長門ふたり
 
第六章 ハルヒ、古泉に恋す。
 
とある日曜日。僕は長門さんのマンションに呼び出された。何の用事かは
知らされていない。今朝、起きるといきなり長門さんから携帯に電話が入り、
「来て」
とただ一言告げただけで切れた。かけてきたのが長門さんAなのかBなのかは
電話では知りようが無いが、とにかく、呼び出されたからには行くしかないだろう。
マンションの入口で長門さんの部屋のルームナンバーを押し、オートロックの
鍵を解除してもらってからマンションに入る。エレベーターで上り、
部屋のドアをノックして入れてもらう。部屋の唯一の調度であるこたつの右に
長門さんAが左にBが座り、真中に僕が座った。
長門さんAが切り出す。
「あなたの言う通り、わたしたちは彼を共有した」
「助かっています」
「しかし、この状態は問題がある」
「と言いますと?」
「彼の注意のほとんどが涼宮ハルヒに向いている」
はあ、それはそうだろうな。壁でおとなしく本を読んでいる地味目の
美少女と、放っておいたら世界を破壊しかねない派手目の美少女の
どっちが気になるか、といえば後者だろうし。
「お気持は解りますが、こればっかりはなんとも」
「わたしたちもそう思っていたが間違いと気づいた」
「どう間違っているのですか?」
「彼の注意を涼宮ハルヒからそらす方法がみつかった」
「それはそれは。彼の脳を改変しますか」
「それはあまり好ましくない」
「では、どうされるのですか?」
「彼の注意が涼宮ハルヒに集中しているのは
涼宮ハルヒが彼に固執していることの裏返し」
確かに。ヒューマノイドインターフェイスも有機生命体の心理について
研究がかなり進んだんだな。
「涼宮ハルヒの注意を他に向ける」
「なるほど、それは考えませんでした。それならば...」
「涼宮ハルヒの注意があなたに向くように脳の改変を行った」
「今、なんと言われましたか?」
「通俗的な言語で言うと『古泉一樹が好きで好きでたまらない』状態に誘導した」
「ちょっと待ってください、そんなことを勝手に...」
僕はつい最近、長門さんがダブル改変した世界での僕と涼宮さんの
関係を思い出した。みんなが見ているところで弁当を食べさせあう仲。
放課後に毎日、あんなことやこんなことを繰り返す仲。
「あなたが心配しているようなことは何も起きない。大丈夫」
「しかし...」
「これは、朝比奈みくる流に言えば『既定事項』。拒否するなら
彼を共有すると言うあなたの提案も拒否する」
僕は彼の二重化を思い出した。それはそれでひどく困る。
「これで話は終わり。帰って」
僕はマンションを追い出されてしまった。
涼宮さんの様な美少女と「深い仲」になるのはほんとうは
満更でもないことなのかも知れないが、こと、相手が涼宮さんとなると
ちょっと大変すぎる。毎日、弁当を食べさせあわないといけないのだろうか?
みんなが見ている前で。頭がいたい。
 
次の日、うわべではいつもと同じ作り笑いを浮かべながら、その実、
緊張しながら文芸部室のドアを開けた僕の目に飛び込んで来たのは、
僕の姿が目に入った途端、にやりと笑うと僕の方にとんでやってくる
我等が団長さまの姿だった。
「古泉くん、次のみくるちゃんの衣装、何がいい?」
いまだかつて、僕は意見など求められたことなど一度もない。
いつも何か意見を求められているように見えないでもないかも知れないが、
実際には同意しか期待されてないのだから、あれは違う。
それにしても、顔近付けすぎですよ、涼宮さん。
「考えといて。あと、ホームページのメンテは今日から古泉くんに
やってもらうことにしたから。そうそう、忘れるとこだったけど、
副団長は今日からキョンにやってもらうことにしたわ。
悪いけど古泉くんは格下げね」
何か話がおかしい。涼宮さんは『僕が好きで好きでたまらなく』なったんじゃ
なかったのか?じゃあ、なぜ、僕に次々とつまらない用事をいいつけるのだろう?
僕に恋しているようには全く見えないが....。
「古泉くん、早速だけど、今日、有希の部屋で鍋パーティをすることに決まったから
このリストにある食材を買って有希のマンションに持ってきてくれる?
あ、代金は立て替えておいてね」
渡されたリストはA4サイズの紙一枚分あり、その全てを買い揃えて
長門さんのマンションに持っていくのは半端ではない大変な作業だった。
にも関わらず、長門さんのマンションに青息吐息でやっとたどりつた僕に
涼宮さんは一言
「古泉くん、遅い!」
と言い放っただけだった。
 
次の日から涼宮さんの挙動はすっかり様変りした。まず、朝比奈さんをいじめるのを
わざわざ僕がいるときを選んでやるようになった。僕が止めにはいると本当に
うれしそうに僕にくってかかった。彼はと言えば
「いいアイディアだと思うぞ、ハルヒ」
とか
「全くそのとおりだな、ハルヒ」
などとお気楽に、先週まで僕が口走っていたセリフそのままに口走っている。
そう言いながらにやりと僕の方をみて笑う彼をみるとむかっ腹がたった。
それでやっと、なぜ彼がしょっちゅう僕の方を見て苦虫を噛みつぶしたような
渋い顔をしていたのか解るようになった。本当、これって頭に来るな。
「古泉くん、あれやって」
「古泉くん、これやって」
と涼宮さんはなんでもかんでも僕に言いつけて僕をこき使うようになった。
僕はとうとうへとへとに疲れ果てて、どう頑張ってもいつもの作り笑いすら
できなくなり、彼がよくしていたように文芸部室の机につっぷして
居眠りをするようになった。
おかしい。絶対に変だ。涼宮さんは『僕のことが好きで好きでたまらなくなった』
んじゃないのか?だったら、なんで僕にこんなにつらくあたるんだ。
彼はと言うとすっかり時間を持て余し、長門さんの目論見通り、
彼女の隣に座ったりするようになった。よく解らないが、
無駄話などとも交わすようになったようだ。
涼宮さんの脳の改変は何かが間違って失敗したようだけれど、
彼ともっと交流したいと言う長門さんの希望は見事に
適っていた。
 
長門さんが涼宮さんの脳を改変してから二度の目の金曜日が来る頃には
僕は歩けない程へとへとに疲れきっていた。
涼宮さんの僕に対する要求は留まるところを知らず、エスカレートする
ばかりだった。もう限界だ。その日、涼宮さんが
「古泉くん、ちょっとあれと....」
と言いかけたとき、僕はとうとうこう言わなくてはいけなくなった。
「すみません、涼宮さん。僕はへとへとです。今日は勘弁してくれますか?」
その時の涼宮さんの顔ったらなかった。よもや、僕が断るとは
夢にも思っていなかったようで、
横っ面を思いっきりはたかれたようなポカンとした顔をした。
次の瞬間にはこれ以上の不快は無い、という不機嫌な顔になり
「あ、そう。じゃあ今日は帰っていいわ」
と言った。僕は早々に文芸部室を引き上げた。
今日こそはゆっくり休まねば。死んでしまう。
そのとき、僕の携帯がコールされた。携帯を取り出して読んだ僕の目に
飛び込んで来たのはこんなメイルだった。
「最近、まれにみる巨大な閉鎖空間が発生。急速に増大している。
至急、出動されたし」
.....もう、死にたい。
 
その日の閉鎖空間はいつになくやっかいで、倒しても倒しても
神人が出現し、僕等は全力で戦わなくてはならなかった。
やっと閉鎖空間が消滅し家に辿り着いたときには夜中の2時を回っていた。
あと一人神人が出現していたら、間違いなく、僕の心臓は悲鳴をあげて
停止していただろう。家にたどりついた僕は着替える元気すらなく
そのままベッドに倒れこんだ。あとのことは全く覚えていない。
 
翌日の土曜日、僕は長門さんのマンションに向かって歩いていた。
僕は涼宮さんが誰かを「好きで好きでたまらなく」なったらその相手に
どういう態度をとるか、という点で根本的なあやまちを犯していた。
ダブル改変世界で僕とバカップルを演じてみせた涼宮さんは本来の
彼女ではないのだ。あれは僕をつなぎ止めるために長門さんが
つくり出したフィクションだ。
誰かが「好きで好きでたまらなく」なった場合に涼宮さんが
することはあんなことじゃない。
考えても見ろ。涼宮さんは、あの5月の日、世界を消滅させかけたあの日に、
たった一人、彼だけを選んで連れていったのだ。
本人が自覚的にどう思おうと、彼女くらいの年格好の女性が
世界でたったひとりだけ男性を選んだら、それが何を意味するかは
聞くだけ野暮だろう。でも、涼宮さんは彼にどんな仕打を
していただろうか?まさに、今、僕が涼宮さんにされているのと同じことをそっくり
そのまま彼にしていたではないか。長門さんは目論見通りに涼宮さんの脳を
改変したのだ。僕がとんでない勘違いをしていただけのことだ。
長門さんのマンションに着くと僕は彼女達にお願いした。
「すみません、元に戻してください。もう体が持ちません」
長門さん達はお互いに顔を見合わせると言った。
「それは残念。涼宮ハルヒから開放された彼は、私達と
頻繁にコミュニケーションをするようになった。彼も
幸せ、私達も幸せ、涼宮ハルヒも幸せ。完全な解決策と
思っていた」
「あなたは、涼宮ハルヒの脳を改変すると告げたとき、
強く反対しなかった」
「いや、それは長門さん達が問題ないと言われたので...」
「私達は、『あなたが心配しているようなことは何も起きない』と言っただけ」
確かに。僕が心配したようなことは起きなかった。心配しなかったことが
起きてしまったわけだが。
「そのとおりです。ですが、予想外の事が起きて、対応に苦慮しています。
長門さん達はこうなると知っておられたのですが」
「知っていた」
「しかし、彼は問題なく耐えていたので、有機生命体の男性は常に
女性の理不尽な要求に耐える能力を備えていると判断した。
間違っていたのか?」
いや、間違ってませんよ。ただそれには重要な条件があります。
きっとあなたたちには理解できないような、ね。
「とにかく、限界です。あと一週間この状態が続いた場合、
僕は自分の精神を正常に維持する自信がありません。
お願いですからもとに戻してください」
「とても残念な結論」
「彼も涼宮ハルヒもそう思っていると思う」
「お願いします」
僕はそう頭を下げてマンションを後にした。
長門さん達は僕の願いを聞き入れてくれるだろうか?
もし、聞き入れてくれなかった場合には..。自分でも自分が
何するかちょっと自信が持てない...。
 
週明けの月曜日、涼宮さんはまるで手の平を返したように、こう宣言した。
「やっぱり、副団長はキョンじゃ役不足よね。古泉くんに副団長を
やってもらうことにするわ。キョンは格下げね。じゃあ、さっそくだけどキョン...」
こうして彼の平穏な日々は2週間足らずで終息し、彼はまた
希代の変人涼宮ハルヒによる無限地獄に叩き落とされ、僕はと言えば
傍観者の立場に戻った。この境遇に何ヶ月も耐えていたとは驚嘆に値する。
早晩、長門さんのストレスが限界に達して、またなんらかの行動を起こすのは
間違いないだろうけれど、とりあえず、しばらくは大丈夫だろう。
長門さん、有機生命体の男性が女性の理不尽な要求に耐える能力を
備えているための条件を教えてあげましょうか?
それはね、男性が女性にこれ以上無いくらい惚れ込んでいる場合なのですよ。
勿論、彼は自分がこの条件を見たしていることを強く否定するでしょうけどね
....。
 

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最終更新:2020年03月15日 22:31