どうして人は後悔するのだろう
過ちを冒すからか
 
どうして人は泣くのだろう
自らの非力のためか
 
どうしようもないこと
それは誰にでもある
 
ただ、贖罪することは誰にもできない
背負って、前へと進まなきゃいけない
 
そう、他でもない
自らのために





 
          - 鶴屋少女の孤独 -





 
………
……
 
どこまでも続く原っぱ
風が吹くたびに揺れる草の絨毯
雲一つない青空
とても澄んだ心地よい風
 
鳥も虫もいない
ただ俺だけが立っている
 
ここは一体どこなんだろう?
ふと頭に浮かぶ疑問
 
どうしてこんなところにいるのだろう?
ふと心に刻まれる疑問
 
記憶をたどる
 
しかしまるで頭の中が空っぽのようだ
何も、何一つ思い出せない
 
ただ、ここはとても居心地がいい
ずっと、ここにいたい気分だ
 
俺は、昼寝をするように原っぱに寝転がった
 
どれぐらいそうして寝ていたのだろう
ここは時間の感覚すら失われるようだ
 
「ここはどこさ?」
不意に自分の顔を覗き込む存在に気づく
緑色の長い髪を持つ少女
 
その顔はとても幼く見えた
 
「どこなんでしょう」
俺は答えた
 
「わからないかい?」
「ええ」
「そっか」
「すみません、お役に立てなくて」
「気にしないでいいよっ」
少女はそう言ってニコリと笑う
 
「向こうに行ってみるさ」
そうやって少女は元来た方と逆を指差す
 
「そう、ですね、一緒に行きますか?」
「いいのかい?」
「ええ、他に行くところもないし」
 
「そういえば、君の名前はなんだい?」
少女は俺に振り向く
 
「俺の名前は────」




 
そしてそこで意識は途切れる
 
………
……
 
小鳥のさえずりが聞こえる
 
肌に暖かい陽の光を感じる
うっすらと目を開ける
 
頭がボーッとする
先程まで夢を見ていたらしい
ただ、もう夢の内容は思い出せない
 
目に飛び込んできたのは、白いカーテン、白い壁
前にも同じようなことがあったのを思い出す
 
そうか、ここは病院か
 
「キョン!」
俺が目を覚ましたことに気がついたのだろう
ハルヒが顔を覗き込んできた
 
「キョン、このバカ……」
眼が赤い
「泣いてたのか?」
カラカラに乾いた喉で辛うじて声を出す
 
「バ、バカ、ただの花粉症よ」
そうやって慌てて目元を拭うハルヒ
 
「心配しました、本当に」
ベッドの反対側に古泉がいることに気がついた
「一週間も寝ていたんですよ?」
本当に心配そうな声でお前が話すのは、前に気絶した時以来だな
 
「そんなに、か?」
「ええ、鶴屋さんをかばってトラックに轢かれたらしいですね、数分でも処置が遅れたら死んでました」
笑顔でそんな恐ろしいこと語らないでくれよ
 
「幸い出血がひどいだけで骨の方は右腕と右足にヒビが入っただけですみました」
「お前が助けてくれたのか?」
「いえ、長門さんです」
そう言って古泉はハルヒを見る
 
「有希がね、突然顔色を変えて走り出したのよ」
長門、が?
「何事かと思って追いかけたらそこであんたが倒れてるのを見つけたわけ」
あとで長門が来たときに礼を言わないとな
 
そこで不意に俺の頭に疑問が浮かんだ
 
「そういえば、鶴屋さんは?」
古泉とハルヒの顔色が変わった
まるでその質問が来るのを恐れていたような顔だった
 
嫌な予感がする
 
俺はまだ痛む上半身をムリヤリ起こした
「ちょ、ちょっとキョン、まだ起き上がっちゃ!」
「鶴屋さんは、どうしたんだ?」
 
最後に見た鶴屋さんは、大粒の涙を流していた
 
俺は古泉にもう一度疑問をぶつける
頼む、頼む、頼む
一瞬躊躇した古泉だったが、俺の目線に気圧されたのか、口を開いた
「心して聞いてください」
ハルヒは立ち上がり、後ろを向いた
 
「鶴屋さんは、あなたが轢かれたその翌日、自ら同じようにトラックに──」
 
答えを最後まで聞かず、古泉とハルヒの静止を振り切り、俺は病室を飛び出そうとした
しかしドアを開いたところで、俺は動きを止めせざるを得なかった
 
「長門……」
「あなたは絶対安静にするべき、まだ動いてはいけない」
 
病室の外でまるで待ち構えていたかのように立っていた長門
 
「通してくれ」
俺は長門の肩をつかむ
「だめ」
俺の目を見て拒否の言葉を放つ長門
「頼む」
「だめ」
「鶴屋さんは?」
「彼女なら大丈夫、命に別状はない」
 
「本当、か?」
一気に身体の力が抜けるのを感じる
「おっ、と」
古泉が後ろに倒れそうになった俺の身体を支える
 
「自分より他の人の心配をするのはあなたらしいですが、自分の身体も大切にしてください」
古泉は俺をベッドに座らせながら語る
少しだけ申し訳なくなる
「キョン、お願い、落ち着いて」
あのハルヒが、今にも泣き出しそうな顔で見てくる
流石にその顔を見て安静にしないわけにはいかなかった
 
「今、車椅子を貰ってくるから」
ハルヒはそうやって部屋をあとにする
 
………
……
 
その日の午後、俺は車椅子に乗りながら鶴屋さんの入院している部屋へと向かった
ハルヒが俺を押す
古泉は用事で今はいない
 
305室 『鶴屋』
表札を確認して、入室する
 
いた
 
部屋には朝比奈さんもいた
「あ、キョンくん、涼宮さん」
「どう?朝比奈さん」
「鶴屋さん、は?」
「命に別状はないんですが、頭をひどく打っていて、まだ眼は覚めません」
「なんで、鶴屋さんは自分からトラックに……」
俺は呟いた
「あんたが救急車で運ばれてる最中、ずっと泣いてたから」
「自分のせいでキョン君をひどいめに合わせてしまったって、泣いてました」
心が痛む
俺のせいで、鶴屋さんは身を投げるほどに思いつめてしまったのだろう
 
鶴屋さんの細い身体に巻かれた包帯
俺以上に、痛々しかった
 
俺は、約束したはずなのに
ずっと鶴屋さんの傍にいると
 
自分が情けなくなる
「キョン……」
ハルヒに声をかけられる
そしてハルヒはそのまま俺の頬を拭う
 
拭われて初めて気づく
自分が涙を流していたことを
 
なんでこんなことになってしまったのだろう
 
後悔は、あとからあとから沸いて出る
 
鶴屋さんの手には、あのキーホルダーがまだ握られていた
血で汚れた、あのキーホルダーを
 
「ぅ………」
 
不意にもれるうめき声
はっとして鶴屋さんの顔を覗く
ハルヒも朝比奈さんも見る
 
そして───
 
「鶴屋さん!」
鶴屋さんはゆっくりと目を開けた
俺は車椅子を降りて、よろめきながら鶴屋さんの横の椅子に腰掛けた
ハルヒが俺を支えてくれる
「よかった、ほんとによかった」
朝比奈さんは泣きながら笑った
 
鶴屋さんの視線がハルヒ、朝比奈さん、そして俺を順番に捕らえる
 
だけど、その表情は、明らかに彼女のものではなかった
暗く、無気力で
まるで、全てがもはやどうでもいい、そんな表情
 
「鶴屋、さん?」
 
返事はない
静寂が場を支配する
朝比奈さんは泣き止み、ハルヒはじっと鶴屋さんを見据える
 
「鶴屋さん?」
もう一度声をかける
 
喉がヒリヒリする
返事を、してくれ
 
静寂が長く感じる
鶴屋さんの言葉を待つ
しかし、意外にもその静寂はすぐに破られた──────



 
  「君達は、誰だい?」



 
──────そう、最悪の形で
 
………
……
 
静かな部屋
窓から差し込む太陽の暖かな光
 
俺は神とか、運命だとか信じているわけじゃない
身近にそういった存在がいるけどな
生まれながらに全てが決まっているなんて
そんな残酷なことはないだろ?
 
どうしてこんなことになっちまったんだろう
ハルヒのせいか?
いや、ハルヒは他人が傷つくことを望んではいない
長門も朝比奈さんも古泉も同じだ
 
じゃあ敵対組織のどこかの策略か?
いや、鶴屋さんは自ら身を投げたんだ、そんなわけがない
 
じゃあ、誰だ
誰のせいで、こんなことになったんだ?
 
決まってる
 
『俺が、ずっといますから』
 
俺のせいだ
俺の、せいなんだ
 
毎日のように、鶴屋さんの病室へと足を運ぶ
だけど、鶴屋さんはまるで俺の存在に興味を持たなかった
 
一度破られた約束
そのために支払われた代償
 
それはとても大きすぎた
 
「のど、渇きませんか?」
松葉杖をつきながら鶴屋さんに聞く
「水とか、貰ってきましょうか」
俺は辛抱強く何度も、何度も声をかける
 
だけど、鶴屋さんはめんどくさそうにただ答えるだけ
 
「いい」
「そう、ですか」
そうやって、会話はいつも打ち切られる
 
笑顔のない表情
眠たそうに半開きのままの瞳
ついこの前まで光り輝いていたその瞳
今は、ただ濁っているだけ
 
その瞳には何も映ってはいない
窓の外を見てはいるが、ただ「見て」いるだけ
世界に何の興味もしめさない
ただ、見て、いるだけなのだ
 
「じゃあ、俺はこれで失礼します」
鶴屋さんの前では笑顔を崩さない
そのことに何の意味も無い
ただ、そうするしかできなかったから
 
病室を出て、俺は静かに扉を閉じた
 
頬を伝う冷たい感触
静かに、ただ静かに、涙を流す
 
自らの無力ゆえか、約束を守れなかったことへの後悔か
ただ、俺には泣くことしかできなかった
 
病院の清潔な廊下の上に、俺の涙が雫となって堕ちる
後悔と悲哀に満ちた欠片が
 
………
……
 
目を覚ましてから五日目、俺は明日退院する
だけど、鶴屋さんを元に戻せてはいなかった
 
「おはようございます」
「……」
扉を開くと、鶴屋さんは決まって俺をじっと見つめる
その視線にはなんの感情も籠められてはいない
 
だけど、そんな視線が辛かった
 
静かに鶴屋さんの傍に座る
俺がいつもの場所に腰をかけると、鶴屋さんはもう俺に対する興味を失ったように、顔を逸らす
 
その視線の先には、あの日俺がUFOキャッチャーでとった小さなキーホルダーがあった
鶴屋さんはそれを大事そうに握り締める
俺が轢かれたときの血と、鶴屋さん自身の血で黒く汚れてはいる
だけど、とても大切そうに握り締める
 
「そのキーホルダー、まだ持っていてくれたんですね」
目を覚ましたその日から、鶴屋さんは一度もそれを手放さそうとしなかった
今の俺と鶴屋さんを紡ぐ、唯一のもの
 
「うん」
 
唐突に、鶴屋さんが返事をする
 
「何も、覚えてないけど、これは大切なもの」
鶴屋さんはキーホルダーを愛おしそうに眺める
 
わずかに、ほんの少しだが、鶴屋さんの顔に感情が戻った
 
「鶴屋さん……」
そうだ、希望を捨てちゃいけない
頑張れば、きっと元に戻るはずだ
 
もう一度、鶴屋さんのあの笑顔が見たい
また元気に笑う鶴屋さんがみたい
 
俺は気づけば鶴屋さんの手を握りしめていた
その手は、優しく、冷たい手だった
 
「……?」
不思議そうな顔で俺を見る鶴屋さん
「頑張りましょう」
そうだ、俺が、頑張らなくちゃ
「俺は鶴屋さんにまた笑って欲しいです」
「……」
いまだ沈黙を続ける鶴屋さん
 
「俺は、まだ、もっとたくさん、鶴屋さんのことを、知りたいんです」
まだ、俺の知らない鶴屋さんの欠片はたくさんある
知りたい
鶴屋さんにとって思い出すのが辛い過去もあるかもしれない
それでも、俺はその全てを知りたいんだ
 
「鶴屋さんの一つ一つの欠片を一緒に、探しましょう」
 
「……」
わからないかもしれない
伝わらないかもしれない
無駄な努力なのかもしれない
だけど、あの笑顔を、諦めることなんてできない
できるはずがない
 
「頑張りましょう」
再度繰り返す
「……」
静かに、わずかに、まるで長門のように
 
でも、確かに、鶴屋さんは頷いた
 
その瞳はわずかに潤んでいる
きっと本当は、こんな生活は嫌なんだろう
本当は寂しいんだろう
 
鶴屋さんの身体を抱き寄せる
抵抗は、なかった
「俺は、いつでも鶴屋さんの味方ですから」
 
今度は、鶴屋さんが俺の身体に腕を廻した
背中に服越しに当たる、硬いキーホルダーの感触
決意が、固まる
 
もう一度、あの言葉を語る
今度こそ、絶対に裏切らない
誓う、鶴屋さんに
そして、誰でもない、自分自身に
 
「俺が、きっと、ずっといますから」
 
鶴屋さんは再び静かに頷いた
 
人は後悔するだろう
誰だって過ちを犯すのだから
 
人は涙を流すだろう
強い人間なんかいないのだから
 
そう、人間は皆弱いんだ
どうしようもないことがあるのは、当たり前
 
だけど、犯した過ち、流した涙はもう元には戻らない
ならば、それを背負って前に進もう
 
今は重くて辛いものでも
いつかは思い出のキーホルダーにだってなるから
 
そんな欠片の一つ一つを背負っていこう
 
そう、他でもない
自らのために




 
‐ 鶴屋少女の孤独 SIDE.C. fin -
 

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最終更新:2020年08月19日 23:48