・・」
「じれったいわねー、ちゃっちゃといいなさいよ」
「・・・昨日お前、甘えてもいいって言ったよな・・・?」
突然ハルヒは顔を赤らめて俺をにらんだ。なんだよ、今更『言ってない』とかは無しだぞ。
「い、言ったわよ!それがどうかした!?」
「・・・2週間、俺と一緒に暮らして欲しい」
「なっ・・・なに!?」
そりゃ驚くよな。
「いやー実は知り合いでマンションを一部屋遊ばせている人がいましてね、2週間ほどだったら
- 使わせてもいいとのことで」
古泉、お前はしゃしゃり出るな。
ハルヒは少し考えた後で、
「でもキョン・・・家族と一緒にいなくていいの・・・?」
と言った。そりゃそうだ、至極当然の疑問だろう。
- 俺にはもう2週間しか時間がなくて、それのほとんど全部を自分が独占してしまうことにハルヒは抵抗を覚えたようだ。
「いや、いいんだ。今まで10年以上家族とは一緒にいたんだし・・・なんていうか、夜にそばにいて欲
しいのは家族じゃなくてハルヒだからな・・・その・・・夜怖くてもお袋や妹には抱きつけねえだろ?
俺そういう趣味ねえし・・・」
俺がそこまで言って後の方をごにょごにょとごまかしていると、ハルヒはくすっと笑った。
「あんたバカじゃないの?まったくしょうがないわね!!甘えてもいいって言ったとたんにこれなんだから!
- キョンがそこまで言うんだったら仕方ないわ、じゃあこれから、あたしたちは2週間の合宿に入るわよ!」
- 俺とハルヒはいったん家に帰り、家族にこれから2週間の合宿に出かけると言って、必要な道具をかばんに
- つめると家から飛び出した。早めに部屋の整理をしておいてよかった。この家には、もう一度来るつもりだ。
ハルヒと古泉とはいつものパトロールの集合場所で待ち合わせた。古泉は、マンションへの案内役に
必要だったからな。俺がついたときにはすでにハルヒは到着していて、俺たちは古泉待ちとなった。
- アイツが遅刻とは珍しいな。ハルヒはいつものように眉を吊り上げて
「おそい!罰金!!」
と怒鳴りつけた。おい、俺は最後じゃねえぞ。
古泉を待っている間、俺はあるものを発見した。今まさに羽化しようとしている、セミの幼虫だった。
「ハルヒ、これ」
「あら、セミじゃない」
俺たちはしばらくセミが大人になる瞬間を観察していた。背中がぱっくり割れ、中からエメラルドグリーン
- の羽をした成虫がゆっくりゆっくり出てくる。
「セミって、地上に出てから2週間しか生きられないんだよな」
「・・・うん」
「ようセミ、俺たち、残り寿命一緒だな」
「何セミに話しかけてんのよ・・・バカね」
俺は、心の中で同士にエールを送ってやった。『お互い、頑張ろうな』。
程なくして古泉が現れた。俺たちは古泉が捕まえたタクシーに乗ってしばらく走った。
- ついた先は学校からそれほど遠くもなく、また近すぎもしない位置にある結構立派なマンションだった。
- 長門の住んでいるところと比べてもそん色ないくらいだ。
「すごい・・・いいの?古泉君、こんなところ借りちゃって・・・」
部屋に入ったハルヒは、辺りを見回して驚きの声を上げた。もちろん俺だって驚いたさ。俺が古泉に出
した注文は「二人で2週間ほど暮らせるところ」だけだったんだから、それがこんな高級マンションに
なけるとは思わなかったぜ。てっきり安アパートだとばかり思っていたからな。
「良いんですよ、どうせ使ってない部屋なんですし。部屋だって使ってもらったほうが喜びます。家具家電も
- 一通り入ってますから好きに使ってください」
そういうと、古泉はさっさと姿をくらました。邪魔者は消えましょう、ってか?
俺とハルヒはとりあえず荷物を適当な場所に置き、何をするでもなくなんとなく向かい合った。
き、気まずい・・・。まるで新婚夫婦の初めての夜みたいだ。
- いや、実際これからそうなるんだろうが、だがちょっと待て、まだ、その・・・準備が・・・。
「キョン!!」
ハルヒが声を張り上げた。
「ご飯作るわよ!!何が食べたいの!?」
「そうだな・・・ハンバーグかな」
「ハンバーグね、このハルヒ様にまっかせなさい!!」
ハルヒ特製ハンバーグを平らげ、だらだらとテレビを見てすごしていたらいつの間にか時間は12時を回っていた。
「明日って何時集合だっけ?」
「9時よ、今回はあたしが一緒だから遅刻はないと思って安心していいわ!ありがたいと思いなさい」
毎回ほかの3人はお前より早く来てるんだろ?だったらお前と一緒に行こうがなんだろうが遅刻に変わ
りはないと思うがな。
「明日に備えて早く寝たほうがいいわね」
ハルヒは自分でそう言っておいて勝手に赤くなってやがる。すごくかわいい。
「じゃあ、風呂入れよ」
「あ、あんた先に入っていいわよ」
「なんで俺なんだよ」
「いっ、いいから!!団長命令よ!!さっさと入りなさい!!」
俺は風呂から上がってさっさと歯を磨き終わり、ベッドに腰掛けていた。ちなみにこのベッドは、ダブルベッドだ。
- 古泉のやつめ・・・。そのとき、風呂場からピンクのパジャマを着たハルヒが出てきた。
「何じろじろ見てんのよ!!変態!!」
「見てない」
というのは完全にウソで、正直、見とれていた。こいつはどんな格好をしても反則的なまでに似合って
しまう女なのだ。このパジャマ姿も、かなりかわいい。
「まったく・・・さっさと寝るわよ!」
そういうとハルヒはひとりでもそもそとベッドの中にもぐりこんでしまった。まったくはこっちのセリフだ、
- と思いながら俺は部屋の電気を消し、ハルヒの隣に収まった。
「いびきかかないでよね」
そっちこそ。
「あんまり寝相悪かったら起こすからね!」
俺もそうさせてもらうからな。
「それから・・・夜中・・・怖くなったらいつでも起こしなさいよ・・・」
「ありがとう」
そういうと俺は、ハルヒを抱きしめて長いキスをした。互いに好き合っている年頃の男と女が夜に
- ひとつのベッドで寝ていたらどうなるか、こんなのどんなバカだって分かるだろう。
その晩俺とハルヒはひとつになった。お互いに初めて同士でなんともつたない行為だったが、それでも
- 愛情を確認しあうには十分すぎたと俺は思っている。
ちなみに、ハルヒが『今日は安全日だから』といってゴムの使用を拒否した。
- 女の方がゴムを拒否するっていうのは、あんまり聞かないな。今更ながら、変な女だ。
その晩は、俺は今までの人生の中でもっとも良く眠れたのではないかというくらいに、ぐっすりと寝れた。
- 俺の腕の中ですやすやと寝息を立てているハルヒのおかげだろう。
次の日から、怒涛の夏休みが始まった。
初日は海へ行きバーベキューと花火。次の日はUSJへ行き、その次の日はTDLとTDSを2泊3日で
- 思いっきり満喫した。帰ってきてからもログハウスでのキャンプやライブ、山登り、祭り、花火大会
天体観測と、次々に行事を消化していく。
楽しい時間というのはあっという間にすぎていくもので、あれこれあった2週間ももう過ぎようとしていた。
- 朝比奈さん(大)から死の宣告を受け、俺の頭上にファイナルファンタジーよろしく『30』というカウントが
- 現れてから、いろいろありながらも早くも27減っている。残りは、3。あと数時間で2になる。
「ふぅ、楽しかったわあ!キョン、明日と明後日はあんたのために開けてあるんだけど、何かリクエストはある?
- どこかに行きたいとか、何かが食べたいとか」
8月6日、この日、地元の町で映画やゲーセン、カラオケ、ボウリングなど、考えられる限りの遊びを
やりつくした俺たちが帰りに5人で寄った喫茶店で、ハルヒが少し興奮気味に聞いてきた。
俺は少し考えて、最後にみんなで行くところといったら一箇所しかないその場所を口にした。
「そうだな・・・部室に行きたいな」
その日、俺はハルヒが寝静まった後で、こいつを起こさないようにそっと抜け出して、机に向かった。
親と妹に宛てた、手紙を書くために。
- 親父・お袋へ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
突然こんな手紙を見て、不思議に思うかもしれないよな。でも、細かいところは気にしないで読んで欲しい。
ここまで育ててくれたってのに、先に死んじまってごめん。いままでずっと金かけて、それ以上に愛
情かけて育ててきてくれたってのに、なにも恩返しできないうちに死んじまって、本当にごめんなさい。
本当だったら、俺がそのうちガンガン稼ぐようになったら親父とお袋には良い暮らしをさせてやろう
と思っていたんだ。でも、どうやらそれは叶いそうにない。ごめんな。与えてもらうだけ与えてもらって、
- そして親父たちより先に逝くなんて、親不孝もいいところだよな、なじってくれてかまわない。
そうそう、俺の部屋のもので、見られたくないものは別にないから、じゃんじゃんあさってさっさと
遺品整理してくれ。出来る限り自分で整理したからそれほど手間はかけさせないと思う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここで俺は言葉につまったので、親への手紙は置いておいて妹の手紙に取り掛かることにした。
- 妹へ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
俺のことをキョンって呼ぶのは結局やめてくれなかったな。まったくお前はやたらと人懐っこくてしょうがない奴だ。
いいか、勝手に人の部屋に入ったり、物食べながらしゃべったり、ピーマン残したりしちゃいけないぞ。
- もっと行儀良くなるって、最後に俺と約束してくれ。
それから、俺の遺品は出来るだけお前に優先して選ばせてやりたいと思っている。だから、俺の部屋
から欲しいものがあったら何でも好きなものを持っていっていいぞ。
ああそうそう、シャミセンをかわいがってやれよ。あんまりいじりすぎるな。それから・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここまで書いて、俺はペンが進まなくなった。こんなことをしていて、まるで、自分の部屋の整理をしていた
- ときみたいに、どうしようもない孤独感にさいなまれ、俺はまた泣いた。寝ているハルヒを起こさないよう、
- 出来るだけ声を抑えて、でも、抑え切れなかった声が、嗚咽となって漏れていく。哀しい。怖い。
- やっぱり俺は、死にたくなんかない。
どうしようもないほどの孤独の重圧に俺が押しつぶされそうになったそのとき、俺の手になにか暖か
なものが触れた。ハルヒの手だった。無言で俺の手に自分の手を重ねてきてくれる。そして力強く握り
締め、俺の隣に腰掛けた。しばしの沈黙。
「・・・手紙、書いてた」
俺はそう、つぶやいた。
「・・・うん・・・」
「でも・・・途中で怖くなって、むなしくて・・・か、書けなくなった・・・」
「・・・うん・・・」
「つ、続きを書くのが辛いんだ、おかしいかな、俺?もう覚悟決めたはずだったのに・・・なのに・・・惨めだよな、
- この期に及んでまだビビってるなんて・・・」
俺の肩に頭を乗せて、涙声でハルヒはつぶやいた。
「怖いことなんてないわ、あたしがここにいるもの」
ハルヒが頭を乗せた俺の肩の辺りがじんわりと暖かくなってくる。ハルヒは俺を後ろから抱きしめ、背中に
- 顔をうずめた。
「・・・キョン・・・頑張って・・・頑張って・・・頑張って・・・」
ハルヒがしゃべるたびに、声が振動となって俺の体に伝わってくる。俺は再びペンを取って、続きを書き始めた。
今日8月7日は俺の希望でSOS団通常活動だ。俺にとっては最後の活動。いつもどおりに宇宙人製
なんとかかんとかインターフェースが本を読んでいて、未来からやってきた俺の癒しのエンジェルがお
茶を入れてくれて、ことあるごとに俺にアプローチかけてくるウホが毎度勝ち目の無いゲームを挑んで
きて、そして進化の可能性を秘めていて時間の歪みの原因で神であるという笑うしかないステータスを
もった俺の恋人が笑顔で災難を振りまいている、そんな平穏を最後に感じたかった。
俺が死んで、幽霊になったとしたら部室に化けて出てやるか。そうすればハルヒも少しは喜ぶだろう。
「バカいってないでさっさと成仏するのよ」
前日の夜、ベッドの中で俺と抱き合った状態で、ハルヒは言った。なんだよ、俺の心遣いを無駄にする気か?
- 今まで何一つ収穫のなかったSOS団に、ちょっとは意義を与えてやろうじゃないか。
「あんたはさっさとあっちの世界行ってあたしたちを待ってりゃいいのよ。そりゃーあたしは相当長生
きするつもりだからあんたはかなりの時間一人で退屈に過ごすんでしょうけれど」
そうか。まあ俺はお前と違って退屈はそれほど苦にならないけれどな。
「・・・でも、いつか・・・絶対行くんだから・・・待ってなさい、よ・・・」
「待ってるよ、100年でも、200年でもな」
ハルヒは、そこまでは待たせないと思うわ、と、くすっと笑って、キスをした。
次の日ハルヒと学校に行くと、そこにはすでに長門がいて、いつもどおりに本を読んでいた。
「よ、長門」
「わたしは今、あなたと会話したいと思っている」
そう言うと長門は、小鳥がさえずるように口を細かく動かした。
「な、長門!?」
部室はあっという間に広大な砂漠に早代わりした。そこに立っているのは俺と長門の2人だけ。
- ハルヒの姿はなかった。
「ど、どういうつもりだ、長門!」
「心配しないで」
最後の最後でカマドウマ退治は勘弁してくれよ?
「あなたと2人きりで話す機会が欲しかっただけ」
長門はしばらく黙った。耳が痛くなるような静寂。
「明日」
唐突に長門が口を開いた。ああ、明日だな。それにしてもこいつらは、俺が明日死ぬってことを気持ち
がいいくらいに包み隠さずにはっきりと言ってくれる。俺としてもそっちの方がありがたいわけだが。
「怖くない?」
長門は手短に尋ねてきた。そりゃあ怖くないといえばウソになるだろうけれども、大丈夫だ。
「そう」
あのな、俺が今こうして平静を保っていられるのは、長門、お前のおかげなんだぞ?自分の死なんていう、
- 俺がすぐには信じられないような事実を突きつけられたときも、2週間前怖くて怖くて暴れたときも、いつも
- お前はそばにいてくれて俺を支えてくれたじゃないか。おかげで俺は、当初の予定では自分の気持ちを
- 押し殺して静かにむなしく余生を過ごすはずだったのに、こんなにも楽しく過ごすことができた。
「ありがとうな」
「いい」
それから、時々取り乱したりして、みっともない姿さらしたり、お前に当たっちゃったりして、本当にごめんな。
「いい」
そういうと、長門はまた、黙った。
「あなたに伝えておきたいことがある」
長門は少し強めの語気で、俺に話しかけてきた。
「わたしを見て」
俺と長門は少し距離を置いて向かい合った。
「・・・どうしたんだ?」
長門はいつもの無表情。しかし、その瞳の温度は、今までにないくらいに温かみを帯びていた。
「あなたが好き」
俺の目をまっすぐに見つめて、長門はそう言った。
「本当は伝えるつもりはなかった。あなたが手に入れた心の平静を最後の最後で破壊する恐れがあったから。
- その危惧は今も抱いている」
長門は一歩前に出て、俺との距離をつめた。
「しかし」
さらに距離をつめた。
「後悔はしたくなかった」
長門がここまで感情を表に出すとは、かなり意外な出来事だ。
「あなたが好き」
瞬きもせずに、長門は俺をじっと見つめている。
「あなたがわたしに抱いている感情は、仲間としての好意以上のものは感じられなかった。涼宮ハルヒといる
- ときのあなたは、体温の上昇率、アドレナリンの分泌、その他生理的に著しい興奮作用が見られた。
- それは、わたしといるときには見られなかった現象。あなたはわたしに好意を持っていないことは明白だった」
俺は長門の独白を黙って聞くことにした。いつもは無口なこいつが明かす自分自身の気持ちを、俺は口を
- 挟まないで一語一句吟味して100%理解しようと努めた。
「あなたがわたしに支えを求めたのは、数々の経験からわたしがもっとも頼りがいがあると判断したから。
- あなたの無意識は涼宮ハルヒを求めていたが、あなたは彼女との関係が壊れることを恐れ、次点であるわたしに
- 彼女への想いを重ね合わせていた」
- 俺はおもわず口を挟んだ。黙っていようかとも思ったが、それは違うと言いたかったんだ。
「それは違うぞ、長門。確かに俺はお前を頼りにしていた。でも、ハルヒへの想いをお前に重ねたこと
は絶対になかった。俺はお前がお前だから頼ったんだ。これだけは断言できる」
長門は少しだけ微笑み、首をフルフルと横に振った。
「そうであってもそうでなくても、わたしは嬉しかった。ありがとう。あなたがいなくなる前に、これだけは伝えて
- おきたかった。あなたは自分を殺して世界を存続させるより、自分の気持ちを優先した。
わたしがそうするよう推奨した。そして、涼宮ハルヒに好意を伝えたあなたのように、わたしもあなた
に好意を伝えたくなった。勝手な理屈なのは承知している。それは理論的思考とは程遠い決断であり、
- あなたにとって迷惑になる可能性が非常に高かった。また、このことにより間接的に世界の消滅という選択の
- 方向に加担してしまう恐れもある。危険な判断」
長台詞を一息に言い終えた長門は、ちょっと息をついで、続けた。
「だからわたしはあなたに謝らなくてはならない」
そういうと長門はペコリと頭を下げた。
「ごめんなさい」
「謝るなって」
俺は即座にフォローを入れた。
「言いたいことくらい好きに言っていいんだぞ?さっきも言ったけどよ、俺はお前のおかげでこうして
- 楽しく過ごせてるんだ。恩返しのひとつでもさせてくれよ」
長門に言いたいことを言わせることが、恩返しになるのかどうかは分からないが。
「ならない」
そりゃそうだよな、言いたいことを言わせることが恩返しになるわけがないよな。
- でも、何かお返しさせてくれよ。
長門は少し考えるようにうつむいて、それから遠慮がちに口を開いた。
「だったら私の願いを聞いて欲しい」
「ああ、何でもいいぞ、俺に出来ることだったらなんだって・・・」
「抱きしめて」
長門が俺を見つめる。表情にこそ変化はなかったが、その目はもう液体ヘリウムでもなんでもない、極普通
- の女子高生の、感情のこもった温かみのある目だ。
「あなたが涼宮ハルヒを愛していることは承知している。こんな申し出をしてもあなたになんのメリットも
- ないことも理解している」
そして長門は俺から視線をはずし、地面を見つめながら恥ずかしそうに、少なくとも俺にはそう感じられたんだ、
- 恥ずかしそうにつぶやいた。
「でも、このままでお別れは、嫌だ・・・」
俺は長門がしゃべり終わらないうちに、強く長門を抱きしめた。強く強く、長門の体が壊れてしまうん
じゃないかというくらいに強く、抱きしめた。
「・・・これくらいしか出来なくて、ごめん・・・」
「十分・・・でも・・・」
長門が遠慮がちに言った。
「でも、なんだ?」
「言えない。言ったらきりがない」
「いいから、言えよ」
長門は、最後に一個だけ、と前置きをして、続けた。
「今から3秒だけ、わたしの恋人になって・・・」
俺はしばらく考え、心の中でハルヒに『ごめん』と謝って、勝手に3秒だけ別れることにした。この、どうしようもなく
- 切なく、狂おしいほどにけなげで、愛おしいほどにひたむきな、目の前にいる小さな対有機生命体コンタクト用
- ヒューマノイド・インターフェース、いや違う、そんなんじゃなくて、極普通の女の子の望みを、俺はどうしても
- 叶えてやりたかった。
「・・・わかった」
俺がそう言い終わるか終わらないかといううちに、長門は俺の顔を手で押さえ、唇に唇を押し付けてきた。
- いつかのように、逃げられないために?そしてきっかり3秒後に、離れた。
「満足」
- 長門は長門なりの最高の笑みを浮かべて、そう言った。
「しかしまた謝らなくてはならないことが出来た」
「なんだよ?」
「わたしはずるをした」
ずる?なんだよそれ?俺の体の中にナノマシンでも流し込んだか?
「・・・それは考えなかった。残念極まりない」
おいおい。で、ずるってのは何のことなんだ?
「さっきのキス、3秒より0.28秒、オーバーした」
ハルヒは俺たちが異空間に消えていたことに気づいていないらしい、長門がまた情報操作とやらを
- したのだろうか。何事もなかったかのように部室に入ると、しばらくして古泉、朝比奈さんが到着し、
- そのまま普通に団の活動が始まった。
静かに本を読む長門。
お茶を入れてくれる朝比奈さん。
ゲームをする俺と古泉。
団長席でふんぞり返るハルヒ。
今までなんでもなかったこの活動が、こんなにもすばらしいものだとは思いもしなかった。俺たちは
クソ暑苦しい部室でどうでもいい無駄話をし、時々ハルヒがとんでもないことを言い出し、じゃんけん
で負けた俺が昼飯を買出しに行き、また無駄話に興じ、そうしているうちに日は傾きだし、夜の帳が落
ち、長門がゆっくりと本を閉じ、それを合図に俺たちは集団で下校し、まるで明日もあさってもずっと
こんな日常が続いていくかのように、いつもどおりに別れた。
「じゃあな」
「それでは、また」
「さよ~なら~ぁ」
「・・・」
「じゃ、またねー!」
ありがとうも言わせてくれないのか、こいつらは。
- 言ったところで、古泉あたりがとぼけてうやむやにするんだろうな。
それでも、ありがとう。
俺はハルヒと一緒にマンションに向かった。途中で、ハルヒが俺に明日はどうするのか聞いてきた。
「明日は・・・お前と一緒にいたい」
次の日、俺たちはひたすらに最期の時間を共有した。激しく、切なく、何度もお互いを求め、愛し合った。
- 疲れたらまどろみ、目が覚めるとまたお互いを求めた。時折頭をよぎるこれからのことを振り払うように、
- 甘く、激しく、幸せな、でもどこか哀しい時間を過ごした。
その日の夕方、俺はいったん自宅に帰った。挨拶をするためだ。
合宿から持ち帰った荷物を置いて自分の部屋に上がり、机の上に親と、妹に向けた手紙を置いた。
- それと、遺影用の写真も。ハルヒが納得するまで何度も取り直した写真だから、きっとよく写っているのだろう。
- そういえばこれは遺影に採用されたのだろうか?前に自分の通夜を見たときに確認しておけばよかったな。
そして俺は、妹を部屋に呼び出した。
「キョンくんど~したの~?」
「あのな、その・・・」
「な~にな~に~?」
「お前の元気なところ、好きだぞ。だから、哀しいこととかあっても、その元気で・・・」
「?」
やばい。これ以上続けると泣き出しちまう。俺は妹を部屋から追い出し、目頭を押さえて気が静まる
までしばらく待った。10分くらいそうしていただろうか、なんとか落ち着いた俺は、今度は両親に挨拶
するためにリビングに下りた。親父はもう帰ってきていて、お袋となにやら話をしている。
「親父、お袋」
俺は意を決して切り出した。二人は妹と同じく『?』という顔で俺を見ている。
「・・・えっと・・・心の底から、感謝してるから!!ちょ、ちょっと、出かけてくるわ!!」
俺は手短に感謝の言葉を伝えると、大急ぎで家から飛び出した。
- あぶねー、あと1秒遅かったら泣き出してただろうな。
- それにしても、我ながら意味不明な言葉だな。肝心なことは何も言えてないじゃないか。
家の前ではハルヒが待っていてくれた。ハルヒは涙を流す俺を黙って抱きしめてくれた。
- そして手をつないで、俺たちの家へ向かった。
最後に俺はもう一度だけ振り向き、家の中にいる家族に向かって、つぶやいた。
「大好きだ、さようなら」
もう俺がこの世から消えるまであと1時間もなくなっていた。俺はハルヒが作ってくれた最後の晩餐
を食べ終わると、することもなくなってヤキモキした気持ちになっていた。いくらなんでも、あと1時
間を切れば俺だって緊張する。緊張って言うのか、これ?
「落ち着かないわね」
「まあな」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「なあハルヒ、散歩に出ないか」
散歩に出ることは、実はすでに考えていたことだ。このままここで俺が最期を迎えたら、親に対する説明
- やらなんやらでハルヒに迷惑がかかりかねない。外で最期を迎えれば、なんとでも言い訳を作ること
が出来るからな。
俺の死ぬ時間まで決まっていることはハルヒは知らないはずだが、なんとなく察したのかそれともた
だの偶然か、ハルヒはそれに同意し、
「そうね・・・じっとしていても落ち着かないしね」
そういって俺の提案に同意した。
俺たちは手をつないだまま、近くの公園を歩いている。人は俺たち以外誰もいない。
- 良かった、静かに最期が迎えられそうだ。
もう後、30分。
「ど、どっか座りましょっか」
ハルヒは俺を木陰のベンチまで引っ張っていった。
ベンチに座った俺たちは、話すこともなくただひたすらに黙っていた。
「あ、セミ・・・」
突然、俺の足元にセミが落ちてきた。今まで木に留まっていたのが力尽きたんだろう。そいつはしばら
くじたばたともがいて、程なく静かになった。あれから2週間。まさか、あのときのセミでは無いだろうが、
- あの日あたりに羽化したのは間違いない。
「死んじゃった・・・のね・・・」
「ああ・・・そうらしい・・・」
そのとき、突然ハルヒが鼻をすすり始めた。と思ったらそれはどんどん勢いを増していき、あっという
間に声を上げて泣き出すまでに大きくなった。
「うわああああぁぁぁぁん、いや、いやだあぁ・・・こんなの・・・いやだよおおおぉぉ・・・!!」
ハルヒは俺にしがみついてくる。
「この2週間、楽しすぎて、ぐすっ・・・幸せで・・・もう一生分楽しんだと思ってたのに・・・でも、
- やっぱり・・・ぐずっ・・・うう、うぇ・・・」
やっぱり、の続きは嗚咽にまぎれて聞き取れなかったが、言わんとすることは分かった。
「キョン・・・今までずっと我慢してたこと、言ってもいい・・・?どうにもならなくても、お願い・・・言わせて欲しいの・・・」
「ああ」
ハルヒはごくり、とつばを飲み、俺を見つめ、意を決したように一息に言った。
「死なないで!」
そう言った直後、ハルヒは何かが切れたかのように大声でわめき始めた。
「死なないで!!死なないで死なないで死なないで死なないでよおおお!!!何でよ、何で・・・生きてよ、キョン!
- バカキョン、生きなさいよ、なんであんたが死ぬのよ!・・・お願いだから・・・死なないでよぉ・・・あたしの
- ・・・命令だからあぁぁぁ・・・」
俺は黙って抱きしめるしかなかった。そういえばこの2週間、こいつの口からそういう類の言葉は一度
も聞いたことがなかった。実際、言ってもどうしようもないことだ。だが、恋人の死なんていう矛盾を突然
- 突きつけられて、それを『どうすることもできないこと』としてずっと今まで胸の奥にしまってきてくれたんだ、
- 俺のために。俺の心を乱さないように、必死でこらえてきてくれていたんだろう。
「ごめん」
「あ、謝るくらいだったら死ぬんじゃないわよ、バカ!!」
こういう会話はもっと早いうちに済ませておくんじゃないんだろうか。
- まさかこんな死の直前にこういう展開になるとは、宮藤官九郎もびっくりだ。
しばらくハルヒは号泣した後、静かになって俺を抱きしめるだけになった。
あと15分くらいだろうか、もう時間を確かめる気にはなれない。俺は口を開いた。最期に、ハルヒに
言っておきたいことがあるんだ。
「ハルヒ」
ハルヒはぬぐっても次々あふれ出る涙を形ばかりぬぐい、俺を見た。
「お前に3つ、頼みがあるんだ」
何?という表情で俺の顔を覗き込んでくる。そんなに泣くなよハルヒ、俺の視界までぼやけてくる。
「まず・・・時々でいいから、俺のこと、思い出してくれると嬉しいんだ」
本当だったら、俺は『一生俺のことを思い続けてくれ、ほかの男とは付き合わないでくれ』と言いたかった
- くらいだったが、ハルヒの人生はこれから長いんだ、こんな俺の自己満足な妄言のせいでそれを縛り付ける
- ようなことはしたくなかった。
「嫌よ!!」
な、なんだと!?
「あたしは一生キョンのことを考えて生きていくわ!ほかの男と付き合ったりなんて絶対しない!」
お前それはな・・・一時の・・・。
「一時の気の迷いでも何でもいいの!!今あたしはそう思ってるの!!だから、その頼みは聞けないわ!!」
ハルヒはそういうと、ふう、とため息をついた。
「ごめんね、キョン・・・でも、その逆の頼みだったら、聞いてあげてもいいわよ?」
その逆?その逆ってのは・・・言葉通りか。
「わかった。・・・いいんだな・・・?」
「望むところよ」
「ハルヒ、お前への一つ目の頼みだ。一生俺のことだけを想い続けてくれ」
ハルヒは何も言わず、ただ顔を赤らめて、コクリ、とうなずいた。その様子を見た俺もうなずき、ハルヒに
- 軽くキスをして、そして話を続けた。
「それから2つ目の頼みだ・・・俺のいない世界でも・・・絶望しないで、気丈に生きてってくれ。頼む」
この言葉には、世界を終わらせないためという意味も込められている、と取ってもらってもかまわない。
- しかし、俺は決してそういう意味でこの言葉を言ったわけじゃないんだ。この言葉を口にしたとき、
そんな意識は1Åほども頭の中にはありはしなかった。俺は本当に、心のそこからハルヒには悲しんで
欲しくないと思っている。ハルヒが悲しんで生きていくのが、俺には一番辛い。
今度はハルヒは口答えすることもなく、ただ一言『分かったわ』とだけつぶやき、涙を拭いた。
さて、ここまで言って俺は次にいうことが無くなってしまった。実は3つもお願いなんて考えていなかったんだ。
- ドラマとかだとだいたいこういう場合って『3つ』だから俺もそれに倣ってみただけなのだ。
- 話しているうちに思いつくだろうなんて甘いことを考えていたが、思ったよりも時間がたつのははやい。
- さて、どうしたものか。『みんなに謝っといて』っていうのはまず却下されるだろうし、かといって『みんなをよろしく』
- なんて言っても、あいつらは誰によろしくされなくたって図太く生きていくだろうし、コイツに『元気でいろ』なんて
- いったって、こいつは俺が心配するまでもなく元気でい続けるだろうしなあ。
俺は仕方なく、場をつなぐために、本来だったら最後の最後まで取っておくはずだったカードを切ることにした。
「ハルヒ、これ・・・」
俺はそういって、ポケットから小箱を取り出した。
「これから一生分の、誕生日祝いとクリスマスプレゼントだと思って欲しい」
ハルヒはそれを俺から受け取ると、箱を開けた。
「・・・素敵・・・」
中身は、指輪だ。そりゃあ一介の高校生が買うような指輪だ、それほど高価なものじゃない、が、そ
こいらの指輪のような安物と一緒にされては困るくらいのものではある。これでもかき集められるだけ
の金をかき集めて買った指輪なのだ。一生分の誕生日祝いとクリスマスプレゼントには程遠いだろうが、
- あとは気持ちでカバーしてくれ。
「キョン、あんたが付けさせてよ」
そういうとハルヒは、俺に指輪を突っ返した。俺はそれを受け取ると、改めてハルヒの左手を取り、
- 薬指に指輪を通した。
「す、少し大きいわね・・・」
ああ、俺はお前の指のサイズなんて知らなかったからな。だが、小さくなくてよかったよ。
「ふふ、それもそうね」
そういってハルヒは自分の指にはめられた、少しぶかぶかの指輪を満足そうに眺めた。
「ありがとね、キョン。大事にするわ」
ハルヒは極上の笑顔を俺に向けてくれた。そうだ、この笑顔だ。いつも俺がうんざりした気分で眺めていたこの笑顔。
- それがこんなに愛おしいものだったなんて。俺は馬鹿だ。何で今まで気がつかなかったんだろう。
- コイツのこの笑顔を、なんでうっとおしくなんて思っていたんだろう。もったいない、本当にもったいない。
- 過去に戻って自分をぶん殴ってやりたい。もっと笑っていて欲しかった。もっと日ごろから良く見ておけばよかった。
- できれば泣き顔の分までこの笑顔でいて欲しかった。
そして俺は思わず、率直な気持ちを口に出した。
「お前には笑顔が、一番似合ってるな」
そう言って、その瞬間、俺は悟った。
ああ、そうか、そういう意味だったのか。
俺はすべて理解した。そして、3つめの頼みを、ハルヒに告げた。
「最後のお願いだ、ハルヒ・・・俺の葬式では・・・絶対に泣かないと、約束してくれ」
ハルヒはしばらく考え込んだ後で、言った。
「分かったわ。あたし、あんたのお葬式では絶対泣かない」
でも、と言葉を挟んで、ハルヒは続けた。
「ほかのところで泣くのは、許しなさいよ・・・」
ありがとう、と俺が言い終わらないうちに、ハルヒは俺にキスをした。長い、長いキスだった。途中で、
- 口元にしずくがたれてきた。涙だ。ハルヒの涙は驚くほどに塩辛かった。涙を流したまま、俺たちは
骨がきしみそうなほどに強く抱き合い、夢中でキスをし続けた。好きだ、ハルヒ。ありがとう、ありがとうな。
- この2週間の夏休みは本当に最高の2週間だったぞ。たった2週間だったけれど、俺たちは一生分愛し合えたよな?
- いや、最高だったのはこの2週間だけじゃない。お前と出会ってからの1年とちょっと、全部が最高だったさ。
- お前と過ごした高校生活は、当時はうざったく感じもしたが、とってもいい思い出だ。
- 最高の仲間に会えたのも、お前のおかげだ。あの世でお前を神様相手に自慢してやる。こんな経験、
- きっと神様だって出来やしない。なあハルヒ、俺、お前に逢えてよかった。お前が変な女でよかった。
- お前が後ろの席でよかった。お前を好きになってよかった。お前が恋人でよかった。お前の恋人でよかった。
- それから・・・――
「好きよ、キョン」
「好きだ、ハルヒ」
最期がお前と一緒で本当によかった・・・――。
Short Summer Vacation ended...
Short Summer Vacation~涼宮ハルヒのエピローグ~
キョンへ
あたしの旦那であるあなたが死んでから、もう5年が過ぎたわ。どう?少しは退屈しているかしら?
あたしは今22歳。あれからのことを、少しだけ報告しておきたいと思うの。この手紙を天国のあなた
へどうやって届ければいいのか、それは分からないけれど、それは後で考えることにするわ。最悪、お
盆に帰って来たときにでも勝手に読んでちょうだい。
まずあたしは今、一人ではないわ。でも、未婚よ。分かる?この意味。
そう、キョンと過ごしたあの2週間のうちに、あたしはあなたとの子供を授かったの。
- 実はね、キョンと初めてひとつになった日、あの日、本当は危険日だったのよ。
- まあそうでなくてもキョンと同棲中ははほとんど避妊しないでいたから、たとえあの日が安全日
- だったとしてもたぶん妊娠していたんじゃないかしら。それにしてもあんた、もしあたしにその気がなかったら
- どうするつもりだったの!?まったく・・・。
自ら望んだ妊娠だもの、当然あたしは産む気だったわ。親は猛反対して、あの手この手であたしに
- 中絶させようとしたけれど、あたしは絶対に産むって決めていたからそんな修羅場もまったく苦しくなかった。
- キョンのご両親にも迷惑かけちゃったのは辛かったけれど、耐えたわ。キョン、あなたがあたしを支えたのよ。
子供を産むっていうことにしぶしぶ親が同意したら、あたしはすぐに高校を中退したわ。出来るだけベストな
- 状態で出産して、何よりキョンとの子供を自分の手で育てたかったからね。その間はさすがに親の世話になったわ。
- 仕方ないとはいえ、心残りな点ね。その分の埋め合わせは、必ずするつもり。
今は古泉くんの紹介してくれた会社で働いているわ。彼の紹介してくれた会社ってものすごく待遇が
いいのよ、高校中退だっていうのに大卒並みの扱いだし、給料だってその辺のサラリーマンより稼いで
るんじゃないかっていうくらい。シングルマザーで子供一人を養っていくには十分すぎるわね。ついでに
- あなたも養えるくらいだわ。
そうそう、あたしはあれ以来ほかの男とは誰とも付き合ってないわ。そりゃあ言い寄ってくる男は星の数
- ほどいたわ、でもね、あなたとの約束もあったし(あ、これはあたしが無理やり言わせたんだっけ?)、
- そもそもキョン以上の男なんて見つかるわけないじゃない。たぶん、いえ絶対、これからもそんな男が出てくる
- ことは無いわね。あたしが生涯で体を許したのは後にも先にもキョン一人だけで、あたしはこのことを密かに
- 誇りに思っている。自慢していいわよ、キョン!
そういえば、あなたにどうしても聞いておきたいことがあったんだわ。その、七夕の・・・ううん、なんでもない、
- 次に会えたとき、面と向かって聞くことにするわ。それまでに、せいぜい面白い回答を用意しておくことね!!
ここまで書いて、あたしは彼のくれた最期のプレゼントの指輪に微笑みかけた。あ、ごめんなさいキョン、
- この指輪、やっぱり大きかったからサイズ直しちゃったわ。勝手にごめんね、でも、なくしちゃうよりはいいわよね。
- 大体、ろくにサイズも調べないで買っちゃうあんたが悪いのよ!文句なんていわせないわ!!
- よし、これも手紙に書いておこう。
あら、もうこんな時間ね、子供を保育園に送って行かなくちゃ。
あたしは手紙を引き出しにしまうと、まだ着替えもままならない様子の子供の方へ向かっていった。
Short Summer Vacation~古泉一樹のエピローグ~
あなたは良くやりました。世界を守ったんですよ、僕が銅像でも作って差し上げたいくらいです。
- いずれ僕が機関のトップに立ったら、きっと実現させて見せますからね。
機関はまだ続いています。あなたの死によって涼宮さんの能力は失われてしまうのではないか、もし
くは暴発するのではないかという意見もありましたが、結果として彼女の能力は消えることも暴発する
こともありませんでした。それにしても、あなたの死と連動してかなりの閉鎖空間の発生が予想されて
いたんですが、ひとつも出現しなかったのには驚きました。どうやらあなたは、われわれが思っていた
以上に上手くやってくれたようですね。いや失礼、これは、あなたが思うように幸せに過ごしてその結
果生じた副次的な幸運だと解釈するべきでしょう。でないと、あなたはこういうでしょうからね。
- 『お前たちのためにやったことじゃない』なんて。
あれ以来涼宮さんはずっと大人になったようで、閉鎖空間の出現もほんの数回に収まっています。
- ちなみに、その発生時期は、すべてあなたと何かしらの思い出があった日ですよ、まったくうらやましい
ですね。僕は少し恨めしいですが。
そうそう、涼宮さんのことは心配しないでください。いえ、決して変な意味ではありません。
- そもそも彼女はあなた以外の異性には興味が無いようですし、僕も異性には・・・おっと、口が滑るところで
した。僕は彼女がつつがなく暮らせるよう陰ながらサポートさせてもらっています。それが、あなたと
の約束でしたからね。
あの日、あなたが提示した要求は二つ。
・2週間二人で暮らせる部屋を用意して欲しい。
・俺が死んだ後、ハルヒを頼む。
約束どおり、僕は今でも涼宮さんの手助けをさせてもらっています。金銭面は心配しないでください。
彼女の監視を続ける機関からは、彼女が一生つつがなく暮らせるだけの予算が下りています。
- 今はそれを毎月、給与という形で彼女に気づかれないよう渡しています。いささか多いんですがね、実際彼女は
かなり有能なのでそれほど不自然には思わないでしょう。そして私生活ですが・・・これも心配ないと断言できます。
- 家族2人で、楽しく暮らしていると聞いています。時々あなたの家にも遊びに行っているようですよ?
- 戸籍上は他人でも、義父・義母・義妹ですからね。孫は目に入れても痛くないと言いますし。
おやめずらしい、閉鎖空間が発生したようです。
今日は・・・7月7日ですか。
Short Summer Vacation~朝比奈みくるのエピローグ~
あれから結構な時間がたちました。えーっと、あたし個人の感覚では数年なんだけれど、あたし、今
は元の時間(キョンくんたちから見ると未来ってことね)にいるんで、キョンくんがいなくなってから
はかなり時間がたってることになるわね。
あたし、あれからいろいろ頑張ったのよ、って、知ってるわよね、もう何回か会ってるもんね。
- かなり出世して、禁則事項も減りました。どう?ふふふ、すごいでしょ。
今からあなたに会いに行きます。そう、あの時間のあなたにです。残酷だとは思うけれど、あたしは
あなたに死を告げに行かなくてはなりません、それが必然で、規定事項。
それにしても、キョンくんの寿命を知らせたのがあたし自身だったなんて驚き。てっきり当時は長門
さんがキョンくんに教えたものだとばかり思っていたわ。本当のことを教えてくれても良かったのに。
未来のあたしがキョンくんに知らせた寿命をキョンくんの口から聞いて大泣きした過去のあたし、
- なんだか考えるとおかしいわね。
ああ、またキョンくんに会えるのね。楽しみだけれど、でも、次に会うのが最後なんて、やっぱり哀しい。
- どうやって説明しようかしら?あたし、泣き出しちゃったらどうしよう?第一、素直に信じてくれるかしら?
- 一応キョンくんの未来渡航の許可申請しておいたほうがいいわね。そういえば、あの時長門さんが知ってたって
- ことは、きっとついてくるのよね、じゃあ長門さんの許可申請も、と・・・あたし、長門さん苦手なんだけどなぁ。
それじゃあ、キョンくん、今から行きます。ごめんなさい。でも、あなたはちゃんとやってくれるから大丈夫。
- だって、今ここに世界、あるもん。ありがとう、キョンくん。
あなたのおかげで、今日も世界は続いています。
Short Summer Vacation~長門有希のエピローグ~
あなたは死んだ。
あなたは規定どおり、8月8日午後7時24分19秒に涼宮ハルヒの目の前で息を引き取った。
わたしは泣いた。死というものがこれほどまでに苦痛なものだとは思わなかった。わたしは泣いた。
- 自分のうちにこれほどの感情があったのかと驚くほどに、声を上げて泣いた。
- そのときのわたしは完全に動転していて、ある大切なことを失念していた。
次の日に、あなたの“お”通夜があった。そこでもわたしはまだ気づいていなかった。
そして、もうすぐ式が始まろうかというころ、わたしはやっと思い出した。
もうすぐあなたが現れる。
なぜこんな大事なことを忘れていたのだろうか。もうすぐ、朝比奈みくるとわたしと一緒に、あなたが、
- 1ヶ月前のあなたが自分の葬儀を確認しに現れる。過去のわたしが形成しているスクリーンを、わたしは
- 透過して見ることが出来る。わたしはあなたにもう一度会える。
- この点だけは、涼宮ハルヒにはまねできない、わたしの勝ち。
わたしはもう一度あなたに会えるのだと思うと、嬉しくて嬉しくて、でも、切なくて、そんなまやかしにすがる
- 自分が情けなくて、涙が出た。
あなたがわたしと手をつないで入ってきた。どうしようもなく鼓動が早まる。そして、あなたはこちらを見た。
- いけない、わたしはあなたに気づいていないということになっている。あなたと目をあわすわけにはいかない。
わたしは視野にあなたの姿が入るぎりぎりまで視線をそむけた。そして、視野の端に移るあなたを、
永久に記憶にとどめておこうと、必死でその姿をわたしの記憶媒体に刻み込んだ。この場にいる誰もが
いずれ死に、あなたに関するものが風化し、この世界から消え去り、あなたという存在そのものがあっ
たのかどうか危うくなってしまったとしても、わたしだけは永久にあなたを忘れない。あなたが生きた
ということを、わたしが証明する。
あなたはこれから1ヶ月間、苦しく辛い時を過ごすことになる。でも大丈夫。あなたは逃げずに負けずに、
- しっかり1ヶ月生きるから。1ヵ月後の未来から、わたしはあなたのことを祈っている。
そして、わたしは声を出さずにつぶやいた。
お・ぼ・え・て・い・て。
好・き。
Short Summer Vacation 完
最終更新:2020年03月07日 01:49