Report.04 涼宮ハルヒの認識(後編)


 朝、廊下。わたしはいつもの時間に登校して、いつものように自分の教室へ向かっていた。
 前を見ると、涼宮ハルヒが、手に紙束を持ち、わたしに向かって歩いてきた。そしてわたしの近くまで来ると、突然、
「わっ!?」
 何もないところで躓いて転んだ。手に持っていた紙束が主にわたしに向けて盛大に撒き散らされる。
「わっ、わっ、わっ……!?」
 涼宮ハルヒはあたふたしながら紙を拾い集めだした。
「あっ、そ、そこの、カーディガンの人! てっ、手伝ってくれませんかっ!?」
 わたしの目を見て必死に何かを訴えかけながら言った。
 涼宮ハルヒのすることには必ず理由がある。わたしは肯くと、紙を拾い集めるのを手伝った。散らばった紙をすべて拾い集め、わたしが拾った分を涼宮ハルヒに手渡そうとすると、彼女は素早くわたしの手首を両手で掴むと、一気に自分の近くに引き寄せた。
「あ、あのっ、ありがとうございますぅ~」
 涼宮ハルヒは目を潤ませ、顔を近づけながら礼を言った。相当顔が近い。わたしの視界が涼宮ハルヒの顔で埋まる。紙束で隠れる格好となった涼宮ハルヒの手が、わたしの胸元をまさぐった。かなり乱暴な手つき。
「あのっ、それではこれでっ。あっ、ありがとうございましたぁ~っ!!」
 すぐに涼宮ハルヒは立ち上がり、そそくさと立ち去った。
 わたしは教室に入り、自分の席に着くと、いつものように本を取り出し読み始めた。そして本で死角を作りながら、先ほど涼宮ハルヒにまさぐられた自分の胸元を確認する。
 やはり、紙片が残されていた。内容を確認する。
『今日の放課後、誰もいなくなったら、あたしの教室で。』


 放課後、いつもの部室。三人しかいない最近の風景。時折朝比奈みくるがお茶のお替りを淹れる以外、誰も何も言わない。わたしがパタンと本を閉じると、皆は帰り支度を始める。これだけが、あの日以前から変わらないこの部室の風景。
 彼らには、涼宮ハルヒからの呼び出しのことは伝えていない。涼宮ハルヒは他の団員と接触を絶つなか、芝居を打ってまでわたしに接触してきた。その行為の意味を推測し、わたしが単独で接触するのが妥当と判断した。
 わたしは皆と別れ部室を出ると、涼宮ハルヒが待つ教室へと向かった。教室の扉を開ける。涼宮ハルヒは自席に座っていた。
「あ……」
 涼宮ハルヒはわたしの姿を見ると、安堵した表情になる。しかしすぐに真剣な顔で辺りをキョロキョロと見回す。
「この教室の近辺に人はいなかった。ネットワーク上の書き込みを分析すると、最近この学校がセキュリティを強化したため、彼らは校内には一切立ち入れない。ここは安全。」
 そこまで言うと、ようやく涼宮ハルヒは本当に安堵した。
「ふぅ~。あ、有希、早(はよ)こっち来て座って。」
 自分の前の席を指して言う。わたしは肯くと、念のため教室の扉の鍵を情報改変した。これでこの教室は、内側からしか扉を開けられない。
「いつどこで誰に見られてるか分からへんから、なかなかみんなに近付かれへんかって。今朝、何とか有希にメモを渡せて良かった。気付いてくれへんかったらどうしようか思(おも)たわ。」
【いつどこで誰に見られてるか分からないから、なかなかみんなに近付けなくて。今朝、何とか有希にメモを渡せて良かった。気付いてくれなかったらどうしようかと思ったわ。】
 わたしは涼宮ハルヒの顔を見ながら、無言で頷いた。
「さて……わざわざ呼び出したんは他でもない。あんたに見てほしいもんがあんねん。」
【さて……わざわざ呼び出したのは他でもない。あんたに見てほしいものがあるの。】
 そう言うと涼宮ハルヒは、鞄から封筒を取り出してわたしに手渡した。
「読んでみて。」
 わたしは封筒の中身を取り出す。中には便箋が入っていて、達筆だが読みやすい丁寧な字がしたためられていた。わたしはその手紙を読んだ。

 


 前略

  二度と近付かないという約束を破っての、突然の手紙で失礼いたします。これだけはどうしても伝えなければならないと思い、筆を執りました。
  先日は、あのように大変失礼な行動であなたに多大な迷惑を掛けてしまいました。真に申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます。
  当時はそのような立場に置かれた時、どれだけ不愉快な思いをするか全く感じることができませんでした。現在、私は同じような立場に置かれ、あの時私があなたにしたことと同じようなことをされています。そのような状況になって初めて、あの時あなたがどのような気持ちでいたか思い至ることができました。
  今に至るまで人の痛みを知らず気付かなかった、己の不明を深く恥じます。
  いくら言葉を重ねても謝罪には程遠いこととは存じますが、せめてもの誠意をと思い、こうして手紙という形でお伝えさせていただきました。今後は二度とあなたの周囲に近付くことはしないと約束します。
  このような手紙を見てあの時を思い出し、また不愉快な思いをさせてしまったかもしれません。重ねてお詫び申し上げます。真に申し訳ありませんでした。

草々

涼宮ハルヒ



「……どう……?」
 涼宮ハルヒは、不安そうな顔でわたしを窺っている。
「あたし、こんな状況になって初めて、気ぃ付いたことがあんねん。」
【あたし、こんな状況になって初めて、気が付いたことがあるのよ。】
 涼宮ハルヒは、当時は分からなかった少女Aの気持ちに、自分が同じような立場に置かれて初めて気付いたこと、今まで全く他人の気持ちを推し量ることを知らなかったことを少女Aに伝え、謝罪したいという。
 しかし、先日の一件で会わないことを約束し、また自分もどのような顔で会えば良いのかわからないので、手紙という手段を使って謝罪の気持ちを伝えることにした。そして、謝罪の手紙を書くのは初めてのことなので、先方に失礼のないよう、わたしに内容を確かめてほしいと言ってきた。
「あたし、こんな真面目な手紙なんか書くん初めてやし、どんなこと書いたらええんか分からへんから……有希は物知りやし、いっつもいっぱい本読んどぉやろ? せやから……な? お願い。」
【あたし、こんな真面目な手紙なんか書くの初めてだし、どんなこと書いたら良いのか分からないから……有希は物知りだし、いつもいっぱい本を読んでるじゃない? だから……ね? お願い。】
 わたしに、『心からの謝罪の手紙』の添削など、できるのだろうか? わたしは、何度も何度も手紙を読み返した。しばらくして、言う。
「問題ない、と思う。」
「ほんま!? 何か失礼なこととか、書いてへん? 書かなあかんこと書き忘れてへん?」
【ほんと!? 何か失礼なこととか、書いてない? 書かなきゃならないこと書き忘れてない?】
「あなたは自分の今の気持ちを彼女に伝え、謝罪したいと思った。この文面で気持ちは伝わると思う。」
 そしてわたしは少し考え、こう付け足した。
「言葉だけで思いをすべて伝えるのは難しい。でも、たぶん大丈夫。」
 涼宮ハルヒはしばらくわたしの顔を見て、そして肯いた。
「有希……ありがとう。」
 涼宮ハルヒの目尻には、輝くものがあった。


「有希、ごめんやけど……ちょっと、あたしの話聞いてくれへんかな? こんなこと、人に話すようなこと違(ちゃ)うと思うんやけど、何か、誰かに聞いてほしい気分やねん……」
【有希、悪いけど……ちょっと、あたしの話聞いてくれないかな? こんなこと、人に話すようなことじゃないと思うんだけど、何か、誰かに聞いてほしい気分なのよ……】
「いい。」
「こんなこと、人に話すんは恥ずかしいんやけど……有希になら、話せるような気がして。」
【こんなこと、人に話すのは恥ずかしいんだけど……有希になら、話せるような気がして。】
「そう。」
 そして涼宮ハルヒは、自分の生い立ち、誰も自分のわがままを止めなかったことを話し始めた。それは先日『彼』が推測した通りだった。
「それでな? あたしが何言(ゆ)うても、周りの人は何も言わへんねん。最初は、別に嫌やないんかなと思(おも)ててん。でも、だんだん、違うってことが分かった。みんな、あたしのこと本気で相手にしてへんかったんや。誰一人として。あたしはいつの間にか……一人ぼっちになっとった。」
【それでね? あたしが何を言っても、周りの人は何も言わないの。最初は、別に嫌じゃないのかなと思ってた。でも、だんだん、違うってことが分かった。みんな、あたしのこと本気で相手にしてなかったんだ。誰一人として。あたしはいつの間にか……一人ぼっちになってた。】
 涼宮ハルヒは続ける。
「あたしは……えーと、こんなこと打ち明けるん、有希が初めてやで? せやからみんなには内緒にしといてや? ……一人で必死になって、真剣になって、でも周りの人は誰も相手にしてくれへんかって……寂しかった。」
【あたしは……えーと、こんなこと打ち明けるの、有希が初めてよ? だからみんなには内緒にしといてよ? ……一人で必死になって、真剣になって、でも周りの人は誰も相手にしてくれなくて……寂しかった。】
 涼宮ハルヒは、今にも泣き出しそうな顔で、そう言った。
「『ちゃんとあたしを見て!』って叫びたかった。あたしが悪いことをしたら、ちゃんと叱ってほしかった。真剣にあたしと向き合ってほしかった。でも……誰も見てくれへんかった。寄って来るんは、『顔が可愛い』からってだけで電話で告白してくるような奴ぐらいやった。」
【『ちゃんとあたしを見て!』って叫びたかった。あたしが悪いことをしたら、ちゃんと叱ってほしかった。真剣にあたしと向き合ってほしかった。でも……誰も見てくれなかった。寄って来るのは、『顔が可愛い』からってだけで電話で告白してくるような奴ぐらいだった。】
 涼宮ハルヒは切々と訴え続けた。普段の『SOS団団長』涼宮ハルヒの面影は全くない。そこにいるのは『自律進化の可能性』でも『時間断層の中心』でも『神のごとき存在』でもない。『人間』涼宮ハルヒ。一人の『少女』だった。
 情報統合思念体は、『「彼」の動向に注意を払い、わたしが最善と考える行動を取る』ことを指示した。今この場に『彼』はいないが、もし『彼』がこの状況に置かれたらどのように行動するか、検討する。答えはすぐに出た。しかし、何かが足りない。検討を重ねる。そして、ある結論に達した。
 『彼』が取るであろう行動を、『わたしらしく』実行すること。
 わたしは立ち上がると、涼宮ハルヒのそばに寄った。
「……有希……?」
 涼宮ハルヒは不安そうにわたしの顔を見つめる。
「このような時、わたしは掛けるべき自分の言葉を知らない。だから、ある歌の一部を引用する。適切な引用であるかは分からない。自分の言葉ではなく、借り物の言葉であることを許してほしい。」
 そしてわたしはある歌の歌詞を朗読する。
『悲しみこらえて/ほほえむよりも/涙かれるまで/泣くほうがいい』
 わたしは涼宮ハルヒの頭を優しく抱き締めて、言葉を続ける。
『人は悲しみが/多いほど/人には優しく/できるのだから』
 恐らく『彼』なら、このような言葉を掛けると予想される。
「これがわたしがあなたへ『贈る言葉』。今のわたしにはこれしかできない。」
 涼宮ハルヒは堰を切ったように、わたしの胸の中で声を上げて泣いていた。彼女の持つ熱がわたしの胸に伝わってくる。わたしの中に『何か』が湧き上がる。上手く言語化できない。いつかはこの『何か』の正体を理解し、言語化できるようになるのだろうか。
 わたし達は暮れなずむ教室の光と影の中、ただじっと抱き合っていた。その時わたしには、『観察対象に影響を与えること』についての懸念は少しもなかった。あえて言えば、『観察対象の保全』に全力を挙げていたと言えるだろうか。
 ……言い訳じみている。正直に告白する。その時わたしは、涼宮ハルヒの様子に『突き動かされた』。『彼』の行動をエミュレートしたはずだが、それはほとんどわたしという個体の制御できない行動だったかもしれない。その時わたしを突き動かしたものは、もう『感情』と呼んでも良いのかもしれない。とにかくわたしは、その時『彼女を抱き締めたい』と思い、同時にそうしていた。
 もう、『エラー』と呼ぶのはやめることにする。真剣に、このわたしを突き動かした衝動について考察したい。情報統合思念体によって創られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス、『人』ではないわたしにも『感情』が生まれるのかを。この時わたしは、感情の涙を流す機能がないことを残念に思っていた。
 ……彼女の感情を、悲しみを、寂しさを、共有したかった。分かち合いたかった。
「うっ、ひくっ。うっ……」
 わたし達以外誰もいない教室に、彼女の泣き声だけが遠く響く。わたしが今まで読んできた本の登場人物たちは、このような時、大抵相手が泣き止むまでそっと寄り添っていた。わたしもそれに従うことにする。
 しばらくして、彼女は泣き止んだ。
「はぁ……何か、思いっきり泣いたらスっとしたわ。こんなに泣いたん、何年ぶりやろ? こんな弱いとこ、人に見せたなかったから……」
【はぁ……何か、思いっきり泣いたらスっとしたわ。こんなに泣いたの、何年ぶりかしら? こんな弱いとこ、人に見せたくなかったから……】
「……そう。」
「何でやろ、不思議やな……有希、あんたにだけは、あたしの弱いとこも見せられる気がしてん。……ありがとう、有希。」
【何でだろ、不思議だな……有希、あんたにだけは、あたしの弱いとこも見せられる気がしたの。……ありがとう、有希。】
「いい。わたしは、あなたがわたしをそうしても良い相手と認識していることを、嬉しく、思う。」
 多分これは『わたし』という個体から発せられた素直な言葉だと思う。人間が己の弱みを見せても良いと判断する相手は、その個体にとって特別な存在なのだという。わたしは彼女にとって、特別な存在。恐らく、団長と団員という関係以上の。
「あーあー。な~んか、家に帰りたないな~」
【あーあー。な~んか、家に帰りたくないな~】
 これは彼女の本心だろう。
「家に帰ったら、またあの変な奴らや変な電話の相手せなあかんのかと思うと、ほんま、憂鬱やわ~」
【家に帰ったら、またあの変な奴らや変な電話の相手しなきゃならないのかと思うと、ほんと、憂鬱だわ~】
 彼女はわたしの顔を見つめ、ふっ、と表情を緩める。
「でも、何でか、反省はしてるけど、後悔はしてへんねん。今回のことで、あたしは只今不愉快街道まっしぐらやけど、おかげで、気付けたことがある。同じ立場にならんと、人の気持ちって分からんもんやね。今ならあたしは、あの子にどんな酷いことをしたか分かる。今回みたいな経験がなかったら、あたし、ずっと人の痛みが分からん人間やったと思う。今は確かに辛いけど、少しの間やと信じてるんや。ほら……」
【でも、なぜか、反省はしてるけど、後悔はしてないのよ。今回のことで、あたしは只今不愉快街道まっしぐらだけど、おかげで、気付けたことがある。同じ立場にならないと、人の気持ちって分からないものよね。今ならあたしは、あの子にどんな酷いことをしたか分かる。今回みたいな経験がなかったら、あたし、ずっと人の痛みが分からない人間だったと思う。今は確かに辛いけど、少しの間だと信じてるわ。ほら……】
 彼女は人差し指を立て、片目を閉じながら言った。
「『人の噂も四十九日』、って言うやろ?」
【『人の噂も四十九日』、って言うでしょ?】
「……それを言うなら『七十五日』。」
 彼女は酷く赤面した。

 


【挿入歌:海援隊『贈る言葉』,1979,ポリドール】



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最終更新:2020年03月15日 18:42