『 a unique solution  ~一意の解~』


 
 それは穏やかな放課後だった。
 長門が定位置でハードカバーを読み耽り、古泉と俺は花札に興じ、メイド服に身を包んだ朝比奈さんがたまにお茶のお代わりを煎れてくれるという、SOS団にとっては極々フツーの日常風景である。
 俺はこのひとときに常日頃から安らぎを感じていた。
 なぜならこの後嵐がやってくるからだ。今の内に癒されておかなくては身が持たん。
 いつもこの和やかな雰囲気を竜巻のごとくぶち壊してくれるSOS団長様なのだが、今日はやけに登場が遅い。一体何処で道草くっているのやら。
「遅いですね」
 唐突に古泉が言った。
 人の考えを読んだかのようなタイミングが毎度のことながら気に障る。
「またどこぞで良からぬことでも仕込んでいるんだろ」
「けれどこんなに遅いのも珍しいですよね?」
 小首を傾げながら朝比奈さんが言う。
 しかも長門までいつの間にか本から顔を上げ、無言でこちらを見ていた。
 ――いや、だから、何が言いたい。
 宇宙人、未来人、超能力者の三方向からの意味深な視線プレッシャーを、俺はしばし気付かないふりをした。
 が、勝てるわけがない。
「……探してくる」
 観念し、席を立った俺の背中に、
「……そう」
「行ってらっしゃ~い」
「お気をつけて」
 と三人三様の見送りの言葉が投げかけられた。
 くそぅ、あと一枚で四光だったのに。忌々しい。
 
 それにしてもあいつはどこをほっつき歩いているんだろうな?
 ハルヒの行くあてなど教室か学食くらいしか思い当たらなかった。まずは距離的に近い学食へと思ったが、もう閉まっているだろうと思い直す。
 じゃあ教室か。
 階段を昇って四階に向かう。
 しかし一時間ほど前に後にした教室はものの見事に空だった。
 これは構内探索せねばならんのか、いや、もしかしたら何か機嫌を損ねて帰ったのか、と深く息を吐いて、
 気付いた。
 ハルヒの机にまだ鞄が下がっている。
 では持ち主はどこだ?
 四階の廊下を左右見渡したが影ひとつない。
 仕方ない、構内探索決定だな、と階段に向かった。
 三階に降りようと一段降りたところで、頭上から話し声が聞こえた。
 思わず足を止め顔を上げたとき、その話し声のボリュームが図ったようにでかくなった。
「──だから、僕は涼宮さんのことが好きなんだ!」
 俺は自分の鼓膜を通して脳に達した台詞の意味を理解するまで数秒を要した。
『ボクハスズミヤサンノコトガスキナンダ』
『スズミヤサン ノコトガ スキ ナンダ』
『涼宮さん ノコトガ 好き ナンダ』
 ハルヒが告白されている……のか?
 呆然と立ち尽くしたまま、俺はハルヒがいると思われる頭上を見上げた。
 沈黙が続く。
「……だから?」
 可愛げもへったくれもない口調。確かにハルヒの声だ。
 告白されたというのにその返しは何だ。もうちょっと恥らうとかないのか。
 ああ、この様子ならハルヒにそんな気は更々ねぇな、と俺は安堵した。
――って、なんで俺が安堵しなくてはならんのだ。
 俺は切望していただろうに。誰か奇特な野郎が、このじゃじゃ馬の手綱を引いていってくれることを。そうすれば、色々な厄介ごとが俺自身から去って行ってくれる。寧ろ好都合じゃないか。
「……返事は明日にしてくれないかな?」
 相手の男は少しの沈黙の後、そう申し出た。
 それはヘタレ根性から出た言葉ではなく、よく知りもしない自分からの告白に反射的に返事してほしくはない、是非一晩考えてから答えてほしいというものだった。
 大した根性の奴だ。褒めてやりたい。
 しかし何だろうな。さっきからコイツの声を聞くと胃のあたりがムカムカするんだが。
「わかったわ」
 これまた果たし状を突きつけられた返答のようなハルヒの声。
 もしかしたら、ふんぞりかえっているのかもしれない。
「ありがとう」
 男の声。じゃあ、と言って階段を降りてくる。
――降りてくる?
 しまった、と俺はちょうど扉が開いていた近くの教室に滑り込んだ。
 壁に隠れやり過ごす。
 男は階段をそのまま降りていった。
 やれやれ。
 ここで奴と俺が鉢合わせでもしたら、気まずいことこの上なかっただろう。
 何せ『涼宮ハルヒと言えば?』という連想ゲームの解答に俺の名前が高確率で挙がるのは間違いないからな。
 さて、教室を出ようかとしたとき、今度はハルヒの足音が聞こえてきた。
 俺は反射的に身を隠す。――何故に。
 ハルヒの足音は俺が背にした壁の向こうを通り過ぎていった。
 足音が遠ざかってからその場に座り込み、深い深い溜息を吐く。
 一体何をしているんだろうね、俺は。


 それから少し時間をおいて俺は部室に向かった。
 恐らく用件を済まされた団長様は、部室に登場するはずだ。ならば雑用係もすべからく戻るべきだろう。
 SOS団の拠点と化した文芸部室の扉の前に辿り着きドアノブに手をかけたところで、中からハルヒの声が聞こえてきた。
 古泉と話しているらしい。
『―……ってどんなヤツ?』
『あまり話したことがないのでなんとも言えませんが……』
 どうやら、告白してきた相手のことを聞いているらしい。古泉に聞いているということは、9組の奴だったのか。
 古泉曰く、奴は成績も良く、外見もまとも、運動もそこそこ、性格は至って温厚だそうだ。
 なんでそんなまともな人間がこの傍若無人代表のハルヒに告白するかねぇ。
 そしてハルヒ。
 さっきは全然気がないような素振りだったクセに、何で今相手のことを根掘り葉掘り聞いてんだ?
 世の中謎だらけだぜ。
――って、なんで俺はまたもやコソコソと聞耳を立てているんだ?
 そして何でムカムカしているんだ?
 ああ忌々しい。
 ガチャッ、と思い切り扉を開く。
 と、まるでビデオの一時停止ボタンを押されたようにハルヒが止まった。
 何だ? 喋り続けてもいいんだぜ?
 しかしハルヒは話の続きはせず、ワザとらしい咳払いをひとつしてから、
「あんたドコ行ってたのよ?」
「お前を探しに」
 俺の返答に再び一時停止。
 なんか面白いぞハルヒ。
「まあ見つからなかったから戻ってきたんだがな……行き違いになったな」
 と俺は嘘を吐いた。
 ハルヒは「そう……」と安堵の吐息とともに呟いた。あまり知られたくないらしいな。告白されたこと。
「それじゃ今日はもう解散!」
 長門が本を閉じる前にハルヒはそう宣言して、そそくさと帰り支度をし、一番乗りで部室を出て行った。
 つーかお前は、一番遅く来たくせに一番先に帰るんかい。
 さて、俺も帰るかと自分の鞄に手をかけて――
 突き刺さる視線。しかも三方向から。
 顔を上げると、いつも通りの古泉のニヤケ顔と、長門の無表情ながら何か言いたげな顔と、珍しくも好奇心で目を輝かせた朝比奈さんの愛らしいお顔があった。
 つまり三人が聞きたいことは、
『涼宮ハルヒに何があった?』
 ハルヒは古泉に相手の男の人となりを聞いただけで、告白のこと自体は言ってないらしい。それが余計訝しがられたということか。
 三人を代表して、やはり古泉が口を開いた。
「実はですね、あなたが先ほど帰ってくる前に涼宮さんが僕のクラスメイトのことについて色々聞いてきたんですよ」
「ほう、そうなのか」
 マズった、棒読みだ。これでは古泉に俺が扉の向こうで立ち聞きしていたのがバレてしまう。
 案の定古泉は、
「ご存知でしたが」
 と言ってきやがった。
 黙秘だ。肯定してやるものか。
 しかし古泉は構わず話を進める。
「ご存知の通り、彼は頭の出来がちょっと優秀な一般人なんですが、さして涼宮さんが気に留める相手とは思えないんですよ」
 そうか?ここに一般人代表の模範みたいな俺がいることを忘れてないか?
「あなたは別」
 違うところから異論が唱えられた。長門だ。
「あなたは涼宮ハルヒによって選ばれた人間。『彼』は選ばれていない」
 いや、これから選ばれるかもしれないだろ。
「それはなぜです?」
 古泉がここぞとばかり聞いてきた。
 う、ヤブヘビだったか……
 しかしハルヒのことだからといって、ホイホイこの三人に何でも話してしまうのも気が引ける。
 俺はどう答えていいか、考えあぐねいた。
 すると、
「もしかして涼宮さん、その人に告白されたんですか?」
 意外なところから満点の解答を出されて俺は絶句した。
 あ、朝比奈さん? なぜそう思うのでしょうか?
「え~と、なんだか涼宮さんがその人について古泉君に聞いていたとき、なんというか……自分から興味を持った感じに見えなくて……とりあえず知っておこうという感じだったし、それに……」
「それに?」
 朝比奈さんは続く言葉を口に出すのを少しだけ躊躇って、でも意を決したように俺に向かって言った。
「キョン君が入ってきたら、その人のこと聞くの止めちゃったじゃないですか!!」
 ええ、確かに。
 しかしそこからなぜ『ハルヒがそいつに告白された』という事実が浮かび上がるのだ?俺は納得できない顔をしていたことだろう。
 その顔を見てか朝比奈さんは安堵と憐憫が入り混じった微笑みを浮かべた。
 古泉は「ああ、なるほど、言われてみればそうですね」と、ポンと自分の手を打ち、長門も微かに頷く。
 「ですよね!?」と、二人の同意が嬉しかったのか、朝比奈さんは手放しで喜んだ。
……え~、そこで三人だけで納得されても寂しいものがあるんですが……
 と、そこで朝比奈さんはまた何かに気づいたように、俺の方に向き直った。
「それと、キョン君がなんか機嫌悪そうだったから……」
 え、そう見えました?
「ええ、滲み出てましたね」
 古泉が同意する。
「安定しているとは言い難い精神状態」
 長門も指摘する。
……しかし、だから何で、それが『ハルヒが告白された』に繋がるんだ?
「キョン君……」
「あなたという人は……」
「……」
 明らかに、『呆れた』空気が流れている。
 いつもに増して結託している宇宙人、未来人、超能力者。微笑ましいことだ。
 だが、その生暖かい目で俺の見るのだけは止めていただけませんでしょうかね?
 妙に居心地が悪い。──話を本題に戻そう。
 俺は告白してきた野郎が9組の人間だったと知ったときから、頭の片隅によぎった一つの可能性を口にした。
「古泉」
「なんでしょう?」
「そいつは『機関』の関係者だったりするのか?」
 実は裏で糸を引いていたのがコイツだった、という可能性が一番高い。今までの経験上な。
 しかし古泉はきょとんとした顔をし、数瞬後「ああ」と俺が言わんとしたことがわかったように頷いて、
「今回それはないです。神に誓ってもいいですね」
 神とはハルヒか?確かにアイツに嘘をついたら後が怖いしな。ここは信じてやる。
 ついでに確認しておこう。
「長門──」
「違う」
 寡黙な宇宙人は俺が皆まで言う前に、否定の単語を一言述べた。だろうな。
「朝比奈さんも──違いますね?」
「? ええ?」
 愛らしい未来人メイドは何のことやらよくわからないまま頷いている。
 まあ時空的策謀は朝比奈さん(大)が請け負っているみたいだから、この方が主体で今回のことを動かした、なんてことは長門が読書をしなくなることくらい有り得ない。
 と、言うことは何だ?今回の告白は誰かの陰謀も策略もまったく抜きの純粋なものであって……
 そう思い当たった俺は、何故か気分が急降下していった。
 なんでこんなに落ちこんでんだ、俺?
「まあ、涼宮さんのことですし、断ったのでしょう?」
 古泉は立ち上がりながらさもそれが当たり前のように俺に確認してきた。
「いや……返事は明日らしい」
「ええ!? なんでですかぁ?」
 朝比奈さんまで『ハルヒは断る』と頭っから決めつけているらしい。
「いや、相手がそう指定してきて……」
「あ、なら涼宮さんが迷っているわけじゃないんですね」
 朝比奈さんはホッと胸を撫で下ろして微笑んだ。
 なんだってそんな確信をもって『ハルヒが断る』と思い込めるのだろう。
 そして──
 逆に俺はなんでハルヒが断ると断言できないんだろう。
 何か引っ掛かる。何かが。


 
 
 

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最終更新:2020年03月13日 01:08