「少し、お時間を拝借してもよろしいでしょうか?」
 
と、昼休みの教室でマンガ雑誌のページを漫然とめくっていたオレに、えらく丁寧な口
調で話しかけてくる声があった。
少なくとも、オレの近しい友人知人関係で「おまえはどこのお嬢様だ?」とツッコミた
くなる話し方をするヤツはいない。なので、声を聞いただけでは誰なのかわからなかった。
顔を上げると、そこには……見知った顔ではあるが、友人とは言えない人物が悠然と微
笑んで立っている。声をかける相手を間違えているんじゃないかと思い、周囲をきょろき
ょろ見渡したが、間違いなくオレに話しかけているようだ。
 
「ええっと……オレ、ですよね?」
「左様でございます。大変心苦しいのですが、諸事情に明るく、ご自身の利益抜きに行動
していただけるのはあなただけ……と思い至ったもので」
「はぁ……」
 
回りくどい物言いは、この人のデフォなんだろう。オレは気が短いわけではないが、ハ
ルヒのストレートな物言いに慣れてしまったせいか、どうせならスパーンと話してくれな
いもんか、と思ってしまう。
 
「お話というのは他でもありません、長門さんのことです」
 
まぁ、そうだろうとは思っていた。オレとこの人で共通できる話題と言えば、長門のこ
とをおいて他にない。けれど、そっちから長門の話題を振られると、どーにも古泉から聞
いた話を思い出して居心地の悪さを覚える。
 
「そういうわけではありません。長門さんの普段の生活がどうなのか、とても気になりま
したので」
 
なるほどなるほど。ひとつだけ分かったのは、ちっとも先が見えない唐突な語り出しだ
ってことだな。
 
「長門さんは、ご存じのようにスレンダーな方でしょう? しっかり食事をしているのか
心配で心配で……」
「はぁ……?」
 
この人は、そういうところまで気にするのが仕事なのか? それも、長門のお目付役と
言えば仕方のないこと……か?
 
「それで、どうなのでしょう? あなたは特に長門さんと親しいご友人ですし、プライベ
ートなこともご存じなのではないでしょうか?」
「いや、そこまで何でも知ってるわけじゃないですが……でも、そうですね。あいつが食
ってるのはコンビニの弁当かレトルトのカレーくらいじゃないんですかね?」
 
少なくとも、長門が食材から料理を作る姿は一度たりとも見たことがない。SOS団の
合宿のときだって、ハルヒと朝比奈さんが積極的に動いて料理を作り、オレと古泉、そし
て長門は出てきた料理に舌鼓を打つだけだった。
2月に朝比奈さんが8日間だけやってきたときもレトルトだしな。ありゃ料理とは言えないだろ。
 
「やはりそうなのですね。困ったものです……正しい食生活は、わたくしたちにとっても
重要であるのに」
 
そうなのか? 最悪、飲まず食わずでも生きていけそうな気がするんだが……まぁ、食
事は摂らないよりはマシだと思うが。
 
「それで、大変恐縮なのですが……今日の放課後、少しわたくしとお付き合いしていただ
けないでしょうか? 少し長門さんに料理の手ほどきをしたいと思いまして」
「それはいいと思いますが……オレが一緒に、ですか?」
「はい。わたくしだけでは長門さんも警戒してしまいますので、あなたがいれば気も紛れ
るのではないではないかと」
 
「それは別に構いませんが……でも、何故に?」
「深い意味はございません。長門さんの健康管理も役割のうちですので」
 
それが本当かどうかはオレごときが知る術もないが……ともかく、こうしてオレは放課
後に目的不明の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース、喜緑江美
里さんと長門のマンションに行くことになったわけだ。
 
『喜緑さんのお料理教室』
 
とは言っても、オレはSOS団の活動が、喜緑さんは生徒会活動があるので、長門のマ
ンションに押しかけるにも夕方──それこそ日が暮れた時間になる。
喜緑さんからは「内緒にしていただけると、とても助かります」と言うことなので、オ
レは何事もなかったかのように過ごしていたわけだが。
 
「…………」
 
心なしか、長門の視線というか気配というか殺気というかなんというか、そんなものが
オレに向けられているような気がしてならない。
長門は長門で、いつものようにいつもの如く、いつもの場所でいつものペースを保った
まま本を読んでいるだけだ。オレを見ているわけでもない。そしてオレも、いつもと変わ
らず、古泉とゲームに興じている。
そうだな、気にしすぎだ。いくら長門だからと、オレが喜緑さんと約束していることに
気づくわけがない。長門に睨まれている気がするのも、喜緑さんとの約束で些細ながら『隠
し事をしている』という、ちょっとした後ろめたさがあるからさ。
パタリと長門が本を閉じる。それでこの日の活動は終了となり、それぞれ帰り支度を済
ませて部室を後にした。
 
何事もなく一日が終わってホッとする……ところだが、今日の用事はこれからが本番だ。
オレは誰と一緒に帰るわけでもなく、駅前のスーパーまでやってきた。何故スーパーな
のか? それは、そこで喜緑さんと待ち合わせをしているからに他ならない。
 
「急なお願いにもかかわらず、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ遅くなりまして」
 
そんな有り体な挨拶を交わし、そのままスーパーでお買い物になった。
買い物かごを手に、こうやって並んで歩いていると誤解されそうだが仕方あるまい。知
り合いに遭遇しないことを切に願うだけだ。願うだけなのだが……それとは別に、買い物
かごが、どんどん重くなるのはどういうわけだ?
 
「……えーっと、喜緑さん」
 
次々とかごの中に食材を詰め込む喜緑さんに、オレは不安になって声をかけた。肉や野
菜のみならず、料理をしないオレには用途不明な調味料まで大量に放り込まれている。
 
「何を作るつもりなんですか?」
「コスタリカ料理にしようかと考えております」
 
ああ、なるほど。コスタリカ料理ですか。……コスタリカ? なんでコスタリカ? こ
の人はホンジュラスといい、コスタリカといい、中米に何か深い思い入れでもあるんだろ
うか?
 
「なにか?」
 
ニコニコと微笑む喜緑さんなんだが、ただ……その笑顔、なんかちょっと怖いです……。
 
そもそも、オレにはコスタリカの料理について知識はまったくない。
当たり前だ。
日本においてかなりマイナーな料理に区分される料理について、多くを語れるのはよっ
ぽど雑学に詳しいヤツか、コスタリカに住んでいたヤツのいずれかに違いない。
そしてオレはそのどちらでもなく、某超能力少年に「特別何の力も持たない普通の人間」
と言わしめた男だ。コスタリカ料理について朗々と語れる言葉を持っていないのは当たり
前、さらに超高度な知性を持つ情報生命体から作られたアンドロイドを説得する言葉なん
て、即座に口をついて出てくるわけがない。
本当にこれ全部使うのか? という食材を大量に買い込んだ喜緑さんの荷物持ちとし
て、オレは黙って後をついていくしかできなかった。
 
この日ばかりは、自転車を使っていて助かったと心から思いたい。大量に買い込んでる
なーと思ったら、調理器具類もいつの間にか買い込んでいた。その量たるや、自転車にく
くりつけて運んでもまだ重い。
そんな喜緑さんはオレに先に長門のマンションに行くように言いつけて、どこかへ行っ
てしまった。「買えなかった食材を調達してまいります」とのことだが、何故だろう、現
地まで買い付けに行っている姿が脳裏をかすめた。手段や方法は考えたくもないね。
それはともかく。
大量の食材を手に長門の部屋の部屋番号を押してからベルボタンを押した。
 
『…………』
相変わらずの無言対応で困ったものだが、そういうものだから仕方がない。
「あー……オレd」
『帰って』
 
おいおい、最後まで喋らせてくれよ。しかも第一声がそれか? まさか長門の口から拒
否のセリフがでるとは……かといって、このまますごすごと引き下がることもできない。
 
今のオレの状況は、門前の虎に後門の狼って感じだ。下手に引き下がろうものなら、喜
緑さんに怒られてしまう。何故かわからんが、ああいうタイプは怒らせないほうがいい気
がするんだ。
なので、オレは必死になって弁解じみたことをインターフォンに向かって並べ立てた。
 
「そういうわけにも行かなくてだな。オレもちょっと困ってるわけで、できることなら入
れてもらいたいんだが」
『嫌』
 
訪問販売でケンモホロロに追い返されるセールスマンの気分がちょいとばかり分かった
気がする。初めて顔を会わせた時だって、愛想こそなかったが、ここまでの拒否反応は示
していなかったじゃないか。
困ったな。これはどうしたもんか……。
 
「そうおっしゃらずに、中に入れていただけないかしら?」
 
ぅおぅっ! びっくりするじゃないか。いったい何時の間に現れたんですか、喜緑さん!?
 
『…………』
 
しばしの沈黙の後、インターフォンの通話が切れてエントランスの鍵がはずれた。はず
れたのはいいんだが、もしかして長門、通話切る前に舌打ちしてなかったか?
 
「ささ、参りましょう」
 
オレは別の意味で参りそうですよ。
 
などとは言えず、オレは喜緑さんを盗み見た。手にはずいぶん薄汚れた袋が握られてい
る。その袋に書かれている文字は……すまん、英語の成績さえ危ういオレに、スペイン語
なんて読めるわけがない。
 
「オレの気のせいかもしれませんが、長門のやつ、嫌がってませんか?」
「それは気のせいですね」
 
即答ですか。笑顔で即答するとはさすがですね。
 
廊下を歩き、長門の部屋の前が見えてきたころには、玄関先でドアから右半分だけを見
せている長門の姿があった。
ううむ、なんだろうあの視線は。あいにくオレは悪霊や妖怪の類に知り合いはいないが、
そのときのオレに注がれる長門の視線は、四谷怪談のお岩さんだって可愛く見える代物な
んじゃないかと思える、それはそれはステキな恨み節が込められている気がするんだ。
 
「今晩は、長門さん。その様子だと、わたくしたちが来た理由もわかってるようですね。
お邪魔してもよろしいかしら?」
 
長門は喜緑さんをちらりと見て、再びオレを見て──気のせいでなければ、長門は今、
初めてため息を漏らした……ような気がする。
部屋の中に引っ込んだ長門に続いて、喜緑さんが部屋の中に入る。そしてオレはそのま
まおいとましようかと考えたが、長門がオレのベルトを引っ張って逃がさなかった。せめ
て12月に変革した世界でのおまえのように、恥じらいを持って引き留めてくれ。
 
長門の部屋に、唯一あいつのものだと言えるコタツの前に座るオレの今の気分は、眠っ
てる虎の口の中に頭を突っ込んでるようなものだった。落ち着かないのは落ち着かないん
だが、その落ち着かない気分をさらにソワソワさせることが、ひとつだけある。
 長門、喜緑さんが履いているウサギさんスリッパは、おまえが自分で買ったのか?
 
「長門さん、彼から話を聞きましたが、あまり食事に気を遣っておられないようですね?」
 
まるで自分の家のように台所に向かって買い込んだ食材その他を置いて戻ってきた喜緑
さんが、まるで一人暮らしをしている娘の家にやってきた母親の口ぶりでしゃべり出した。
 
「よろしいですか? 食事というものは、有機体にとって欠かすことのできないものなの
です。生命活動を維持するため、他の生物の命を取り込み糧とする行為は、それはそれは
重要なものなのです。ですが、その行為そのものを当たり前のものと割り切り、漫然と食
事をするというのは、我々の糧になるために犠牲となった食材に対して申し訳ないでしょ
う? ですからわたくし、有機体の命は極めて短く、刹那的なものであるにもかかわらず、
それを奪ってなお一般的な味覚レベルにおいて劣っている味付けの料理を口にしたとき
は、それはそれは悲しくなってしまいます。ですが、食材の味を十二分に引き出した料理
を口にしたときは、自然と笑みがこぼれるステキなものなのです。その喜びを知らずして、
新たな進化の可能性を知ることが我々にできるでしょうか? できるわけがございませ
ん。わたくしはそこに、人類が不完全に有機生命体でありながら、急速な自律進化を経て、
保有する情報を拡大させて進化できたのだと考えております。なので長門さん、料理をし
ましょう」
 
あ~……なんと言うか、長門よ。喜緑さんはエラーが蓄積しちまっててバグってるんじ
ゃないよな? オレはここまで食事に関して饒舌なヤツは見たことないんだが……喜緑さ
んってこんな人だったのか?
そもそも、何が「なので」で「料理をしましょう」な話になるのか、誰でもいいから説明して
くれないだろうか。
 
「夕飯は食べた」
 
喜緑さんの革命家の演説顔負けの言葉とは裏腹に、長門の返事は極めて短い。というか
おまえ、喜緑さんがしゃべり出したと同時にカーペットの編み目数えてただろ?
 
そんな長門を見て、喜緑さんはふぅっとため息を吐いた。
 
「先ほど、お台所を拝見いたしましたが、積み上げられていたのはレトルトカレーの空き
缶とコンビニ弁当の空箱ばかりではないですか。よろしいですか? そもそも食事という
のは……」
「ええっと、とりあえず喜緑さん、オレらは長門に食事の大切さを説きに来たわけではな
いと思うんですが」
 
このままだと、再び食に対する熱い思いを語り出すと思ったオレは仕方がないので止め
に入った。あんな話を何度も聞かされちゃかなわないからな。
 
「そうでした。本来の目的を忘れてしまうところでしたわ」
 
少なくとも9割くらいは本来の目的を忘れていたと思うんだが、これ以上、話をこじら
せても仕方がない。オレの胸の内にしまっておこう。
 
「長門さん、あなたに料理の楽しさを教えてさしあげます。キッチンに参りましょう」
 
にっこり微笑む喜緑さんと、無表情を貫く長門。その間に挟まれているオレ。
妙な緊張感に包まれている気がするが、それはオレの気のせいだろう。気のせいに違い
ない。いやもう、深く考えるのがイヤになってきた。
 
長門は喜緑さんに向けていた顔をグググと動かしてオレを見て、ギギギと動かして喜緑
さんに視線を戻す。まるでデキの悪いブリキ人形のような動きだ。
そして、さらに時間は流れる。いったいその間に長門と喜緑さんの間でどんなテレパシ
ーが交わされていたのか、オレには推し量ることもできない。
 
しばらくして長門は立ち上がって台所へと無言で向かい、その後に喜緑さんも微笑みな
がらついて行った。どうやら交渉が成立したらしい。オレが置いてけぼりを食らっている
のは、見ての通りだ。
 
「そうそう」
 
と、台所に引っ込んだ喜緑さんがオレのことを思い出してくれたようだ。
 
「あなたはそこでごゆっくりなさってます? それとも、見学なさいます?」
 
そりゃもう、ここで暇を持てあますよりは見学でもしてたほうがマシってもんです。そ
もそも長門がまともに料理をするところなんて、なかなか見られるもんじゃない。前のと
きは、レトルトを温めてキャベツ丸ごと一個を千切りにしただけだしな。
 
台所へ向かうと、長門がエプロン姿で包丁を握りしめてボーッと立っていた。ああ、こ
ういうキラーコックが出てくるC級ホラー映画があった気がするなぁ、などと思ったが、
とてもそんなことは言えやしない。他の言い方をすれば、絵描き歌のかわいいコックさん
とでもしておこうか。
 
見学に来たはいいが、あいにくオレに出来ることは何もない。テーブルに腰を下ろし、
水回りで動き回る2人の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの
後ろ姿をボーッと眺めることにした。
 
こういうシチュエーションはあれだ。男にとっては嬉しいシチュエーションなんだろう
な。オレのために、というわけじゃないのががっかりだが、それでも目の前で2人の女性
が料理を作っているわけだ。これを眼福と言わず、なんと言おう。
 
いやはや、微笑ましい……な~んてな。そんな生やさしいもんじゃないのが現実だ。
 
後ろ姿しか見てないからオレの主観になって申し訳ないが、少なくともオレの目には、
長門は無表情で包丁を振り回して肉や野菜を刻み、喜緑さんはニコニコと笑顔を浮かべな
がら鍋の前でぐつぐつと何かを煮込んでいるようにしか見えない。
 
……何故だろう、妙な怖さを感じるのはオレの気のせいだろうか?
 
この間、2人の間に会話なし。まぁ、オレには分からないテレパシーで会話してるのか
もしれないが、例えそうだとしても、どんな舌戦が繰り広げられているのかなど考えたく
もないね。考えるなら、出てくる料理について考えた方が健全そうだ。
 
なんだっけ? そうそう、コスタリカ料理と喜緑さんは言っていた。ならばコスタリカ
ってのはどんな国だっけ? とオレは必死に頭の中で地理の教科書を紐解いていた。
確か……コスタリカと言えば、かつてスペイン領だったとこだ。おまけに世界各地から
移民がやってきて、そこの料理と言われても世界各地の本格的なレストランがあるんじゃ
なかったかな。そんなとこの料理と言われても、当然ながらピンとこない。
 
「…………」
 
などと考えていると、長門がオレの前に揚げ物を差しだしてきた。
 
「お待たせして申し訳ありません。まずは前菜でも召し上がっていてください」
 
とは喜緑さんの弁。前菜ということは、コース料理にするつもりか? まさかこれ、食
べたら虫歯が抜けて健康な歯が生えてきたり、眼球がしわしわになるくらい涙が流れて眠
気スッキリしたりしないよな?
 
そもそも喜緑さん、長門に料理を教えるはずなのに、あなた1人で作ってませんか?
 
「えーっと、これなんですか?」
「Empanadaです」
 
日本語でOK。
 
「エンパナーダと言いまして、トウモロコシの粉や小麦粉で作った皮の中にお肉やお豆を
入れて揚げたものですわ。そちらには煮卵を入れてあります」
 
なるほど、そういう食べ物ですか。それじゃ、まずは一口……なるほど、近い味として
は揚げ餃子みたいな感じだな。ただ、中に煮卵が入っているもんで食感としては新鮮だ。
というか長門、何故オレをそんなに睨む?
 
「……ああ、食べるか?」
 
いつもより分かりやすく頷いた。さすが食欲旺盛な宇宙人。食い意地が張ってるのは相
変わらずか。オレ1人でちまちま食うのもつまらんし、食べかけで申し訳ないが箸でつま
んで食べさせようとすると、皿の上に乗っかってるものを一瞬で食われた。
……これは、オレに食べさせられるのが恥ずかしかったから、という照れ隠しというこ
とにしておこう。
 
「お次はサラダですわ。Ensalada de Repolloです」
「えんさ……なんですか?」
「エンサラーダ・デ・レポージョ。キャベツの千切りにサイコロの形にカットしたトマト、
フレッシュコリアンダー、絞りたてのレモンジュース、オリーブオイルを混ぜたもの。冷
やせば日持ちする」
 
はぁ、なるほど。それでどうして長門がそこまで詳しく解説してくれているんだ? と
いうか、もうすでに料理する気ないだろ?
 
こうなってくると、喜緑さんもノッて来たのか長門無視で1人勝手に料理を続けていた。
この人の場合、出来上がった料理を食べるのが目的じゃなくて、作ることの方が重要なの
だろう。そういう意味でも、長門とは正反対だ。
そして長門はというと、喜緑さんに代わって出される料理の解説をしつつ、オレと一緒
になって飯を食っている。もはや作ることは放棄したらしい。まるで親鳥がエサを運んで
くるのを待つヒナみたいだな。
 
次から次に出てくる料理をオレ(と長門)は食べ続け、喜緑さんはとにかく作り続ける。
途中から食うことに夢中になって、メニューのことなんて聞かなかったし、長門も黙々と
食っていた。
それだけ美味かったということだ。コスタリカの料理なんて初めて食うが、なかなかマ
イルドな味わいで、ついつい箸がのびる。
 
そして何より特筆すべきことは、喜緑さんの後ろ姿だ。料理の邪魔にならないように髪
を結い上げ、ポニーテールにした上で、鼻歌を口ずさんでいる。
素晴らしい。完璧だ。非の打ち所がないほどにパーフェクト。
当初の理由はどうあれ、ポニーテールの似合う女性で楽しそうに料理を作るような人を
恋人にしたいもんだ。
 
「ぃっで!」
 
長門、椅子を引いたときにオレの足を轢いたのは狙ってやったのか? 理由は……まぁ、
聞かないでおこう。
 
「それにしても喜緑さん、本当に料理上手ですね」
 
食後となり、お茶をすすりながらオレは素直な感想を述べた。食に対する熱い思いは伊
達じゃないね。
 
「料理を作るのも楽しいですけれど、そう言っていただけると嬉しいものですね」
 
うふふと微笑みながら、喜緑さんは満足そうだ。いいね、うん。やはり女性はこういう
一面がないとな、と思うと脳裏にハルヒの顔が浮かんだ。
何故だろう、ちょこっと泣きたくなった。
 
「今日の調理方法は長門さんも習得されたと思いますので、今後は長門さんに調理してい
ただいてはいかがでしょう?」
「長門が? ただ横で食ってただけだと思うんですが……」
 
オレはちらりと無表情娘に視線を向けた。どこを見るわけでもなく、ずずずとお茶をす
すっている。
 
「有機体である以上、個を尊重するために普段はそのようなことはありませんが、相互の
許可があれば情報共有が可能ですので」
 
そりゃ便利なもんだなぁ……と思ったが、かといって長門が作ってくれるとはとても思
えないんだが……改めて長門を見ると、今度は目が合った。
よし、無理だ。今日のごちそうは一夜の夢と思おう。それが一番……って長門さん、何
で台所に立ってるんですか? 何を作り出してるんですか。
 
「はい」
 
そう言って長門が差しだしてきたのは、ひとつの皿に肉と黒豆入りのご飯とキャベツの
サラダとフライドポテトが盛り込まれたものだった。
 
「えーっと……」
「カサード。コスタリカ風の定食」
 
そ、そうか。おまえが言うならそうなんだろうな。しかしオレ、もう食えないぞ?
 
「食べて」
「…………」
 
長門、こわいよ長門。
喜緑さんも見てないで、助けてもらえないですかね?
 
「せっかく長門さんが作ってくださったのに、箸もつけないのは如何なものかと思います
けれど?」
 
微笑んで、しれっとそんなことを言う。何を楽しそうにしているのか、是非とも聞かせ
ていただきたいですね。……この状況からうまく逃げられたらだけどな。
……ああ、食うよ。食いますとも。経緯はどうあれ、長門が作ってくれたんだからな。
だからそんな、視殺できそうな目つきで睨まないでくれ。
 
翌日になっても、胃の中に詰め込まれた飯は消化しきれなかった。それでも完食したオ
レは、ホットドッグの大食い選手権でそこそこの成績を残せると確信したね。
 
「どうしたのあんた、臨月間際の妊婦さんみたいな顔してるわね」
 
いつもオレより先に教室に来ているハルヒが、オレのことをそう表現した。おまえは臨
月間際の妊婦さんをそんなによく見るのか、とか、いつから産婆さんになったんだ、など
とツッコミたいところだが、残念ながらそんな余裕はない。
 
「昨日、食い過ぎて胃もたれ起こしてるんだ」
 
朝の挨拶代わりに、昨日の出来事をついつい話題に出してしまった。その途端、ハルヒ
は時代劇の悪代官顔負けのいやぁ~な笑みを浮かべた。
 
「へぇ、あんた、そんな楽しそうなことに巻き込まれて、あたしに何の相談もしなかったわけ?」
 
当たり前だ。おまえに話を振っていれば、長門の家がキッチンスタジアムになっちまう
だろうが。これ以上、食い物を詰め込まれたらフォアグラが出来ちまうだろ。
 
「けどさ、喜緑さんって生徒会の人でしょ? なんで有希に料理なんて教えようって思っ
たわけ?」
「ん~……遠い親戚なんだそうだ。なんだっけかな、父親の祖父の弟の妹の旦那さんの娘
……だったかな?」
「それって全然他人じゃない?」
 
しまった、もっと近い血縁ってことにしときゃよかったかな。ハルヒに突っ込まれると
は、オレも落ちぶれたもんだ。
 
「でもまぁ、有希もあれよ。料理だったらあたしに任せればいいのに。あんたも大喜びの
メニューがあるのにさ」
 
ハルヒの料理の腕前には疑いもないが、オレが大喜びのメニューには興味がある。
 
「でもそれには、みくるちゃんの協力が必要なんだけど」
 
……何故だろう、オレは予知なんてできないが、ハルヒが次に言いそうなことが、なん
となく分かってしまった……が、それを真面目に言うとしたら、こいつは正真正銘のアホ
かもしれん。
 
「……試みに聞くが、どんな料理だ?」
 
得意満面で胸を張り、ハルヒはビシッとこう言った。
 
「女体盛りに決まってるじゃない!」
 
今日の懸案事項は、放課後にどうやって朝比奈さんを守るか? てことにたった今、決
定した。はぁ~……やれやれ。
 

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最終更新:2021年12月01日 23:09