序章1・太平の世
御伽噺をしましょう―――
とある世界がありました。
その世界に生きるは人と、月の民と、そして地獄に住まう鬼族。
かつて鬼族は、とある奸臣に操られるがまま全てを支配せんと動き出しました。
その力の前には、人も月の民も、ただ怯え逃げ惑うしかありませんでした。
だけど希望はありました。それは、当時にしてほんの十代半ばの少年であった、桃から生まれた愛と勇気の子―――
桃太郎。
かつてえんま大王を懲らしめ、平和に暮らしていた彼は、再び立ち上がったのです。
時に傷つき、時に地に塗れ、それでも彼は諦めることを知らず戦いました。敵であった鬼たちも、彼と剣を交え、そして
分かり合い、彼の元に集い、共に力を合わせることとなりました。
対するは、悪逆たる奸臣カルラ。カルラは己の部下を、鬼族の第一王子を、最後には月の女王にして天地を支える力を
持ったかぐや姫をも手にかけ、この大地を血の海へと変えました。
しかしそのカルラも桃太郎たちによって最後には石像へと姿を変え、その野望は潰えました。
鬼族の王は己の不明を悔い改め、かぐや姫も蘇り、大地は再び生命を取り戻しました。
そして、鬼と人とが手を取り合って暮らす、新たな時代が到来したのでした。
―――それが、五年前のこと。
―――そして、現在。
鬼と人の新たな国造りも、ようやく一段落ついた頃のことでした。
そろそろ日が傾いてきた中を、小さな女の子がまだまだ遊び足りないとばかりに蝶を追いかけたり、花を摘んだり、
とにかく元気よく走り回っていた。
まだ三歳かそこらであろうか、肩まで伸ばした青色の髪を靡かせながら、見ているだけで誰もが幸せになりそうな
無邪気な笑顔を周囲に振りまいている。
彼女の頭の天辺には、小さな角がチョコンと生えていた。僅かながらも、鬼族の血を引く証だ。
少女の名は、桃華(とうか)。新しい大地に生まれた、かつての戦乱を知らぬ世代である。
そんな桃華を微笑みながら見守る男女がいた。
男の方は凛々しくも優しげな眼差しに、どこか浮世離れした雰囲気を持っていた。
そして青く長い髪に美しい顔立ちの女性。その頭には、少女のものよりもやや大きめな角が一本。
歳の頃は二人とも、まだ二十歳になるかならないかといったところか。桃華を見る瞳には、揺ぎ無い愛があった。
二人の名は、桃太郎と夜叉姫。
桃太郎は共に戦い抜いた仲間たちと、平和な世になった後も親交を深めあった。そして―――夜叉姫。
鬼族の大将、バサラ王。彼と人間の娘との間に生を受けた、鬼族の姫。
桃太郎は彼女といつしか恋に落ち、そして子供が産まれた。それが、この桃華である。
「桃華、もう日が暮れるよ。そろそろ帰ろう」
「えー?父さま、まだ早いよ。桃華、もっとあそびたーい!」
桃太郎の声に、あからさまに不満げに口を尖らせた。そんな桃華に夜叉姫が容赦なく告げた。
「我侭を言わないの。聞き分けが悪い子には、夕飯は人参たっぷりにしちゃうから!」
「ええーーーっ!?」
人参は大の苦手だ。ちょっとなら我慢して食べるけど、たっぷり出されたらどうしようもない。
「ちなみに明日の朝御飯も人参三昧、昼御飯も人参尽くし、夕飯も人参王国よ!」
「うええええーーーーーーっっ!!??」
まずい。非常にまずい。母さまは優しいけど、お仕置きする時はとても怖い。それくらいは普通にやりかねない。
「ご、ごめんなさい!もうわがまま言わないから、それだけはやめて!」
「はい、よくできました」
母さまは頭を撫でてくれた。母さまの手は柔らかくて優しくて気持ちいい。
「よしよし。また明日、いっぱい遊ぼうな」
父さまも頭を撫でてくれた。父さまの手は大きくて固くて、でもやっぱり優しくて気持ちいい。
桃華は父さまも母さまも、大好き。
「おーい・・・おーい!」
誰かが向こうの方から呼びかけてくる。目を向けると、二人組の男がこちらに向かって駆けてくるところだった。
桃華は思わずもう帰る、と言ったことも忘れて、二人の方に走っていった。桃太郎と夜叉姫も呆れつつも仕方ない、
といった風に苦笑して、桃華を追いかけた。その時にはもう桃華は二人の元に辿り着き、体当たりのような勢いで
抱きついていた。
「金太郎おじちゃん!浦島おじちゃん!」
二人は金太郎と浦島太郎。見るからにどっしりとして偉丈夫な金太郎と、対照的にいかにもな好青年の浦島太郎。
好対照ではあるが、どちらもかつては桃太郎や夜叉姫と共に、地獄の軍勢と戦った大切な仲間である。
「お久しぶりですね」
「桃も夜叉姫もチビ桃も、元気そうだなー」
桃華の頭に手をやりながら、にかっと笑う二人だった。
「うん・・・金太郎も浦島も、変わりないみたいで安心したよ」
桃太郎は嬉しそうに答えた。その顔には気の置けない友人に向ける、心からの笑顔が浮かんでいる。
「ふふ、桃華は元気すぎて困ってるけどね。我侭ばっかりで手がかかるのなんの」
夜叉姫はわざとらしく溜息などついてみせた。
「はは、その割には楽しそうですね」
「そうね。やっぱり子供は可愛いものよ。そっちはどうなの?そろそろいい人見つけて結婚したら?」
「いやあ、わたしはまだ・・・」
「なーに言ってんだよ、浦島。おめーには乙姫さまがいるだろ!」
ばんばんと浦島の肩を叩き、呵々大笑する金太郎。乙姫は竜宮城の姫であり、浦島とはちょっといい仲だと噂である。
「い、いや、だからまだそういう話は・・・そういう金太郎さんはどうなんです?」
「あー、オラはまだ落ち着くのはごめんだど。年中祭りやってる方が楽しくていいや」
「お祭り?」
素敵ワードに反応する桃華。子供にとって<祭り>とは、ただ言葉を聞くだけでワクワクする催しである。
「お?なんだ、チビ桃は祭りが好きか?」
「大好き!こないだ父さまと母さまにつれてってもらった!きんぎょさんが泳いでて、白くてふわふわして甘いのとか、
たくさんあった!」
勢い込んでまくし立てる桃華。金太郎は笑って言った。
おいおい、確かに祭りは楽しいしオラも大好きだけど、そう聞いただけでそんな大騒ぎしちまうようじゃまだまだ
ガキンチョだなー。そんなんじゃいつまで立っても大きくて強い大人になれねーど?」
「えー!?やだやだ!桃華もみんなみたいにおっきくてつよくなるの!」
力一杯腕を振って力説する。浦島がそんな桃華を宥めた。
「いやいや、桃華ちゃんもちょっと見ない間に、随分大きくなりました。心配しなくてももっと大きくなれますよ」
「ほんと?じゃあもうすぐ母さまみたいにきれいになれるかな?」
気の早い桃華に対し、金太郎が快活に笑った。
「なはは。その前におねしょ癖を治さねえとな、チビ桃」
「む~!桃華、もう赤ちゃんじゃないもん!おねしょなんて、もう・・・」
そこまで言って桃華は思い出した。今朝方、布団に盛大に世界地図を描いたばかりである。おねしょなんてもうしない、
と言ったらそれは嘘になる。嘘はいけない。えんま様に舌を抜かれちゃうんだ。
この世界ではえんま様は現実に存在する。桃華も顔見知りである。桃華には優しくしてくれるけど、それでもやっぱり
舌を引っこ抜いちゃうんだろうか。たらー、と冷や汗が流れた。
やっぱり嘘はだめ。本当のことを言おう。
「・・・もう、たまにしかしないもん」
これなら嘘じゃない。三日に一度なら、たまにで通るはずだ。えんま様に舌を抜かれたりしない。
「どはははは!」
思いっきり笑われた。
「む~!わらわないでよ!金太郎おじちゃんなんか桃華がやっつけちゃうから!えい、えい!」
ペシペシと蚊の鳴くような音を立てて、金太郎の分厚い身体を殴りまくる桃華だった。
「お?やるかチビ桃!」
対する金太郎は、すうっと腕を引き―――張り手を喰らわせた。勿論本気ではなかったが。
「にぎゃあぁぁぁぁっっ!?」
奇声を発しながらごろごろと転がっていく桃華に対し、金太郎は思いっきり勝ち名乗りをあげた!
「どわははは!見たかチビ桃!これがかつて世界を救った英雄が一人、人呼んで希望の男、金太郎さんの実力でい!」
・・・三歳児相手に張り手をかまし、大笑いして勝ち誇る腐れ外道の姿がそこにはあった。
流石に自分が情けなくなったので、すぐに笑いを止めた。
「・・・ううう・・・」
桃華はゆっくり起き上がり、そして―――盛大に泣き出した。
「ふぇぇぇぇぇぇぇん、金太郎おじちゃんがぶったぁぁぁぁ!桃華わるいことしてないのにぶったぁぁぁぁ!父さまにだって
ぶたれたことないのにぃぃぃっ!」
「あ・・・い、いや、その・・・すまん、そんなつもりじゃ・・・」
言いかけて、金太郎は気付いた。自分に突き刺さる、凄まじく冷たい視線を。
「・・・金太郎・・・君って奴は・・・!」
「よくも・・・桃華を・・・許せない・・・!」
「なんてことを・・・金太郎さん!あなたには人間の心がないのですかーーーっ!」
正義の怒りに震える三人と泣きじゃくる一人に、金太郎は完全に追い詰められていた。
この状況を打破するためには唯一つ。泣き喚く桃華をどうにか懐柔するしかなかった。
「どうしたチビ桃、何があった!ちくしょう、誰がこんなひどいことを!」
「うわぁぁぁん、金太郎おじちゃんがべたべたなボケで堂々とごまかそうとしてるぅぅぅっ!」
ボケて場を和まそうとしたがダメだった。
「な、なあチビ桃、オラが悪かった。ほら、謝るから機嫌直せって、な?」
「うぇぇぇぇん、金太郎おじちゃんなんかだいっきらいだぁぁぁっ!あっち行っちゃえぇぇぇっ!」
正攻法でもやっぱりダメだった。桃華は取り付く島もない。
「えぇぇぇぇん、金太郎おじちゃんにきずものにされたぁ!およめにいけなくされたぁぁぁ!」
「そこまでの悪行を為した覚えはねえよ!」
「うぇぇぇん、金太郎おじちゃんが桃華に×××で○○○なことをしたぁぁ!」
「どんどん捏造されてる上に放送禁止用語ー!?つ、強い!オラはこんな相手と戦っていたのか!?」
「ふぇぇぇん、バサラおじいちゃまに言いつけてやるぅぅぅぅ!」
「げっ・・・!」
口調は<先生に言いつけてやる>みたいなものだが、内容は段違いにヤバい。
バサラおじいちゃま。すなわち、鬼族の王にして地獄の支配者、バサラ王。改心してからの彼は名君として知られ、そして
桃華が生まれてからの彼は―――孫煩悩な爺としても知られている。
そんなバサラ王が、先程の会話は本気にしないまでも、桃華がぶたれたなどと聞けばどうなることか。
いや、下手すれば本気にする可能性すらある。
「・・・・・・」
金太郎は自分が無残な屍と化し、海に漂い魚の餌になっている様を想像してしまった。そしてそれは、現実の危機と
なりつつある。
「うわぁぁぁぁん、金太郎おじちゃんがじごくの鬼さんたちにかこくなごーもんされてるのをお酒ちびちびのみながら
ながめてやるぅぅぅぅ!」
「どこでそんなろくでもないセリフの数々を覚えたっ!?いやいやいや、ちょっと待て、チビ桃!取引しようぜ!」
「ひっぐ・・・うえ・・・とりひき・・・?」
「ああ。祭りに来たら、オラが何でも買ってやる!」
「何でも!?」
一瞬で泣き止みやがった。その涙は何だったんだ。少女の涙が純粋だなんて嘘っぱちだ。
「きんぎょさんは!?」
「掬いまくれ」
「ふわふわしたのは!?」
「貪り尽くせ」
「他には!?」
「祭りの女王様!何なりとお楽しみください!」
「わーい!金太郎おじちゃん、大好き!」
交渉成立。素晴らしいスピード解決。ビゴーの人も真っ青だ。桃華は喜びの余りそこら中を走り回る。
今にも<ミュージカル・お祭りで何でも買ってもらえるのが嬉しい>を開演しそうな勢いだ。
「ふっ、オラにかかればガキンチョを懐柔するくらい朝飯前だど!」
「泣かせたのも君だけどね」
「それを言うな・・・ま、何にせよ、平和なもんだな。昔はどうなるもんかと思ってたけどよ」
「そうだね・・・」
桃太郎は相槌を打ちながら、昔を思い出してみた。
「五年前か。あの頃は、こんな時代が来ることを信じて一生懸命だったな・・・」
―――鬼族との果ての無いとさえ思える戦い。その果てに掴んだ、今の幸せな世界。けれど―――
「どうしたんですか、桃太郎さん。辛そうな顔して・・・」
夜叉姫に訊かれて、桃太郎は寂しそうに微笑んだ。
「―――守れなかったものもたくさんあるからね。それが、悲しいんだ」
桃太郎は暮れかけた空を見上げた。失われた多くのものに、想いを馳せるかのように。
夜叉姫はそんな桃太郎の肩に、そっと手を置く。桃太郎も自然な動作でそれに手を重ねた。
そのまま二人だけの世界に没入しかけた時。
「・・・あー、お二人さん。人が見てるってのも忘れずにな」
―――忘れていた。わざとらしく二人して咳払いし、手を離した。
「ちぇっ、見せ付けてくれちゃって。オラもやっぱ嫁さん見つけるかなー。どっかのお転婆娘じゃなくて、もっとこう
お淑やかで可愛らしい嫁さんをさ」
「ちょっと待って」
夜叉姫が金太郎の発言を聞き咎めた。
「どっかのお転婆娘って、どこの誰かしら?」
「ん?どっかのお転婆娘っつっただけで、別に夜叉姫のことを言ったわけじゃねーど。オラが夜叉姫を表現する際には
こう言う。お転婆な上に色気ゼロの貧乳だと!」
「余計酷くなってるー!?も、桃太郎さん、何とか言ってよ!あなたの可愛い奥さんがバカにされてるわ!」
「よし、任せろ!」
愛する妻に助けを求められて、桃太郎は力強く頷いた。
「金太郎、夜叉姫はこう見えても脱ぐとすごいんだぞ!貧乳だなんて失礼な!・・・へぶぅ!?」
「誰がそんな助け舟を出せと言いましたかっ!?しかもお転婆なのは否定しないんですねっ!?」
強烈なアッパーカットで桃太郎を空高く飛ばした夜叉姫であった。
「お?そんなに脱ぐとすごいのか?じゃあおじさんに見せてみろ、な?な?」
さらに火に油を注ぐ金太郎。ついに夜叉姫が切れた。目が敵モードの時よろしく真っ赤だった。
「そんなに見たいのなら、ああ見せてあげるわよ、地獄をね!」
「ちょ、ちょっと二人とも・・・」
浦島の静止も虚しく、ファイトクラブ真っ青な壮絶な喧嘩が始まった。何しろかつて世界を救った英雄同士の喧嘩で
ある。壮絶にならない方がおかしい。まさに竜虎相打つ激闘!
―――争いの次元が限りなく低レベルなのが悲しいものであったが。
皆様、これが世界を救った者たちの素顔である。
「全くもう・・・」
顎をさすりつつ、桃太郎は苦笑した。こうして喧嘩できるのも、本当に互いを信頼しているからだと彼は分かっている。
だからこそ、こうして遠慮なく接することができるのだと。
「・・・あれ?」
桃太郎はあることに気が付いた。
「桃華?」
そう。愛娘、桃華の姿が見えなくなっていた。
ちなみに彼の背後では喧嘩の仲裁にと金太郎と夜叉姫の間に割って入った浦島が、二人の渾身のストレートをもろに
喰らうというベタベタなシーンが展開されていた。
―――彼らは不滅の友情で結ばれた者たちである。いや、ほんとに。それはともかく金太郎に浦島の介抱を任せ、
桃太郎と夜叉姫は桃華を捜しに行くのであった。
―――その頃、桃華は。
「はじめまして、桃華っていいます!」
十歳ほどと思われる二人の少女と一人の少年を前に、元気よく挨拶していた。
桃太郎たちがグダグダやってる間に桃華は見慣れないこの三人を見かけて、興味を惹かれて追いかけていったのだ。
そして追いついたところで、先ほどの挨拶であった。
「な、なにさ、この子は・・・変な奴」
短く揃えた髪に勝気そうな顔立ちをした少女の片割れが、戸惑ったように桃華をジロジロと眺めた。
「けど、可愛い・・・」
対照的に髪の長い、儚げな少女が目を細めて、桃華の頭を撫でた。桃華はえへへ、と笑いながらされるがままだ。
「親はどうしたの?もう暗くなるから、そろそろ帰らないと心配するよ」
線の細い、女の子と間違えられそうな少年が優しく声をかけると、桃華は目を真ん丸くした。
「あー!そうだ!帰らないとダメなんだった!帰らないとごはんはにんじんさんがたっぷり!」
「なんだそりゃ」
勝気そうな少女が、おかしそうに笑った。しかし、どこか―――陰のある笑みだった。
自らの後ろめたさ故に、少女の無邪気さが眩しくて見ていられない―――そんな笑み。
「やっぱ変な子だね、あんた」
「むー、桃華はへんな子じゃないし、あんたって名前じゃないもん!桃華は桃華だもん!・・・あ、おねえちゃんたち
は?おねえちゃんたちの名前は?」
「はあ?どういう話の流れだよ、全く・・・」
この年頃の幼児の会話の脈絡のなさときたら、独特のものだろう。頭をかきながら、少女たちは自己紹介した。
「あたいはティス。で、こっちが・・・」
「私はデスピニス」
長い髪の少女が、小さく答えた。
「僕はラリアーだよ。よろしくね、桃華ちゃん」
少年がそう言って桃華に笑いかけた。
「え、えっと・・・ティスおねえちゃん、デスピニスおねえちゃん、それにラリアーおにいちゃん・・・?」
どうにも覚え辛い名前だった。普通名前と言ったら太郎くんとか花子ちゃんとかなのに。
それに服もなんだか変な感じだった。着物とか振袖とかじゃなくて、なんだろう、どこか遠い国の人の着る服なのか?
桃華にはよく分からなかった。
「はは、この世界の人間にゃあ馴染みのない名前だもんね。覚えられないんだったら無理しないで忘れていいよ」
<この世界の人間>?その言い方に何か妙な感じがしたが、桃華にはやっぱりよく分からなかった。だけど。
「せっかく名前おしえてもらったもの・・・ちゃんと覚えるもん。えっと・・・ティスおねえちゃんたちは」
「なんだい?」
「ティスおねえちゃんたちは、今度おひっこししてくるひとなの?」
その言葉に、ティスたちはどこか気まずい空気を漂わせた。
「うーん・・・引越しっていや、引越しだよ。ねえ?」
「引越し・・・」
「そ、そうだね」
三人は取り繕うようにそう答えたが、桃華にはその辺りの機微が分からなかった。ただ、無邪気に尋ねる。
「じゃあ、おひっこししてきたら桃華と遊んでくれる?」
「ま、気が向いたらね」
ティスが素っ気無く返事した。
「あ、あの、今度ね、金太郎おじちゃんの村のお祭りにいくんだけど、いっしょに行かない?」
「・・・気が向いたら」
デスピニスがぼそぼそと呟くように言った。
「と・・・桃華のおうちに遊びにきてくれたりしたらうれしいな・・・」
「うん、気が向いたらね・・・」
ラリアーも鸚鵡のようにそう繰り返した。
「みんな、ずるい!気が向いたら、ばっかり!」
桃華がついに怒った。とは言っても三歳児。精々子犬がわんわん吠えた程度の威圧感だった。
「ずるいって言われてもねえ・・・あたいたちだって、都合があるしさ。ま、暇ができたら遊んでやるくらいはいいよ」
頭を掻きつつ、とうとうティスがそう言った。残る二人もうんうん、と頷く。適当にこの話題を切り上げようとする気
満々なのが明らかであった。
「じゃあ・・・やくそく」
そんな三人に、桃華が小指を差し出した。
「・・・?」
「ゆびきり!」
「・・・」
迷った。三人は分かっている。そんな約束―――果たされないことを。なのに、迷った。
適当に返事して、適当に桃華の言うがままにしてやればいいだけだ。そう頭の中で分かっていたのに―――迷った。
自分たちのしようとしていることから考えれば、そのくらい、どうでもないことのはずなのに。
「そうだね。約束だ」
ついにそう言って、三人は桃華と小指を絡ませた。
「ゆーびきーりげんまん、うそついたら針千本のーます、ゆびきった!」
―――ああ、そうだね。あたいたちは・・・針千本くらい、飲まなきゃね。
そう思った時だった。
「桃華!」
「ん?」
見ると、まだ若い二人の男女だった。中々似合いのカップルじゃないか、とティスは少々下世話なことを思った。
「あ・・・父さま、母さま!」
桃華がぽてぽてとその二人に駆け寄った。
「もう、ちょっと目を離すとすぐにいなくなるんだから!夕御飯は覚悟しなさいよ!」
「う・・・」
なるほど、<にんじんさんたっぷりの刑>か。思わず吹き出してしまった。そこで二人がティスたちに気付いた。
「あれ・・・?その子たちは?この辺じゃ見ない顔だけど」
「うん、今度おひっこししてくるおねえちゃんたち!あそんでもらってたの!」
「そうか。ありがとうね、お嬢ちゃんたち」
「いやあ、大したことはしてないよ・・・いてっ!」
デスピニスに、脇を小突かれた。
「大人の人に、そんな口聞いちゃダメ・・・」
「そうだよ。ティスは口が悪いんだから。あ、すいません。こっちの話ですので、気にしないで下さい」
「う、うん・・・とにかく、桃華がお世話になったね。じゃあ帰るよ、桃華」
「えー?もっとおねえちゃんたちとお話ししたい・・・」
そう言いかけた桃華は、母親が無言の圧力をかけてくるのに気付いて慌てて口を閉ざした。そんな様子に苦笑して、
ティスは言ってやった。
「ほら・・・帰りな。子供は、親の元に帰るもんだ」
「うん。あ、おねえちゃんたちは?おねえちゃんたちも、そろそろ帰るの?」
「ん?そうだね、実は勝手に出てきたから、見つからないうちに帰らないと怒られちゃうよ・・・ん?何さ、ラリアー」
「・・・手遅れみたいだよ」
そう言ってラリアーが指差した先を見て、ティスとデスピニスは嘆息した。
「げっ・・・!」
見ると、一人の少女が走ってくるところだった。
歳は十六、七だろうか。背中まで伸びた艶のある黒髪が白い肌によく映えていて、清楚な雰囲気を醸し出す、美しい
少女だった。
「わあ・・・きれいなおねえちゃん!」
桃華が歓声を上げて、少女がそれに気付いた。にこり、と、可愛らしい笑顔を浮かべる。
「あら、そっちこそ可愛いお嬢さんね。この辺の子かしら?」
「うん!桃華ってゆうの!」
「そう。私はテラよ。桃華ちゃん、ティスたちと遊んでくれてたのね、ありがとう」
「ちょっと待った、テラ姉。あたいたちがその子と遊んであげてたんだってば」
「お黙りなさい」
ぴしゃり、と叱られて小さくなる三人。どうやらこのテラという少女には、頭が全く上がらないようだった。
「もう、ダメじゃないの!勝手に外を出歩くなってお父様に言われたでしょう?」
「ご、ごめんよ、テラ姉・・・あたいが二人を誘ったんだ。ちょっと外を見たいって・・・」
「違います、テラ姉さま。私が外の空気を吸いたいって言ったから・・・」
「そうじゃないよ、テラ姉さん。僕が散歩したいなあって提案したんだ。ティスもデスピニスも悪くないよ」
互いに庇いあう三人に、テラも怒る気を無くしたらしい。
「しょうがないわね・・・私からもそんなに叱らないように頼んであげるから、もう帰りましょう」
「うん・・・ごめん」
「じゃあね、桃華ちゃん」
「さよなら」
「さよーなら!また桃華とあそんでね!」
元気よく言って、桃華はようやっと家路に着いた。右手を父に、左手を母に引かれて。
それは、とても平凡で。どこにでもありそうな。だけど、何より幸せそうな。家族のあるべき姿だった。
そんな桃華たちを見つめて、ティスたち四人も思わず笑みを浮かべた。
だが・・・それはすぐに打ち消される。
自分たちがここに―――この世界に来た理由。それを忘れたわけではなかったから。
「やっぱ・・・出歩いたりするもんじゃなかったね」
ティスがぽつりと語った。
「あんなに幸せそうな連中と、あんな風に馴れ合っちゃったら、やりにくくなるだけだってのにさ・・・」
「今からでも・・・別の世界を探すわけにはいかないかな・・・」
デスピニスがそんなことを言い出した。
「ほら。この世界のことは色々調べたでしょ?何だか手強そうな人たちがたくさんいるし・・・何もこの世界じゃ
なくても・・・」
「今さら無理だよ。もう時空間はタイムパトロールに見張られてて迂闊に移動できない」
ラリアーが複雑な表情で頭を振った。
「この世界で計画を進めるしかない・・・そういうことだよ」
「だね・・・もうあれこれ考えたって仕方ない。あたいたちはあの方のお役に立つため、ここにいるんだから」
「そう・・・全ては」
そして三人は声を揃えた―――
「「「ギガゾンビ様のために」」」
そんな彼女たちを、テラはただ、悲しそうに見つめていた―――
と、まあ。こんな感じですが、このお話は。
小さくて弱い少女が、大好きなみんなのためにおっきくて強くなるまでのお話で。
そんな彼女を優しく見守る人たちがいて。
そこに現れた侵略者たちと、さらに皆様ご存知の、青いあいつとお人好しの少年も加わるわけで。
希望と正義と愛とそして、何より勇気と友情と、それに笑いと涙も一杯の。
ちょっとおかしな御伽噺、始まり始まり♪
御伽噺をしましょう―――
とある世界がありました。
その世界に生きるは人と、月の民と、そして地獄に住まう鬼族。
かつて鬼族は、とある奸臣に操られるがまま全てを支配せんと動き出しました。
その力の前には、人も月の民も、ただ怯え逃げ惑うしかありませんでした。
だけど希望はありました。それは、当時にしてほんの十代半ばの少年であった、桃から生まれた愛と勇気の子―――
桃太郎。
かつてえんま大王を懲らしめ、平和に暮らしていた彼は、再び立ち上がったのです。
時に傷つき、時に地に塗れ、それでも彼は諦めることを知らず戦いました。敵であった鬼たちも、彼と剣を交え、そして
分かり合い、彼の元に集い、共に力を合わせることとなりました。
対するは、悪逆たる奸臣カルラ。カルラは己の部下を、鬼族の第一王子を、最後には月の女王にして天地を支える力を
持ったかぐや姫をも手にかけ、この大地を血の海へと変えました。
しかしそのカルラも桃太郎たちによって最後には石像へと姿を変え、その野望は潰えました。
鬼族の王は己の不明を悔い改め、かぐや姫も蘇り、大地は再び生命を取り戻しました。
そして、鬼と人とが手を取り合って暮らす、新たな時代が到来したのでした。
―――それが、五年前のこと。
―――そして、現在。
鬼と人の新たな国造りも、ようやく一段落ついた頃のことでした。
そろそろ日が傾いてきた中を、小さな女の子がまだまだ遊び足りないとばかりに蝶を追いかけたり、花を摘んだり、
とにかく元気よく走り回っていた。
まだ三歳かそこらであろうか、肩まで伸ばした青色の髪を靡かせながら、見ているだけで誰もが幸せになりそうな
無邪気な笑顔を周囲に振りまいている。
彼女の頭の天辺には、小さな角がチョコンと生えていた。僅かながらも、鬼族の血を引く証だ。
少女の名は、桃華(とうか)。新しい大地に生まれた、かつての戦乱を知らぬ世代である。
そんな桃華を微笑みながら見守る男女がいた。
男の方は凛々しくも優しげな眼差しに、どこか浮世離れした雰囲気を持っていた。
そして青く長い髪に美しい顔立ちの女性。その頭には、少女のものよりもやや大きめな角が一本。
歳の頃は二人とも、まだ二十歳になるかならないかといったところか。桃華を見る瞳には、揺ぎ無い愛があった。
二人の名は、桃太郎と夜叉姫。
桃太郎は共に戦い抜いた仲間たちと、平和な世になった後も親交を深めあった。そして―――夜叉姫。
鬼族の大将、バサラ王。彼と人間の娘との間に生を受けた、鬼族の姫。
桃太郎は彼女といつしか恋に落ち、そして子供が産まれた。それが、この桃華である。
「桃華、もう日が暮れるよ。そろそろ帰ろう」
「えー?父さま、まだ早いよ。桃華、もっとあそびたーい!」
桃太郎の声に、あからさまに不満げに口を尖らせた。そんな桃華に夜叉姫が容赦なく告げた。
「我侭を言わないの。聞き分けが悪い子には、夕飯は人参たっぷりにしちゃうから!」
「ええーーーっ!?」
人参は大の苦手だ。ちょっとなら我慢して食べるけど、たっぷり出されたらどうしようもない。
「ちなみに明日の朝御飯も人参三昧、昼御飯も人参尽くし、夕飯も人参王国よ!」
「うええええーーーーーーっっ!!??」
まずい。非常にまずい。母さまは優しいけど、お仕置きする時はとても怖い。それくらいは普通にやりかねない。
「ご、ごめんなさい!もうわがまま言わないから、それだけはやめて!」
「はい、よくできました」
母さまは頭を撫でてくれた。母さまの手は柔らかくて優しくて気持ちいい。
「よしよし。また明日、いっぱい遊ぼうな」
父さまも頭を撫でてくれた。父さまの手は大きくて固くて、でもやっぱり優しくて気持ちいい。
桃華は父さまも母さまも、大好き。
「おーい・・・おーい!」
誰かが向こうの方から呼びかけてくる。目を向けると、二人組の男がこちらに向かって駆けてくるところだった。
桃華は思わずもう帰る、と言ったことも忘れて、二人の方に走っていった。桃太郎と夜叉姫も呆れつつも仕方ない、
といった風に苦笑して、桃華を追いかけた。その時にはもう桃華は二人の元に辿り着き、体当たりのような勢いで
抱きついていた。
「金太郎おじちゃん!浦島おじちゃん!」
二人は金太郎と浦島太郎。見るからにどっしりとして偉丈夫な金太郎と、対照的にいかにもな好青年の浦島太郎。
好対照ではあるが、どちらもかつては桃太郎や夜叉姫と共に、地獄の軍勢と戦った大切な仲間である。
「お久しぶりですね」
「桃も夜叉姫もチビ桃も、元気そうだなー」
桃華の頭に手をやりながら、にかっと笑う二人だった。
「うん・・・金太郎も浦島も、変わりないみたいで安心したよ」
桃太郎は嬉しそうに答えた。その顔には気の置けない友人に向ける、心からの笑顔が浮かんでいる。
「ふふ、桃華は元気すぎて困ってるけどね。我侭ばっかりで手がかかるのなんの」
夜叉姫はわざとらしく溜息などついてみせた。
「はは、その割には楽しそうですね」
「そうね。やっぱり子供は可愛いものよ。そっちはどうなの?そろそろいい人見つけて結婚したら?」
「いやあ、わたしはまだ・・・」
「なーに言ってんだよ、浦島。おめーには乙姫さまがいるだろ!」
ばんばんと浦島の肩を叩き、呵々大笑する金太郎。乙姫は竜宮城の姫であり、浦島とはちょっといい仲だと噂である。
「い、いや、だからまだそういう話は・・・そういう金太郎さんはどうなんです?」
「あー、オラはまだ落ち着くのはごめんだど。年中祭りやってる方が楽しくていいや」
「お祭り?」
素敵ワードに反応する桃華。子供にとって<祭り>とは、ただ言葉を聞くだけでワクワクする催しである。
「お?なんだ、チビ桃は祭りが好きか?」
「大好き!こないだ父さまと母さまにつれてってもらった!きんぎょさんが泳いでて、白くてふわふわして甘いのとか、
たくさんあった!」
勢い込んでまくし立てる桃華。金太郎は笑って言った。
おいおい、確かに祭りは楽しいしオラも大好きだけど、そう聞いただけでそんな大騒ぎしちまうようじゃまだまだ
ガキンチョだなー。そんなんじゃいつまで立っても大きくて強い大人になれねーど?」
「えー!?やだやだ!桃華もみんなみたいにおっきくてつよくなるの!」
力一杯腕を振って力説する。浦島がそんな桃華を宥めた。
「いやいや、桃華ちゃんもちょっと見ない間に、随分大きくなりました。心配しなくてももっと大きくなれますよ」
「ほんと?じゃあもうすぐ母さまみたいにきれいになれるかな?」
気の早い桃華に対し、金太郎が快活に笑った。
「なはは。その前におねしょ癖を治さねえとな、チビ桃」
「む~!桃華、もう赤ちゃんじゃないもん!おねしょなんて、もう・・・」
そこまで言って桃華は思い出した。今朝方、布団に盛大に世界地図を描いたばかりである。おねしょなんてもうしない、
と言ったらそれは嘘になる。嘘はいけない。えんま様に舌を抜かれちゃうんだ。
この世界ではえんま様は現実に存在する。桃華も顔見知りである。桃華には優しくしてくれるけど、それでもやっぱり
舌を引っこ抜いちゃうんだろうか。たらー、と冷や汗が流れた。
やっぱり嘘はだめ。本当のことを言おう。
「・・・もう、たまにしかしないもん」
これなら嘘じゃない。三日に一度なら、たまにで通るはずだ。えんま様に舌を抜かれたりしない。
「どはははは!」
思いっきり笑われた。
「む~!わらわないでよ!金太郎おじちゃんなんか桃華がやっつけちゃうから!えい、えい!」
ペシペシと蚊の鳴くような音を立てて、金太郎の分厚い身体を殴りまくる桃華だった。
「お?やるかチビ桃!」
対する金太郎は、すうっと腕を引き―――張り手を喰らわせた。勿論本気ではなかったが。
「にぎゃあぁぁぁぁっっ!?」
奇声を発しながらごろごろと転がっていく桃華に対し、金太郎は思いっきり勝ち名乗りをあげた!
「どわははは!見たかチビ桃!これがかつて世界を救った英雄が一人、人呼んで希望の男、金太郎さんの実力でい!」
・・・三歳児相手に張り手をかまし、大笑いして勝ち誇る腐れ外道の姿がそこにはあった。
流石に自分が情けなくなったので、すぐに笑いを止めた。
「・・・ううう・・・」
桃華はゆっくり起き上がり、そして―――盛大に泣き出した。
「ふぇぇぇぇぇぇぇん、金太郎おじちゃんがぶったぁぁぁぁ!桃華わるいことしてないのにぶったぁぁぁぁ!父さまにだって
ぶたれたことないのにぃぃぃっ!」
「あ・・・い、いや、その・・・すまん、そんなつもりじゃ・・・」
言いかけて、金太郎は気付いた。自分に突き刺さる、凄まじく冷たい視線を。
「・・・金太郎・・・君って奴は・・・!」
「よくも・・・桃華を・・・許せない・・・!」
「なんてことを・・・金太郎さん!あなたには人間の心がないのですかーーーっ!」
正義の怒りに震える三人と泣きじゃくる一人に、金太郎は完全に追い詰められていた。
この状況を打破するためには唯一つ。泣き喚く桃華をどうにか懐柔するしかなかった。
「どうしたチビ桃、何があった!ちくしょう、誰がこんなひどいことを!」
「うわぁぁぁん、金太郎おじちゃんがべたべたなボケで堂々とごまかそうとしてるぅぅぅっ!」
ボケて場を和まそうとしたがダメだった。
「な、なあチビ桃、オラが悪かった。ほら、謝るから機嫌直せって、な?」
「うぇぇぇぇん、金太郎おじちゃんなんかだいっきらいだぁぁぁっ!あっち行っちゃえぇぇぇっ!」
正攻法でもやっぱりダメだった。桃華は取り付く島もない。
「えぇぇぇぇん、金太郎おじちゃんにきずものにされたぁ!およめにいけなくされたぁぁぁ!」
「そこまでの悪行を為した覚えはねえよ!」
「うぇぇぇん、金太郎おじちゃんが桃華に×××で○○○なことをしたぁぁ!」
「どんどん捏造されてる上に放送禁止用語ー!?つ、強い!オラはこんな相手と戦っていたのか!?」
「ふぇぇぇん、バサラおじいちゃまに言いつけてやるぅぅぅぅ!」
「げっ・・・!」
口調は<先生に言いつけてやる>みたいなものだが、内容は段違いにヤバい。
バサラおじいちゃま。すなわち、鬼族の王にして地獄の支配者、バサラ王。改心してからの彼は名君として知られ、そして
桃華が生まれてからの彼は―――孫煩悩な爺としても知られている。
そんなバサラ王が、先程の会話は本気にしないまでも、桃華がぶたれたなどと聞けばどうなることか。
いや、下手すれば本気にする可能性すらある。
「・・・・・・」
金太郎は自分が無残な屍と化し、海に漂い魚の餌になっている様を想像してしまった。そしてそれは、現実の危機と
なりつつある。
「うわぁぁぁぁん、金太郎おじちゃんがじごくの鬼さんたちにかこくなごーもんされてるのをお酒ちびちびのみながら
ながめてやるぅぅぅぅ!」
「どこでそんなろくでもないセリフの数々を覚えたっ!?いやいやいや、ちょっと待て、チビ桃!取引しようぜ!」
「ひっぐ・・・うえ・・・とりひき・・・?」
「ああ。祭りに来たら、オラが何でも買ってやる!」
「何でも!?」
一瞬で泣き止みやがった。その涙は何だったんだ。少女の涙が純粋だなんて嘘っぱちだ。
「きんぎょさんは!?」
「掬いまくれ」
「ふわふわしたのは!?」
「貪り尽くせ」
「他には!?」
「祭りの女王様!何なりとお楽しみください!」
「わーい!金太郎おじちゃん、大好き!」
交渉成立。素晴らしいスピード解決。ビゴーの人も真っ青だ。桃華は喜びの余りそこら中を走り回る。
今にも<ミュージカル・お祭りで何でも買ってもらえるのが嬉しい>を開演しそうな勢いだ。
「ふっ、オラにかかればガキンチョを懐柔するくらい朝飯前だど!」
「泣かせたのも君だけどね」
「それを言うな・・・ま、何にせよ、平和なもんだな。昔はどうなるもんかと思ってたけどよ」
「そうだね・・・」
桃太郎は相槌を打ちながら、昔を思い出してみた。
「五年前か。あの頃は、こんな時代が来ることを信じて一生懸命だったな・・・」
―――鬼族との果ての無いとさえ思える戦い。その果てに掴んだ、今の幸せな世界。けれど―――
「どうしたんですか、桃太郎さん。辛そうな顔して・・・」
夜叉姫に訊かれて、桃太郎は寂しそうに微笑んだ。
「―――守れなかったものもたくさんあるからね。それが、悲しいんだ」
桃太郎は暮れかけた空を見上げた。失われた多くのものに、想いを馳せるかのように。
夜叉姫はそんな桃太郎の肩に、そっと手を置く。桃太郎も自然な動作でそれに手を重ねた。
そのまま二人だけの世界に没入しかけた時。
「・・・あー、お二人さん。人が見てるってのも忘れずにな」
―――忘れていた。わざとらしく二人して咳払いし、手を離した。
「ちぇっ、見せ付けてくれちゃって。オラもやっぱ嫁さん見つけるかなー。どっかのお転婆娘じゃなくて、もっとこう
お淑やかで可愛らしい嫁さんをさ」
「ちょっと待って」
夜叉姫が金太郎の発言を聞き咎めた。
「どっかのお転婆娘って、どこの誰かしら?」
「ん?どっかのお転婆娘っつっただけで、別に夜叉姫のことを言ったわけじゃねーど。オラが夜叉姫を表現する際には
こう言う。お転婆な上に色気ゼロの貧乳だと!」
「余計酷くなってるー!?も、桃太郎さん、何とか言ってよ!あなたの可愛い奥さんがバカにされてるわ!」
「よし、任せろ!」
愛する妻に助けを求められて、桃太郎は力強く頷いた。
「金太郎、夜叉姫はこう見えても脱ぐとすごいんだぞ!貧乳だなんて失礼な!・・・へぶぅ!?」
「誰がそんな助け舟を出せと言いましたかっ!?しかもお転婆なのは否定しないんですねっ!?」
強烈なアッパーカットで桃太郎を空高く飛ばした夜叉姫であった。
「お?そんなに脱ぐとすごいのか?じゃあおじさんに見せてみろ、な?な?」
さらに火に油を注ぐ金太郎。ついに夜叉姫が切れた。目が敵モードの時よろしく真っ赤だった。
「そんなに見たいのなら、ああ見せてあげるわよ、地獄をね!」
「ちょ、ちょっと二人とも・・・」
浦島の静止も虚しく、ファイトクラブ真っ青な壮絶な喧嘩が始まった。何しろかつて世界を救った英雄同士の喧嘩で
ある。壮絶にならない方がおかしい。まさに竜虎相打つ激闘!
―――争いの次元が限りなく低レベルなのが悲しいものであったが。
皆様、これが世界を救った者たちの素顔である。
「全くもう・・・」
顎をさすりつつ、桃太郎は苦笑した。こうして喧嘩できるのも、本当に互いを信頼しているからだと彼は分かっている。
だからこそ、こうして遠慮なく接することができるのだと。
「・・・あれ?」
桃太郎はあることに気が付いた。
「桃華?」
そう。愛娘、桃華の姿が見えなくなっていた。
ちなみに彼の背後では喧嘩の仲裁にと金太郎と夜叉姫の間に割って入った浦島が、二人の渾身のストレートをもろに
喰らうというベタベタなシーンが展開されていた。
―――彼らは不滅の友情で結ばれた者たちである。いや、ほんとに。それはともかく金太郎に浦島の介抱を任せ、
桃太郎と夜叉姫は桃華を捜しに行くのであった。
―――その頃、桃華は。
「はじめまして、桃華っていいます!」
十歳ほどと思われる二人の少女と一人の少年を前に、元気よく挨拶していた。
桃太郎たちがグダグダやってる間に桃華は見慣れないこの三人を見かけて、興味を惹かれて追いかけていったのだ。
そして追いついたところで、先ほどの挨拶であった。
「な、なにさ、この子は・・・変な奴」
短く揃えた髪に勝気そうな顔立ちをした少女の片割れが、戸惑ったように桃華をジロジロと眺めた。
「けど、可愛い・・・」
対照的に髪の長い、儚げな少女が目を細めて、桃華の頭を撫でた。桃華はえへへ、と笑いながらされるがままだ。
「親はどうしたの?もう暗くなるから、そろそろ帰らないと心配するよ」
線の細い、女の子と間違えられそうな少年が優しく声をかけると、桃華は目を真ん丸くした。
「あー!そうだ!帰らないとダメなんだった!帰らないとごはんはにんじんさんがたっぷり!」
「なんだそりゃ」
勝気そうな少女が、おかしそうに笑った。しかし、どこか―――陰のある笑みだった。
自らの後ろめたさ故に、少女の無邪気さが眩しくて見ていられない―――そんな笑み。
「やっぱ変な子だね、あんた」
「むー、桃華はへんな子じゃないし、あんたって名前じゃないもん!桃華は桃華だもん!・・・あ、おねえちゃんたち
は?おねえちゃんたちの名前は?」
「はあ?どういう話の流れだよ、全く・・・」
この年頃の幼児の会話の脈絡のなさときたら、独特のものだろう。頭をかきながら、少女たちは自己紹介した。
「あたいはティス。で、こっちが・・・」
「私はデスピニス」
長い髪の少女が、小さく答えた。
「僕はラリアーだよ。よろしくね、桃華ちゃん」
少年がそう言って桃華に笑いかけた。
「え、えっと・・・ティスおねえちゃん、デスピニスおねえちゃん、それにラリアーおにいちゃん・・・?」
どうにも覚え辛い名前だった。普通名前と言ったら太郎くんとか花子ちゃんとかなのに。
それに服もなんだか変な感じだった。着物とか振袖とかじゃなくて、なんだろう、どこか遠い国の人の着る服なのか?
桃華にはよく分からなかった。
「はは、この世界の人間にゃあ馴染みのない名前だもんね。覚えられないんだったら無理しないで忘れていいよ」
<この世界の人間>?その言い方に何か妙な感じがしたが、桃華にはやっぱりよく分からなかった。だけど。
「せっかく名前おしえてもらったもの・・・ちゃんと覚えるもん。えっと・・・ティスおねえちゃんたちは」
「なんだい?」
「ティスおねえちゃんたちは、今度おひっこししてくるひとなの?」
その言葉に、ティスたちはどこか気まずい空気を漂わせた。
「うーん・・・引越しっていや、引越しだよ。ねえ?」
「引越し・・・」
「そ、そうだね」
三人は取り繕うようにそう答えたが、桃華にはその辺りの機微が分からなかった。ただ、無邪気に尋ねる。
「じゃあ、おひっこししてきたら桃華と遊んでくれる?」
「ま、気が向いたらね」
ティスが素っ気無く返事した。
「あ、あの、今度ね、金太郎おじちゃんの村のお祭りにいくんだけど、いっしょに行かない?」
「・・・気が向いたら」
デスピニスがぼそぼそと呟くように言った。
「と・・・桃華のおうちに遊びにきてくれたりしたらうれしいな・・・」
「うん、気が向いたらね・・・」
ラリアーも鸚鵡のようにそう繰り返した。
「みんな、ずるい!気が向いたら、ばっかり!」
桃華がついに怒った。とは言っても三歳児。精々子犬がわんわん吠えた程度の威圧感だった。
「ずるいって言われてもねえ・・・あたいたちだって、都合があるしさ。ま、暇ができたら遊んでやるくらいはいいよ」
頭を掻きつつ、とうとうティスがそう言った。残る二人もうんうん、と頷く。適当にこの話題を切り上げようとする気
満々なのが明らかであった。
「じゃあ・・・やくそく」
そんな三人に、桃華が小指を差し出した。
「・・・?」
「ゆびきり!」
「・・・」
迷った。三人は分かっている。そんな約束―――果たされないことを。なのに、迷った。
適当に返事して、適当に桃華の言うがままにしてやればいいだけだ。そう頭の中で分かっていたのに―――迷った。
自分たちのしようとしていることから考えれば、そのくらい、どうでもないことのはずなのに。
「そうだね。約束だ」
ついにそう言って、三人は桃華と小指を絡ませた。
「ゆーびきーりげんまん、うそついたら針千本のーます、ゆびきった!」
―――ああ、そうだね。あたいたちは・・・針千本くらい、飲まなきゃね。
そう思った時だった。
「桃華!」
「ん?」
見ると、まだ若い二人の男女だった。中々似合いのカップルじゃないか、とティスは少々下世話なことを思った。
「あ・・・父さま、母さま!」
桃華がぽてぽてとその二人に駆け寄った。
「もう、ちょっと目を離すとすぐにいなくなるんだから!夕御飯は覚悟しなさいよ!」
「う・・・」
なるほど、<にんじんさんたっぷりの刑>か。思わず吹き出してしまった。そこで二人がティスたちに気付いた。
「あれ・・・?その子たちは?この辺じゃ見ない顔だけど」
「うん、今度おひっこししてくるおねえちゃんたち!あそんでもらってたの!」
「そうか。ありがとうね、お嬢ちゃんたち」
「いやあ、大したことはしてないよ・・・いてっ!」
デスピニスに、脇を小突かれた。
「大人の人に、そんな口聞いちゃダメ・・・」
「そうだよ。ティスは口が悪いんだから。あ、すいません。こっちの話ですので、気にしないで下さい」
「う、うん・・・とにかく、桃華がお世話になったね。じゃあ帰るよ、桃華」
「えー?もっとおねえちゃんたちとお話ししたい・・・」
そう言いかけた桃華は、母親が無言の圧力をかけてくるのに気付いて慌てて口を閉ざした。そんな様子に苦笑して、
ティスは言ってやった。
「ほら・・・帰りな。子供は、親の元に帰るもんだ」
「うん。あ、おねえちゃんたちは?おねえちゃんたちも、そろそろ帰るの?」
「ん?そうだね、実は勝手に出てきたから、見つからないうちに帰らないと怒られちゃうよ・・・ん?何さ、ラリアー」
「・・・手遅れみたいだよ」
そう言ってラリアーが指差した先を見て、ティスとデスピニスは嘆息した。
「げっ・・・!」
見ると、一人の少女が走ってくるところだった。
歳は十六、七だろうか。背中まで伸びた艶のある黒髪が白い肌によく映えていて、清楚な雰囲気を醸し出す、美しい
少女だった。
「わあ・・・きれいなおねえちゃん!」
桃華が歓声を上げて、少女がそれに気付いた。にこり、と、可愛らしい笑顔を浮かべる。
「あら、そっちこそ可愛いお嬢さんね。この辺の子かしら?」
「うん!桃華ってゆうの!」
「そう。私はテラよ。桃華ちゃん、ティスたちと遊んでくれてたのね、ありがとう」
「ちょっと待った、テラ姉。あたいたちがその子と遊んであげてたんだってば」
「お黙りなさい」
ぴしゃり、と叱られて小さくなる三人。どうやらこのテラという少女には、頭が全く上がらないようだった。
「もう、ダメじゃないの!勝手に外を出歩くなってお父様に言われたでしょう?」
「ご、ごめんよ、テラ姉・・・あたいが二人を誘ったんだ。ちょっと外を見たいって・・・」
「違います、テラ姉さま。私が外の空気を吸いたいって言ったから・・・」
「そうじゃないよ、テラ姉さん。僕が散歩したいなあって提案したんだ。ティスもデスピニスも悪くないよ」
互いに庇いあう三人に、テラも怒る気を無くしたらしい。
「しょうがないわね・・・私からもそんなに叱らないように頼んであげるから、もう帰りましょう」
「うん・・・ごめん」
「じゃあね、桃華ちゃん」
「さよなら」
「さよーなら!また桃華とあそんでね!」
元気よく言って、桃華はようやっと家路に着いた。右手を父に、左手を母に引かれて。
それは、とても平凡で。どこにでもありそうな。だけど、何より幸せそうな。家族のあるべき姿だった。
そんな桃華たちを見つめて、ティスたち四人も思わず笑みを浮かべた。
だが・・・それはすぐに打ち消される。
自分たちがここに―――この世界に来た理由。それを忘れたわけではなかったから。
「やっぱ・・・出歩いたりするもんじゃなかったね」
ティスがぽつりと語った。
「あんなに幸せそうな連中と、あんな風に馴れ合っちゃったら、やりにくくなるだけだってのにさ・・・」
「今からでも・・・別の世界を探すわけにはいかないかな・・・」
デスピニスがそんなことを言い出した。
「ほら。この世界のことは色々調べたでしょ?何だか手強そうな人たちがたくさんいるし・・・何もこの世界じゃ
なくても・・・」
「今さら無理だよ。もう時空間はタイムパトロールに見張られてて迂闊に移動できない」
ラリアーが複雑な表情で頭を振った。
「この世界で計画を進めるしかない・・・そういうことだよ」
「だね・・・もうあれこれ考えたって仕方ない。あたいたちはあの方のお役に立つため、ここにいるんだから」
「そう・・・全ては」
そして三人は声を揃えた―――
「「「ギガゾンビ様のために」」」
そんな彼女たちを、テラはただ、悲しそうに見つめていた―――
と、まあ。こんな感じですが、このお話は。
小さくて弱い少女が、大好きなみんなのためにおっきくて強くなるまでのお話で。
そんな彼女を優しく見守る人たちがいて。
そこに現れた侵略者たちと、さらに皆様ご存知の、青いあいつとお人好しの少年も加わるわけで。
希望と正義と愛とそして、何より勇気と友情と、それに笑いと涙も一杯の。
ちょっとおかしな御伽噺、始まり始まり♪