正直にいうと朝倉のシチューはかなりうまかった。
長門とは違い、こいつは自炊がかなり慣れている様子だった。

シチューを食べた終えた後、俺が皿を運ぼうとすると朝倉が必死になってそれを制止した。
俺が洗うといっても「いいから座ってて」といって朝倉は無理やり俺をテーブルの前に座らせた。
テレビをつけると俺がいつも見ている番組がいつもと同じようにくだらない内容を映し出していた。
世界が変わっても大きく変化しているのはハルヒの周辺だけなのだろうか。

朝倉が洗い物を終えて向かいの席についた。
俺がこれから何かを話しはじめるということを知っているかのようなそぶりである。
俺はテレビを消して朝倉に自分の世界での出来事を説明した。

ハルヒとの出会いから、SOS団のこと。
ハルヒの起こしたさまざまな事件のこと。
長門のことや、朝比奈さんのこと、古泉のことや、鶴屋さんやその他大勢に至るまで、
全ての関係者の行動や特徴まで事細かに説明した。
朝倉に殺されそうになった話だけは少しボカして突然異常動作を起こして、
長門のお叱りを受け、カナダに転校したとだけ伝えた。
当の本人を目の前真実をいうのは恐ろしすぎて口が止まったのだ。
またここであの異常動作を実現されても困るからな。
よく考えるとその嘘は誰にでもわかる変な話であり、
朝倉ならとっくに見抜けると思えるものであったが、朝倉は何も聞いてはこなかった。

俺の話はずいぶんと長い話になったが朝倉はその話を黙って全てを聞いていた。

その上で俺はこの世界でどうしても聞きたかったことを朝倉に聞いた。
「俺は本当に異世界人で合ってるのか?」
「そうよ。長門さんには否定されちゃってるみたいだけど、
 わたしはそう考えるわ」
「どういう根拠だ?」
「あなたがその世界を強く信じているから。
 あなたがあると思った瞬間からその世界は存在するの。
 そして信じるあなたが存在するからその世界は存在できる。
 デカルトも言ったでしょ?
 自分がいると考えているから自分がいるって。
 想像にはその存在を証明する力があるの」

ずいぶん前似たような話を古泉から聞かされたな。
宇宙は観測する者のためにあると。
誰にも知られることのない宇宙は存在しないことも同義だと。

「それからわたしの理論は正しい一つの意見だけど
 長門さんの理論も間違ってはいないわ」
「でもそれじゃあ矛盾しないか?
 お前の意見と長門の意見は全く正反対の理論だ」
「ううん。それでいいの。
 そもそも長門さんの意見にも大きな矛盾は含まれているもの。
 あなたの記憶が改竄されているとしたら
 どんなに微小な改竄でもその改変の痕跡が残る。
 それなのにわたしたちがそれを発見することが出来ない。
 あなたがわたしたちに認識できない方法で改変されたのでは、
 やはりわたしたち自身の記憶も改竄されてしまったことになる。
 全ての情報を統括するための存在なのに、
 知らない情報が無数に存在することになってしまうから。
 長門さんの意見にも矛盾があって、わたしの意見にも矛盾がある。
 だからお互いの理論は相反するものでありながら互いに正しい。
 パラドックスね。
 まあ、長門さんにとってそのほうが複数の世界を認めるよりも小さい矛盾ですむと考えたのね」

もしかしたら長門たちの情報統括の親玉はそんな矛盾を抱えた存在が許せなかったのではないか。
だから俺の記憶の改変を急ごうとする。
そんなに全てのことを知りたくて仕方が無い生命体なのか?
情報統合思念体ってやつは。

「世界はそもそも大きな1つの矛盾を抱えているの。
 それは存在するということの矛盾。
 世界はそもそも存在しないという理論の方が矛盾が少なくてすむの」
存在しない方が矛盾が少ないだって?
意味がわからん。

「あなたにはちょっと難しすぎたかもね。
 宇宙の存在の証明だって1つではないの。
 いくつもの証明方法があるわ。
 そしてそれは全て正しいものなの。
 あらゆる方向から世界は観測できる。
 涼宮さんの理論を使えば現象の後からだってそれに対する理論が成り立つはずなのよ。
 新世界の成り立ちも理論さえ確立すればその瞬間に世界はすでに成立していたことになる。
 長門さんとは違う結論だけどわたしはそう考えるの」
なんかこの朝倉が頼もしくなってきた。
長門の説明よりはいくらか理解できたし、
この世界に来て初めて人に信じてもらえたような気がする。

そろそろこの朝倉を信頼してもいいような気になってきた。
少なくとも俺がこの朝倉のいる世界のことを信じなければ
俺は誰にも俺の世界のことも信じてもらえないからだ。

「この世界での出来事で何か聞きたいこととかある?」
この世界のことはわからないことだらけだ。
聞きたいことは山ほどあった。
「この世界の俺はこれらのことを何にも知らなかったというんだな。
 朝倉の正体が宇宙人だったり、ハルヒに変な力があったりすることも」
「ええ、そうよ。
 この世界のあなたはSOS団のメンバーが本当はどんな人間かはほとんど知らないし、
 涼宮さんに関する事件にも直接は関係していないの」
「じゃあ俺がハルヒと二人きりで閉鎖空間に閉じ込められたとき、
 どうやってあの世界から脱出できたというんだ。ハルヒ一人で戻ってきたのか?」
あんまり思い出したくない光景だ。
まるで夢のような世界だったが、長門はあの現象を知っている。
だから夢ではないはずだ。
朝倉だって同じ現象を観測できるはずだ。
「そんなことは起こらなかったわ」
「そんなはずがあるか!
 ハルヒは去年の5月ごろずっと憂鬱でついには閉鎖空間を作って世界を再構築しようとしたんだ!」
「たぶん……あのときのことね。
 古泉くんと涼宮さんが一緒に閉鎖空間に取り残された。
 あのときは古泉くんが彼女をこの世界に取り戻してくれたわ。
 そのすぐ後から今まで涼宮さんと古泉くんの交際が続いているの」
ハルヒと古泉が付き合ってるだって?
そんなおかしな世界があるか。
あのハルヒがまともに男と付き合っていっぱしの高校生らしく振舞うなんてあってはならないことだ。
いや……俺もハルヒに会ったばかりの頃、ハルヒに言ったことがあった。
どこかでかっこいい男でも捕まえで一緒に映画見たり遊園地で遊んだりお茶を飲んだりしてみてはどうかと。

でもその相手にあのニヤケ面古泉だと?
ハルヒの趣味がおかしくなったとしか思えん。
ハンサム以外に他に何のとりえがあるってんだ。
ちょっとくらい俺よりも頭がよくて、運動が出来て女にモテるくらいじゃねえか。
…………あと超能力が使えるってことくらいだっけ。
たいしたことねえよ!
まあ、ある意味超能力者と付き合ってるんだからハルヒの望みは叶ってるといえるが……。
ある意味お似合いか?
うーん……美男美女の組み合わせと周りは見るのかもしれんが……。
「でも古泉はハルヒには自分の能力を隠したままだろ?
 それじゃあ、ハルヒを裏切ってるようなことにはならないのか?」
「うーん、それはそうね。
 これはわたしにも言えた事だから全く言い訳できないわね」
朝倉はごめんね。と小さく舌を出した。
騙されるなよこんなかわいい笑顔に。
この世界の俺はアホか。

「いや、まだおかしい……
 その後七夕のとき、俺は三年前に遡ってハルヒが白線を引くのを手伝ったんだ。
 昼間のハルヒは知らないって言ってたが、絶対そんなはずはないんだ。
 あれだっていわゆる規定事項のはずだ。」
「それはないはずだわ。あなたが過去に遡った形跡は一度も無いもの」
「じゃあ、長門のエラーはどうなってる?
 12月18日のあの日、世界は完全に入れ替えられてお前らの親玉だって消滅したはずだ。
 あのとき記憶を残された人間は俺だけ……。
 三年前……いや、今からだと四年前になる七夕のときの記憶を頼りにハルヒを動かしたんだ。
 世界を元に戻すのには俺の介入が必要だったはずだ」
「長門さんの異常動作はこの世界でも起きたわ。
 そっちと全く同じ12月18日にね。
 長門さんによって時空改変が行われ、世界が塗り替えられたの。
 なぜかあなた以外の全ての世界がね」
ほらみろ! やっぱり俺が関わっている。
あのとき俺がいなければ世界はあのまま長門の作った世界に変貌したはずなんだ。
この世界はやっぱり少しどこかおかしいだろ。
「あのとき長門さんは蓄積された膨大なエラーが引き金となってバグを引き起こしたの。
 でもそういうときのためにわたしがいるから。
 長門さんは自分がそうなることに気づいていたからわたしというバックアップを作ったのよ。
 長門さんから送られてくるデータの異常から事前にエラーに気づいたわたしは
 長門さんの異常動作を完全に予測できた。
 世界改変の行われた2秒後に長門さんへ修正プログラムを打ち込んだわ。
 もちろん、世界改変に巻き込まれないように対情報操作用遮蔽スクリーンと防護フィールドを使ったけど」
そんなあっさりと……たったの2秒ですか?
ああなるほど、俺の世界には朝倉がいないからあんなことになったのか……。
あんなに苦労した俺の努力もこの世界では朝倉がいたことでいとも簡単に解決していたというのか……。

「ハルヒの提案で野球大会に出たことはあったか?」
「ええ、だいぶ前になるけどあなたもわたしも一緒に出たわ」
「じゃあ、あのとき4番に座っていたのは俺か?」
「いいえ、あれは古泉くんね。ちょっとずるしちゃったけど試合にはなんとか勝てたわ」

「夏休みの無限ループはどうやって乗り越えたんだ?」
「そんな現象は過去に一度も観測されて無いわ」
「そんなはずは……長門にも観測できたんだからお前が観測できないはずはないと思うんだが……
 じゃあ、俺の夏休みの宿題はいつやったんだ……? 終わらせることができたとは思えないんだが」
「んもう……本当に何も知らないのね。呆れちゃうわ。
 わたしがあなたに勉強を教えながら過ごした夏休みまでなかったことにされちゃってるのね」

「映画は……撮ったよな? 文化祭のときのヤツだ。
 あのときの主演は誰と誰だ?」
くすっと笑って朝倉はそっぽを向いた。
「やだもう……あんなこと思い出させないでよ」
「ふざけないで教えろ」
「ちょ、ちょっと……そんなに怖い顔しないでよ。
 ……これはあなたにとってあまりいい思い出じゃないって言ってたのになあ……」
「そんなことは表向きだけだ。
 今となってはきっといい思い出だ。だからどんな内容だったか教えてくれ」
「主演はわたしとあなたよ。
 涼宮さんは監督で、自分や古泉くんが出演するのは嫌だったみたい。
 学園恋愛SFバトル映画って言ってもわかるかしら?
 詳しい内容が見たければあとで涼宮さんに見せてもらえばいいわ。
 朝倉リョウコの冒険エピソード00ってタイトル。
 ……今年も続編撮るとか言われたらちょっとやだなぁ」
困った顔で少し頬を赤く染めた美少女の姿は完全に乙女の恥じらいを演出していた。
ハルヒいわく、いわゆる一つの萌え要素なんだろうが俺はちっとも萌えなかった。
もしかしたらこの宇宙人製のアンドロイドにも本気で恥ずかしいという感情が芽生えているのかもしれないが、
朝倉はあの冷酷な態度が本来の姿のはずだ。
俺の脳裏にはあの姿がこびり付いて離れない。

「雪山で遭難したことは……」
「遭難なんてしてないわ。
 雪山にはスキーしに行ったけど。あなたと二人で。
 別に何もおかしなことは起きなかったわ。
 あ……ほんとよ! 何もおかしなことはしてないんだからね!」
なぜか朝倉が顔を真っ赤に染めていた。
いや、いまさらそんな演技は見たくないんだが。
「ハルヒは雪山に行かなかったのか?」
「涼宮さんは古泉くんと二人で行ったわ。
 でも遭難なんてしてないわ。危険なことが起きないように一応わたしたちも外から監視していたしね」
そうか、あのとき俺たちが巻き込まれた雪山は長門も一緒にいたから逆に脱出できなかったんだ。
もし長門が外から監視していればすぐに異常に気づいて助け出すことができたはず。
そこまで読みあった末に長門たちの敵性宇宙人どもは雪山では遭難させないという選択肢にたどり着いたわけか。

「でも未来の改変のために朝比奈さんに連れまわされた人物はいないのか?
 亀を川に放り込んだり、空き缶を地面に固定したりした人物がいないとおかしいだろ。
 それがないと朝比奈さんのいるはずの未来がないことになってしまうはずなんだが」
「朝比奈さんの時間移行に関することは全部古泉くんが一緒にやってたわ。
 わたしには比較的どうでもいいことだからそれ以上のことはあまり観察していないわ」

「じゃあ鶴屋さんの庭から出てきた地図で宝探しするのも……」
「それも最初に古泉くんと朝比奈さんで掘ってからまた掘ったわ。
 あなたも一緒に6人で行ったわ。
 予定通り何も出なかったけどあなたもそれなりに楽しんでたわよ」
そうかその宝探しは結果を知らずにやったのか。
それならそんなにつまらなくはなかったのかもしれない。

「ハルヒ主導で会誌を作ったり……」
「ええ、作ったわ。あなたも涼宮さんに小説を書かされていたわよ」
「どんな内容だった?」
「恋愛小説を書いてたわ」
「どんな内容だった? 恋愛小説とは呼べないようなものではなかったんじゃないか?」
「えーっと……これすごく言いにくいんだけど……言ってもいいのかな?」
「言ってくれ。どうせ書いたのはこの俺じゃない」
「わたしたちの実話ラブコメディー」
勘弁してくれ。
もし目の前にどこでもドアがあったらインドで飢えたオオカミの親子に体を捧げて死にたい。

「もしかしてその中で語られていた内容って俺たちが付き合い始めたきっかけが書いてあったりとか?」
「うふふ、だんだんわかってきたじゃない。
 放課後の教室にわたしが呼び出して告白したわ。
 下駄箱に手紙を入れるなんてベタな手法だったけどね。
 あなたは結構こういう風に告白されるのが好きそうだったから……」
ああ……あのとき本当に告白される可能性もあったのか。
俺も告白されてたらどうしてただろう。
やっぱりオッケーしてたんだろうな。
この世界の俺のように。

孤島ミステリーツアーや、カマドウマとの対決やら、クリスマスパーティーやら、
コンピ研との勝負やら、阪中のペットの病気など、
他にもいろいろなエピソードはありそうだがそれらはあまり世界の進行に影響は無いだろう。
結局俺の関係ないところでうまく話が進んでいるに違いない。

「もういい。わかった。十分すぎた。ああもう聞くんじゃなかったよホントに。
 最後の質問だ。
 これが否定されたらこの世界のには俺の居場所が無いということだ。
 ハルヒがSOS団を作ろうと思ったきっかけはなんだ。
 あいつは一人では部活を作るということは思いつかなかったはずだ」
「わたしは4月からずっと涼宮さんに話しかけていたの。
 クラスに溶け込めないといじめられちゃうかもしれないって思ったから。
 それである日涼宮さんが何かいい部活がないかなって言うわけ。
 そんなにいい部活に無いんだったら作ってみればいいんじゃない? ってわたしが提案したの。
 涼宮さんったらすぐにそれに飛びついてきたわ。
 でもそれでわたしも強制的にSOS団に入れられて……大変だったんだからね。
 だからあなたはSOS団には入っていないわ。
 あなたは涼宮さんに関わりたがらなかったし、
 涼宮さんもあなたを団員にしたいと思う気持ちはなかったみたい」

お前がSOS団員その1かよ……
世界は俺がいなくても大丈夫でした。
結局世界はなるようにしかならないのか、SOS団も無事に成立していたというわけか。
俺はせいぜいSOS団の準団員程度の扱いか。

俺がガックリとうなだれているのを見て何か同情のようなものを感じたか、
しばらくの沈黙の後、朝倉は俺の隣に寄り添って座りながら話しかけてきた。
「どうやらあなたのいた世界とこの世界とは最初の涼宮さんの行動付近から分岐した世界のようね」
「最初のというと?」
そういいながら俺は朝倉とまた少し距離を置く。
「この世界の涼宮さんは一年の自己紹介のとき異世界人を望まなかった。
 おそらくここが一番最初の相違点だもの。
 少なくともその少し前くらいまでね。
 この世界のあなたはその涼宮さんに話しかけることはなかったわ。
 少し彼女を意識しているような様子はあったけど、あの自己紹介を聞いて引いちゃったのね。
 結局最後まで涼宮さんに自分から話しかけることはなかったわ。
 あなたはわたしに涼宮さんのことを苦手にしているって漏らしていたもの」
「分岐した時点が入学式の日だって?
 それではおかしくないか?
 俺はその三年前の七夕の日に二回も戻ったりしてるんだぞ?
 この世界の歴史ではそれはなかったことになってるじゃないか」
「だけどそれはあなたが涼宮さんに会った後に塗り替えた世界だから。
 それ以前のあなたの世界の歴史は今のこの世界の通り進んでいたはずよ。
 時間を遡って改変されたとしても、
 最初は改変されていない世界を通らないといけないからね。
 まあ、分岐した地点はこの際あまり重要では無いわ。
 分岐してしまったものを元に戻すことは出来ないから」
想像もしていなかった。
あのときハルヒに声をかけなければと少しは考えた事もあったが、
まさかこのような形で実現するとは思いもよらなかった。
これが正しい世界の歴史だとでもいうのだろうか。

「俺がこの世界に来ているとすれば、元々この世界にいた俺は今どうなっているんだ?」
「……それは正しくはわからないわね。
 あなたのいた世界に行っているのか、それともまた別の世界にいるのか。 
 とにかくこの世界にはいなくなっているみたいだから、
 異世界に行っているか一時的に消失しているかと考えるのが普通ね。
 だから今は彼を観測することは出来ないの」

今の状況がだいたい読めてきた。
今頼れるのはこいつしかないらしい。
イチかバチかだがこいつに掛けるしかない。
朝倉の方に向き直って真剣に話しかけた。
「なあ、朝倉。やっぱり元の世界に戻る方法はないのか?
 どんな難しい方法でもやってみる。
 実をいうと俺はまだ元の世界が諦めきれないんだ」
「うーん、全く無くはないんだけどね……」
「本当か!?」
あるならなぜそれをさせてくれないんだ?
長門だって気づいていたはずだ。なぜ教えてくれないんだ。
「でも涼宮さんを使うしかないわ。
 彼女の能力なくして異世界間移行は起こりえないもの。
 でもあなたは今日涼宮さんに変な干渉をしようとした。
 そのおかげで長門さんに目をつけられているから明日は下手なことは言えないわ」
そうか……もっと早くこの朝倉を信じていればこんなことにはならなかったのかもな。
「具体的にどんな方法なんだそれは」
「この世界の涼宮さんが異世界人を望んだからあなたが来た。
 彼女が異世界人を望まなくなればきっとあなたは元の世界に戻れるはず。
 だから彼女に異世界人を諦めてもらうように説得するの。わたしと一緒にが条件だけど」

「そ、そんな単純なことでいいのか?」
「ええ、きっと。涼宮さんの気持ちを変えるのは簡単だとは思えないけどね。
 あなたが元に戻ればこちらの世界のあなたもおそらく元に戻る。
 これも全宇宙の情報量保存の法則。
 こちらの世界のから見るとあなたが急に記憶を取り戻したようにしか見えないけど」
「でもどうして元の世界に戻れるとわかるんだ?
 別の世界に飛ばされることは無いのか?」
「あなたはきっと元の世界の涼宮さんに望まれた存在だから。
 あなたがいなければその世界の涼宮さんはとても困るはず」
朝倉は俺とハルヒの間に何かを感じ取っていた。
この世界では俺とハルヒはほとんど話もしたことがないはずなのに。
「じゃあ、望まれた存在のはずの俺がなぜ今すぐ元に戻れないんだ?」
「こっちの世界の涼宮さんもそれだけ凄まじい能力を持っているからよ。
 もしかしたらこっちの世界の涼宮さんの方が少しだけ強く願望を持っているのかもしれないわね。
 あなたの世界には異世界人ってまだ来てないんじゃないの?」
そういえばそうだった。
俺の知ってるハルヒは宇宙人や未来人や超能力者やらを見事に集めていたが、
それで満足したのか結局異世界人の希望はなかったかのようにうやむやにされている。

「それとも、あなたは元の世界でも、こっちの世界でも異世界人なのかな?
 そうだとしてもわたしたちには区別できないけどね」
頼むからややこしい話をこれ以上増やさないでくれ。
「わたしはこっちの世界の方がずっと正しい姿に思えるんだけどなぁ……
 あなたの世界の話を聞いてると呆れちゃうもの。
 だって世界が何度も崩壊の危機に面してる。
 あなたのような普通の人間に全てを託している世界なんて変よ。
 こっちの世界の方がずっとうまくやってるわ」
そうなのだ。
俺はこっちの世界のような生き方しか出来ないはずの人間だったのだ。
それにこの朝倉まで彼女にしてしまっているのだから
俺の人生にしてはめちゃくちゃうまくいってるといわざるを得ない。
たしかにSOS団の中で俺だけが普通の人間というのはおかしすぎる。
朝倉が団員の方がまだ不思議じゃない。

「もうそろそろ12時だけどもう今夜は寝る?」
 そうだな……俺はもう疲れた。
「その前にお風呂入って汗を流さないとね。
 一人で入る? それとも……」
一人で入るに決まってるだろ!
そんなことまでしてたんかこいつらは!
「じゃあ、あなたがお風呂に入ってる間にお布団しいて置くわね。
 で、お布団は……やっぱり二つ敷いたほうがいいよね?」
当たり前だろ!
それと別の部屋に敷いてくれよ。
なんだったら俺は玄関で寝てもいいから。
「うふふっ。やっぱりあなたの反応って面白いわ」

俺は洋室の方に、朝倉はリビングを挟んだ和室の方に寝た。
この朝倉は意外なほどいいやつだった。
少しもったいないことをしたような気がする

次の日、俺は朝倉と一緒に登校した。
クラスのみんなは俺たちが仲直りしたと認識したのか、
平和な空気そのものであった。

朝倉は一日中俺と行動を共にしてきた。
トイレに行くときも一緒についてきた。
さすがにトイレの中まではこなかったが。

昼休みももちろん同じであった。
「はい、あーん」
もぐもぐごくん。
「おいしい?」
うまい。さすがだ。
「なあ、朝倉。俺たちは本当に普段からこんなことをしていたのか?」
「ええ、そうよ。長門さんの監視を油断させるためにも今だけは普段どおりのあなたを演出して。
 ほら、今度はわたしの番よ」
ほら、あーん。
……それにしてもかなり周りからジロジロ見られてるのが気になる。
いまどき高校生でこんなべたべたなカップルがいるか普通?

そして放課後──。

誰もいなくなった教室で俺は朝倉と二人取り残されていた。
俺はガックリとうなだれて、言葉を発することも出来なかった。
「どれも駄目ったわね。
 涼宮さんももう帰っちゃったし」

俺はこの世界に完全に絶望していた。

ハルヒには休み時間のたびに異世界人を望まないように説得を試みたが、
ハルヒは聞く耳を持たなかった。
隣にいた朝倉も『物理法則的に異世界なんてありえないわよ』なんてフォローを入れてくれたが、
逆にハルヒは意固地になり、
「何よ! 絶対見つけてやるんだから! 今度の日曜は9時に駅前に集合よ!
 久々に不思議探索するわよ! 異世界人探しよ! いいわね、涼子!」
と鼻息を荒げていた。
火に油だったようだ。
これでは何も意味を成さない。

ハルヒの彼氏古泉も完全にハルヒ贔屓だった。
俺が古泉の正体を知っていると聞かせると、
隣にいる朝倉の方に疑いの目をかけていたようで、
「ふう、ついにバラしてしまったようですね。
 そうです。僕は超能力者ですよ。
 その宇宙人の朝倉さんに聞いたとおりでしょうとも」
などと言って鼻にかけない。
異世界の存在については「それは面白そうな話ですね」と言って興味を示したが、
俺のことを異世界人だとは最後まで信じてくれなかった。
いや、理解はしていたのかもしれないが、
異世界をハルヒが望むならそれはそのままのほうがいいと古泉は主張を貫き通した。
この世界の古泉はついに俺とは友人関係を結ぶことはなかったらしい。

朝比奈さんはこの世界でもハルヒにとってはただのコスプレ要員だった。
この世界でも重力法則に反するほどの立派なお乳を持っておられた。
それだけだ。

「ねえ、この世界で今の記憶を持ったまま生きていくのと、
 新しい記憶で、もしかしたらちょっぴり嫌なことがあるかもしれないけど普通の生活を続けていくの。
 どっちがいい?」
朝倉が心配そうな表情で俺の顔を覗いている。
その姿は本当に恋人のことを思う健気な美少女の姿であった。
『ちょっぴり嫌なこと』というのはどういう意味かはわからないが、
朝倉は人間ではない。
そのことを知らないで生きていくのは最後になにか恐ろしいことが待っているような気がする。

「わたしは別にどっちでもいいわ。
 あなたが望むならわたしを嫌いなままのあなたでもいい。
 わたしは努力するけど……どうしても好きになれないなら別れてもいいわ。
 でもどちらかを選ばなくてはいけないの。
 記憶を消されるか。その世界の記憶を引きずって生きるか」

「俺は……」
俺はどうなんだ?
どっちを選びたいんだ?
記憶を消してなんだかんだいって結構可愛い彼女を持った幸せ者の人生を歩むのか?
さらに朝倉は記憶を消さなくてもいいとまで言ってる。
この世界の朝倉は俺の知る朝倉とは別人で俺に危害を加える可能性は全く無いと言ってもいい。
朝倉と付き合ってみてどうしても好きになれなかったら別れてもいいとまで言ってくれている。

でも選択肢は2つしかないのかよ。

いや、違う。
2つなんかじゃない。
俺はあのとき世界に一人だけ取り残され、
ハルヒも長門も朝比奈さんも古泉も普通に人間に戻っちまった世界で、
元に戻りたいと願ったじゃねえか。
俺はあの世界に取り残されたとき、
脱出プログラムのエンターキーを押したじゃねえか。
それも何の迷いもなくよ。
あれはいったいなんだった。

俺はあのときから誓ったんだ。
何があってもSOS団の一員としてあの世界に居続けると!

俺は朝倉に向かって深く頭を下げた。
「これからハルヒを探して全てを話してくる。
 残された時間の限りハルヒに掛けてみたい。
 俺はもう、こういうときは絶対に迷わないって前から決めていたんだ」
朝倉の顔が暗くなった。
「うん、それ無理」
急に外から入る太陽の日差しがなくなり、
蛍光灯だけのついたボンヤリとした景色になる。
教室の扉はコンクリートで塗り固められたようなただの壁になっていた。
「この世界を変えることだけは絶対に許されないの」

朝倉にこの手を使われることはなんとなく予想できていた。
「この部屋の物質情報を変化させたわ。
 この空間は完全にわたしの情報制御下に入った。
 いかなる力もわたしの許可なくして干渉を許さない」
「朝倉、頼む。ハルヒに会わせてくれ。
 お前ならここからハルヒの元へ俺を転送することも可能だろ。
 お前の彼氏でもなんでもない俺がこんなことを言うのはふざけてると思うかもしれない。
 でも俺は本気なんだ。
 たとえお前に殺されるとしても俺は向こうの世界で殺されなくてはいけないんだ」

だが、朝倉の答えは意外なものであった。
「……涼宮さんには会えるわ。
 元の世界の涼宮さんにね」
朝倉がニッコリと満面の笑みで俺に微笑み返すと、
両手をあげ空中で何か手を揉むような仕草を始めた。
「涼宮ハルヒの意識と記憶を改竄し、
 新学期の最初の日に彼女が異世界人を望まなかったようにする。
 そうすればこの世界はまた新学期の日から通常の軌跡に戻り、
 あなたも元の世界に戻る」
おい、本当かよ。
朝倉さん。あんたすげーよ。
初めてお前に心が奪われそうになったぜ。
「わたしも記憶を改竄されたあなたではなく、
 元に戻った本当のキョンくんに会いたいもの」
突然バリッとコンクリートにヒビが入るような音がして、空中に青い光の筋が見えた。
ベリベリと青い光の亀裂が広がり、大きな爆発音とともに空間が切り開かれた。
「あーあ、やっぱり見つかっちゃったかぁ」

眼鏡をかけた長門が空中から飛び込んできた。

「朝倉涼子。あなたはここでいったい何をしようとしている」
「見てわからない?
 涼宮ハルヒの意識を少し情報操作するだけ。
 この世界を元の姿に戻すのよ。
 現状維持の原則に従っているわ」
「あなたにそのような行動は許可されていない。
 涼宮ハルヒの能力の解析はいまだ不完全なまま。
 彼女の意識の改竄は全宇宙の物理法則に大きな異常をきたす危険がある。
 ただちにやめるべき」
眼鏡の奥にある長門の目線が朝倉を強く非難している。
朝倉は両手を下ろし、俺の方をちらりと見た。
「彼を元の世界に戻すにはこの方法しかないの」
「それならば彼の記憶を改竄すればいいだけのこと。
 どちらの方法を取っても彼にとっては全く同じ結果を生むことになる。
 ならば危険を犯してまでも涼宮ハルヒを操作する必要は無い。
 彼女の改竄と彼の改竄ではあまりにその価値が違いすぎる」
「それでは彼は元の世界に戻れなくなるわ。
 それに記憶の改竄を行ってもそれは本当の彼ではないの。
 あなただって一度涼宮ハルヒの力を使ってたじゃない。
 それに比べれば越権行為とは言いがたいんじゃないかな」
「彼の異常が涼宮ハルヒが異世界人の存在を望んだことに発する可能性は認める。
 だがわたしの結論は変わらない。
 もう一つの世界などというものは存在しない。
 彼は病気により精神を錯乱し記憶に障害が発生している。 
 偶然変質した記憶がこの世界の機密情報と酷似し、
 別の世界から来た様に感じているだけに過ぎない。
 わたしの指示に従え。さもなくば情報連結を解除する」
「いやだと言ったら?」

朝倉がニッコリと微笑むと同時に、
凄まじいまでの爆音とともに壮絶な雷と爆風が二人の間で巻き上がった。
二人の口元が高速で振動している。
言葉とも音とも取れない何か呪文のようなものが唱えられると、
教室にあった机や椅子や黒板までもが変形し、槍のような形になって
二人の間の空中で衝突しあう。
俺はその場で座り込んでただじっと二人の戦いの行方を見守るしかなかった。
動きたくても腰が抜けたようになって動けるわけがなかったのだ。

どうやら展開は朝倉に有利に進んでいるらしい。
長門の攻撃は何度か朝倉に当たってはいたものの、
その何十倍もの攻撃が長門に命中していた。
「ふふ、長門さん。あなたの力もこの空間ではわたしには勝てないわ。
 でもあなたはこの世界に置いてはわたしと同じく涼宮ハルヒの鍵となる存在。
 大丈夫。わたしはあなたを殺したりしないわ。
 だから今は黙ってこの改変を見逃して。ね?」
殺さないと言いつつ、次々に教室の机や椅子が形を変えて暴れ続け長門を右に左に吹き飛ばしていた。
普通の人間ならとっくに死んでいるような攻撃だ。
長門の眼鏡が床に叩きつけられてレンズが飛び散る。
あの長門がいたぶられている姿は見ていてあまり気分のいいものではない。

長門はそれでも抵抗をやめようとはしない。
すぐに立ち上がり槍のような物質を生み出すと朝倉に向かって投げつけた。
朝倉の前に青い稲妻が光り、長門の投げつけた槍は全て床にはじき落とされる。

「それだけのダメージを受けたら他の情報に干渉する余裕はないでしょ?
 無駄なの。ねえ諦めてよ。結果はどうせ同じことになるんだしさあ」
朝倉は余裕の表情だ。

だが、この場面は前に見たときとよく似ている。
二人はあのときとほとんど同じ動きだったのだ。
なぜか俺は朝倉に味方しなければいけないような気になった。
本当になぜかはわからない。
単純に俺が助かりたかっただけなのかもしれないが。

「朝倉! 長門はきっとこの空間に入る前にお前を消すための仕込みをしているはずだ!
 よくわからないが崩壊因子がどうたらというもので……このままではお前は負ける!」
「なぜそれを……」
長門の目がこちらを驚いたように見ている。
長門が瞬時に体を捻りこちらを向いた。
「攻勢情報の変更を申請する。ただちに彼の記憶情報の改竄を行う」

長門の腕が弾性のある棒のようなものに変化して幾多にも枝分かれし始めた。
その先端に小さな針のようなものが無数に飛び出している。
それはまるで注射器のついた巨大なところてんのようであった。
それが全部俺の元へと向かって放たれた。
駄目だ。
これは避けられるとかのレベルではない。
音よりも早くこちらに向かってくるそれがなぜか肉眼で見えていることの方が不思議であった。
目の前の映像が全てスローモーションになっていた。
死ぬ。いや、死ぬわけじゃないんだろうが俺という個性はここで消滅するんだろう。
それは死と同じ意味だ。
壮絶な爆音とともに何かが飛び散るような音が聞こえる。
音よりも早いそれが衝突したはずなのになぜか音がする。
目を開けると……
──朝倉が俺の目の前にいた。
長門の攻撃を全部受け止めて。
朝倉の背中に突き刺さった長門の腕は朝倉の腹を突き破り俺の目の前で止まっていた。

朝倉の足元には巨大な赤い水溜りができていたが、
なぜか朝倉はこの状況でニッコリと無邪気に微笑んだ。

「終わった」「終わったわ」
長門と朝倉がほぼ同時につぶやいた。

二人はもう攻撃の手を止め、その場に立ち尽くしていた。
長門の長く延びた腕も元に戻り、
朝倉の怪我も最初からなかったかのように足元の血の池ごと消えていた。
二人はしばらくその場に立ち尽くしたまま何の言葉も発しなかった。
どちらの勝利かはわからない。

だが、長門の口元が1ミリくらい動き少しだけ悔しそうな表情を見せていた。
「長門さん、ごめんね。
 でもあなたもわたしもきっとこれで元に戻るだけ。
 たぶん大丈夫よ。涼宮さんの変化も微小なもので済むわ」
「朝倉涼子。あなたの行動についてはこれから情報統合思念体の中で処分を検討していく」
「無事に三日前のわたしたちに戻れたら何でも好きなもの作ってあげるから。ね?」
「あ」
「どうしたの?」
「眼鏡の再構成を忘れた」

その後しばらくその場にいる全員の動きが止まっていたが一瞬長門が何かを考えるようにうつむいてから、
「戻ったら──」
「なに?」
「カレーを」
と答えた。

──キンッ
静けさに包まれた教室に突然金属の折れるような音が空間に響き渡ったと思ったら、
さっきまでコンクリートの壁だったものが輝く白い粉となって崩れ始めていた。
朝倉の体からもゆっくりとキラキラとした粉のようなものが流れるように落ちていった。
「あっちの世界の朝倉涼子にあったらよろしく伝えておいてね。
 向こうではわたしたちは付き合っていないみたいだけど、
 あっちでも……」
一気に辺りの景色が全てモノトーンになった。
「朝倉!!」
ものすごいスピードで灰色の部分が白く染まっていき、
周りの物体との臨界線が黒く細い線で映し出される。
光の渦が目の前の一点から放出されている。
いや、吸収されているのかもしれない。
白と黒の世界は次第に白さを増していき、周りの音をどんどんと吸収していく。

「涼子って……」

全ての音が消え、最後の瞬間かすかに朝倉の声だけが聞こえたように感じた。
世界が完全に白く染まり境目の消えたと同時に目の前の世界が漆黒に包まれた。
気づいたらいつのまにか目を瞑っていた。
そして目を開けると───

そこは自分の部屋のベッドの上だった。
窓から明るい日差しが差し込んでいる。

今日は新学期が始まって二日目……
俺はあっちの世界での二日目とは違い病気でも何でもなく、熱も無かった。
世界は俺の知る歴史のままで存在していた。

俺のクラスにはハルヒや長門がきちんといて、
まるで当然のように朝倉の席はどこにもなかった。

放課後一人教室に残ってもらった長門にその世界のことを話した。
だがやはりというべきか、長門が言うには俺がその世界に行っていたという事実はどこにも観測されてはいないという。
世界改変はこの間一度も行われておらず、
朝倉の存在も、時空間の歪み、ハルヒに対する情報操作も検出されていないそうだ。

「わたしはその話を肯定することは出来ない。
 なぜならもう一つの世界というものは存在しないと考えられるから」
やっぱりこっちの長門の結論も同じだった。
「人間は本人の深層意識にある考えを夢に見ることがある。
 あなたは現実に近い夢を見ていたと考えるのが自然。
 それは偶然にもこの世界のもう一つの可能性に限りなく酷似していた」
俺の見たあの世界が夢だと言いやがる。
あっちの世界の長門とご対面させてやりたいくらいだぜ。
お互いに相手の存在を否定しあうことだろうぜ。
それにあんなにはっきりと覚えている夢はあるだろうか。
俺はあの時ありとあらゆる感触までをはっきりと感じていた。
「そもそも人間の脳内の電気信号などあてにならない。
 人間は現実を己の脳内信号をもってのみ現実と判断しているにすぎない。
 つまり人間は現実と夢とを完全に区別することは出来ない」
長門の意見はどこまでも冷静だった。

俺はあのやたらとうまかった朝倉のシチューの味は忘れることはできない。
夢で味わえるようなものならもう一度食べてみたい気もする。

でも長門の言ってることが正しいとすれば、
俺はどうやって戻ってきたというのだ。
あんなに都合よく夢を終わらせてからじゃなきゃ帰れなかったのはなんでだ。
「それはもちろん涼宮ハルヒの力」
矛盾している。
お前は俺には改変は起こっていないだとか言ってたじゃないか。
それにこんな膨大なストーリーを考える脳みそは俺には確実にないぞ。
「あなたのいう世界の長門有希はあなたに対する理解が不足している。
 だから説明が不十分になる。
 あなたに対する理解はその世界の朝倉涼子の方が上だった。
 それゆえに朝倉涼子は自分の理論をあなたに十分に伝えることが出来、
 あなたはそれを信じた」
長門の言葉になぜか嫉妬のようなものが感じられる。
お前の主張では存在しない世界のことだろ?
お前もだいぶ矛盾してるな。

「世界はそもそも根底に大きな矛盾を孕んでいる。
 それは存在しているというそのものの矛盾。
 世界は最初から存在していないことの方が説明に矛盾を生じない。
 崩壊する理論の存在により最初から消滅しているとすればいい。
 しかも世界は崩壊を許さない状態で存在している。
 崩壊できないにも関わらず崩壊の理論も存在しているという矛盾。
 崩壊できないのであればその存在は無限に続くのに関わらず 
 無限な現象というものは世界には存在しない矛盾。
 なぜなら世界は有限な存在だから。
 数字の桁をいくら増やしていっても無限という数字にはならないように、
 存在するということは有限であるということ。
 世界には本当の意味での無限は存在しない。
 世界の可能性は常に有限な選択肢の中から選ばれたただ1つのもの。
 そして世界は矛盾を抱えることができない。
 だが世界そのものは存在している。
 そのことの矛盾」
朝倉の言っていた矛盾の理論についての続きなのだろうか。
長門の目には自分の主張に対する自信のようなものが感じられた。
こちらを向いてこれでもかと言わんばかりだ。

「なあすまん、こっちのお前の説明もさーっぱりよくわからないんだが……」
「あなたならいずれわかる」

長門はわずかに眉間にしわをよせ、まだ納得のいかないような表情を見せた。
「涼宮ハルヒが存在するこの宇宙では絶対にありえないとはいえないが、
 現在の宇宙法則では複数の世界というものは存在しない。
 宇宙の第一法則は世界がたった一つのものであるという前提において成り立っているから。
 過去に遡行し、その世界と全く同じ歴史を辿り、
 同じような状況の世界を作り出すことに成功したとしてもそれは変質した元の世界。
 別の世界ではない。
 ゆえにあらゆる物理法則を用いてもあなたの見た世界のことを検知することは不可能。
 わたしにとってもその世界は何も意味を成さない。
 それは妄想の世界と同義であり、
 存在しない世界ともまた同じこと。
 あなたがこうして自分の見た夢を話しているようなもの。
 議論上だけなら虚数世界と同じく存在について定義することはできなくはない。
 ただし、たとえあると仮定して有効な結論を得たとしても
 わたしが観測も干渉も出来ない以上、わたしの力ではどうすることも出来ない」

つまりだ。
あの世界は俺にとってだけ存在しているというわけだ。
「そう。
 あなたの観測がある以上、その世界の存在は完全には否定することは出来ない。
 あなたが死ぬかその記憶を消失するか、
 あるいは涼宮ハルヒの能力がなくなるまでの間だけは、
 この世界においてももう一つの世界の観測の可能性はわずかながらに残されている。
 つまり、あなたが異なる世界を観測したという現象に対し、
 後からそれを正しいとする理論が発生する可能性は残されている。
 涼宮ハルヒの力にはそれだけ無限の可能性が秘められている」

無限の可能性。
それはさっき長門が世界には存在しないといったもの。
それこそが情報統合思念体の望む進化の可能性なのだろう。

「我々が涼宮ハルヒを観測しなくてはならない理由の1つはそこにある。
 彼女の能力が存在している限り我々の持つ情報がいつ誤った物になるかわからないから」

あちらの世界と比べると、
こちらの世界の長門は朝倉というバックアップを失ったせいでずいぶんと苦労している。
それに朝倉がいれば俺がやらなくて済んでいたこともいっぱいあった。
朝倉がいない世界が正しいのか、それともいる世界のほうが正しいのかはわからない。
答えはこれから先もおそらく永久に謎だろう。

「その世界が存在していたと仮定してもいくつか不可解なことがある」

部室棟へ向かう廊下を一緒に歩きながら隣にいた長門がつぶやいた。
「なぜあの朝倉涼子があなたをパートナーに選んだのか。
 朝倉涼子はとても優秀。彼女があなたを選んで特別に得るものがあるとは思えない」
おいおい。
目の前の人間に対してホントに失礼なヤツだな。
たぶんあっちの世界の俺はこっちの俺よりいいやつだったんだろ。
「もう一つ、なぜその朝倉涼子が最後までわたしと同じ結論に至らなかったかということ。
 彼女も本当はとっくに気づいていたはず。
 世界は多重に存在しえないということに。
 そしてたとえあなたを元の世界に戻せたとしてもそのことを確認する術もないのに、
 いったいなぜそのような無謀なことを企んだのか」
長門にはまだわからないだろうな。
それはあの世界の朝倉には純真な心が芽生えていたからだったんだ。
そう、それは人間なら誰にでもわかる簡単なことだ。
相手の事を思うと目の前が見えなくなる病のようなもの。
朝倉の気持ちは漢字一字で書くそれだったんだ。
恥ずかしいから言わないけどな。


「涼子……」
ある日の放課後、俺は誰もいない教室でそっとつぶやいた。
いつかハルヒの力によってこの言葉が遠い異世界に観測されることを信じて。

      ─── 完 ───

最終更新:2007年01月15日 02:44