(※古泉×朝倉です)

 あたしね、好きな人がいるの。

 とってもとっても大事な、あたしの好きな人。

 でもあたしは、何でその人を好きになったのかを覚えてないの。

 どうしてかなって考えると胸が苦しくて、でも、何も分からないままで。

 もしかしたら、これは知らない誰かの気持ちなんじゃないかなあ、なんてことまで考えちゃった。

 これって変な妄想だよね?

 でも、そのくらい、この恋はあたしにとって不可解な物だった。

 ねえ、これはあたしの恋心? 誰かの恋心?

 あたしは知らない。でも、知っている。

 これは恋、あたしだけの恋。

 だって、あたしは本当にあの人が好きだもの。

 これはあたしのあの人のためだけの、小さな小さな恋物語。

 誰かのためじゃない、あたしのための恋物語。

 

 去年の5月頃、あたしは一度この学校から転校した。
 親の仕事の都合での転校、それも直前まで連絡の無いギリギリの物。
 全く、勝手な話だよね。
 夜逃げか何かだと思われちゃったのかもなあ、って思うけど、今のあたしにはそんなことは関係無い話。
 うん、そういうことにしておこう。
 だってほら、人生前向きに考えなきゃつまらないじゃない?
 年度が変わって4月になって、あたしはもう一度この学校に通える事になったんだしね。
 これもまた親の仕事の都合なんだけど、正直慣れない海外生活よりこっちの方がありがたいかな。
 だって、海外の学校ってやっぱり居辛かったんだもの。

 それにね、あたしには、帰って来たい理由が有ったの。

 あたしね、好きな人がいるの。
 その人はあたしと入れ替わるくらいの、あたしが転校するよりほんのちょっと前にこの学校に来た人で、あたしは、その人のことを殆ど知らないんだけど。……でも、好きなの。
 どうしてかなあ、どうしてだろう。
 この一年近くの間、ずーっとその人のことを考えていた気がするんだよね。
 変だよね。他にもいろんなことが有ったはずなのに、海外生活の記憶は曖昧で、あたしの頭の真ん中にいるのは、その人だけなの。
 ううん、恋って不思議だなあ。
 ああでも、やっと会えるんだ。
 あの人に、また会えるんだ。

 嬉しいなあ。


 一度転校した生徒がもう一度転校してくるって、どんな感じなんだろう。
 あたしはそっちの立場になったことが無いから分からないんだけど、あたしが来た直後の教室はちょっとざわめいていた。
 年度の節目でのクラス替えが有った後とはいえ、去年同じクラスだった子も居るから当然だよね。
 先生が事情を説明してくれているけど、皆ちゃんと納得してくれたかな?
 何だか、一人凄い驚いた顔している子が居るなあ……。あ、確かキョンくんだっけ。そうだ、思い出した。
 キョンくんの腕を、隣に居る女の子が引っ張っている。
 あ、あの子は長門さんだね。クラスは違ったけど同じマンションに住んでいたから知っているんだ。そっか、今度は長門さんも同じクラスなんだね。
 ああでも、あたしが今度住むことになるのはあのマンションじゃないんだ。
 もう少し学校から遠いマンションで、今度は家族と一緒に。
 でも、両親は後れてやってくることになってくるから、あたしはまだ一人暮らし。
 本当言うと、6月か7月辺りに引越し予定なのを、あたしだけ無理を言って繰り上げさせてもらったんだよね。
 新学期に間に合いたかったし(実際は始業式より二週間くらい遅れちゃったけど)、何より、彼に早く会いたかったから。

 午前中の休み時間は、クラスメイトに掴まりっぱなしだった。
 ううん、本当は早く彼のクラスに行きたかったんだけど、仕方ないよね。
 あたしはクラスメイトからの質問に答えたり授業を受けたりしながら、お昼休みを待った。
 昼休みになったら、さすがに抜けられるよね。

 彼がお昼休みにどこに居るかは、分からないんだけど。
 ええっと……、あ、でも、あの人達なら知っているよね。

 あたしは、教室の一角で固まっている女子二人男子一人の組み合わせを見た。
 さっきのキョンくんと長門さんと、それから涼宮さん。
 この三人はクラスから浮いて居るってほどじゃないけど、ちょっとだけ雰囲気が違う感じがするかな。
 キョンくんは割と普通だと思うんだけど、涼宮さんは全然他人と交わらない子だったし……。でも、今は違うのかな。ちょっとだけど、他の子達とも話しているみたいだし。
 良かった、涼宮さんも去年より周りと打ち解けているみたいで。

 あたしが涼宮さん達とに彼の居場所を聞いてみようと思ったのは、彼も涼宮さんが作った団体の一員だったから。
 確か転校初日に涼宮さんが彼を浚っていっちゃったんだっけ。
 えっと、名前は……、そうそう『SOS団』だっけ。
 どんな団体なのか良く分からないけれど、彼も、今でもその一員なのかな。

「あ、ねえねえキョンくん」

 昼休み、漸く人の輪から抜けられそうになったところで、あたしはキョンくんに話し掛けた。
 涼宮さんと長門さんは教室に居ない。二人とも学食組なのかな。
 ちなみにあたしはお弁当。一応手作りだよ。

「……朝倉か」

「久しぶりだね、キョンくん」
「……何か用か?」
 何か、凄く警戒されている気がする。
 何でだろう……。あたし、キョンくんに何かしたかなあ?
 涼宮さんが皆と仲良く出来るよう協力してねって言ったりはしたけど、それ以外には何も無かったと思うんだけど。

「ねえキョンくん、この時間に古泉くんがどこにいるか知っている?」

「……は?」

 キョンくんが、本気で目を点にしていた。
 点って言うのは勿論比喩なんだけど、本当にそうとしか言いようがない。
「えっと、知らない?」
「いや、ちょっと待て……。古泉って古泉一樹か?」
 キョンくんが一度首を振ってからあたしに確認してくる。
 他に同じ苗字の心当たりが有ったのかな。
「うん、そうだよ」
「……」
「知らないの?」
「……ああ、すまん」
 何だ、知らないんだ。
「そっかあ、残念だなあ。あ、ありがとキョンくん」
 あたしはキョンくんに背を向け、教室を出るべく歩き出した。
 お弁当を食べなきゃとは思うんだけど、それより今は彼の居場所が気になるんだよね。
「あ、待ってくれ朝倉」
「何?」
 キョンくんに呼ばれて、あたしは振り返る。
「ああ、えっとだな……。お前、何で古泉の居場所を探しているんだ?」
「……言わなきゃいけない?」
 ここは教室。
 あたしとキョンくん以外にも、10人以上生徒が居る。
 今のやり取りで充分バレバレって気もするけど、出来れば、こんな場所では言いたくないかな。
「……あ、いや、いい」
「じゃあ、またね」
 あたしは今度こそ教室を出た。

 あたしは教室を出た後で、彼が何組か聞いてなかったことを思い出した。
 ちょっとうっかりしていたかも……。でも、理系クラスは二つしかないから、見つけるのは難しくないよね?
 あたしは理系クラスの片方で古泉くんがそのクラスに在籍している事を確認したけれど、生憎彼は不在だった。
 ううん、どこだろう……。
 やっぱり、この時間は学食かなあ?

 あたしは学食へと足を運んだ。
 一年近く経っているとはいえ通った事のある場所だから、道に迷う事はない。
 難なく学食に続く渡り廊下まで辿り着いたあたしは、

 そこで、彼を見つけた。

 心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けながら、あたしはその場に立ち尽くしていた。
 ああ、駄目だ。
 言いたいこととか、伝えたいこととか、全部吹っ飛んじゃった。
 こんな場所で告白しようなんて思ってなかったけど、最初の挨拶だって何度も何度も練習したのに……。
 駄目、全部吹っ飛んじゃった。

 彼が、あたしの脇を通り過ぎていく。
 ああ、神様。
 お願い、あたしの心臓の音が彼に聞かれませんように。

「……朝倉さん?」

 彼が、あたしの傍で足を止めた。
 間違いなくあたしの名前を呼んで、あたしの方を見ている。
 やだ、どうして。
 どうして、彼があたしの名前を知っているの?
 転校前のあたしなんてただの別のクラスの女の子で、彼とは何の接点も無い筈なのに……。
 ああもう、どうしよう、どうしたら良いの。
 全然わかんないようっ。

「あ、あの……」

 あたしはゆっくりと彼の方に向き直った。
 これがアニメとか漫画だったら、ギギって効果音が入ってそう。
 あたし今、思いっきり不審人物かも。
「ああ、いきなり呼び止めてしまってすみません。朝倉涼子さんですよね?」
「は、はいっ」
 あたしはその場で大きく腰を折った。
 何か声が思いっきり上ずっている気がするんだけど、細かい事を気にしている余裕なんて全然無い。
「また転校してきたんですね」
「あ、はい……。親の仕事の都合で、戻ってこられるようになって……、あ、あの、古泉くんは、どうしてあたしの名前を知っているんですか? あ、あたしは、ええっと、涼宮さんが……」
 うう、説明し辛い。
 頭が回らないし、そもそも、こんなことを正面切って言って良いのかどうかも分からないし。
「僕も涼宮さん絡みですよ。あなたの転校はいきなりでしたからね。そのとき涼宮さんが色々言っていたんで、僕もあなたの名前を覚えていたんです」
 ああ、そういうことか。
 涼宮さん、古泉くんが来た時も謎がどうとか言っていたっけ。
 あたしが転校しちゃった時も、似たようなことを考えたのかな。
 あたしの転校も急だったからなあ。
「そうだったんだ……」
「ええ、そういうことです。疑問は解決しましたか?」
「はい……」
「それでは、僕はこれで」
 古泉くんが、そのまま立ち去っていこうとする。
 
 ダメ。

 行かせちゃダメ。

 せめて、せめて一言でも、何か次に繋がる言葉を探さないと。
 そうでないとあたしは、ただの転校生で終わっちゃう。
 それじゃ、ダメ。

 これは、神様があたしにくれたチャンスなんだ。

 お願い、神様。
 あたしに、勇気をください。

「あ、あの……」

 あたしは、勇気を振り絞った彼に話し掛けた。
 去っていこうとしていた彼が、ゆっくりと振り返る。
「まだ何か有りましたか?」
「あ、あの……その、えっと……、古泉くん、今日の放課後、時間、有りますか?」
 ああ、言葉が上手く出て来ないよう。
 もっと気の聞いた言い方とか、さり気無い言い方とか、興味を引く言い方とか……、ううっ、だってまさか、古泉くんがあたしのことを知っているなんて思わなかったんだもん。
「……SOS団の活動時間の後でしたら、大丈夫ですが」
 やった、OKだ!
「あ、あの、今日の放課後……教室に来てもらえますか、二年五組に」
「ええ、構いませんよ。時間が何時になるかはっきり分からないのですが、それでもよろしければ」
「そんなっ、下校時間より前だったら何時でも構わないです!」
 贅沢なんて言わない。
 来てくれなかったら悲しいけど、来てくれるんだったら、下校時間5分前でも3分前でもいいっ。
 だってだって、必要なのは時間の長さじゃないんだもの。
 ただ、二人っきりなれれば……え、ああ、そうか、早すぎてもダメなんだよね。
 ううん、SOS団の活動時間ってどのくらいまでなんだろう。今の古泉くんの口ぶりだと、きちんと決まっているわけでも無さそうだし、ここで時間を指定しなおすのも変だし……。
 あー、もう、あたしのバカバカ。
 何でもっと考えて喋れないんだろう……。
「あの、顔色が悪いようですが大丈夫ですか?」
 ぐるぐる考えていたら、何時の間にか古泉くんがあたしの近くまで来ていた。
 はうう、まともに顔が見れな、い……。
 無理、今のあたしには無理だから!
 刺激が強すぎるようっ。
「えっ、あ、いえ、全然、全っ然大丈夫です。……ほ、放課後の件、よろしくお願いしますっ」
 あたしは一歩下がって大きく礼をすると、そのままダッシュで廊下を引き返した。
 何やっているんだろうなあ、あたし。
 約束はしてもらえたけど、これじゃあ印象最悪だようっ。

 教室に戻ったあたしは誰の顔も見ないでとりあえずお弁当を食べ終えた。
 こういう時は頭がいっぱいになって何も食べられないって方がそれらしいのかも知れないけれど、何もしてないっていう状況に頭も心も耐えられなかったみたい。
 お弁当、誰かにあげたり見せたりすることもあるかなと思って頑張って作ったつもりだったんだけど、味は全然分からなかったなあ。


 午後の授業を上の空で聞いていたあたしは、ホームルームが終わった後、教室で彼を待ち続けた。
 教室から生徒が一人消え、一人消え……、30分くらいで、あたし一人になった。
 がらんとした教室、たった一人のあたし。
 誰かを待つあたし。

 あれ、

 以前にも、こんな状況が有ったような……。ううん、気のせいだよね。
 あたし、こんな風に誰かを呼び出したことなんて無い筈だし。

 それからもう10分くらい待っていたら、唐突に教室のドアが空いた。

 古泉くんが、そこに立っていた。

「お待たせいたしました」

 爽やかな笑顔が、昼間より一段暗くなった教室に映えていた。

「あ……」

 あたしの頭の中が真っ白になる。
 SOS団がどんな団体か知らないけど、普通に考えたらホームルーム終了後一時間足らずで終わる部活動なんてそうそうない。
 要するに、あたしはまだ心の準備が全然出来ていなかったのだ。
「あ、あの……」
 古泉くんは、教室の入り口から一メートルくらいの所に立ったまま、窓辺に居るあたしの方を見ている。
 穏やかな見守るような視線、暖かさを感じさせる人好きそうな微笑み。
 それがあたしだけのためのものじゃなくても、あたしに向けてくれているという事実が嬉しい。
 
 ああ、でも、緊張しちゃうな。
 本当に言いたいことは一つだけなのに、どうして、こんなに迷うんだろう。
 どんな伝え方をしたら、ちゃんと伝わるかな。
 ちゃんと、本気だって思ってもらえるかな。

 あたしのこと、好きになってもらえるかな? 

「あの……、あたし、古泉くんのことが好きなんです」

 あたしは精一杯の勇気を振り絞って、告白した。
 結局気のきいた言葉なんてちっとも浮かばないままだったけど、目を逸らさずに言えたのは、自分でも偉かったと思う。

「それは……」

 古泉くんが、不思議そうな顔をしている。
 ああ、うん、そうだよね。
 違うクラスの、殆ど話したことも無いような女子にいきなり告白されたんだもんね。
 びっくりするのが当たり前だよね。
「あ、あの……、ごめんなさい、迷惑、だよね?」
 あたしはしゃべり辛い敬語を辞めて、彼に問い掛けた。
 自爆路線まっしぐらな気がしてならないんだけれど、何か言わなきゃ間が持たない。
 あたしの心が、もってくれない。
「……いえ、そんなことはありませんよ。ただ、あまりに突然だったので驚いていたんです。ただ……」
「あ……」
「返事は、少し待っていただけますか?」
「え?」
 ごめんなさいされると思って覚悟を決めようとしていたのに、彼の答えはあたしの予想とは外れる物だった。
 えっと……、待って、欲しいって。
 それって、可能性は有るってことなのかな?
 期待出来るってことなのかな?
 それとも、間を持たせることで出来るだけ傷つけないようにしているとか……。ああ、どうしても考えが悪い方へ向うなあ。
「さすがに、今すぐには答えを出せませんので。あんまり長くお待たせするのは悪いと思うのですが……。そうですね、一週間ほど待っていただけますか?」
「……うん」
「ではそれでお願いします。返事はまた放課後、この教室で、ということでよろしいでしょうか?」
「……」
 あたしは無言で首肯する。
 古泉くんの口調は優しくて、そして滑らかだ。

 きっと、女の子に告白されていることに慣れているんだろうな。


 明らかに万人向けの優しさに少しだけ癒されながらも、あたしの心は沈んでいく。
 どうやら、古泉くんが返事まで時間が欲しいと言っていた理由は、あたしの悪い想像と一致するらしい。
 ああ、やっぱり、ダメなんだ。
「では、今日はこれで」
「あ、あの……」
 気がついたら、踵を返しかけた古泉くんのブレザーの端っこを掴んでいた。
 あ、あたし、なんてことしているんだろう……。
「どうしましたか?」
「い、一緒に帰らない? あの、坂を降りるだけでも……。だ、ダメかな?」
 元々、ダメ元なんだから。
 だから、だから……、あたしは、出来るだけあたしらしく彼に接したい。
 好きって思ってもらえなくても、恋人になれなくても、すこしても、あたしを知って欲しい。
 だから、出来るなら、少しでも一緒に……。
 
「ええ、かまいませんよ」

 古泉くんが、人懐っこい微笑を浮かべてそう言ってくれた。
 その瞬間、あたしの心は羽が生えてどこかに飛んでいくんじゃないかってくらい舞い上がっていた。
 ああ、もう、何考えて良いか分かんないかも……。


 帰る道すがら、古泉くんはこの一年間で有った事を話してくれた。
 一緒の下校をOKしてくれた時には思考がショートしていたあたしも、漸く人の話がまともに聞ける状態に戻っていたみたい。
 自分から自主的に何かを話すってことはまだちょっと難しいんだけど……。ううん、でも、古泉くんの話が聞けるだけでも嬉しい。
 古泉くんは、主にSOS団の活動内容に関することを話してくれた。
 SOS団って言うのは『世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団』の略称なんだって。
 正式名称を聞いても何だかよく分からない団体には変わりなかったけど、今までに有った出来事を語る古泉くんは、何だかとっても楽しそう。
 楽しそうな古泉くんを見ていると、あたしも楽しくなってくる。
 こういうのって、良いなあ。
 あたしの想いは、多分、受け入れてもらえないけれども、こうやって話が出来るだけでも、結構、幸せかも知れない。


 幸せの余韻を残しつつ帰宅したあたしだったけど、残念ながら夢の中で彼に会う、みたいなことは出来なかった。
 夜寝たと思った次の瞬間朝目覚めた感覚になるって分かる?
 ちょうど、そんな感じだったのよね。
 寝覚め自体はスッキリしているんだけど、何だかちょっと釈然としない。
 睡眠時間なんて元々カウントされない物かも知れないけど、何だかちょっと損した感じかも。

 そんな風に目覚めてから学校へ行く道すがら、あたしは登校途中の古泉くんを見かけた。
 古泉くんは、キョンくんや涼宮さんと一緒にゆっくり坂を登っているところだった。
 どうも、古泉くんと涼宮さんが何か話しているところに、キョンくんがツッコミを入れているという構図みたい。
 キョンくんがちょっと疲れ気味な気もするけど、三人とも楽しそうだなあ。
 何だか、良いなあ……。

 SOS団、かあ。

「あ、おはようございます、朝倉さん」
 話し掛ける勇気なんて全然なかったのに、古泉くんの方からあたしに話し掛けてきた。
 う、うそぉ……。
「え、あ……、お、おはよう」
 真っ赤になって頭を下げるあたし。
 ううう、挨拶さえまともに出来ないなんて重症すぎるよ。
 ああでも、彼の方から挨拶してもらえるなんて、嬉しすぎる。
 幸せ者だなあ、あたし。
「あ、あの……、昨日は、ありがとう」
 あたしは何とか顔を上げて、彼にお礼を言った。
 昨日この坂道を一緒に歩けたのは、本当に嬉しかった。
「いえいえ、たいしたことでは有りませんよ」
「あら、昨日古泉くんを呼び出したのって朝倉さんだったの?」
 涼宮さんが、ひょいとあたしと古泉くんの間に割り込んできた。
 古泉くんが、涼宮さんの方を見てから、あたしの方を見た。
 ええっと、あたしに答えを求めているのかな?
「……う、うん。そうだよ」
「へえ、そうなんだ。人に呼ばれているから早く帰りたいって言っていたから何かと思ってたんだけど、そういう用事だったのねえ」
 涼宮さんが、何だか、噂好きのおばさんみたいな顔つきになっている。
 ちょっと意外な表情かも……。って、今のあたしにそんなことを一々考えている余裕は無いんだけど。
 えっと、あの、その……。ううう、何て言えばいいんだろう。
 ああん、出来るだけ迷惑かけたくないのにぃ。
「おい、ハルヒ」
「……ま、良いわ。野暮なことは聞かないでおいてあげる」
 キョンくんが涼宮さんの腕を引っ張り、涼宮さんがひらりとその身を翻し、今度は涼宮さんがキョンくんの腕を掴んで、あっという間に坂を登って行っちゃった。
 えっと……。
「あ、あの……」
「ああ、すみません。名前を出すつもりは無かったのですが」
「う、ううん。あたしのせいだから、気にしないで。……でも、涼宮さん、あんな顔もするんだね。一年前じゃ、ちょっと想像出来なかったかも」
 他人の人間関係に興味を持つ涼宮さんなんて、一年前は全く想像できなかった。
 涼宮さんって、そういうことには凄く無関心に見えたし。
「彼女もこの一年で結構変わりましたよ。元気なのは相変わらずですが」
「……そうだね」
 ぱっと現れてぱっと去っていったあの行動力と坂を登る時のパワフルな姿は、一年前、それも、部活を作ると言った直後くらいの彼女を思い起こさせた。
 涼宮さんは、とっても元気な子。
 ちょっと、羨ましいかもなあ。
 そう言えば、古泉くんにとって涼宮さんって何なんだろう?
 怪しげな団体に転校初日に連れ込まれたっていうのに、一年間もずっと付き合っているなんて、もしかして……。
 ううん、でも、それは無いと思う。
 無い、と思う。
 どうしてとは言えないんだけど、何となく、そういう感情とは違う気がするの。
 ……あたしの、思い込みかも知れないけど。


 それからの一週間は、何事も無く過ぎていった。
 時々教室で大声をあげている涼宮さんを見たりしたけど、あたし自身は何も無かったし、涼宮さんやキョンくんや長門さんがあたしに話し掛けてくることも無かった。
 古泉くんもクラスが違うからあんまり会わなかったし、廊下ですれ違ったり登校中に出会ったときに挨拶を交わすくらいだった。
 ドキドキは持続中だけど、告白した日に比べればあたしも大分落ち着いてきた。
 彼のことが好きなのは変わらないけれど、授業中に上の空になることも減ってきたし、ちゃんと周りにも目を向けられるようになった。
 ……振られることが怖いから、逃げているだけってことなのかもしれないけど。

 あたしは、古泉くんのことが好き。
 誰よりも好きだって自身も、ちゃんとある。
 でも……、恋って、自分一人でするものじゃないよね。


 待ち人だった一週間は、言い換えれば死刑執行宣告を待つための時間のような物だったのかも知れない。
 答えについては、全然期待できないと思っていたから。

「……イエスと、お答えしたいと思っていますよ」

 だからあたしは、約束の放課後の教室で古泉くんが答えを教えてくれた時、一瞬、その言葉が理解出来なかった。
「え……、あ、あの、あのあの……」
 い、今、なんて言われたんだろう。
 あ、頭の中真っ白を通り越して、透明になって何もなくなったところを風が通り抜けていくみたい。
 言うつもりだった言葉まで、風に乗ってどっかへ飛んで行っちゃったのかも……。
「ほ、ホントに……。い、良いの?」
「ええ、良いですよ」
「あ、う、うそぉ……」
 思わず、声に出ちゃった。
 あああ、あたし何言っているんだろう。
「嘘じゃ有りませんよ」
「け、けど、あたしじゃ……」
「一週間考えた末、あなたは充分魅力的な女性だと判断したんです。……それとも、何か不満がお有りですか?」
「ぜ、全っ然! う、嬉しいよ。ほ、本当に……」
 
 
ああ、もう、本当、夢みたい……。
だってだって、だめだって思ってたんだよ。
あたしはただの他のクラスの転校生。一回転校してからまた転校してきたっていうちょっと変わった経歴持ちだけど、古泉くんにとっては顔見知り以下だっていうのは間違いないと思う。
あたしは古泉くんがこの学校でどんな評価を受けているか知らないけど、彼は結構かっこいいから、女の子にもてるんじゃないかな。
そんな彼が、どうさてあたしを選んでくれたのか……、ううん、ここは気にするところじゃないの、あたしが、彼につり合うだけの女になれば良いんだもんね!

その日、あたし達は他愛ない話をして帰った。
一週間前とは違う、最近見たドラマのこととか、聞いている音楽の話とか、授業のこととか。
古泉くんは理系クラスだから受けている授業の内容があたしとはちょっと違うんだけど、彼が話してくれた物理の先生のエピソードはとっても面白かったな。

そうそう、それとね。
今度の日曜日に、デートをするって約束したんだよ!
街に出て映画を見るっていう定番コース?
定番も何も、あたしにはデートの経験自体無いんだけど、ドキドキしちゃうなあ。
えへへ、楽しみだなっ。


 それから、日曜までの時間はあっという間に過ぎていっちゃった。
 あ、デートのことを考えすぎていて授業を疎かに、何てことにはなってないわよ。
 古泉くんは進学クラスだから、あたしもそれに釣り合う位にはならないとね!
 幸い授業には着いていけないなんて事も無く、あたしは教師に当てられてもちゃんと答えられたし、小テストでもそこそこ良い点を取っていた。
 でもこの間の小テストでは涼宮さんと長門さんに負けちゃったのよね……、長門さんはともかくとして、全然勉強している風に見えなかった涼宮さんに負けちゃったのは悔しいなあ。
 はあ、もっと頑張らないとね。


 日曜日、わくわくしながら集合場所へ向ったら、20分も前だっていうのに古泉くんはもうやって来ていた。
 うそ、早すぎ!
 できれば先に来たかったんだけどなあ……。
「おはようございます、朝倉さん」
 古泉くんが、すっごい素敵な笑顔であたしの方を見てくれている。
 カッコいいなあ……、ああ、何かぽーっとしちゃいそう。
「あ、おはよう……、ごめんね、待たせちゃったみたいで」
「いえ、僕が早く来すぎてしまっただけですよ。……何時もの癖かも知れないですね」
「癖?」
「ええ、SOS団で集合する時は、皆早めに来ることになっているんです。何しろ遅れた人には罰金というルールがありますからね」
「そうなんだあ……」
「ああ、早く来すぎてかえって気を遣わせてしまったことは謝ります。すみません、朝倉さん」
「ううん、気にしないで!」
 古泉くんは何にも悪くないよ。
 あたしが悪いってわけでも無い気がするんだけど……、うん、そうだ、ここはね、二人とも早く来た分長く一緒に居られるって風に考え直せばいいのよね。
 そうそう、そう思えばお徳だわ。早起きは三文の得って諺もあることだしね。
「そう言っていただけると助かります。では、行きましょうか」
 古泉くんはそう言って、あたしにそっと手を差し伸べてきた。
 えっと、これは……、手を、繋ごうってことなのかしら?
 古泉くんってもしかして、結構積極的なのかな? それとも、恋人同士だったらこれくらい当然ってこと?
 ううん、経験の無いあたしには全然分からないよ……。
 で、でも、でも、でもね。
 あたしは、凄く、嬉しい……、うん、嬉しいの。
 それは、本当だから。
「うんっ」
 あたしは舞い上がりそうな心を抑えつつ、古泉くんの手を取った。
 男の子の手って、大きいなあ……。何だか不思議。でも、嬉しい。
 転校してきた頃には、こんな風になれるなんて全然想像できてなかったのに……。
 勇気を出して告白して、本当に良かったな。

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最終更新:2020年09月13日 02:22